2012年5月12日 (土)

いつもニコニコあなたの隣に這いよる混沌アカサンホテプです♪

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下の子が1歳になった。私はほとんど成長していないのに、赤ちゃんはすくすくと育っている。赤さんと一緒にいると、時間の進み方が軽く歪む。

最近の赤さんは、「$%&’$%&’())++@」と、何とも名状し難き声で楽しそうに話すだけでなく、人間の言葉も理解するようになった。

抱き上げると「いあ!いあ!」と喜ぶ
人とお別れする時に「バイバイ」というと腕を前後に振る。
「おいしい?」と聞くと手のひらで頭を軽く二回叩く(本当は頬っぺたを2回叩くというベビーサインを教えたのだけど……)。
電気プラグを抜くなどいたずらをそっとしている時に「ダメ!」と言うと、びくっとしてやめる。そして、恥ずかしそうに片手で顔を抑える。
「いないいない」というと両手で顔を覆い(手が小さいので顔の半分も隠れない)、「バー」で手のひらを顔から外して笑顔を見せる。
などなど。

言葉だけでなく、動きもかなり活発になった。
ふと気がつくと、ニコニコしながら「(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!」と隣に這いよって来る。
私の姿が見えないと、家中を非幾何学的な直線を描きながら、はいずりまわって私を探す。
ハイハイが上手にできるせいか、立つのはあまり上手ではない。
自分からつかまり立ちをしたのに座れなくなって、「ふんぐるい むぐるうなふ」と呪文の言葉を唱えて大人を召喚しようとする。

いたずらも増えてきた。
引き出しや引き戸が開いていると目ざとく見つけて、せっせと中身を出す。
ティシュペーパーやウェットティッシュを一枚一枚ケースから引き出す。などなど。
赤さんは、ニコニコ笑いながら、部屋を冒涜的な禍々しい混沌に陥れる。

先日、出かける間際に、台所で物音がした。柔らかな体をもつ何者かが迫ってきているような物音だ。慄然たる思いで様子を見に行くと、空になったコーンフレークの袋が捨て置かれ、赤さんは床の上のモノと化したコーンフレークをせっせと拾って食べていた。私は、地表に叩きつけられたかのような絶望感に襲われ泣いてしまった。

赤さんと一緒に生活していると、無我すら許されない不定の悲しみに陥ることもあるけれど、時空を超越した底知れぬ多幸感に浸ることもあって、感情の振れ幅が激しくなる。赤さんと生活していると、SAN値を保つことはなかなか難しいです。「莫迦め! t80935は死んだわ!」とならないように、ぼちぼちとがんばってSAN値を適切に保つようにしたいものです。

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*名状しがたいアニメ「這いよれ!ニャル子さん」をリスペクトして書き出してみたけれど、クトゥルフ初心者なのでうまく書けけませんでした。「窓に!窓に!」が使えなかった(;_;) 使い方が間違っているものも多そう……。中途半端な悪ふざけでごめんなさい(>_<) (ニャル子さんは、萌えアニメっぷりに2話目でついていけなくなった )。

**いまさらながらはてぶボタンを設置してみました。

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2012年5月11日 (金)

祝の島 - 守りたいもの、守りたかったもの、そして正しい怒りについて-

少し前に、職場の方に「祝の島」のDVDを借りて、子どもと一緒に観た。

「祝の島」は、祝島は瀬戸内海に浮かぶ離島のドキュメンタリー映画。祝島を取り巻く美しい海、その恩恵を受けて生活する老人たち。守り継がれたものを次の世代に繋ごうとする営みも美しかった。

映画の中では、祝島の人々の生活が丁寧に丁寧に描かれている。中でも、仲良しのおじいちゃん、おばあちゃん4人が、毎晩夕飯の後にお茶会をしているというのが、すごくよかった。4人でのんびりと炬燵に入って、テレビを見て、お話して、笑って、というの。「来年は生きてるかどうかわからない」とか言いながら、みんなで笑っているのが羨ましかった。

祝島では、原発建設予定地で20年以上にわたって、反原発運動が行われてきた。祝島では毎週必ずデモ行進が行われている。おじいちゃん、おばあちゃんばかりのデモ行進やシュプレヒコール。のんびりした島の生活の合間に反原発運動の映像が挟まれる。

祝島で反原発運動をしている人たちは、祝島で暮らす普通のおじいちゃんやおばあちゃん。原発の建設予定地になってしまったがために、島の人たちが原発賛成派と反対派に分かれてしまった。それまでみんなで助け合って暮らしてきたのに、「原発のせいで地域がずたずたにされた。」

普通のおじいちゃんが、建設を阻止するために工事の妨害をする。それを中国電力の作業着を着た人たちが困惑した表情で見つめる。彼らは何らかの思想の元、工事という暴力を遂行しようとしているわけではない。地域の人々を痛めつけたいと露ほども思っていない。まったくもって悪人じゃない。彼らは、自分の仕事をしようとしているだけだ。

監督は、「島の人たちの様子を見たら、原発反対のために運動をしているのではなくて、何か守りたいものがあるから反対している。その守りたいもの、大切にしているものが感じられた。それが島の人たちの暮らしだと感じ、吸い寄せられた。」と語っている(11月28日アップリンク渋谷トークショー 古居監督×纐纈あやさん)。

島の人たちの暮らしを感じることができる、とてもよい映画だった。

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祝の島を見ながら、どうして福島県は、福井県は、その他多くの地域は、原発を誘致してしまったのだろうと悲しくなった。

現在、日本国内の原発は1台も稼働していない。でも、原発はすぐには無くならない。原発はもう山ほど存在している。廃炉にするのにどれだけの費用と労働力、年月がかかるんだろう。放射性廃棄物の処理はどうすればよいのだろう。今まで多くの人々はまともに反対してこなかったし、建設を許容していた。私たちは、将来にわたって、数十万年のオーダーで、その負い目をずっと払い続けないといけない。将来の子どもたちに対して、本当に申し訳ない。

原発を誘致した地域に、守りたいものがなかったわけではない。逆だ。単純に政治家や地権者たちが利益を得たいという理由で原発を誘致していたのだったら、もっと話は単純だった。守りたかったからこそ、原発やそれにまつわる利権にからめとられていったんだ。地域経済を守るため、地域コミュニティを守るために。

実際には、原発誘致によって落とされたお金の多くは無駄金になってしまった(原発マネーが地域振興に役立たなかったことについては、たとえば こちらを参照)。本当にうんざりする話だ。原発誘致は国のエネルギー施策としても、中期間の地域振興策としても間違っていた。

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先日、職場で回覧している雑誌で(雑誌のタイトルを忘れてしまった(>_<))福島県出身の詩人の和合亮一氏のインタビュー記事を読んだ。和合氏は、原発事故や震災に関する報道が減っていることを受けて「関心を持ち続けるには、怒りを持ち続けないといけない。不条理なものに対する怒りを」 と語っていた。

だが、(自分自身の経験を踏まえて思うに)弱い人間が、正しい怒りを持ち続けることは難しいように思う。怒りというのは持ち続けるうちに、対象や解決の方法を見誤らさせる。間違った怒りに感情を振り回されて、人生を疲弊させてしまうこともあるだろう。

そして、怒りは必ず自分にも跳ね返ってくる。自分にも落ち度がなかったのかと、自省を強いてくる。正当な怒りだったものが、わがままやエゴを言っているかのようにとられ、味方だと思っていた人たちや何の関係もない人たちからも攻撃を受ける。

「憎しみと恨みの拡大再生産になるから何もするな」、「憎しみと恨みは何も生まない」、「前に進むためには赦しが必要だ」と賢げにいう人たちがいる。確かにそうかもしれない。でも、どうしてその赦しを、被害者側が自力でできると思うんだろう。非がある側が責任を取る前に、被害者は加害者を赦すことなんてできるのだろうか? 被害者と加害者の間に必要なのは、対立関係でもデタッチメントでもなく、緊張感のあるパートナーシップだが、それは一朝一夕で築くことができるものではない。悲劇は二度と繰り返さない、そういう共通認識ができた後に、初めて被害者は加害者を赦すことができるのではないのか*。

和合さんの怒りの矛先は、具体的な加害者に向かっていない。原発事故において、東電や国だけが加害者とはいえないように思う。過疎部の原発で作った電気を使って、経済発展の恩恵を受けて来た都市生活者も加害者だろう。

私は、原発事故の関係者でもなんでもないし、今のところ何もしていないに等しい(署名ぐらいしかしていない)。故郷を追われた方々、被爆の危険性に晒されている方々の様子や心境に想いを馳せようとするが、分からない部分の方が多い。でも、それでも、都市生活者としての責めを受け止めながら、被害者の側に寄り添いたいと思う。何ができるか分からないが、静かな正しい怒りを持ち続けたい。

「祝の島」には、正しい怒りを持ち続けるためのヒントが描かれているように思う。

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*ここらへんは、公害訴訟やその後の動きを見ていながら、日々考えていることです。

・祝の島 公式サイト:http://www.hourinoshima.com/ 上映スケジュールなど。

・祝の島 予告編

上関原発(Wikipedia) 福島原発の事故を受けて、建設中止になったものだと思い込んでいた。中電の社長は、"基本的に上関原発建設計画を堅持する意向"って……。今の状況において、建設が進むとは思えないが、きちんと反対し続けることは必要だろう。

・「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか 開沼 博著:「強引な国策・電力会社・地元権力」と「抵抗する地域社会・社会運動」の間の二項的な争いと解釈する枠組みを批判し、原発受け入れ地が自発的に受け入れた様子を丹念に分析している。

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2012年4月25日 (水)

箱の中から出られなくなった

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箱の中から出られなくなる夢をみた。

ふと気がつくと、目の前に、私の体がちょうどすっぽりおさまりそうな大きさの箱があったので、なんとはなしに、箱の中に入ってみた。

入ると、中は真っ暗で、暗闇と自分がまじりあって、自分の存在があやふやになった。

このままここにいても仕方がないと思い、箱の外に出ようとするのだが、自分から中に入ったのに、どうやって出ればよいかわからない。

ああ、私は誰にも見つけてもらえないまま、箱の中で人生を終えるんだなあ、でも、それも仕方がないよねと思いながら目をつむった。

目が覚めた時、なんだ、箱から出られたのかと安心したような、残念なような気持ちになった。

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私は、昔から、気に病んでいることをそのまま夢で見る。

今、疲労のせいか、胃の調子がおかしくて食欲がない。食欲がなくても、お母さん業として子どもたちにご飯を食べさせないといけないし、下の子には授乳もしているのでご飯も食べないわけにはいかない。仕事も溜まっているし、研究も、いろいろと……(ううぅっっ(;_;))。

そういう現実から逃げ出したいというのが「箱の中に入る」ということなんだと思う。わかりやすいなあ。

私は基本的にダメ人間なので、逃げたらそのまま帰って来られなくなる気がする。夢の中でも、箱から出られないのを仕方がないと諦めていたし。私の子どもたちは、そんなダメな私を現実につなぎ止めてくれる大事な存在だと思う。

生きるって事は”罰”なんだねってことかなって思います。生きているんだから、日々の生活のこまごました事柄を、ひとつひとつ、丁寧にこなすしかないのよね。

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2012年4月 1日 (日)

流れるようで積み重なる日々

先日、こんな夢をみた。
オットとはまだ結婚していなくて恋人同士だった。一緒にどこかに出かけ、オットは私を家まで送ってくれた。家には私の子どもたちが待っているからと、途中のコンビニでお土産にアイスクリームを買ってくれた。やさしい人だなと思った。
多分、ここしばらく、オットと一緒に家で過ごす時間が短いせいで、こんな夢を見たんだと思う。なんだか少し寂しかった。

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前々回の記事を読んだオットから「脆性破壊は、急激に壊れる破壊ですよ。あなたの状態は、疲労破壊かな?」と指摘があった。んー。なるほど。私はちゃんと材料力学を理解していないということだな(>_<)
というか、指摘する点はそこだけでいいのか?

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オットと結婚して10年がたった。
私のオットに対する認識は、10年前とあまり変わらない。
オットのよいところは、他人に踏み込まないところと、他人がどうであろうとペースをあまり崩さないところ。オットは健全な精神の持ち主で、自分の決めた規範に従う正義の人である。よい会社員、よい隣人、よい父親、よい夫として振る舞うことを重んじる。
私が調子を崩している時は、もうちょっと踏み込んでほしい、一緒に疲れてくれほしいって思ったりする。でも、調子を取り戻した後でよく考えると、踏み込んできてくれなくてよかったと思う。
何かに依存できると、その瞬間はとても楽になる。でも、依存が常態化すると、依存させてもらえない時に事態はなおさら悪くなるし、自分の無力感を強く感じてしんどくなる。だから、結局のところ、楽に生きるためには、できるだけ他人に依存しないで自立して生きられるようにしないといけない。ということで、オットの態度はそれでよいのだと思う。

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オットは、私の考えていることがよくわかるという。オットからすると、私は単純で、感情が周りに筒抜けなのだそうだ。
そうであるなら、私のこのぐちゃぐちゃの感情を全部おもてに出して、すべての要素をラベリングして、図書館のようにきれいに整理して私に見せてよ!と思ったりすることもある。めちゃめちゃ身勝手だ(>_<)
でも、ぐちゃぐちゃだと思っているのは私だけで、傍からは、単純なところで立ち止まっているように見えるんだろう。私はもうちょっと自分を客観視できるようにならないといけない。

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オットと話をしている時に、育ちの違いが考え方に大きく反映されているのを強く感じることがある。育ちは変えられないのだから、私は、この先、この人とわかりあえないのかもしれないと思う。そう思うと、少しだけ苦しくなる。
でも、ある部分ではわかりあえても、他の部分ではわかりあえないというのは、夫婦であっても普通のことなんだろう。家族になろうと決めたのだから、分かり合えないからと断ち切ってしまうのではなく、どうにかこうにか折り合いをつけていくのが大事なんだろうなと思う。

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この10年で、家族が2人から4人に増えた。引越しは3回した。たくさんのものを買って消費して、家の中のものも増えた。陳腐な表現だが、この10年間は長くもあったし、短くもあった。日々が流れて行ってしまったようにも思うが、日々を積み重ねることで家族としての関係も強固なものになってきたようにも思う。
今後も、時折、メンテナンス(点検、修繕、整備などなど)をしながら、より良い2人の関係を築いていきたいと思う。改めて、初心に戻って、どうぞよろしくって感じです。

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2012年3月21日 (水)

小さく地域内でお金をまわして、電気をつくる

先日、「エネルギー自立のまちづくり」というセミナーに出た(セミナーの講師は、京大の諸富先生と滝川薫さん)。興味深い内容だったので、少し紹介する。セミナーで聞きかじった内容を踏まえて書いているだけなので、事実誤認などがあったらご指摘くださいm(_ _)m

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1. フライブルク市の取り組みについて

(1) きっかけ

 フライブルク市がサステイナブル・シティに取り組むきっかけは、1970年代の原発建設計画。
 1986年のチェルノブイリ原発事故を受けて、市議会で全会一致で原発依存度をゼロに引き下げることを決定し、市独自のエネルギー供給構想を議決した。
 フライブルク市の良いところは、自分達の地域から原発を廃除して他地域に持っていくのではなく、原発なしの世の中をどうやって作っていったらよいのかを市を挙げて模索したことである。だからこそ、環境首都と呼ばれる都市になった。

(2)太陽光発電

 フライブルク市では、ソーラーパネルが設置可能な屋根の情報をまとめている。
 市のWebサイトで、自分の屋根がパネル設置に適しているかをチェックできる。
 パネルが設置できない人のために、市は公共施設の屋根などのスペースを供給している。
 2009年時点で15MWを発電している。これは、需要の1.1%にあたる。

(3)現状の原発依存度

 フライブルク市の原発依存度は60%から20%にまで低下した。
日本では地方自治体がエネルギー政策にまったく関与できないし、それが当然だと考えられてきた。フライブルク市では、自治体が地域からエネルギー政策を持続可能な政策に転換しようとしている。

2.長野県飯田市の取り組み

 日本でも、地域内で使う電気を地域で作るという取り組みをしているところがある。長野県飯田市の取り組みはその先進的な事例。

 飯田市にある「おひさま進歩エネルギー(株)」は、地域から出資金を集め、太陽光発電と省エネ事業に対する投資を行う。売電し、出資者への利益分配も2%以上を計画している。第一期には、わずか二ヶ月あまりで募集額の2億が集まった。

 おひさま進歩エネルギーの「おひさま0円システム」。
 このシステムは、地元の信用金庫の支援を受け、一般住宅に太陽光発電パネルを設置するというものである。各住宅から中部電力に売電し、おひさま進歩エネルギーに9年間にわたり、月額19800円を支払う。住民は初期費用なしに太陽光パネルを住宅に設置することができる。

 飯田市で地域連携による太陽光発電システムの普及が成功した理由
  1.行政のバックアップ
  2.地域が元気になる仕組みづくり
  3.飯田市の地理的特性と自治意識の高さ

 日本では、地域一社独占型の大規模な発電による安定供給が行われてきたが、福島原発の事故により安定していないことが露呈した。再生可能エネルギーは不安定であるが、地域それぞれの特色に合わせた事業の余地がある。そのためには、太陽光や風、水、地熱といった自然資本を活用すること、自然資本を活用するためのシステムを作る人的資本、人々を結びつける社会関係資本が大事である。

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【個人的な感想】

 うん、ドイツは素晴らしいね。わぁいフライブルク、t80935、フライブルク大好き。
 でも、日本とヨーロッパでは制度が違いすぎて、参考にするには超えないといけないハードルがたくさんある。

 日本では電力会社の力がとても強い。法制度でしっかり守られている。

 たとえば、今までの環境アセスメントの手続きが終わった事例を見ても、原発立地を退けることはできなかった(原発立地に関わらず、現状の法に基づく環境アセスメントでは大規模開発そのものをやめさせることはできない。軽微な変更を指摘するだけ。アワスメントなんていう駄洒落が言いたくなる人の気持ちもわかる><)。原発訴訟も原告側は負け続けている。

 今の福島原発の事故の状況は、一般市民の声を政策に反映させるための法的な制度をちゃんと作ってこなかった「ツケ」だと思う。市民の声を反映させる制度がなかったから、一般市民は政策に興味を持たない人が多かった。福島原発事故以前に、電力会社が大きな資本を作り、大規模な発電をするのに疑問を持っていた人って、ほとんどいなかった。福島の事故以降、原発にまつわるぞっとするような、でも、あまりにも杜撰なニュースをたくさん見かけるようになった。私たちの社会は、これらを放置してきてしまった。
 
 今、市民の声を政策立案者に届ける方法が、署名、デモ、訴訟くらいしかない。訴訟は、一般市民にとってかなりリスクが高い。パブリックコメントやワークショップ、タウンミーティングなどもされるようになってきたが、それの法的な後ろ盾は薄いんじゃなかったかな(ごめんなさい、ちゃんと調べます(>_<)) 

 こういう状況の中、一般市民は、電力に対して何もできないのではないかと暗澹たる気持ちになる。だが、現状の制度下であっても、長野県飯田市の地域発電の事例は、地域で使う電気を地域内で作るというやり方がありうるということを示してくれる。飯田市の事例は有名であるようだが、私は知らなかった。

 長野県飯田市の日照時間は長く晴れの日も多いらしい。といっても、他の地域の何倍もというわけではない。飯田市の事例は、大規模資本に頼るのではなく、地域内でたくさんの人から小さいお金を集め、それを元に発電し、利益を出して、出資者に分配金を支払っている。すごい。
 
 今後、できるだけ電気に頼らない生活を目指し、節電を心がけないといけないのだろうと思う。だが、今の私達の生活は、電気を前提として成り立っており、電気無しの生活はできない。電気がないと、生存そのものが脅かされる人々がたくさんいる。先日、会った重度障害のあるお子さんのいるお母さんは「子どもは痰の吸引機がないと息ができなくなってしまう。停電で吸引機が使えなくなるのが怖い」と言っていた。他にも熱さや寒さでも人は体調が悪くなったり、亡くなってしまう。

 福島原発の事故後、電力会社が大規模に電力を発電するのは、もう安定した電力供給のやり方ではなくなってしまった。今後は、電力会社の電気は停電する可能性がある、特に大災害の時には復旧に時間がかかるというのを念頭において対策を打っておこないといけないように思う。今後30年の間に発生する可能性が高いと言われている東南海地震の際には、太平洋側に多数ある火力発電所が壊れる可能性がある。そうした大規模災害時も含めたエネルギー施策の一つが、こういう地域内でお金をまわして地域内で電気を作るというやり方なのではないかと思った。

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参考 

スイス在住の環境ジャーナリストの滝川薫さんのブログ。小規模な再生可能エネルギーに関する情報を発信しておられます。 / “滝川薫の未来日記

飯田市で太陽光発電事業をおこなっているエネルギー会社 おひさま進歩エネルギー株式会社

停電弱者。 - hituziのブログじゃがー 

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2012年3月 3日 (土)

脆性破壊したから治そうとしている

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仕事を再開してからここ数ヶ月の私の精神状態について。といっても何があったわけでもなく、コップの中の嵐のようなものなんだけど。

自分の精神状態というプライベートなことをワールドワイドに知らせようとするのって一体なんなの?馬鹿なの? 死ぬの? という感じかもしれない。でも、自分の心をきちんと整理して、同じことを繰り返さないために、誰かの眼にとまる場に文章を書きたかった。それに、インターネットというのはパブリックな場だが、私が好きなことを私の責任の範囲内で書いてよいスペースである。というわけで、自分語りを許してください(てへぺろ(・ω<) ←使ってみたかったけど、使い方が間違っているような気がする(>_<))

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この半年間、私の精神状態はちょっとひどかった。

一日のうち、数時間程度、気持ちが落ち着かなくなった。職場でひとしきり作業をしてファイルを保存する時、電車の中で車窓から流れる景色を眺めている時、保育園にお迎えに行って子どもをベビーカーに載せる時、夕ご飯を作って「さあ食べましょう」という時、そういうふっと心に隙間ができた瞬間に、液状の何かが一滴入り込む。そして、その一滴は、あっという間に気化して、心全体を靄で覆う。

心がこの靄に覆われると、視界がひどく狭くなって、いろんなことが不安で不安で堪らなくなった。今、私は取り返しのつかないことをして、私の子どもたちを大きく損なっているんじゃないのか。 私のような中途半端な存在は、この先、どこにも居場所がなく、誰のことも助けられず、まともに何かを為すことはできないんじゃないか。この世の中にとって、私はいなくなった方がいいんじゃないか。そういうネガティブな思いに囚われた。

私にとって、大事なものは何なのかが分からなくなっていた。仕事なのか、子どもなのか、家庭なのか、大事な人は誰なのか、大事な問題は何なのか。今やっていることに意味があるのかどうかもよくわからなくなっていた。

気持ちが塞いでいない時は、何かしら手を動かしていた。でも、私は優先順位をうまくつけることができなくて、その結果、職場でも家庭でも、生産性が低くて効率が悪かった。だから、なおさら黒い靄に心が囚われやすいという悪循環に陥っていたのだと思う。

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生活の変化に心がついていっていなかった。産後でホルモンバランスがおかしくなっている影響も大きかった。夜の授乳のせいで、睡眠が細切れになっているのもある。家事や子どもの世話、お迎え、授業参観などの行事といった事前にわかっているものだけでなく、子どもの病気、学級閉鎖といった不可避のものに不意に時間が大量に奪われるのも辛かった。

精神状態だけでなく、体の調子もおかしかった。髪の毛が大量に抜けた。いつも疲れていて眠くて、眼の下のくまが深く深くなっていっていた。この半年で、一気に老けこんだよう思う(とはいっても、私は元々の顔のつくりがへらへらしているので、ぼーっとしているとか、何も考えてないというふうに思われていたようだけど)。

こういう状況は一過性のもので、慣れればましになるものだとは思う。でも、この数ヶ月の負荷だけで壊れたんじゃなくて、長い年月をかけてゆっくりと脆性破壊したんだと思う。破壊が起こる前に、非破壊検査をして、自分の問題箇所を発見して、補強しないといけなかった。子育てと仕事の復帰という大事な時期に、負荷に耐えられなくなった。いつでも、最悪の事態は最悪のタイミングで起こる。

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さて、と。ねちねちと自分の不安について書いているが、今、私が置かれている状況はさほど酷いものではない。

結婚して家族がいる。オットは優しく明るくよくできた人で、夫婦仲が特に悪いというわけでもない。彼は私のすることに関して「君のしたいようにすればいい。僕はできる範囲で支援するよ」と言ってくれている。言葉どおり、彼は彼のできる範囲で、家事も育児もしてくれている。ただ、彼は仕事が忙しいため、平日は終電でしか帰って来なくて、土曜日もいない。

二人の子どもたちは心身ともに健やかに育っている。上の子は、顔も性格もオットによく似ている。小学一年生になって、しっかりしてきた。下の子は、大人しく育てやすい子で、保育園にもよく馴染んでいるようだ。離乳食もよく食べるし、よく笑うし、よく動く。

仕事も、給料は少ないし、任期に期限があるとはいえ、自分のやりたいことをさせてもらえている。私の今までの経歴もムダにはなっていない。

これ以上、私は、いったい何を望んでいるのか? 恵まれているだろ?

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一時は、不安を安らげるために、寂しさを埋めよう、埋めようと必死になっていた。

でも、寂しさは、底が抜けているから決して埋まらない。土運船で大量の土砂を投入して海を埋め立てるように、莫大な努力と膨大な時間をかければ埋まることがあるかもしれない。でも、それでは埋めたて作業だけで人生が費やされしまう。それに、寂しさの埋めたては、余剰を使ってするもので、必死になってするものではない。こんなに必死なのに、後に残るのは疲労感だけなんて、不毛だ。そして、この必死さは、自分だけでなく他人まで引きずり込んでしまう。最低だな。

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先月末から、調子が少しましになってきた。相変わらず心がざわつく時があるし、ぽろぽろと涙が止まらないこともある。でも、「私、今、調子悪くなってんねんな」って思いながら、呼吸を整えて自分の気持ちをしばらく観察していると、心のざわめきを短時間で収えることができるようになってきた。もう少ししたら、もっとうまく自分の気持ちをハンドリングできるようになると思う。

調子が少しましになってきたのは、自分自身の問題に向き合うようになったから。あることをきっかけに、自分の意思で自分を変えないといけないというのをやっと自覚した。この自覚がまずスタートラインで、ここに立つまでに無駄に長い時間がかかった。次に、第三者に話を聞いてもらい、私の置かれている状況を整理した。したことは、これだけ。

これだけなんだけど。自分の状況を整理して、違う角度から自分のことを見てみたら、この30年間あまりの思いこみが間違っていることに気づいた。

私は自分のことをずっと「失われた子ども」だと思っていた。どうしてそう思い続けていたのかとかは、書きたくない。愚かだったかもしれないが、子どもだった私は、そう思っても仕方がなかったと思う。でも、角度を変えて見てみると、私はみんなに大事に護られて育てられていた。

私は、ずっと子どもの目線からしか、自分の状況をみることができなかった。みっともないことだけど、私は可愛そうな子どもの自分になりきって、箱の中で膝を抱えて泣いていた。自分で自分に価値を見いだすことができなかった。他の人たちにとって、私はいてもいなくても同じなんだと思っていた。見捨てられたくなくて助けてほしかったのに、声の出し方がわからなくて、誰にも気づいてもらえなかった。条件付きの肯定ではなくて、自分のことを全面的に肯定してほしかった。

でも、大人の目線から自分の状況を見てみると、過去の自分はちゃんとみんなに護られていた。大人になった私は、泣いている子どもの自分をぎゅっと抱きしめて、「大丈夫、周りの人は、t80935のことを大事だと思っているし、必要としているよ。いない方がいいとか思わなくていいんだよ」と言ってあげられる。あー、自分で書いた文章なのに、すごく気持ち悪くて鬱陶しいですね☆彡 だけど、多分、自尊心とか自己肯定感ってそういうことなんじゃないか?

翻って自分の状況を見直してみると、改めて考えるまでもなく、今の私にとって一番大事なのは、私の子どもたちだと思う。私の子どもたちが自分の世界を自分で確立させるまで、私は子どもたちの依存を受け入れる。私は、そのことを前提にして、自分のことを考えていこう。

私の子どもたちは、自分を「失われた子ども」だと思わないで育ってほしい。もし、彼女たちがそう思うことがあったら、私はいつでも子どもたちの不安に気づいてあげられるようにしたい。

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気持ちが少し安定したきっかけは、もう一つある。

大事な友人から「春から新しい場所に移って新しいことを始める」という連絡が来た。勝手な思い込みかもしれないけど、私は、その友人と自分がちょっと似ているところがあるように感じている。私に似た友人が頑張っているんだから、私も頑張りたい。

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はー。長々と「自分」の内面に関する鬱陶しい文章を書いた。もし読んでいる人がいたら、変な面倒くさい文章を読ませてしまい、ごめんなさいm(_ _)m

この数カ月で分かったことは、苦しい時期ほど、自分にきちんと向き合わなかった長年のつけを払わされる羽目に陥ること。そして、世界を革命する力(copyright少女革命ウテナ)は自分の中にあるということ。

あゝ、なんて陳腐な(>_<) でも、陳腐でつまらない普通の人生こそが尊いもののように思う。このありふれた日々のありがたみを噛み締めよ。いつでも、本当に大事なものは案外傍にあるらしいよ。

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2012年2月 1日 (水)

無為徒食の人を全力で擁護する

田中慎弥さんの芥川賞の記者会見を見て思ったことなど。

田中慎弥さんの記者会見、めちゃめちゃ面白かったです。

「もらっといて、やる」と緊張した面持ちで いうところとか、人に見られているという意識が低いのか時々口がぽかんとあいちゃうところとか、体力なくて姿勢が悪いところとか、目が悪いせいかたまに睨 むような目つきになってしまうところとか、虚勢をはっている小動物のような雰囲気で、大変かわいらしかったです。
(参考として→『現代日本のウェブにおける(不機嫌)メガネ男子萌え文化に関する考察』

コミュニケーション力が低いという反応もあるようですが、彼でコミュニケーション力が低いんだったらコミュニケーション力って何なんだろう?愛想よく相手の求める言葉を言うことだけがコミュニケーション力なのか?と思ったりします。
ちゃんと記者が言おうとすることを身を乗り出して聞いているし、短いながらも的確な表現で答えているように感じました。

残念ながら、彼の小説はまだ読んでいませ ん。
ちょっと仕事の区切りがついたら、本を購入しようと思います。
最初に芥川賞候補にノミネートされた「図書準備室」はちょっと読みたいと思いながら未読でした>< 働かない言い訳が書かれているらしいのですが、それにも関わらず妙に読ませる小説らしいです。

田中慎弥さん自体も興味深いのですが、彼のお母さんはすごいなと思いました。
20歳から小説を書き続けながらも32歳までデビューしなかった一人息子を支えつづけるというのは、なかなかできることではないと思います。
私の子どもがそういう状況になった時、私は同じことができるかというと難しいように思います。きっと、どこかのタイミングで、子どものやる気を完全に削ぐようなことを言ってしまい、子どもを損なってしまいそうな気がします。

マスメディアで彼はニートと言われていますが、20歳からずっとこつこつ小説を書いていたのだったら、ニートではなく、ずっと小説家だったと言ってもよいのではないかと思います。
所得や契約があるものだけを仕事と捉えるのは、あまりにも視野が狭い考えです。
世の中には、所得が発生しないけれど、重要な仕事がたくさんありますよね。
文学とか芸術って、そういうもののように思います。 (食っていけないのは困りますけれど、ちょっとそれは別の話)

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田中慎弥さんが、秋葉原事件について新聞に寄稿していた文章の一部を見つけました。
芥川賞作家・田中慎弥「取り押さえられた時の加藤被告の横顔が私自身にそっくりだった」
自分が秋葉原事件を起こした加藤に似ていることに触れた上で、生き延びるためにあえて不真面目であることを選ぶと述べています。

(こういうことを書くと どん引きされると思いますが)私にとって秋葉原事件の加藤のことは、全く他人ごとではなかったんですよね。
加藤がインターネット上に書き込んだ言葉を読んで、その想いに共感してしまう自分自身にぞっとしたりしていました。
私は運が良いことに、結婚して家族もいて、仕事も連続してもらえています。
「研究者なんて、楽しそうでいいね」とよく言われますし、それなりにやりがいがあることをしていると思っています。
ですが、契約は常に数年ごとで、数年先に自分がどこにいるのかよくわかりません。
いつ、博士号をもっている高学歴ニートに なっても不思議ではありません。
加藤の居場所を奪われる焦燥感、誰にも認められていないという孤独感はよくわかります。

何となくですが、世の中に真面目であることを「強いられているんだ!」と感じることがよくあります。
不平不満を発すると、自分の居場所を見つけられないのは真面目さが足りなかったんだろうと責められるように思います。

秋葉原事件の加藤は、 中島敦の山月記のように自分の心の中の虎を飼い馴らすことができなかったんだと思います。(加藤のように、全く無関係な外に向かって暴発する人は少ないと思いますが、自分や自分の身の周りに向かってしまう人というのはよくいるように思います)
多分、不真面目に生きるというのは、虎を飼い馴らすために必要なことなんでしょう。

私は工学部出身なのもあって、世の中の役に立たないものは存在価値がない、もっと効率化をはかるべきという考え方が自分の基本のところになってしまっています。
でも、その考え方に基づくと、自分みたいな中途半端な人間はダメな人間なんだという結論にいたってしまって、 自分の首をきゅーっとしめてしまうことになります。
多分、その価値観は、生きづらさを増すばかりなのです。
たとえば、ほら、文学の世界なんかには昔から何で糊口をしのいでいるんだか分からない無為徒食の人がたくさん出てきますよね。
夏目漱石の「こころ」の登場人物も川端康成の「雪国」の主人公もそうですし、内田百閒先生の短編にも無為徒食の人がよく出てきたような気もします。
昔はそういう何をやっているんだか分からない人を容認する空気があったのかもしれません。

最近は、「ダイバーシティが大事」、「多様性に合わて」とかいう言葉が飛び交っています。個人の多様性に合わせたワークライフバランスの構築ってやつです。
ですが、その言葉の裏には、頑張っている人、価値を産み出す人に限って多様性を認めてあげますよ、というニュアンスを含んでいるように感じます。
私自身も、そういう空気に合わせて、頑張っている自分を演出しようとしますし、身を守るために心に鎧をつけたりして、軽い悪意に気づかないふりをしたりしています。
でも、そうではなくて、価値があるかどうかよくわからない人、頑張っているかどうかもよくわからない人、そういう人をも支援できる世の中の方がみんな気楽に生きられるし、より良い社会になるんじゃないのかなあと思ったりします。

小説家の話から始まりながらも、まったく小説に関係のない話になってしまいました。
そんなこんなで、私も、もうちょっとゆるゆると 不真面目に生きていこうかなと思いますし、無為徒食の人が非難を受けている場面があったら全力で擁護しようと思ったりしたのでした。

(※Facebookのノートに書いたものを転載しています。こういうことをFacebookに書くと、リア充の友人・知人をドン引きさせることができるよ!という中二病的ライフハック!)

(追記)

同時に芥川賞を受賞した円城塔さんは、ポスドク経験があるという希有な経歴の作家です。円城塔さんの小説もすごく面白そうなのですが、私は残念ながら未読です><

寄稿 円城塔さん、芥川賞に決まって 「中間の賞」広げるのが良い

ポスドクからポストポスドクへ (日本物理學會誌 63(7), p.564-p. 566, 2008-07-05)(軽い感じで書かれていますが、これを読んで、研究者としても優秀な方だったんだろうなと思いました。優秀な方でもこういう待遇にしかつくことができないという話はよく聞きます(私はあんまり優秀じゃないので、いろいろと残念ですけど……。)。博士号取得者を育てるのに、かかる費用や時間(本人のリソースも含めて)を思うと、その能力を生かす事ができる出口をたくさん用意するべきだと思います。自己責任に帰して解決する問題だとは思いません)

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2011年12月15日 (木)

これからの道路の話をしよう

今回の記事は、前回の記事の補足。
私の道路に対する思いをちょっと整理する。

私は道路を愛している。
前回の記事で、「道路には世界を革命する力がある」と半ば本気で書いた。
それくらい道路というのは、暴力的な強い存在だ。

道路には、大きく分けて、二つの機能がある。
LINK & SPACEの2つである。
前回の記事には、こんな感じで書いた。
"連中に道路が人と人を繋ぐ線であることを思い出させてやる(LINK)
連中に道路が人々の集う場であることを思い出させてやる(SPACE)"

今の道路のほとんどは、LINK機能に特化してしまい、SPACE機能が貧弱だ。
私は、もっとSPACE機能に特化した道路があった方がいいと思っている。
街の中心部には、たくさんの人が集う空間がもっと必要だろうと。

LINK機能に特化した道路にとって、交通流が留まることは悪だ。
だから、たとえば、円滑な交通のために、多額の費用をかけて、地下歩道を整備し、地上の横断歩道を撤去するなんてことが起こってしまう。

交通渋滞は、大気を汚染する。円滑な交通流を促進することは、環境にとってよいんですよ。
歩行者や自転車を地下歩道や陸橋に追いやると、自動車との交錯がなくなって安全になるんですよ。
そういう名目で、今も多くの交差点改良や道路整備が行われている。

だが、道路整備はさらなる自動車交通を誘発する。この不況下で交通量は少し減ってきたが、依然として自動車の分担率は高いままだ。
1990年代から、ロードプライシングやパークアンドライドといった交通施策によって、交通需要をマネジメントするべきという考え方が出てきたが、まだまだ十分に進んでいない。
TDMに早くから取り組んでいる金沢市などでも、パークアンドライド駐車場の整備台数はたいした数ではない。

道路を整備する人達は、道路管理者である。
彼らは、国土交通省や地方自治体の道路建設課など土木技術者だ。
彼らには、交通需要をマネジメントするという意識はまだまだ薄い。
なぜなら、信号や通行規制などの交通管理の権限は彼らにはなく、警察が持っているからだ。
道路管理者が施策を考えても、交通管理者が認めないと施策を実施できない。

ここしばらく道路管理者の方々とお話する機会があった。
彼らの道路を愛している様子には、ほっこりと和むものがあった。

彼らは、自分たちが整備した道路が、経済成長に寄与し、地域住民の生活の利便性を向上するものと信じている。
だが、地域を細やかに見ると、道路によって苦しむ人達がいる。
たとえば、気管支炎や喘息などの病気で苦しんでいる人達がいる。
自動車利用者が円滑に移動できる代わりに、歩行者や自転車は自動車に脅威を感じながら移動している。
こういった人達を切り捨てるのは、道路を愛する者たちの本意ではない。
彼らは誠意をもって、道路構造の改善について一緒に検討してくれたが、それによって、状況が改善したかというと、んー、えっと、前は向いているけれど進んでいないという感じかな。

では、どうすればいいのか。

答えは簡単に出るものではないけれど。
きっと解決の糸口は継続したコミュニケーションにある。

できれば、道路の整備前に、道路空間をどのようにするのかをみんなで議論する。大型車、普通自動車、自転車、歩行者がどこを通るのか、道路管理者とか交通管理者とか地域住民とか、ステークホルダーをできるだけ集めて。
そして、たくさんの代替案を作って、それが地域に与える影響を評価する(この計画段階から環境影響評価を行う仕組みを戦略的環境アセスメント(SEA)というそうだ。日本のSEAは、"日本版SEA"と言われており、他国と仕組みが異なっている)。
整備後も、ステークホルダーと共に整備の影響を評価し、改善していく。
こういったプロセスは、手間暇がかかるし、地域住民にとっても負担が大きいけれど、道路の暴力性を緩和して地域との折り合いを付ける有効な方法だと思う。

そんなわけで、私は
「道路!! 道路!! 道路!!」
と叫んで、カタルシスを感じたい気持ちがありつつも、もうちょっと道路のことについて、みんなで考えられるといいな~と、ゆる~く思っています。

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通勤途中に、iPhoneでせっせと書いたので、事実誤認がありましたら、ご指摘くださいm(_ _)m
ほんまは、もっと教科書とかいろんな文献を見直して書くべきなんだけど(>_<) 今は時間があんまりとれないので、こんな適当な内容でごめんなさい。

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2011年12月13日 (火)

よろしい ならば道路だ

諸君、私は道路が好きだ
諸君、私は道路が好きだ
諸君、私は道路が大好きだ

一般道が好きだ
高規格道路が好きだ
自動車専用道が好きだ
農道が好きだ
バイパスが好きだ

過密な大都市で
寂れた地方都市で
人けのない郊外で
田畑しかない農村で
鬱蒼とした山間部で

この地上に存在するありとあらゆる道路が大好きだ

一本の長い道路が好きだ
地域を変容させる様子など心がおどる

あまたの自動車により工業製品や農産物、商品が運ばれる様子が好きだ
あまたの人々が道路を使って目的地に急ぐ様子など胸がすくような気持ちだった

高架橋柱が整然と立ち並ぶ様子が好きだ
複雑なジャンクションが美しい線形を描く時など感動すらおぼえる

真新しいアスファルトが煌めく時などもうたまらない
地図上に新たな道路が書き加えられるのは最高だ

交差点の改良により
渋滞が解消した時など絶頂すら覚える

可能交通量の限界まで交通流が流れる様子が好きだ
サグや上り坂のために道路の機能を十分に生かすことができていない様子はとてもとても悲しいものだ

一般国民が当たり前のこととして道路を捉えているのが好きだ
道路利権と非難されるのは屈辱の極みだ

諸君 私は道路を 国土の骨格となる道路を望んでいる
諸君 私に付き従う道路好きの諸君 君たちは一体何を望んでいる?
更なる道路を望むか 
糞の様な道路を望むか?
全国民に愛されるような道路を望むか?


道路!! 道路!! 道路!!


よろしい ならば道路だ

だが、不況による交通量の減少に耐え続けて来た我々には
ただの道路ではもはや足りない!!
大道路を!! 一心不乱の大道路を!!

我々はわずかに小数
鉄道好きに比べれば物の数ではない
だが諸君は一騎当千の築土構木の徒だと私は信じている
ならば我らは諸君と私で総兵力100万と1人の土木技術者集団となる
我らを忘却の彼方へと追いやり、公共事業は全てムダだと言い募るマスコミや大衆を叩きのめそう
道路批判の立場から引きずり下ろし 眼(まなこ)をあけて思い出させよう

連中に道路が人と人を繋ぐ線であることを思い出させてやる
連中に道路が人々の集う場であることを思い出させてやる
道路には奴らの哲学では思いもよらない、世界を革命する力がある事を思い出させてやる
1000人の築土構木の徒で 世界を漆黒の道路で埋め尽くしてやる

目標 さらなる円滑な交通流を

道路ネットワークを拡充せよ

征くぞ 諸君


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参考:少佐演説ジェネレーター
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何か電波を受信して書いた。
せめて三年前くらいに思いつきたかった。時期を逸しすぎて意味がわからないけれど。

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2011年12月 7日 (水)

聞くこと、伝えること、変えていくという意思を持つこと

 先日、私の職場の主催の公害教育に関するシンポジウムに出席した。

 シンポジウムで興味深かったことについてのメモ。

 私の職場のひとつである財団では、3年にわたって、公害地域に学生等を連れて行き、フィールドワークをさせ、最後の報告会で何らかの提案させるというスタディツアーを行っている。
 スタディツアーの企画に携わった先生曰く「当初は、現在進行形でへヴィーな現場に何も知らない学生を連れて行くのに、批判もあった」とのこと。公害地域は、何も知らない人間が土足で踏み込んでよい場ではないと。
 だが、スタディツアーの参加者は、かなり真剣にフィールドワークを行い、それは地域にとっても、ツアー参加者にとっても大きな効果があったようだ。公害地域の今を知り、被害者だけでなく加害企業の話を聞き、その緊張感のある信頼関係を目の当たりすることにより、参加者は公害地域の再生について理解する。地域は、参加者の真剣なまなざしを受けることにより、自分たちのしてきたことの意義を問い直すことができる。

 公害教育にずっと携わっている先生のお話も、興味深かった。
 「水俣に学生を連れていくと、その地域にはまって何回も行く学生がいる」とか。はまる理由は、まず、人がやさしいこと。たくさんの苦悩を乗り越えてきた地域であるため、学生はそこで自分の悩みを相対化することができる。もう一つの理由は、白黒の水俣がカラーの水俣に鮮やかに変わったこと。白黒の水俣は、教科書などに掲載されている暗い公害の過去の歴史。だが、水俣は自然が美しい、魅力的な地域であるとか。

 水俣では、最も公害が酷かった時期に、公的な機関によって「水俣病に負けない身体づくり」という教育がされていた。胎児や子どもなど弱い人達は汚染の影響を受けやすいが、地域に水銀そのものを排出しないのが筋であるのに、体づくりや教育だけで公害を克服するなんて間違っている。。
 福島を始め原発がある地域でも、「正しく理解すれば放射線は怖くない」という教育がされていた(私の地元の福井でも、その手のパンフレットを見たことがあるし、原発見学ツアーが頻繁に行われていた。敦賀などの原発のお膝元には原子力を学ぶための立派な施設がいくつもある)。行政や汚染物質を排出する企業は、安全側に傾きがちで、責任を住民に押し付けようとするというのは、今までの公害の歴史で繰り返しされてきたことだ。私達は歴史からちゃんと学べていない。

 土壌汚染の研究者の先生によると、イタイイタイ病の後、田んぼ1.5haごとにカドミウムの検査をしていたそうだ。カドミウムの汚染から田んぼを復元するのに、膨大な金額と年月がかかっている。
 今の福島でされている検査はもっとザルだとか。放射能汚染はムラがあるので、本当は田んぼ1枚ごとに検査してもよいくらいだそうだ。福島の土壌汚染は、今までの公害の中でも最大規模で、除染は間に合わない。

 四日市喘息の被害者支援をしている方が、「工場萌え」をあまりよく思っていないと発言されたのは少しショックだった。工場のばい煙のために被害を受けている人がたくさんいるのに、工場を美しいモノとして観光するのは浅はかではないかという意見だった。大学の先生からは、工場の景観に魅力を感じた人に、公害地域再生を伝えていく余地はあるのではないかとの提案があったが、なかなか難しいのではないかと思った。
(私は、工場萌えの写真集を出した大山顕さんのファンなので(大山さん主催の写真撮影ワークショップに参加したことがあるくらい)、この意見をちょっと複雑な気持ちで聞いていた。「工場萌え」というのは、テーマパークのような無味無臭で安全で小ぎれいな景観でもなく、写真家が撮影してきた絵葉書のように美しい景観でもない、自分たちにとってかっこいい景観を新たに発見する試みだと思っている。そうした場に、公害地域再生の話を持っていくと、教条主義的なものに思われて、反発を招いてしまう恐れもあるように思った。)

 私は、今の職場で勤めるまで、公害や公害被害を受けた地域の現状についてほとんど何も知らずに来た。
 公害についていろいろと知ったりすると、私はいろんなものにきちんと目を向けないで過ごしてきたんだと改めて感じる。自分がいかに感性が低かったのか、想像力がいかに欠けていたのかを感じる。
 聞くこと、伝えること、過去のことをふまえて未来を変えていくという意思を持つこと。地域で多様な人々と暮らしていくために必要なこれらの態度を培う場が、公害教育なのだと思う。

* この記事は、友人や知人たちに向けてFacebookに書いたものを転載しています。シンポジウムで得た知識を踏まえて書いているため、細かな部分の裏付けをとっておりません。ですが、私は、個人的に、今、この時期に、公害教育について知る意義、取組む意義はかなり大きいのではないかと思い、取り急ぎ公開しました。間違い等がありましたらご指摘ください。

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