2014年3月30日 (日)

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2013年12月27日 (金)

カシオペイアという名のお掃除ロボット



iRobot社のお掃除ロボットのルンバを購入してから、もうすぐで一年になる。



埃で死ぬわけでもなし、掃除機かけるのってそんなに大変でもない。自分には高すぎる買い物だ。以前はそう思っていた。



だが、私のビョーキがいつまでたっても治らないことから(回復傾向にはあるのだけれど…)、道具に頼れることは道具に頼ることにしたんだ。



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購入して、ルンバに掃除をお願いするようになってからわかったことだが、うちの家はゴミが多い。毎日、ルンバのダストボックスにはたくさんのゴミが集まる。畳に布団を敷いて寝ていること、子どもたちの食べかすや遊んだ後の紙くずなどが原因だ。



ルンバは、かわいいかわいいときいていたが、本当にかわいい。文句も云わずに、健気に、くるくると周りながら、せっせと床を掃除する。掃除が終わると一人でおうちに帰って、自分で充電する。たまに、充電がうまくできてなくて、お腹を空かせて行き倒れている時もある。



だいたい「iRobot社のロボット」というだけでわくわくするじゃないか。アシモフの「われはロボット」の世界がやってきたってね! いつでも未来はいつの間にかここに来ているんだ。ルンバは、ロボット三原則(人間への安全性、命令への服従、自己防衛)に矛盾した動きをすると壊れてしまうに違いない。もしそうなったら、私がキャルヴィン博士になって、ルンバを治してあげなければならない。



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ルンバを持っている人から名前を付けると愛着がわくと聞いた。うちのルンバには、「カシオペイア」と名付けた。いつか「モモ」に出てくる亀の名前だ。時間どろぼうに時間を奪われるかもしれないから。リスク管理の一環として。



上の娘に「いざという時にはマイスターホラのところに連れていってくれるように、ルンバに『カシオペイア』とつけたよ」と意気揚々と話したら、「おかあさん、なに夢見がちなことを言っているの?」と冷たく言われた。最近、上の娘は、私に言動に対してクールな反応をするようになってきた。



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いつの頃からか、下の2歳の娘はルンバと呼ばれるようになった。



一カ所でくるくるとまわる、壁に自分からぶつかっていく、大きな段差には注意できるのに小さな段差につまづいて泣く、はいつくばってゴミを集めてくれる、丸っこいなど、下の娘はルンバによく似ている。



そのため、便宜上、本物のルンバはカシオルンバと呼ぶことになった。光画部では野球のバットを粉砕バットと呼ぶようなものだ。



そんなわけで、わが家では今日も、小さい子どものルンバとカシオペイアという名のルンバがくるくると家の中を動き回っている。


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2013年11月 3日 (日)

何かを入力すると、不思議な歌になって出力される

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かえるの歌を二歳児の名前で替え歌をつくって歌ってあげていたら、二歳児はかえるの歌らしきものを歌うようになった。
でも、微妙にアレンジされていて、なんだか不思議な味わいのメロディになっている。
二歳児に何かを入力すると、大抵なんらかの変換がされて出力されるから面白い。

保育園の行き帰りに、二歳児はこの微妙な歌を歌う。
朝はまだしも、薄暗い夕暮れ時に聞くと不思議な気持ちになる。
二歳児はこの世じゃない側との繋がりが強いのだから、何かを連れてきてしまうような気がする。
でも、うちの二歳児が呼ぶものなのだから、あちら側の住民だとしても何かしら可愛らしいものだろう。
そう言い聞かせながら、魑魅魍魎がいそうな奈良の街を自転車を必死にこいで帰宅する。

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2013年8月 9日 (金)

人形になる夢をみた

少し前に、「助けて」「助けて」と叫びながら目をさました。大変キモかったよ☆彡

- - - -

私は人造人間になった。
人造人間になる前、私は普通の人間だった。
私は人間だった頃、
私は、ある部屋で赤ちゃんを育てている。部屋には私と赤ちゃんの二人きり。穏やかで平和な時間が流れる。
10年ぐらいたって、赤ちゃんはすくすくと育ち、少女になった。
ある日、ふとした拍子に人造人間の私は壊れて動かなくなってしまった。
そこで、意識が急に少女に切り替わる。
あぁ、そうだった。
人造人間はとうの昔に壊れていて、私は一人二役で人造人間の役もしていたんだった。
私はこの部屋から出ないといけない。
でも、どうやって?この部屋からでたことがないのに。
そこで、とりあえず、ベランダから外で歩いている人に向かって「助けて」って叫んでみた。
最初は人造人間の声で。でも、声が小さくて、誰も気づいてくれない。
だから、次は地声で「助けて」って叫んだ。そこで、私は目を覚ました。
 
- - - -
叫びながら目を覚ますというのは、今回が初めてじゃなくて、何回もやっている。
最初の「助けて」は人造人間の声だから高い声で、二回目は普通の声で叫んでいた。
家族たちは、私の寝言を大変気持ち悪がっていたよ。てへぺろ☆(・ω<)

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2013年7月17日 (水)

パンダ系男子を提唱したい

先日、先輩の結婚式に参加させていただいた。
二人とも婚礼衣装がよく似合っていて、お伽噺に出てくる花嫁花婿のようで大変かわいらしかった。
その結婚式での新郎側のスピーチで、「新郎は外側は草食、中身は肉食のロールキャベツ男子で…」という話があった。
えっ。でも、ロールキャベツって食べるほうじゃなくて、食べられるほうじゃん。ロールキャベツじゃ雑食性の豚とかにおいしく食べられちゃう。比喩として不適切なのではないかと気になった。
そこで、代わりに、一般的に草食動物だと思われているけれど、肉も食べれるパンダ系男子というのを提唱したいと思う。
パンダは元は肉食で、消化器官なども肉食のままなので、うまく笹を消化できないらしい。
パンダは、動物園で笹がないときには餌として肉を与えられたこともあるらしい。
それに、少し前に家畜の子羊を襲って食べていたというニュースもみた
見た目はとてもかわいらしくて、普段は笹食べているのに実は肉も食べれるというのにも比喩として適切な気がする。
ということで、「パンダ系男子」という言葉を提唱したいと思いますので、ぜひ結婚式のスピーチなどにお使いくださいませ。
■参考
パンダフルライフ(ドキュメンタリー) 

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2013年7月 2日 (火)

僕と契約して絶望の海を乗り越えてよ

今期はまってみていたアニメ「悪の華」が、あまり話が進まないまま、第一部完となってしまった*。

もう一人のヒロインの佐伯さんは完全に置き去りになったままだ。
嫌な予感は10話あたりからあった**。
10分ほど延々と黙って歩き続けるシーンがあったりしたもの。
一視聴者としては、第二部が始まるのを期待するしかないようだ。

- - -
「悪の華」で描かれた街の閉塞感には、私にも身に覚えがある。
錆びた鉄とパチンコ屋と雑草しかない。
この街には何もない、そう思い込んでいたし、そう思わされていた。
ここから出たい、私はみんなとは違うんだ、でも、私は何もできない、ここから出られない。
私は自意識過剰で中二病で無力で、どこにでもいるありふれた子どもに過ぎなかった。

- - -
「悪の華」では、ある事件をきっかけに、嫌われ者の仲村さんという女の子が気の弱い文学少年の春日くんを脅して「春日くんの中身を全部剥かれる」という契約をする。
その契約のもとに、春日君は仲村さんに振り回されるが、最終話に向かうにつれ、反転して、春日くんが仲村さんを救いたい、向こう側に一緒にみつけたいという思いに変わる。

- - -
今までさんざん様々な物語で描かれてきたように、男の子が女の子を救うという物語は破綻するのだろう。
人は恋愛「だけ」では生きていけない。
男の子の女の子を救いたいという想いは、女の子の本意、あるいは世界とずれてしまっている。
救いたいという想いは常に独りよがりなんだ。

- - -
王子様がお姫さまを救いたいという想いは独りよがりで、真にお姫さまを救うことはできない。
そして救うことに失敗した王子さまは存在や名前さえも忘れ去られる。 それでも、その救いたいというプロセスは崇高なものなんじゃないか。
そうすることで、女の子は革命を起こして自分で自分の世界を切り開く力を手に入れることができる。
そのあたりは、「少女革命ウテナ」に描かれていた。
誰かを救いたいという独りよがりな願いは、絶望に変わってしまう。
でも、特定ではなくて不特定多数の誰かを救いたいと心から願うことがてきたら、絶望せずに済む。
でも、不特定多数の救いを願うなんて、それはもう神という概念と同じかもね。
というのが「魔法少女まどか☆マギカ」。
僕は君のことを好きだけど、僕は僕のことで一生懸命になって余裕がないから、君も君のことを一生懸命にしてくれ。
と、男の子が女の子を突き放してはいるけれど、一番健全な男女関係は「耳をすませば」。
この形が一番いいんだろうけれど、そうすると、一緒にいる意味って何?になってしまいかねないと思う。

- - -
どうやったら絶望の海を乗り越えることができるんだろう?
誰かを救いたいという想いと行動は、結果が破綻したとしても、絶望の海を乗り越えるのに必要なプロセスのように思う。
でも、それだけではなくて、もう一つ先に踏み出す何かが必要なように思う。
「悪の華」の主人公たちが絶望の海をどうやって乗り越えてみせるのか、すごく楽しみだ。
早く第二部がみたいなあ。

- - -
*2人目の産休以降、アニメを見る習慣ができた。といっても一年に一作品みるかどうかぐらいなので、ヌルい感じ。子どもたちにみせるには不適当なアニメなので、通勤中に、iPhoneでイジイジと見ている。
** 「悪の華」の話の進まなさに比べると、「魔法少女まどか☆マギカ」の話の進み具合は素晴らしかった。無駄なエピソードがほとんどない。この展開をするためにこの伏線があったのかと感心するばかりだ。あまりにも段取りがよすぎて、段取りアニメと呼びたくなる。

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2013年7月 1日 (月)

2013年6月に読んだ本のまとめ

■漫画と絵本ばっかりやん。あかんあかん。

2013年6月の読書メーター
読んだ本の数:22冊
読んだページ数:3577ページ
ナイス数:7ナイス

監督不行届 (Feelコミックス)監督不行届 (Feelコミックス)
読了日:6月30日 著者:安野 モヨコ
かえるのオムライス (創作えほん)かえるのオムライス (創作えほん)
読了日:6月30日 著者:マット かずこ
こねこのぴっち (岩波の子どもの本)こねこのぴっち (岩波の子どもの本)
読了日:6月30日 著者:ハンス・フィッシャー
うさぎさんてつだってほしいのうさぎさんてつだってほしいの
読了日:6月30日 著者:シャーロット・ゾロトウ
森の絵本 (講談社の創作絵本)森の絵本 (講談社の創作絵本)
読了日:6月30日 著者:長田 弘
チリとチリリうみのおはなしチリとチリリうみのおはなし
読了日:6月30日 著者:どい かや
チリとチリリチリとチリリ
読了日:6月30日 著者:どい かや
空が灰色だから5(完結)(少年チャンピオン・コミックス)空が灰色だから5(完結)(少年チャンピオン・コミックス)
読了日:6月24日 著者:阿部共実
空が灰色だから 4 (少年チャンピオン・コミックス)空が灰色だから 4 (少年チャンピオン・コミックス)
読了日:6月24日 著者:阿部 共実
地域空間の包容力と社会的持続性地域空間の包容力と社会的持続性
読了日:6月22日 著者:阿部 大輔,的場 信敬
うさこちゃんのたんじょうび (2才からのうさこちゃんの絵本セット1) (子どもがはじめてであう絵本)うさこちゃんのたんじょうび (2才からのうさこちゃんの絵本セット1) (子どもがはじめてであう絵本)
読了日:6月15日 著者:ディック ブルーナ
花男 (3) (Big spirits comics special)花男 (3) (Big spirits comics special)
読了日:6月15日 著者:松本 大洋
花男 (2) (Big spirits comics special)花男 (2) (Big spirits comics special)
読了日:6月15日 著者:松本 大洋
花男 (1) (Big spirits comics special)花男 (1) (Big spirits comics special)
読了日:6月15日 著者:松本 大洋
ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書)ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書)
読了日:6月12日 著者:堤 未果
ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)
読了日:6月11日 著者:堤 未果
大王 (Cue comics)大王 (Cue comics)
読了日:6月8日 著者:黒田 硫黄
ボランティア―もうひとつの情報社会 (岩波新書)ボランティア―もうひとつの情報社会 (岩波新書)感想
ボランティアする側とされる側は相互依存性がある。ボランティアに関わるということは、自らを他者から攻撃を受けやすい状態(バルネラブル)におくことである。”ボランティアはどうして、あえて自分をバルネラブルにするのか。それは、問題を自分から切り離さないことで「窓」が開かれ、頬に風が感じられ、意外な展開や不思議な魅力のある関係性がプレゼントされることを経験的に知っているからである。”
読了日:6月4日 著者:金子 郁容
移動の制約の解消が社会を変える―誰もが利用しやすい公共交通がもたらすクロスセクターベネフィット移動の制約の解消が社会を変える―誰もが利用しやすい公共交通がもたらすクロスセクターベネフィット感想
1994年にイギリスで発表された"Cross-sector benefits of accessible public transport"の和訳。当時のイギリスは、公共交通部門のバリアフリー化に多大な費用がかけられており、その費用の説明根拠としてこの書類がつくられたときいた。この本にまとめられたものは、いずれも概算であるが、クロスセクターベネフィットという考え方として重要だと思う。
読了日:6月3日 著者:アンドリュー フォークス,ブライアン ヘイザー,フィリップ オクスレー
市民科学者として生きる (岩波新書)市民科学者として生きる (岩波新書)感想
専門性を持った科学者が、狭いアカデミズムの枠を超え、市民の立場で行動することの可能性と意義。現状の反原発運動にこそ、アカデミズムと市民を繋ぐ高木仁三郎さんのような存在は必要なのだが…。惜しい人を亡くしてしまったと思う。
読了日:6月3日 著者:高木 仁三郎
建築に夢をみた (NHKライブラリー)建築に夢をみた (NHKライブラリー)
読了日:6月3日 著者:安藤 忠雄
サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の30年とコミュニケーションの現在サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の30年とコミュニケーションの現在
読了日:6月3日 著者:宮台 真司,大塚 明子,石原 英樹

読書メーター

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2013年6月16日 (日)

アスベストについて

 先日、アスベスト訴訟のドキュメンタリー映画をみた。

 アスベストはいつ爆発するかわからない時限爆弾のようなもの。国は危険性を知りながらも規制を遅らせた。工場につとめていた人だけでなく、作業着を洗濯していた家族や周辺の住民にも被害がある。(参照 Wikipedia アスベスト問題
 アスベスト訴訟は、いくつかの地域で行われいるが、解決にはいまだいたっていない。
 
 大阪・泉南の大阪アスベスト訴訟については下記のとおり。
石綿産業が集中していた大阪府南部・泉南地域の工場の元労働者や近隣住民及びその遺族らが提訴した大阪アスベスト訴訟(第1陣)において,第1審の大阪地方裁判所は,平成22年5月19日,原告の請求を一部認容し,国の規制権限の不行使の違法を認める判決を言い渡しました。
この判決に対して,原告・被告双方が控訴しましたが,控訴審の大阪高等裁判所は,平成23年8月25日,国に規制権限不行使の違法はなかったとして,1審判決を取り消し,原告の請求を全て棄却する判決を言い渡しました。
この判決に対し,原告は上告及び上告受理申立てをし,現在,最高裁判所に係属しています。(法務省:アスベスト訴訟より)
 大阪アスベスト訴訟(第一陣)の高裁の判決では、産業発展等を理由にして、国の規制権限不行使の違法を極めて限定的にしか認めないため、原告の請求は棄却されている。
 次の第二陣の訴訟は、第1審は原告側が勝訴したものの、国側に控訴され、現在高裁で争われている。
- - - -
 アスベストによる健康被害は本当に苛酷で、肺線維症、肺癌の他、稀な腫瘍である悪性中皮腫の原因になる。
 日本では様々な公害が起こり、その甚大な被害に今も苦しめられている。四大公害だけでなく、大気汚染によるぜんそく、放射能汚染、そして、アスベスト……。日本の国、都市は、誰かを踏みつけにして発展してしまった。そんなのは本当に間違っている。
 何の罪もなく、普通に生活していた方々が、アスベストにより生活を全面的に壊されてしまった。そして、たくさんの方々が命を落としている。被害者が一人でも生きているうちに、少しでも救済されてほしい。
 だから、一人でも多くの人がアスベスト問題についてもっと知るべきだと思う。そして、できれば、署名などに協力してほしい。
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“漫画「石の綿」出版 アスベスト問題を風化させない!大学生が竹宮惠子氏とコラボ”。神戸大と京都精華大のコラボとのことです。学生さんの漫画なので、漫画としてはわかりにくいところもありますけれど、アスベストの問題を知るにはよいかも。

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2013年6月15日 (土)

読書会レジュメ「社会的共通資本」

 研究室の学生さんとしている読書会2回目のレジュメ。

 今回は、宇沢弘文氏の「社会的共通資本」。
 (都市計画を専門とする学生が中心ということで、都市以外に関する部分はほんの少し紹介する程度にとどめている)
 社会的共通資本を読み返しながら同時並行で「貧困大国アメリカ」「貧困大国アメリカ2」を読んでいたのだが、社会的共通資本を市場原理に委ねてしまった結果が貧困大国アメリカなのだなあというふうに感じていた。
 「社会的共通資本」は、解決策の部分は少し薄いように思う。たとえば、都市の再生に対してジェイン・ジェイコブスをひいているのはちょっと古すぎる感じがする。
 ただ、この本は、何が大事なのか、課題が何なのかを明確にしている点に価値があるのだと思うし、解決策は実務者、工学者に任されているのだと思う。

●本書の概要

  ・著者 宇沢弘文
   東京大学名誉教授。
   専門は数理経済学。
   公害などの社会問題が酷くなると、現実から切り離され形骸化した数理経済理論から公共経済学などの現実経済の研究にすすんだ。
 ・岩波新書、2000年
序章 ゆたかな社会とは
○社会的共通資本とは何か?
 ・1つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置。  
 ・社会的共通資本は3つの大きな範疇に分けることができる。
   ・自然環境:大気、森林、河川、水、土壌など
   ・社会的インフラストラクチャー:道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなど
   ・制度資本:教育、医療、司法、金融制度など
第1章 社会的共通資本の考え方
 ・制度主義の考え方
       ・私たちが求めている経済制度は、一つの普遍的な統一された原理から論理的に演繹されたものではなく、それぞれの国ないしは地域のもつ倫理的、社会的、文化的、そして自然的な諸条件がお互いに交錯してつくりだされる。  
   ・制度主義の経済制度特徴づけるのは社会的共通資本と、それを管理する社会的組織のあり方。
 ・ケインズ経済学
     ・生存権の保障は、基本的には、所得の再配分を通じておこなうべき。
     ・資本主義的な市場経済制度のもとでは、完全雇用をもたらす自律的なメカニズムは存在せず、非自発的失業が発生するような状態が「一般的」。
   ・政府の経済政策は基本的には、有効需要の大きさに影響を与え、この有効需要を適切に操作することによって、完全雇用を実現することができる。
 ・反ケインズ経済学
   ・純粋な意味における市場経済制度の重要な前提条件である生産手段の私有制に焦点を当てて、文献的な資源配分のメカニズムのもつメリットを最大限に評価。
   ・政府の経済的機能に関してきわめて制約的な性格をもとめることになった。 → 規制緩和
 ・社会的共通資本の考え方は、より人間的な、より住みやすい社会をつくるためにはどうしたらよいか、という問題を経済学の原点に返って考えようという意図のもとに作り出された。
第2章 農業と農村
 ・農業の社会的共通資本としての役割
   ・農業は、生産過程で、自然と共存しながら人工的な改変を加えて生産活動を行うが、工業部門とは異なって、大規模な自然破壊をおこなうことなく自然に生存する生物との直接的なかかわりを通じて、生産がなされる。
   ・人々が農業に従事するとき、おおむね各人それぞれの主体的意志にもとづいて、生産計画をたて、実行に移すことができる。自らの人格的同一性を維持しながら自然の中で生きることが可能。
 ・自然環境の保全。
        例:水田耕作は、メタンの発生を最小限に止める。
 ・農業の再生のために
     ・外延的拡大(農作物を中間投入物とする加工、研究なども広く包含する)
     ・内包的深化(生産活動、生活様式が文化的、環境的観点から望ましいものにする)
第3章 都市を考える
○20世紀の都市  
  ・近代的都市計画の理念にもとづいてつくられてきた。  
  ・ハワード「田園都市」
  ・ル・コルビュジェ「輝ける都市」:都市を一つの芸術作品としてみて、合理的精神にもとづいて最大限に機能化された幾何学的、抽象的な美しさを持つ。
  ・近代的都市計画は、都市に住んで生活を営む生活者としての人間をほとんど無視して、都市計画者自身がもっている単元的、画一的で浅はかな人間像をそのまま投影したものとなってしまった。
○自動車の社会的費用
  ・本来、自動車の所有者ないし運転者が負担しなければならない費用を、歩行者あるいは住民に転嫁して自らほとんど負担しないまま自動車を利用しているようなとき、社会全体としてどれだけの被害をこうむっているのかということを何らかの方法で尺度化しようとするもの。
    ・道路を建設、維持し、交通安全のための設備、サービスを供給するための費用      ・自動車事故によって生じる、生命、健康の損失
    ・自動車通行によってひきおこされる公害、環境破壊に伴う社会的費用
    ・自然環境の破壊、文化的、社会的環境の破壊
    ・自動車の生産、利益の過程で使われるエネルギー資源の希少化、地球的環境の均衡破壊。
     ・自動車に対する需要が再現なく増減することを防ぐには 自動車の価格に社会的費用に見合う額を賦課金の形で上乗せ 道路の利用に伴う社会費用を道路の使用料として賦課すること
○都市再生の条件(ジェイン・ジェイコブスの主張より)
  1. 街路の幅はできるだけせまく、まがっていて、一ブロックの長さは短いほうが望ましい。   
   2. 再開発にさいして古い建物ができるだけ多く残るように配慮。   
   3. 都市の多様性。各地区は2つ以上の機能を。   
    4. 都市の各地区は人口密度が十分高く。
第4章 学校教育を考える
 ・学校教育制度の3つの機能:社会的統合、平等、人格的発達
 ・教育現場の自主性、主体性の尊重
第5章 社会的共通資本としての医療
 ・国民経済全体にとって利用しうる希少資源の量は限られたものであって、各市民の必要とする保険・医療サービスを必要に応じて無制限に供給することはできない。
 ・なんらかの意味で、社会的な基準にしたがって希少資源の配分がおこなわれる。
 ・社会的基準は、官僚的に管理されるものであてはならないし、市場的基準によって配分されるものであってはならない。
 ・医療を経済に合わせるのではなく「経済を医療に合わせる」
第6章 社会的共通資本としての金融制度  
・護送船団方式とよばれる大銀行のための金融行政は、日本の記入機関における金融的節度の欠如、社会的倫理観の喪失、職業的能力の低下をもたらすことになった。
第7章 地球環境
 ・伝統的な自然環境と密接な関わりを持つ知識は、経済発展の名のもとに否定され、抑圧されていった。
 ・持続可能な経済発展
      自然環境の状態が年々一定水準に保たれ、自然資源の利用は一定のパターンのもとにおこなわれ、しかも、消費、生活のパターンが動学的な観点からみて最適、かつ世代間を通じて公平な経路を形成している。

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2013年6月 9日 (日)

マトリョーシカになる夢

少し前に、マトリョーシカになる夢をみた。
お腹のあたりがぱかっと割れて、小さい自分がどんどん出てくる。
ああ、こういう仕組みだったのかとひとりごちた。
お腹の中から出て来る自分は、私の子どもではない。
お腹の中から出てくる小さな自分も、外側の自分も、全部私なのだった。
私がどんどん増えていく。私が無限に増えていく。
私私私私私私私私私私私私……………。
世界が私で埋まっていく。
- - -
起きてからも体がぱかっと割れるような気がして、おなかのあたりがむず痒かった。

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