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2006年1月23日 (月)

北山の茶室住宅の話 -きっかけ-

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 私たち夫婦は,しばらく茶室のある住宅に住んでいた.その試みは1年と8ヶ月という割と短い年月で頓挫してしまったが,なかなか面白い経験がたくさんできた.ある出来事を体験した瞬間は絶対忘れないと思うものだが,実際にはほとんどの物事を忘れてしまう.茶室住宅のことも決して忘れないだろうと今は思っているが,10年後,20年後には細部のことは忘れてしまうだろうと思い,このブログにメモとして残すことにした.

 茶室住宅を最初にみつけたのは義姉だった.たまたま帰省していた義姉が,義父母の引越し先をインターネットで検索していたのだ.引っ越した後に,よく「こんな物件どうやって探したの?」と聞かれ,「インターネットで」と答えるとびっくりされた.インターネットがこれだけ普及されていなかったら,私たちと茶室住宅は結びつかなかった.
 「面白そうな家だけど,住むのは大変そうね」なんて話しながらも,「話の種になりそうだから,見に行くだけいってみよう」ということで,見に行くことにした.そうして不動産屋さんを訪ねた私たちは度肝を抜かれる.
 まずは,茶室建築の隣には大家さんが銅閣と呼んでいる立派な3層構造の書院造の建物が建っていたこと.この銅閣と茶室住宅は同じ敷地内に建っており,銅閣の前を通り過ぎないと住宅にたどり着けない.道から見ると,茶室住宅は銅閣の付属物にしか見えない.この銅閣は,辺鄙なところなら土地付きの家が買えるほどの保証金を積まないと貸してもらえないとのことで,長い間空き家である.
 次に,大家さんが仙人みたいな人だったこと.白髪を腰まで伸ばし,あご鬚も長く伸ばし,着物を着ていて,下駄を履いていた.やたらとゆっくりと喋り,大屋さんの周辺だけ時が止まっているように思えた.大屋さん宅の周辺は,戦後すぐに建てられたような木造文化住宅がひしめいていた.
 そして,茶室住宅が本当に立派なお茶室だったこと(大学の茶室よりも立派だったかもしれない).炉がきちんと切ってあり,釣り釜用の金具もある.にじり口も,貴人口もある.床の間も立派で,床柱は立派な松(だと思う)が使われた.そして,障子を開けたらすぐ外だった.そう,ガラスの窓がなかったのだ.部屋の中は雨戸がしまっているにも関わらず,落ち葉が入り込んでいて,内と外の空気は同じだった.
 どうやら,この茶室住宅はもともとあった茶室の外側に無理やり増築し,無理やり住宅の体をなしていた.4畳半の茶室,昔は水屋だったと思われる3畳の和室,増築部分には4畳半の洋室とトイレとお風呂,そして,別棟に6畳の台所があった.台所は別棟にあるため,ご飯の度に1回外に出ないと台所にたどりつけなかった.

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