« 2006年3月 | トップページ | 2006年6月 »

2006年5月

2006年5月31日 (水)

ゼミ

今日はゼミで発表をした。発表前にひどく初歩的なミスをしてしまい、少し気があせり、早口で発表してしまった。でも、発表がうまくいかなかったのは、それだけが理由じゃない。
ゼミでは、完膚無きまでに叩きのめされる。以前のI先生は暴力的なまでの言葉で発表者を叩きのめしていたが、今のI先生はとても優しい丁寧な言葉で、論理的に発表者を諭す。その優しい言葉が、かえって自分の情けなさを明らかにしたような気がする。
曰く「論が成り立っていない」。曰く「問題意識が見えない」。いずれの言葉もおっしゃられる通りだと思ってしまう自分が本当に情けない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月25日 (木)

BASIC-Phモデル

林春男氏の「いのちを守る地震防災学」を読む.この本は,阪神・淡路大震災での経験を踏まえて書かれた本である.

この本の中に出てきたストレスの対処方法が面白かった.この方法は,それぞれの対処法の頭文字をとって,BASIC-Phモデルという.少し調べたところ,心理学の分野では,かなり確立された方法のようである.私の日常生活に当てはめた場合を考えてみたのが,以下のとおり.

<BASIC-Phモデル>

  1. Belief-信念
     ストレス体験を自分の人生の中で意味のあるものとして位置づけること.
     例:育児は自分の人生を豊かにしてくれると位置づける
  2. Affect-感情
     感情をあるがままに表に出すこと.それを受け入れる支援者は,アドバイスも断定も出さずに,被害者のあるがままを受け入れる.
     例:疲れたときは気持ちのおもむくままに泣いてみる
  3. Social Support-社会的支援
     社会的に支援者を得ること.
     例:保育所で公的な支援を受けることができること.
  4. Imagination-想像力
     ダンス,絵画,文学や音楽などの芸術は、
     言葉で表現できない内面の表現を助ける.
     例:時折,電子ピアノをでたらめに弾くこと.
  5. Cognition-認知
     自分の現在の状況,これからの見通し,可能な手立てに
     関する情報を集め,自分自身をよりよく理解すること.
     例:保育士や育児経験者から情報を得ること.
  6. Physical-身体・生理反応
     適度な運動や入浴によって,ストレスは軽減する.
     例:自転車で通勤し,適度に汗をかくこと.

私の場合,忙しい日々を送っていると,「Imagination」や「Physical」な部分の対処両方をついつい怠ってしまう.そして,さらにストレスをためる悪循環によく陥るので,意識してこの2つの対処法をやっていこうと思う.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月24日 (水)

夜の風景

 夜寝る前に娘と窓から外を眺めるのが最近の習慣だ.それまではしゃいで騒いでいた娘も静かな外の景色を見ると,つられて静かになる.家の窓から時折モノレールが行き交うのが見える.すると,娘が「デンシャ,デンシャ,ガタンゴトン」と小さな声でつぶやく.それを聞くと,ああ今日も一日が終るのだな,と思う.そして,10分ほど眺めると娘も満足したのか,「バイバイ」と小さく手を振り,窓を閉める.

 私は夜の景色を見るのが子どもの頃から好きだ.昼間はっきり見えていたものが,夜には輪郭がぼんやりとする.そのはっきりしない感じが気持ちを安らげる.夜の景色を見ることで,娘も私と同じで気持ちが少し安らぐようだ.慌しい毎日を送っているせいか,こんなに小さな習慣が楽しい.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月15日 (月)

「晴れた日は巨大仏を見に」

Photo宮田珠己の「晴れた日は巨大仏を見に」を読む.表紙の写真や巻頭写真を見るだけでも,この本の価値がある.日常生活の中に「ぬっと」現れる数々の巨大仏.この奇妙さ,そしてなぜその景色がなぜ心にひっかかるのか,ということを書いたのがこの本である(ただし,繰り返しの記述が多い).

私自身も北陸に住んでいたため,表紙にある石川の加賀観音は知っている.初めて見たときはかなり衝撃を受けたのにも関わらず,何回も見るうちに心にもとめなくなった.人間の慣れとは不思議なものだ.

巨大仏について書いている奇妙な本ということで以前から興味を持っていたが,宮田珠己氏は私の出身学科の先輩ということでも気にかかっていた.同窓会の名簿にも彼の名前を見ることができる.彼の所属は大手の建設会社のままなのでかなり前から更新されていないようだ.更新された際に,建設会社に交じってエッセイストという肩書きを見ることができるとまた面白いと思う.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月12日 (金)

「おかん」にならなあかんと思う

娘と私(2005年5月撮影) 三つ子の魂百までとはよくいったもので、1歳年上の姉に隠れて6歳まで末っ子として育った私は、一人で何かをこなすというのが苦手で,自分に困ったことが生じたときにはすぐ他の人の助けを求めてしまう。しかも,他人の気持ちを慮るというのも苦手で、他人の話を聞きながら,気がつくと自分の話に無理やり持っていってしまう.自分の性格は、「母性」というものからおそろしく遠く離れた性格であるように思う。
そんな自分でも、気がつくと母になってしまった。母になると「子ども」の世話をしなければならない。「子ども」は自分の都合とは関係のないところで、泣いたり、笑ったり、遊んだり、喚いたり、時には病気になったりする、とても厄介な存在だ。そんな存在と一緒に暮らしていくためには、適性があるかないかということを横において、とにもかくにも「おかん」にならないといけない。
私が思う「おかん」というのは、子どもが喜んでいるとき、怒っているとき、哀しんでいるとき、楽しいとき、その気持ちのすべてを大きく受け止め、思いを共有し、子どもに安心感を与える存在のことである。自分の都合も大事だが、何よりも「子ども」が優先。そして、子どもの将来のために、毅然とした態度できっちりとした生活習慣を身につけさせないといけない。そういう「おかん」のような存在に自分がならないといけない、と思う。
好むと好まざると、状況が人を作る。自分はこういう人間だと強固に思い込み自分らしく生きたいと願うよりも、状況をあるがままに受け止めて、状況に身をまかせて自分を変えていく人生のほうが幸せなんではないかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年3月 | トップページ | 2006年6月 »