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2006年5月12日 (金)

「おかん」にならなあかんと思う

娘と私(2005年5月撮影) 三つ子の魂百までとはよくいったもので、1歳年上の姉に隠れて6歳まで末っ子として育った私は、一人で何かをこなすというのが苦手で,自分に困ったことが生じたときにはすぐ他の人の助けを求めてしまう。しかも,他人の気持ちを慮るというのも苦手で、他人の話を聞きながら,気がつくと自分の話に無理やり持っていってしまう.自分の性格は、「母性」というものからおそろしく遠く離れた性格であるように思う。
そんな自分でも、気がつくと母になってしまった。母になると「子ども」の世話をしなければならない。「子ども」は自分の都合とは関係のないところで、泣いたり、笑ったり、遊んだり、喚いたり、時には病気になったりする、とても厄介な存在だ。そんな存在と一緒に暮らしていくためには、適性があるかないかということを横において、とにもかくにも「おかん」にならないといけない。
私が思う「おかん」というのは、子どもが喜んでいるとき、怒っているとき、哀しんでいるとき、楽しいとき、その気持ちのすべてを大きく受け止め、思いを共有し、子どもに安心感を与える存在のことである。自分の都合も大事だが、何よりも「子ども」が優先。そして、子どもの将来のために、毅然とした態度できっちりとした生活習慣を身につけさせないといけない。そういう「おかん」のような存在に自分がならないといけない、と思う。
好むと好まざると、状況が人を作る。自分はこういう人間だと強固に思い込み自分らしく生きたいと願うよりも、状況をあるがままに受け止めて、状況に身をまかせて自分を変えていく人生のほうが幸せなんではないかと思う。

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