« ここしばらくはTOEIC対策をしていた | トップページ | 結婚式の思い出 »

2006年12月16日 (土)

北山の茶室住宅の話4-茶室住宅を離れた理由-

Fh000017  北山の茶室住宅に私達がとても魅かれたのは何だったのか.このことについて他人に適切に説明する言葉を私は十分に持っていない.最近読んだ「シャドウ・ワーク(イヴァン・イリイチ著)」の言葉を借りるなら,茶室住宅は市場経済ではかることができないvernacularな価値を持っているということ,しかもそうでありながらも,賃金労働に軸足を置いた生活ができるということかと思う.
 北山の茶室住宅に住んでいると,季節の移り変わりや天候の変化を肌でひしひしと感じることができた.部屋の中の気温と外気温が同じであったため,氷が凍るほど寒ければ家の中も凍えるほど寒く,オリーブオイルが凍ったりもした.雨が降ると屋根に落ちる雨音が大きく聞こえ,家の中全体の湿度が極端なほど高くなり,カビに悩まされた.満月の時には,月がとても明るく感じられ,円窓から眺めながら寝たりしたものだった.それまでの私の生活はそれなりに都市化されたものであったので,外の様子がダイレクトに家の中に影響を与える茶室住宅の生活は新鮮な感じを与えた.イリイチは標準的な経済学では捉えることができない生存に固有の仕事をvernacularな仕事と名づけている.茶室住宅で暮らしているとvernacularな仕事をする必要があった.例えば草むしりや庭の手入れ,障子貼り,七輪を使ったご飯の準備など.それらは今の私を悩ましている家事労働とは異なって,結構楽しい仕事だった.
 そして,完全な田舎にある家と異なり,北山の茶室住宅は地下鉄の北山駅まで歩くことができたし,何とかそれまで働いていた職場まで通勤することもできた.私達はvernacularなものに憧れてはいたが,賃金労働から足を洗う覚悟はできていなかったのだ.だが,結局,賃金労働をすることができたことが私達を茶室住宅から引き離してしまったようにも思う.
 私達が北山の家を離れたのは,子どもができたのがきっかけだ.子ども生まれた際に,私は自分可愛さのために,仕事をやめずに周りの人に迷惑をかけながらでも続けることを決めた.子どもが生まれてからしばらくは茶室住宅に住みながら義実家や姉夫婦宅に大きな迷惑をかけながらどうにかやっていこうとしていたのだが,そうした生活はやはり不自然で,生活を考え直さなければいけなかった.その際に,vernacularな価値と市場経済で評価される賃金労働を天秤にかけたのだが,私は賃金労働を優先させて茶室住宅から離れることを決めた. 寒くて子どもが凍えてしまう,高さ2mの廻廊から子どもが落ちるととても危険といった問題はあったが,私が賃金労働を諦めるという選択さえすれば,どうにか茶室住宅に住み続けることはできたと思う.
 私達が引っ越した後,イスラエル人の大工さんとマッサージ師をしている日本人の夫婦(彼らはもともと近所に住んでいたので,私達と顔見知りだった)が茶室住宅に引っ越すことになった.彼らの仕事は,私達の仕事と異なり,vernacularな仕事であるように思う.だから,きっと彼らは長い間住み続けることができるのではないかと思う.

(言い訳)「シャドウ・ワーク」を読んで,私が北山の茶室住宅に魅かれた理由が整理されたように感じたため, vernacularという言葉を借りている.私の浅はかな理解力では,イリイチの言葉をきちんと理解できていない恐れがあるし,この文章もわかりにくいものになっているかもしれない.それでも,私自身の今後の研究を考える上で,vernacularという概念は大事なような気がするので,用いている.世の中にたくさんいるイリイチ好きの人,ごめんなさい.

「シャドウ・ワーク」については詳しくはこちら→松岡正剛の千夜千冊『シャドウ・ワーク』イヴァン・イリイチ

|

« ここしばらくはTOEIC対策をしていた | トップページ | 結婚式の思い出 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/161814/13334371

この記事へのトラックバック一覧です: 北山の茶室住宅の話4-茶室住宅を離れた理由- :

« ここしばらくはTOEIC対策をしていた | トップページ | 結婚式の思い出 »