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2006年12月

2006年12月17日 (日)

結婚式の思い出

 先日,友人の結婚披露宴に出席した.結婚披露宴というのは,主人公であるところの新郎・新婦の人柄をよくあらわすように思う.今まで出たことのある結婚披露宴は,いずれもあたたかな感じのする披露宴だった.披露宴で行われるスピーチなどから,私の知らない友人の側面を知ることができるのもなかなか楽しい.
 

 それに対して,自分の時はどうだったかというのを思い返すと,私達の性格がよく出るような少し変わった結婚式だったと思う.私達は自分の身の丈にあった結婚式にしたいと思っていたため,ホテルでの結婚式・披露宴は行わなかった.神宮で結婚式を挙げ,その後親戚を集めて料亭で会食をした.そして日を改めてレストランで簡易なパーティを行った.
 神宮での結婚式はなかなか良いもので,値段がリーズナブルな上に,何よりもうそ臭くなくてよかった.ホテルの式場の祭壇と異なり,そこには本当の神様がいるように感じることができた.その神様もオットは子どもの頃から付き合いのある神様であるし,その後,初詣等でずっとお世話になるので,ここで結婚式を行うのはとても自然なことに感じた.私はことあるごとに,神宮・神社での結婚式を他人におススメしているが,なかなか受け入れられない(私としては筋道通った考えをしているつもりなのだが,出てくる答えは大多数の意見と大きくずれてくることがよくある.これもそういうことのようだ).
 レストランでの簡易なパーティは2回も行った.1回目は私が結婚前に住んでいた金沢で,2回目は結婚後に移り住んできた大阪で行った.1回目のときは結婚パーティというよりも,私にとっては金沢とのお別れパーティだった.そのため,当時やっていたクレズマーバンドのお披露目があったり(しかも新婦である私が振袖を着ながらアコーディオンなんかを弾いちゃっている),私が勤めていた会社からの卒業式があったり,新郎・新婦自らの歌と演奏があったりなんかして,主催した自分が思い返してもとても変わった結婚パーティだった.このパーティには私の家族も参加していたのだが,事前にパーティの内容は伝えなかった(なぜなら,振袖を着ながらアコーディオンを弾くなんて言ったら,反対されるに決まっているからだ).終わった後に,きっと私は母に怒られるだろうと覚悟していたのだが,「あなたが金沢で良い友達に囲まれて過ごしたことがわかって,よかった」と母からメールが来て,ほっとした.

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2006年12月16日 (土)

北山の茶室住宅の話4-茶室住宅を離れた理由-

Fh000017  北山の茶室住宅に私達がとても魅かれたのは何だったのか.このことについて他人に適切に説明する言葉を私は十分に持っていない.最近読んだ「シャドウ・ワーク(イヴァン・イリイチ著)」の言葉を借りるなら,茶室住宅は市場経済ではかることができないvernacularな価値を持っているということ,しかもそうでありながらも,賃金労働に軸足を置いた生活ができるということかと思う.
 北山の茶室住宅に住んでいると,季節の移り変わりや天候の変化を肌でひしひしと感じることができた.部屋の中の気温と外気温が同じであったため,氷が凍るほど寒ければ家の中も凍えるほど寒く,オリーブオイルが凍ったりもした.雨が降ると屋根に落ちる雨音が大きく聞こえ,家の中全体の湿度が極端なほど高くなり,カビに悩まされた.満月の時には,月がとても明るく感じられ,円窓から眺めながら寝たりしたものだった.それまでの私の生活はそれなりに都市化されたものであったので,外の様子がダイレクトに家の中に影響を与える茶室住宅の生活は新鮮な感じを与えた.イリイチは標準的な経済学では捉えることができない生存に固有の仕事をvernacularな仕事と名づけている.茶室住宅で暮らしているとvernacularな仕事をする必要があった.例えば草むしりや庭の手入れ,障子貼り,七輪を使ったご飯の準備など.それらは今の私を悩ましている家事労働とは異なって,結構楽しい仕事だった.
 そして,完全な田舎にある家と異なり,北山の茶室住宅は地下鉄の北山駅まで歩くことができたし,何とかそれまで働いていた職場まで通勤することもできた.私達はvernacularなものに憧れてはいたが,賃金労働から足を洗う覚悟はできていなかったのだ.だが,結局,賃金労働をすることができたことが私達を茶室住宅から引き離してしまったようにも思う.
 私達が北山の家を離れたのは,子どもができたのがきっかけだ.子ども生まれた際に,私は自分可愛さのために,仕事をやめずに周りの人に迷惑をかけながらでも続けることを決めた.子どもが生まれてからしばらくは茶室住宅に住みながら義実家や姉夫婦宅に大きな迷惑をかけながらどうにかやっていこうとしていたのだが,そうした生活はやはり不自然で,生活を考え直さなければいけなかった.その際に,vernacularな価値と市場経済で評価される賃金労働を天秤にかけたのだが,私は賃金労働を優先させて茶室住宅から離れることを決めた. 寒くて子どもが凍えてしまう,高さ2mの廻廊から子どもが落ちるととても危険といった問題はあったが,私が賃金労働を諦めるという選択さえすれば,どうにか茶室住宅に住み続けることはできたと思う.
 私達が引っ越した後,イスラエル人の大工さんとマッサージ師をしている日本人の夫婦(彼らはもともと近所に住んでいたので,私達と顔見知りだった)が茶室住宅に引っ越すことになった.彼らの仕事は,私達の仕事と異なり,vernacularな仕事であるように思う.だから,きっと彼らは長い間住み続けることができるのではないかと思う.

(言い訳)「シャドウ・ワーク」を読んで,私が北山の茶室住宅に魅かれた理由が整理されたように感じたため, vernacularという言葉を借りている.私の浅はかな理解力では,イリイチの言葉をきちんと理解できていない恐れがあるし,この文章もわかりにくいものになっているかもしれない.それでも,私自身の今後の研究を考える上で,vernacularという概念は大事なような気がするので,用いている.世の中にたくさんいるイリイチ好きの人,ごめんなさい.

「シャドウ・ワーク」については詳しくはこちら→松岡正剛の千夜千冊『シャドウ・ワーク』イヴァン・イリイチ

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2006年12月 4日 (月)

ここしばらくはTOEIC対策をしていた

大学院博士後期課程の2次募集を受験することにした.受験資格としてTOEICのスコアが必要であるとのことなので,ここ数ヶ月はTOEIC対策に取組んでいた

ある程度の英語力がある人は,ほとんど勉強をしなくても600点以上とれるらしい.私の場合は,ほとんど勉強せずに受験したら515点しかなかった.この時点で,基本的な英語力が足りていないことはよくわかった.とりあえず時間がないので,テクニックを身につけることに主眼をおいて勉強した.以下が1ヶ月で120点アップした私のTOEIC対策方法.

【文法】

まずは,「TOEIC TEST 英文法 出るとこだけ!」をもとに勉強.体系だって整理されているので,英語をすっかり忘れていた私の頭の中は整理されたが,あまり点数には直結しなかったような気がする.

それと,「1日1分レッスン!TOEIC Test パワーアップ編」を寝る前に3~4問ずつ読み,テスト前に見直しした.簡単だけどひっかかりやすい問題がどのようにひっかけようとしているのかと解説付きで出ている.これを読んだおかげで,Part5の文法問題のいくつかは,見た瞬間に回答できるようになった.結果的にこれが一番役にたったと思う.

【リスニング】

 通勤時間中に「公式問題集」の付属CDをi-pod shuffleでずっと聞いていたけど,あまり慣れなかった.英文科出身の友達は「シャドウイングがいいかもよ」とアドバイスしてくれたが,面倒でやらなかった(次回受けるときは,これを中心にやろうと思う).

 あとは,「TOEIC TESTリスニング出るとこだけ! 」を一通りやった.この中のテクニックのいくつかはとても役にたった.例えば,回答には質問で出てきた単語に発音が似ている言葉をつかってひっかけようとしているとか,例題やページをめくるための間を利用して,part4,5の設問と回答をチェックしろとか.

TOEICのリスニングは,現実に即したリスニング能力をはかるのが目的とかで,ベーシックなアメリカ英語だけでなく,イギリス,オーストラリア,カナダ訛りの英語も出題される.私にはオーストラリア訛りは聞き取りにくくて閉口した.現実に即したというならば,日本語訛りとかタイ訛りの英語も加えてくれ,と思う.

【語彙】

TOEIC TEST英単語出るとこだけ!」を勉強しようとしたが,3分の1程度しか取組めなかったし,そんなにたくさん覚えられなかった.語彙だけはやっぱりコツコツするしかないかも.TOEICはビジネスシーンで使う英語を主眼においているため,日本の大学受験英語ではあまりお眼にかからない単語も多い.brochureとか私は見たこともなかった.

【読解】

 ほとんど対策せず.長文読解は,時間があればそんなに難しい問題ではない.1回目の受験の時には,最後に解いて時間が足りなくなったため,2回目からはリスニングが終った直後に取りかかることにしたらすべての設問に答えることができた.それでも正答率は低かったので,点数につなげるには(短期的にはなかなか身につかない)速読力と語彙力を身につけるしかない.

 以上の対策の結果,2回目の受験で635点という結果になった.教授には最低650点必要と言われていたが,大学入試以来まともに英語の勉強に取組んでいない私からすれば,これだけとれれば御の字のような気がする.TOEIC対策は正直なところ結構楽しかった.研究はコツコツしたところで成果があがるとは限らないのだが,TOEICはコツコツ勉強さえすれば点数につながる.今回は点をとるためのテクニックばかり覚えたため,私の英語力が向上したとは思えない.次回受験する際は,もう少し語彙力とリスニング力に主眼をおくことにしよう.来年は6月に国際学会のポスターセッションに参加する予定なので,今よりは英語力もあがっているだろうから,その後の夏ごろに受験することにしよう.

余談として.TOEICは大学院の入試として適切なのかどうかは少し疑問である.ビジネス英語が主であるため,論文を書く際に必要とされる能力とは少し異なる気がする.ただ,受験生としては,大学の先生がつくる何が出るかわからない問題より,TOEICの方が対策がとりやすいし,何回も受けることができるので気が楽だと思う.

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2006年12月 3日 (日)

オリジナルな言葉

先日,F大学出身の先生とお会いした際に「訛っていないから福井出身者とは分からなかった」と言われた.ああ,そうだ,私は出身地のアイデンティティである言葉を捨ててしまったのだった,と改めて思い,自分のアイデンティティを確かめるかのように,その先生にしつこく福井のローカルな話題をふってしまったのだった.

「訛っていない」といわれるのは,大阪に出てきてからしばらくは誉め言葉のように感じていた.しかし,よく考えると自分のオリジナルな言葉を喋ることができないのは不幸なことだと思う.私の出身地である福井は,おそらく日本でも有数の訛りのある地域だと思う.福井弁はイントネーションがかなり独特なため,オットは私が福井弁で喋ると話が通じない.関西弁もかなり訛っているのだが,こちらはテレビ等で市民権を得ているため,関西人はどこにいっても関西弁で喋る(学会発表でさえ関西弁でする,私にはそれが本当に羨ましい).福井県は目立たない県であるため,ひどい訛りがあることはそれほど知られていない.福井出身者は,少し意識してイントネーションをできるだけつけずに話をしないと,他人とコミュニケーションもとれないのだ.そんなわけで,私の普段喋る言葉は標準語でもない,といってどこの地域の言葉でもない,得体の知れない言葉になってしまった.

私は福井を愛しているし,博士号をとって再就職する際には福井,できなければ北陸で就職したい.F大学出身の先生(生まれは名古屋)に「僕も福井で仕事があるなら福井に住みたい」と言われたのは本当に嬉しかった.それなのに私は福井県出身であるのを隠すかのように訛りを隠していて,何だか矛盾していると思う.

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2006年12月 1日 (金)

化粧品

今ではほとんどの日をスッピンで過ごし,化粧品屋さんに出向くのも1年に1度程度だが,独身の頃は化粧品屋さんに行くのは私の趣味だった.夜遊びに行く前とかにチラリと立ち寄って1,2品しか購入しないのに一から化粧をしなおしてもらったり,徹夜明けにいって「肌が荒れていますからこれをつけてあげるといいですよ」(何で化粧品屋さんは肌に対して「・・・あげる」という言葉を使うのだろう?)なんてのを真に受けて散財したりとか.私のお気に入りの化粧品はツィッギーをモデルとして使っていた60~70年代の雰囲気が残っているかわいいデザインなので,棚に並べるのも好きだった.

結婚を機に会社をやめて使えるお金が激減したため,基礎化粧品に関してはお気に入りのメーカーから通販の安いメーカーの商品に変更した.その結果,化粧品にかかるお金は3~4分の1になったのに,私の肌の調子は変わらなかった.むしろ睡眠時間が増えたことと,規則正しい生活になったため肌の調子はよくなった.若かったあの頃の私に言ってやりたい.基礎化粧品に散財するのは無駄だから,貯金するかせめて形にのこる洋服に金を使えと(実際若い頃に大枚はたいて買った洋服は結構物持ちがよくて,いまだにお気に入りだ).

なんて思っていたりするのだが,先日かなり久々に化粧品屋さんに行ったのだが,やっぱりとても楽しかった.お店の人と上っ面だけの会話をして,パックとマッサージをしてくれるというのでそれに甘えて一から化粧をしてもらったり(でも買ったのは眉墨とアイシャドウだけ).無駄なものには無駄なものなりの楽しさがある,というのを再確認.

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