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2007年8月31日 (金)

やさしさとファシリテータに求められる能力

 O大学の集中授業終了後のアンケートで、「先生がやさしかった」という意見があった。少しだましたような気持ちにもなったが、狙い通りの反応でうれしかった。

 私自身は、自分のことをやさしいと思ったことはほとんどないし、長く付き合っている人々からそういう評価を得ることも少ないように思う(オットにもそう同意された)。私のパーソナリティは、基本的にがさつで、身勝手でわがままで視野が狭いと思う。

 私は、今回の授業において「学生の意見を決して否定しない」、「プラスαが考えられるような質問をする」といったことを意識して行った。それにより「やさしい」という評価が得られたのだと思う。就職活動と同じで短期間の集中講義であれば、人からの評価なんていくらでも操作できてしまう。短期間しか付き合わない先生において、「怒りっぽい先生」に信頼を置くことなんてできるだろうか?それよりも「やさしい先生」の方が、信頼を置いて話を聞くことができ、自由に発言できるのではないかと思う。来年もこの調子で、つくりこんだ「やさしい先生」で授業を行いたいと思う。

 この「やさしい」という評価は、住民参加の現場でも大事なことではないかと思っている。現在、私は住民参加の現場に、「住民」としてではなく、曲がりなりにも「専門家」として参加している。地域のワークショップにおいて、私に求められているのは、議論の場を親しみやすく参加しやすい場に設定し、住民同士の議論を活性化できるようにうながすことである。つまるところ、ワークショップの教科書に書いてあるファシリテータとしての役割をきちんと担えるこかどうかということ。こうした役割を担う専門家が、「やさしい」人間であれば信頼をおいて、安心して住民も議論できるのかな、と思う。こうした人格をつくりあげるのは、簡単なようでなかなか難しい。何回か場数を踏むことで、少しは「やさしい」「信頼がおける」人間であるように振舞えるようになってきたかと思う。

 そのように振舞うことで、徐々に私のパーソナリティ自体も、「やさしく」なるかもしれない。でも疲れた時とか、せっぱつまった時には、やっぱり地の自分勝手なパーソナリティが出てしまうだろうな。

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