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2007年10月15日 (月)

blogは宛先を特定しない手紙だと思う

 ある小説家が「僕のエッセイはすべて誰かに向けた恋文みたいなものだ」と言っていたが、その言葉を借りると、私にとってblogは宛先を特定しない手紙のようなものかと思っている。

 まったく見知らぬ人が何かの言葉を検索にかけて、たまたまこのblogにやってきて、何かの情報を得て帰っていく。ほとんどの人は1回だけみて再び訪れることはない。そういうのって何だか、海辺で拾った瓶の中にたまたま入っていた手紙を読んでしまったようなものかと思う。

 でも、そういう見知らぬ人に読まれるというのは二次的なもので、このblogの一次的な目的は、私の比較的身近な人に向けて、私がここでこんなことを考えて生きているということを伝えることにある。みなさん、私はここにいますよ、って。

 特に、もし私が突然の事故等で死んでしまった場合、私の身近な人たちをこのblogを訪れて私のことを思い出してくれたら、と思ったりもしている。私は今、死というものをそれほど強く意識しているわけではなく、むしろ天寿をまっとうしたいと考えているほうなのだが、死というのはどこにでもひそんでいるものだからいつ私が死んでも不思議ではない。たぶん、私が死んでしまったら私は無になる。そうすると、私が生きていた証拠は徐々にうすれていき、私が何を考えて生きていたのかなんか誰も気にしなくなる。なんだかそういうのを想像すると少しさびしい。私が死んでも私の身近な人が私の文章を読んで、ときどき私のことを思い出してくれるとうれしいような気がする。

 そんなわけで、blogは誰かに読まれることを強く意識して書いているのだが、そのわりには愚にもつかないことばかり書いている。だけど、できるだけ他人が読んでも意味が通るような文章にしたいと思っているし、誰かを傷つけるようなことは書かないでおこうと気をつけている。

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