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2007年10月16日 (火)

手紙とボランティア

 十年ほど前の夏、大事な友人が亡くなってしまった。彼女は白血病を患っており、1年半もの闘病生活の後、この世から退出したのだった。

 彼女とは高校時代からの友人で、大学も偶然にも一緒だったので、大学1年の頃にはよく彼女の家に押しかけるようにして遊びにいった。1年生の春休みが過ぎ、いつまでたっても彼女が田舎から戻ってこないので心配していたら、白血病で倒れていたのだ。当時の私にとって、白血病は何やら映画や小説などによく出てくる病気で、でも、治療に専念すれば何とか治る病気なのではないかと勝手に思っていた。きっと来年になれば彼女の調子もよくなって、大学に復学するだろう、と気楽に考えていたのだ。それなのに、彼女は、はかなくも20歳の夏に亡くなってしまったのだ。

 彼女がこの世からいなくなって、しばらく私は途方にくれた。なぜ、もっと彼女に会いにいかなかったのだろう?なぜ、彼女のような良い人間が亡くなって、私みたいな自堕落な生活を送っている適当な人間が生き残っているのだろう?なぜ、この世に彼女がいないのに、私はお腹も空くし、普通の生活が送れるんだろう?さまざまな後悔やら喪失感やらで、月並みな言い方だが、胸にぽっかりと穴が空いたように感じた。

 そんな時、彼女からもらった手紙が私の気を紛らわすのに少し役立った。当時はメールがそれほど一般的ではなかったので、私達は時折手紙をやり取りしていた。彼女が選んだ美しい絵葉書や便箋に、彼女の几帳面な文字が並んでいるのを見て、私の気持ちは少し安らいだように思う。最近、久々に手紙を読み返してみたのだが、「○○(私の本名)は不思議な時に不思議な優しさを示す人ですね。私は○○を友人にもてて良かったと思います」という一文を見つけて、不覚にも泣いてしまった。

 それともうひとつ。彼女は大学1年の頃、ボランティアサークルに入っていたので、彼女の気持ちに少しでも近づきたいと思い、視覚障がい者のガイドヘルパーのボランティアを始めた。私のような粗忽者にガイドヘルプされた視覚障がい者のみなさんには不便な思いをさせてしまったかもしれないが、私はガイドヘルプをすることで私のような人間でも誰かの役に立てる、という気持ちになれた。金子郁容が「ボランティア」の中でボランティアはする方もされる側も相互に依存していると書いていたが、まさしくそういうことを肌身で感じた。この経験は、その後いろんな場で生きてくるので、今となってはしておいてよかったと思っている。

 最近、秋になったせいか感傷的な気持ちになり、彼女のことを思い出すことが多くなった。彼女は永遠に二十歳のままだが、私はもう31歳になってしまった。私は信じている宗教がないので、死んだら無になると思っているのだが、彼女のことを思う時はあの世があったほうがよいと思ったりもする。彼女があの世で、楽しく過ごすことができているといいな、と。

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コメント

10年前ですか。

私にも同じ経験があります。
大学で同じサークルだった友人が卒業を前に急に亡くなりました。
就職活動や引越で忙しく、後から聞きました。

それから、昨年は私の姪が19歳で白血病で亡くなりました。発病から1週間も経たずに。
まだ家族は大きな傷を抱えていて立ち直れずにいます。

このようなことがあるのは辛いことですが、残された友人や家族には、立ち直ってしっかり自分の人生を歩んでほしいです。

10年経って思い出して泣いてくれる友人をもった彼女は幸せだったと思います。

投稿: さらん | 2007年10月17日 (水) 22時18分

幼い子、若い子の死は本当に辛いです。
姪っ子さんのお父さん、お母さん、ご親族の悲しみはどれほど深いものかと思います。

遺された人たちを癒すものは、時間しかないのかもしれませんが、
遺された人たちは亡くなった人たちの分まで生きる必要があるんだと思います。

亡くなった友人に最後に会ったときに、
「○○は私にとって窓みたいなものだから」と言われたのを思い出します。
うまい言葉が見つからないのですが、
生きている私達は、どんな時でも、外へと繋がる窓を開いておくことが大事なのかな、と思います。

投稿: ぴか | 2007年10月18日 (木) 14時01分

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