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2007年11月

2007年11月25日 (日)

トイレさま

 たぶん、初めて乳児を育てている人にとって、トイレトレーニングというのは大きな課題ではないかと思う。トイレトレーニングが終わってしまえば、時期がくればオムツがとれるというのが分かるのだが、どうすればすんなりとオムツからトイレに移行してくれるのかということに頭を悩ます。オムツで粗相をするのが当たり前の子どもに、オムツよりもトイレでするのが普通のことなんだ、と教えるのは至難の業のように感じる。

 うちでは、トイレトレーニングをしている間、ひたすら子どもを褒めちぎるという作戦をとった。子どもがトイレですることができると、「わーすごいねー。トイレでできるなんて、○○ちゃんはおねえちゃんだねー」と褒めちぎる。そうすると、トイレでするのを嫌がっていた娘も、だんだんその気になってトイレでするようになる。

 あと、パンツぱんくろうにあやかって、補助便座のことを「トイレさま」と呼んでいる。娘とトイレに入るととりあえず、「トイレさまー」と呼びかける。それを合図に、私は低い声で「こんにちはー。久しぶりだけどお漏らししてなかった?」などと言いながら補助便座を便座の上にのせるのだ。そうすると、娘は補助便座に今日会ったできごとなんかを話しながらトイレをするのだ。(ちなみに、娘が1歳の頃は「トイレ」というのがうまくいえなかったので「ニャーニャ」という名前にしていた。)

 いずれも変な習慣だが、トイレトレーニングがある程度終わった今でも、トイレに入ればトイレさまに呼びかけるし、トイレが終われば私は娘を褒めちぎる。トイレさまと世間話をする娘は、傍目からみて変だとは思うが、嫌がらずにトイレに行ってくれるようになったので、まあいいか、と思っている。そのうち、お姉さんぶりたい年頃になったら、トイレさまとの世間話もやめるんだろう。

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2007年11月24日 (土)

対人恐怖症のトラウマ

 なぜ、私は対人恐怖症気味なのか?もともと引っ込み思案で大人しい子どもであったが、自意識過剰で図々しいところもあるのに。いろいろと思い返すと、中学生の頃の経験がきっかけのような気がする。

 中学1年生の頃、クラス全員で1人の女子を無視するという性質の悪いいじめがあった。その子はクラスの中心グループに所属していたのに、何かつまらないきっかけでそのグループ内で無視され始めたのだった。私はいじめに参加するつもりはなかったのに、自分が無視されることになるのが恐ろしくて、最初の頃は周りに見つからないように注意深くその子に話しかけていたのに、3ヶ月すると私もその子とまったく話をしなくなった(私もいじめに参加していたんだ、結局のところ、やれやれ)。そのいじめは半年ほどで、何かをきっかけに解除されたのだが、本当につまらないことがいじめの対象になるかもしれないという恐怖は、その後も私を軽く苦しめた。私は大丈夫か?他の子と違っていないか?いじめられるきっかけを作っていないか?という恐怖心である。ほかにも、ふとしたきっかけで口をきいてくれない感情の起伏が激しい友人ができたり、学級崩壊して美術、音楽、家庭科の授業に参加するのが5人程度という経験をしたりして、中学生の頃の私は気持ちが荒れていたように思う。思春期というまだ心に柔軟性のある時期にそんな体験をしたので、もともと気が弱かった私はいつまでもトラウマになっているのかな、と思う。

 でも、大人になってみれば、多少変な人だと思われようとそれほど困ることなんて多くないのである。むしろ同質性が高いほうが気持ち悪い。同質性が高い人とばっかり喋っていても面白くないし、新たなものを産んだりしない。人はいろいろ違っているから、この世はおもしろいと思う。そう思いつつも、気心がしれない人との対話には、かなり緊張して自分を取り繕う私がいる。いろんな人と会うことで、少しはましになってきたけど、きっと一生直らないんだろうな。

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 おそらく私がいた中学校は荒れていたのだろう。高校に入ってから、授業がまともに行われていること、宿題をみんなきちんとやってくることに衝撃を受けたような気がする。私立中学に子どもを行かせたい親の気持ちがよくわかる。うちの娘がもしいじめられたらどうしたらいいんだろう?こんな私が、毅然とした態度で、娘をいじめから守ることなんてできるんだろうか?

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2007年11月23日 (金)

突撃ヒアリングとヒューマンモーメント

 私は人見知りで、対人恐怖症だと思う。初対面の人に会うと、うまく話せるかどうかいつもドキドキする。娘の保育所のママ友達との世間話も、未だにドキドキする。見知らぬ人に電話をするのも嫌いだ。できれば避けたい。何かの家の用事で業者さんに連絡するのも嫌だ。できればオットにやってもらいたい分野だ。こちらの言葉がうまく伝わらなかったらどうしようと思ってしまうからだ。でも、研究やら仕事やらをやっていると、そういうわけにはいかない。むしろ自主的に、好んで初対面の人と連絡をとっていかないと前に進まない。

 現在取組んでいる研究テーマをはじめてから、2回ほど押しかけに近い形で連絡をとって、突然ヒアリングに行くということをした(通常のヒアリングは、ちゃんと日程を調整してから行っている)。この押しかけヒアリング、先方にものすごく迷惑をかけたと思うのだが、いずれの場合も親切に対応していただけた。話自体も楽しかったし、いろんな情報ももらえたし、研究に対する示唆もいただいた。思いきって連絡をとったこと、遠くても面倒くさがらずに訪ねたことを本当によかったと思えた。

 人と人が直接会ってコミュニケーションをとる瞬間をヒューマン・モーメントというらしい。このヒューマン・モーメントが新しい何かを産む。私のような社会学もどきに足をつっこんでいる人間にとって、人との出会いは本当に大事なものだなと、つくづく思う。人間を相手にした学問をしているだから積極的に人に会うのは当たり前。それに、こうして人とたくさん出会うことで、人見知りも少しずつマシになってきたような気もするし(いや、どうだろう?いまだに、夜中とかに「あんなこと言わなきゃよかった。でしゃばりすぎた」と反省して眠れない日もあったりするから、対人恐怖症はやっぱりなかなか治らないかもね)。

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2007年11月20日 (火)

ん?

娘は、「り」や「ディ」で終わる聞き慣れない名詞に「ん」を付ける癖があるようだ。
CDはシーディン。DVDはディブイディン(リア・ディゾンみたいでかっこいい)。
ぞうりはゾウリン。
「ん」が着くだけで、普通の言葉が不思議な響きの言葉になる。

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2007年11月19日 (月)

滋養ってどこにあるんですか?

 家にずっといるわけではないので、できるだけ手軽に(ココが重要!)、滋養のあるものを食べたい&食べさせたいと思っている。といっても、栄養学とかを勉強していたわけではないので、何となく体に良さげな物を選んでいるだけなので、実際にきちんとした栄養がとれているかどうかは微妙なところ。以下のものは、うちに常備されているもの。

  • 雑穀米、発芽米:普通のお米に混ぜてたくだけ
  • 豆乳:牛乳の代わりに料理に使う。豆乳だけで飲むのはできない。牛乳よりカロリーが低いからよいかな、と思っている。 
  • 野菜ジュース: 野菜嫌いの娘のために。朝ご飯に必ず飲ませる。 
  • 納豆:納豆菌が悪玉菌をやっつけてくれそう。納豆だけで食べる時も多いけど、ひじきと混ぜたり、キムチと混ぜると一層おいしくなる。うちではお好み焼きにも入れている。
  • もずく: 海藻だし、酢だし、何となく滋養がありそう。娘も大好き。
  • ひじき: 煮物にしたり、ひき肉と一緒にいためたり。時にはセロリと一緒にサラダにしたり。鉄分が豊富。
  • ヨーグルト: 発酵ものだから。

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2007年11月16日 (金)

感情労働

 「感情労働」という言葉があることを知った。賃金の対価として求められるのが、肉体でもなく、知識でもなく、感情である労働ということ。面白い概念だと思う。

 感情労働の代表的な職種として、看護婦、教師などがあるようだが、今の世の中、どんな職種にしろ「適正な態度」「適正なコミュニケーション」というものが求められるのである。プロなんだから当たり前でしょ、と思う面もあるけれど、逆に、そのコミュニケーション技術とやらのせいで、コミュニケーション不全に陥っているのかもしれない。

 私がやったことのあるバイトや仕事に当てはめると。。。

 [ファーストフードの売り子さん]

 夜9時過ぎに、ファーストフードに小学生が一人で買物にやってくる。私は心の中で「こんな時間に子どもが買いに来るなんて。夜道は危ないし、こんな時間からご飯たべるなんて健康に悪い。まだまだ子どもなのに親は何をやっているのか?」なんてことを思っているわけだが、口から出る言葉は「いらっしゃいませ、何になさいますか?」というマニュアルトークだったりする。

 [大学の非常勤講師]

 授業中にしゃべり続ける学生。「興味がないなら授業受けなくていいのに」なんて心の中でいらいらしていても、口にはなかなか出せない。せいぜい、しゃべり続ける学生に視線を向けて、静かになるまで授業を停止するぐらい。そうすれば勘の良い学生なら気づいてくれる。怒ると相手に恥をかかせることになるし、そうなるとなおさら授業を聞いてくれなくなるような気がする。そう思うと、口に出すことができない。学生からのくだけた質問も笑顔で返してしまう。

 [建設コンサルタント]

 金曜の夕方に発注者から「月曜の朝までに資料準備して」という内容の電話がかかってくる。それって、土日出勤して働けっていうこと?と苛立ったりするけれど、電話では「わかりました。何とかやります。」と明るく返事してしまう。

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 私が大学院生になって、すごく気が楽になったのって、感情労働しなくてよくなったせいのような気がする(反面、研究に関しては病むほど悩む)。学生ってお金もないけど、地位もないから、本当に気軽。

 プロなんだから、対価としての賃金をもらっているから感情労働も仕方がない。本当にそうなのか?感情を切り売りすることで、人間関係がどんどん表面的になっていく。消費者のほうも、お金が介在するというだけで、相手のことを気遣わないなんておかしい。それって人間的じゃない。

 だからってどうしたらいいんだろう?感情労働者に対する給料の引き上げとか、感情労働者への心のケアとかは思いつくのだけど、個人レベルでは何ができるんだ?

 今回は、感情労働という言葉がある、というのを知っただけで思いついたことを書いてみた。いろいろな事象を一つの概念で表すと、何かと整理され、研究対象として扱いやすくなる。感情労働という言葉も、この言葉ができてからいろいろと研究が進んでいるんだろうと思う。時間があったら、本でも読んでみようかと思う。

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感情労働について詳しいことは、こちら↓

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2007年11月 9日 (金)

壁に激突

 子どもって本当に思いもよらぬことで怪我をするものだとびっくりした、平日の夜の話。

 娘が部屋の中でスキップをしていた。とてもご機嫌で、何か鼻歌を歌っていたのだが、突然「いたいー」という叫び声に変わった。どうしたのかと駈け寄ったところ、羽毛布団の上に飛び乗ろうとして、勢い余ってひたいを壁にぶつかったようなのだ。娘は、「もう、かべ、やめてよ!」と怒っていたが、壁はずっと前からそこにいたわけで、悪いのは壁ではなくてぶつかっていった娘である。娘をなだめながら、面白い子だな、としばらく笑っていたのだが、ひたいをよく見ると、大きなたんこぶができている。自分でぶつかっていったのだから大したことはなかろうと思っていると大間違いで、見る見るうちにアオタンになってしまった。その日は氷で冷やしたのだが、次の日の朝も「おでこが痛い」と半べそをかいていた。

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2007年11月 8日 (木)

心がなくなる

 先日、福祉系NPOの代表の方とお話していた折、「忙しいという言葉を使うのをやめないか」という話になった。

 なぜ、こういう話になったのかというと、ある調査の打ち合わせをしていて、「こういうことを手伝ってくれる学生が他にいないか?」と聞かれた際に、「最近の学生は忙しいから手伝ってくれないんですよ」とつい答えてしまったのである。そのときに「忙しいんじゃなくて、興味がある学生がいないのではないか?」と指摘されたのである。

 忙しいという言葉は便利な言葉で、何かができない言い訳をする時とかについつい使ってしまってしまう。けれど、実際には他のことにかまけているか、興味が薄いだけであったりするのに、「忙しい」と使ってしまう。

 「忙」という字は、心が亡くなると書く。そう思うと本当に嫌な字なように思える。

 自分のことに当てはめて考えると、論文を仕上げること、研究申請書を書くこと、ご飯をつくること、家を片付けること、そういった様々な事柄ができていないのは、本当は忙しいからではなくて、心が他のところにいっているのだ。そういったことに対して「忙しかったから」やっていない、というのは言い訳になっているようでなっていない。そんなことを言うくらいなら、「やる気がなかった、ごめんなさい」と負けを認めたほうがましなのかもしれない。

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七五三

20071104651_s_2  千里ニュータウンの中に、一部分だけぽっかりと竹薮が残っている場所がある。その竹薮を分け入ると、突然神社の境内が現れる。その神社で、先日、娘の七五三のお祝いをした。通常、七五三のお祝いは数えでするのだが、2歳の娘をじっとさせておく自信がなくて、満三才の今年にお祝いをすることにしたのだ。

 娘には私が七五三の時に着ていた着物を着せた。私の着物は、物持ちのよい母親が大事にたんすの肥やしにしていたものである。娘は、色が白くて切れ長の目を持つ和風の顔立ちのせいか、古典的な柄の着物がよく似合った。普段着ることのない着物を着た娘は、心持ち静かに立ち居振舞っているように見えた。ご祈祷の間も、文句も言わず大人しく座っている娘の横顔を見て、大きくなった、よくここまで育ったものだと、少し感慨深いものがあった。このまま大きな病気をすることもなく、素直に育ってくれたら、と切に願う。

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2007年11月 2日 (金)

ファーストフードのバイトで得たこと

 学生時代、バイトと遊びに明け暮れて、ろくに勉強していなかったせいで、今大変困っている。もっと勉強するべきだった。統計もわからないし、英語もできない。論理構成力もない。できないことだらけだ。

 それでも、バイトをしていたことは、お金以外に何も得るものがなかったかというとそうでもなくて、何かしら得るものはあった。

 一時期、商業主義の極みであるところのファーストフード店でバイトをしていた。分かりやすい効率性、つくり笑顔と見かけだけの明るさ、そういうファーストフードならでは上っ面な感じが私の性分にはあっていたようで、結構楽しく働いていた。

 で、早朝にバイトを入れると、年の頃40ぐらいの男の人と一緒に働くことが多かった。その人は事業を失敗させてしまったかなんかで、生活を立て直すために、早朝はファーストフード店で3時間ほどバイトをして、それから仕事に出かけるとのことだった。はた目から見て、ものすごく大変そうだったが、その人はいつも笑顔できびきびと働いていて、周りの学生バイトからも尊敬を集めていた。

 その人が事業に失敗したのはとても気の毒だと思ったが、何となく私はその人から生きる上での勇気をもらったような気がする。どんなことが起きても、体が丈夫で気の持ちようさえしっかりしていれば、前向きに充実して生きていける。失敗を他人のせいにするのではなく、自分で責任をとるつもりがあれば、人生ってやり直しきくんだな、と。

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2007年11月 1日 (木)

月に一度はお弁当の日

 娘の通う保育所では月に一回お弁当の日がある。
 朝は時間がないのと、私が無精者なのとで、中身は大概いつも同じ。前の日の夕飯の残りとおにぎり、卵焼きである。
 見た目も茶色くて、全然可愛くないお弁当なのだが、娘は楽しみにしてくれている。

 まず、朝のテンションから違う。
 普段はかなり寝起きが悪いのに、「今日はお弁当の日だよ」というだけで、飛び起きる。
 「やったー、やった!お弁当!」とひとしきり騒ぎ、「卵焼きいれてね」と寄ってくる。

 二才の頃、お弁当の残りの卵焼きを朝ご飯に出したら、急に泣き出した。びっくりしてどうしたのか聞いたところ、「卵焼きはお弁当に入れるの!」と怒っていたのである。
 今食べる卵焼きよりお弁当の卵焼きが大事。彼女はそれぐらいお弁当至上主義なのである。

 保育所から帰るときも、「お弁当おいしかった」「切り干し大根、また入れてね(切り干し大根を楽しみにするうちの娘ってすごい。泣ける)」「おいしかったから、あっという間にピカピカになったよ(すべて食べてしまったよ、の意)」と言ってくれる。手抜き弁当でごめんと思いつつ、喜んでくれる娘に感謝する。お母さん、今度はがんばるよ。

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 ちなみに、私自身のためのお弁当は週に2,3回の頻度で作っている。お金の節約のためと、せっかく作ったおかずが無駄になるのが嫌だからだ。娘のためのお弁当よりももっとひどくて、お弁当として普通入れないものまでガンガンいれる。カレーとかスープの具だとか、鍋の残りだとか。ひどいお弁当だとは思うが、自分で作っているので、腹は立たない。代わりに、生協で買うお弁当がちゃんとしたものに思えるようになる。

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