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2007年11月16日 (金)

感情労働

 「感情労働」という言葉があることを知った。賃金の対価として求められるのが、肉体でもなく、知識でもなく、感情である労働ということ。面白い概念だと思う。

 感情労働の代表的な職種として、看護婦、教師などがあるようだが、今の世の中、どんな職種にしろ「適正な態度」「適正なコミュニケーション」というものが求められるのである。プロなんだから当たり前でしょ、と思う面もあるけれど、逆に、そのコミュニケーション技術とやらのせいで、コミュニケーション不全に陥っているのかもしれない。

 私がやったことのあるバイトや仕事に当てはめると。。。

 [ファーストフードの売り子さん]

 夜9時過ぎに、ファーストフードに小学生が一人で買物にやってくる。私は心の中で「こんな時間に子どもが買いに来るなんて。夜道は危ないし、こんな時間からご飯たべるなんて健康に悪い。まだまだ子どもなのに親は何をやっているのか?」なんてことを思っているわけだが、口から出る言葉は「いらっしゃいませ、何になさいますか?」というマニュアルトークだったりする。

 [大学の非常勤講師]

 授業中にしゃべり続ける学生。「興味がないなら授業受けなくていいのに」なんて心の中でいらいらしていても、口にはなかなか出せない。せいぜい、しゃべり続ける学生に視線を向けて、静かになるまで授業を停止するぐらい。そうすれば勘の良い学生なら気づいてくれる。怒ると相手に恥をかかせることになるし、そうなるとなおさら授業を聞いてくれなくなるような気がする。そう思うと、口に出すことができない。学生からのくだけた質問も笑顔で返してしまう。

 [建設コンサルタント]

 金曜の夕方に発注者から「月曜の朝までに資料準備して」という内容の電話がかかってくる。それって、土日出勤して働けっていうこと?と苛立ったりするけれど、電話では「わかりました。何とかやります。」と明るく返事してしまう。

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 私が大学院生になって、すごく気が楽になったのって、感情労働しなくてよくなったせいのような気がする(反面、研究に関しては病むほど悩む)。学生ってお金もないけど、地位もないから、本当に気軽。

 プロなんだから、対価としての賃金をもらっているから感情労働も仕方がない。本当にそうなのか?感情を切り売りすることで、人間関係がどんどん表面的になっていく。消費者のほうも、お金が介在するというだけで、相手のことを気遣わないなんておかしい。それって人間的じゃない。

 だからってどうしたらいいんだろう?感情労働者に対する給料の引き上げとか、感情労働者への心のケアとかは思いつくのだけど、個人レベルでは何ができるんだ?

 今回は、感情労働という言葉がある、というのを知っただけで思いついたことを書いてみた。いろいろな事象を一つの概念で表すと、何かと整理され、研究対象として扱いやすくなる。感情労働という言葉も、この言葉ができてからいろいろと研究が進んでいるんだろうと思う。時間があったら、本でも読んでみようかと思う。

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感情労働について詳しいことは、こちら↓

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