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2008年1月19日 (土)

そろそろ車をあきらめるべきだと思う

 このブログには戯れ言しか書いていないけれど、今回は本当に戯れ言。あちこちで言われていることで、新鮮味なんかまったくない。しかも、子どもっぽい考え方だと思う。だけど、あえて、ずっと思っていた車と町の話について。

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 私は地方都市出身で、過疎部の交通の研究をしているので、よく「ここで暮らしていくには車が必要」という声を聞く。そういいはる気持ちはよく分かる。車は便利すぎる。いつでも、どこへでも行けてしまう。どんなに公共交通機関を便利にしても、この「いつでも」「どこへでも」という点において、車を超えることはできない。でも、代わりに失うものが多すぎるだろう。
 自動車会社のコマーシャルで、ハイブリッド車など環境負荷の小さい車を使えば、車が社会に与えている害悪をおさえることができるかのように言われている。確かに日本にあるすべての車がハイブリッド車になれば、車が環境に与える影響は小さくなるだろう。でも、車が社会に与えている害悪は環境負荷だけじゃない。
 今、日本で、独自のものを持っている町が、すごい勢いでなくなりつつある。あちこちの地方都市が金太郎飴みたいに同じような町になりつつある。この原因は車の利用の大衆化にある。駅前の商店街はさびれ、そこに行政がてこ入れしようと再開発事業を行っているけど、もちろん、うまくいってなんかいない。町の郊外はどんどんどんどん薄く広がっていき、ロードサイドにはショッピングセンター、安売り店、パチンコ屋が連立している。人々は休みの日には、車でこれらのロードサイド店にでかけ、判でおしたようにどこででも買える品物を買って帰るんだ。そうすることで私達の趣味は均一化され、人間自体も均一化していく。その一方で、車の運転ができない人々は、車の運転をできないというだけで、「人として欠陥がある」、「モビリティが制約されている」なんていうふうに分類されて、買い物にも病院にもいけずに、人間らしい暮らしをあきらめていたりする。
 たぶん、中心市街地活性化や駅前再開発なんかに税金を投入するのは意味がない。そろそろ、みんなに車に乗るのをあきらめてもらったほうがいいと思う。日常生活の便利さを追求していって、何が手元に残るんだろう?あるいは目の前の便利さを追求したあまり、長い目でみて不便さを招いているんじゃないのか?
 昔話では、たいがい何か不相応に素敵な宝物を手に入れると、その反動で悪いことが起こることになっている。そろそろ、その不相応な宝物を手放したほうがいいんじゃないか。

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