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2008年1月 8日 (火)

博士後期課程のこと

 日本の学校って、真面目に出席して、ある程度勉強していれば卒業できてしまう。先生に与えられた課題をこなすことが大事なんだ。高校はいうまでもなく、大学も、大学院修士課程(博士前記課程)も。でも、博士後期課程はそうじゃない。

 博士後期課程の悲惨さをよく知らない人からは、「博士になるために勉強しているなんて、えらいのねー」なんて言われる。でも、全然えらくなんかない。博士後期課程は、優秀じゃなくても入れちゃう。誰でも入れるから出るのが難しい。ある程度努力しないと、修了できない。時々、自分の能力を少し超えるジャンプをしないといけない。

 たまに、海外の博士課程と比較して、「日本のドクターにも給与を」という話があるが、それはちょっと違うだろう、と思う。給与を出すのであれば、今の後期課程の入試制度やカリキュラムを大幅に変更しないとだめだろう。能力があり、やる気のある学生しか入学させないとならないだろう。そうなると私のような人間は入学できない。

 しかも、博士が100人いる村にもあるとおり、アカデミックポストに着くことができる人は一握りだ。私なんか無駄に年だけとっている上に子どもまでいるから、一般企業への就職もさらに難しいと思う。

 じゃあ、なんのために博士後期課程にいるのか?一つは「飛び道具」がほしいということ。私は社会とかかわりを持って、社会を少しずつ変えていきたいと考えていたとしても、今のままの私では誰も話を聞いてくれない。まず、話の端部を聞いてもらうには、実績であったり、肩書きであったり、そういうものが必要。「工学博士」という肩書きは、話をするきっかけを与えてくれる「飛び道具」になる。

 さらに、それ以上に重要なのが、聞いてもらうだけの価値がある話ができるかどうかだ。これも、博士後期課程というプロセスを経る中で、手に入れることができる能力じゃないかと思っている。(実際は、どうだろう。1年弱たったが、なかなか話は上手にならない。相変わらず上がり症のままだし)

 私は頭がよくないと思う。瞬発力のような頭の回転も鈍い。それでも、何かを変えていく力がほしい。博士後期課程のプロセスが、それを与えてくれると信じている(信じるものがないと大学院になんか在籍できない)。

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