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2008年9月10日 (水)

僕は僕の僕だけのために

 草間彌生の画面いっぱいの水玉やヘンリー・ダーガーのパステル画に妙に心ひかれる。かわいいような、気持ちが悪いような不思議な世界。草間彌生は統合失調症を患っていたし、ヘンリー・ダーガーは知的障害があった。私自身も境界性人格のようなところがあるから、こうした人々に強く惹かれるのかと思っていた。

 そんなわけで、先日、金沢の21世紀美術館のミュージアムショップで「アウトサイダーアート」という本を見つけたとき、一も二もなく購入し、熱心に読んだ。私はアウトサイダーアートのことを精神疾患がある人が書く絵のことだと勘違いしていたが、実際は違う。「アートのシステムから逸脱した部外者が自由奔放に表現した作品」である。つまり、草間彌生の作品はアウトサイダーアートとは呼ばない。よく子どもの絵の面白さとアウトサイダーアートが間違われるが、子どもの絵の面白さは稚拙さからきているのであって、4歳ぐらいになれば評価者の目を意識して絵を描いたりする。アウトサイダーアートは、自分のためだけに、作らざるを得ないという意識のもとに創作している芸術のことである。

 アウトサイダーアートは、正式な芸術の枠組みから外れた人々の芸術であるので、知的障害者や精神障害者が創作したものであることが多い。こうした人々の創作は、芸術という観点からの評価よりも、障害者教育としての効果、福祉の向上という点からの効果ばかりみられてきた。スイス・ローザンヌ市には「アール・ブリュット・コレクション」というアウトサイダーアート専門の美術館があって多くの人が訪れたり、さまざまな美術館がアウトサイダーアートの特別展をやったりするようになって、アウトサイダーアートをきちんと芸術として評価する動きが起こっている。

 現代芸術は面白いけれど、作り手が鑑賞者に問題意識を投げかけるような作品が多くて、見ているこちらはびっくりさせられっぱなしで心が疲れてしまう。その点、アウトサイダーアートは違う。他人の目を気にすることなく、自由に、ただ自分のためだけに描かれている、つくられていていて、視線が内向きだ。私がアウトサイダーアートに惹かれたのは、病的なためではなく、そういった自由さや視線に惹かれたのかもしれない。

 私は子どもの頃から絵を描くのが苦手だったし、最近ではまったく絵を描いていない。私も私だけのために絵を描いてみようと思う。

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 「アウトサイダーアート 現代美術が忘れた 『芸術』」は良書だと思う。新書なので値段も手ごろ。芸術に関しする素養がまったくなくても面白く読める。日本ではほとんど顧みられることのなかったアウトサイダーアートの歴史が丁寧に書いてある。文章も大変読みやすいし、図版や写真も多い。

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