« ところが全てが夢なわけでもないし | トップページ | 先生になるということ »

2008年9月 3日 (水)

自分の本を持つ

 夏祭り*の古本市で買ったin Pocketの大江健三郎インタビューが思いのほか面白かった。大江健三郎が村上春樹や吉本ばななといった世界で読まれている新進気鋭の作家を意識していることも意外であったし、自分の本が売れていないことを気にかけているとは思いもよらなかった。そのインタビューで、基準となる「自分の本」を持つことが大事ですよ、という話をしていて、ああ、そうだな、そういうのって大事だよなと共感した。大江健三郎の自分の本は「ニルスのふしぎな旅」と「ハックルベリーフィンの冒険」だそうだ。

 で、私の場合、自分の本と呼べる本があるだろうか?と、ここ数日考えていた。繰り返し読んだ本ならば結構あるのだけれど、自分の基準となる本ってなんだろう?

 小学校高学年から中学生にかけては、コバルト文庫をよく読んでいた。氷室冴子**の描く社会とうまく自分をすりあわすことができない繊細な少女たちに自分を重ね合わせ、新井素子の書く不思議な世界に現実逃避していた。それらの本は私が思春期を過ごす中で大きな役割を果たしはしたけれど、自分の本かというと少し違うような気もするし、数冊に絞りきれない。

 中学生から読みだした村上春樹は、今でもすごく好きな作家。人生に対して多大な期待を抱いてはいないけれど諦めていない主人公の考え方とか、暴力的な何かに奪われそうになる日常の普通の生活を必死で守ろうとする姿勢とか、日常生活の丁寧な描写とかが大好きだった。大学生の頃に暇に飽かせて読んでいてドフトエフスキー、中でもカラマーゾフの兄弟はミステリー小説さながらの面白さやドミーチャを始めとするさまざまな登場人物の人間くささなんかも魅力的だったし、陪審員の章をはじめとする深いテーマ性などが興味深くて、繰り返し読んだ。川上弘美の淡々とした描写も好きで、「先生の鞄」は素敵な恋愛だな、とあこがれた。大江健三郎も夢中で読んでいた時期があるし、内田百閒だって太宰治も夏目漱石も面白かった。森茉莉のエッセイの世界観も好きだった。でも、これらは好きな本ではあるけれど、よく理解できていない部分も多いし、自分の基準となる部分ではないような気がする。

 そうやって記憶をひも解いていく中で、小学生の頃繰り返し読んだ本にやっとたどりついた。井伏鱒二訳の「ドリトル先生シリーズ」だ。寝る前や病気の時、ベッドに引っ張り込んで繰り返し読んでいた。

 ドリトル先生は井伏鱒二による翻訳で、とても読みやすい文章だった。たぶん、私の中の名文の基準はドリトル先生にあるような気がする。ドリトル先生の文章は、シンプルで大げさじゃない、また、行間にユーモアにあふれている。この2つがそろっている文章を私は名文だと判断しているのだ。大人になって、オシツオサレツが原語ではPushmi-Pullyuであるというのを知って、翻訳の妙に感心した。

 ドリトル先生の冒険は、絵本のように小さな出来事を大げさに描写するのではなく淡々と描かれていて、なおかつドリトル先生の落ち着いた姿勢が素敵だった。ドリトル先生は動物と話すことができるという特殊技能をもっているけれど、一般の大人たちには疎んじられている。代わりに、動物たちとだけ気ままに楽しく暮らしているのだ。そういうアウトサイダーとしての暮らし方にも憧れた。紅茶やベーコン、エッグといったイングリッシュブレックファーストもおいしそうだった。思い返すと、私は小学生のころから性格や嗜好が変わっていないというのがよくわかる。私は、子供のころから団体行動が嫌いで、自分のペースで楽しく暮らすのを夢見ていたんだ。

 だんだんと、ドリトル先生が読みたくてたまらなくなってきた。今、手元にはドリトル先生シリーズは置いていない。娘のためにも、私のためにも少しずつそろえようかな。

*この夏祭りは、地域の自治会の連合組織が行っているもの。娘の保育所も輪投げの夜店を出していて、私も売り子をした。古本市は、各家庭の不要な本をただで集めて売るので、大人の本は20円、子どもの本は10円とものすごく格安で販売される。こんなに気軽に本を買える機会ってなかなかない。嬉しくてついつい何冊も買ってしまう。

**この時期にコバルト文庫に出会えたことって本当に幸せなことだったように思う。今はやりの「恋空」とかと違って、軽すぎず重すぎない物語が多く、思春期の女の子にとって身近な話が多かったように思う。性描写はほとんどないし、反社会的な傾向もなく、病的でもない。といって、先生方がおすすめする名作全集ほど硬くないし、女の子はかくあるべきという教条主義でもなくて、面白かった。私はコバルト文庫を読むことって、現実逃避であるのと同時に自分を見つめなおすきっかけになっていたようにも思う。20年ぐらい前にコバルトを読んでいた世代であれば、久美沙織さんの「創世記」が面白く読めると思う。最近氷室冴子さんの訃報を聞いて、本当に悲しかった。お悔やみを申し上げたい。

|

« ところが全てが夢なわけでもないし | トップページ | 先生になるということ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ところが全てが夢なわけでもないし | トップページ | 先生になるということ »