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2008年10月

2008年10月30日 (木)

関西弁って便利

 私は関西出身ではないので、いまだに関西弁の使い方がへただ。

 その点、娘は小さい頃から保育所でネイティブな関西弁に囲まれて育っているので、関西弁が上手。何が上手かというと、つっこみが上手なのである。
 例えば、誰かがちょっと面白いことを言った時に、娘は自然と「何でやねん」と言う。誰かが普段と違う何かをしている時も「何してんねん」と言う。このつっこみを入れることで、会話がスムーズにポンポンとすすむ。多分、娘はあまり意味を考えずに反射的に言っている。
 関西出身者以外にとって、この反射的な「つっこみ」って難しい。関西弁以外で言うときっつく感じるのだが(例えば「何を言っている?」とか「何をしているの?」だと問い詰めているような感じがする)、関西弁で言えば愛がある言葉かのように聞こえるから不思議。

 あと、「知らんけど」というのはすごく便利な言葉。ちょっと不確かであるけれども何かを言いたいとき、言葉の最後に「知らんけど」と付け加えるだけで、発言者は責任を回避できる。聞いた方も、多少不確かかもしれないけれど、何らかの情報を得ることができる(というのは大げさか?)。あとはちょっときつめの発言をした後とかに付け加えれば、相手も「知らんのかい!」と突っ込める。
 この「知らんけんど」はついつい多用してしまうのだが、オットに「うわー、大阪のおばはんがおる」と言われてしまうので、頻繁に使うのは要注意。

 関西弁って場の空気を緩める力がすごいと思う。まったく面白くない話でも、つっこみで落としてしまえばまるで面白い話かのようにすることができるし、きつい言葉もきつく聞こえないように緩めることも簡単にできるし。他の方言にはあんまりない特質のような気がする。外部者からみて、関西弁はなかなか興味深い。

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2008年10月27日 (月)

雑草のように育った

200810061652  私は結構母親にダメだしをくらって育った気がする。

 私は中学生の頃から比較的勉強ができる子であったのだが、母親に誉められた覚えがない。成績が上がったという理由で親に誉められる友達の家が羨ましくてたまらなかった。多少成績が上がったとしても、「あなたは努力しているからできるのであって、やらなくなったらできなくなるよ」とか「勉強だけできてもダメよ」と脅される。かといって下がったら下がったらで「そんなんじゃ大学に入れない」とけなされる。だから私は高校入学以降の成績を親に見せたことがない*。大学も「地元の国立大学、下宿したいんだったらそことはある程度の差があるところじゃないとダメだ」と言われた。地元に残りたくなかった私は、必死で勉強して、そこそこ偏差値の高いそこそこ有名な大学に入った(つまり私は大学を偏差値だけで選んだのです**)。大学を自由に選択できる友達の家が羨ましかった。

 大学の学部を選ぶ時も「文学部に行きたい」と母親に話したところ、「そんな遊びに行くようなところに行かすお金はうちにはない。もっと社会ですぐに役に立つ勉強をするところにしなさい」と言われた。そんなわけで私は具体的な仕事のイメージがしやすい「土木」を選んだのだった。母は田舎の人であったので、文学部に対して誤解をしていたのだと思う。実際は文学部に行っていた方が、地元の銀行とか教師とかお固くて家庭と両立しやすい仕事につくことが多いのに。親のアドバイスに従った私は、いまだにふらふらと大学院生をしているよ。今となっては、土木を選んだのは、私の気質に合ってなかなか良い選択だったと思うので、母のアドバイスには感謝している。 

 というわけで、私はダメだしに対して、耐性がある。雑草みたいなものだ。ダメだしを受けた時はかなり落ち込むのだが、その後は気を持ち直して頑張ったりする。先日もある先生に研究に対してダメだしをくらって、ものすごく落ち込んだ。頑張っているつもりなのに全然評価してもらえていないし、「全然考えていない」とか言われてしまう。でも、数日たつと沸々と怒りがわいてきて、「何でわかってくれへんねん、絶対にその先生にわかってもらえるしてやる!」という気になってきたし、もし先生がわかってくれなくても学会で認められるようにすれば認めざるを得なくなるので、がっつり査読論文を書こうという気になってきた。

 でも、時々、大学生の中にダメだしに対して耐性がなくて、学校に来なくなっちゃったり、研究を放棄しちゃったりする子がいる。弱すぎる。そういう子達は結構勉強はできたりする。しかも素直で人柄もよかったり。手塩にかけて育てて、世の中的には優秀と言われる大学に入ったのに、何かのきっかけでポキって挫折ちゃうなんて、この子の親は思ってもいなかっただろう。一方、私なんか、親にあんまり期待されていなかったし、適当に育てられた気がするから図太く育っている。代わりにちょっとひねくれていたりもするし、いつまでたっても自分に自信がなかったりするけど。

 子どもの教育って本当に難しいと思う。何がよいのかよくわからん。自分はあんまり親に誉められた覚えがないから、娘は誉めて誉めちぎって育てたいし、子どもの自由を尊重したいと思っていた。でも、さじ加減が難しくて、なかなか実践できていない。勉強もできて人柄もよいのだけれど、何だかか弱い大学生をみていると、どうやって娘を育てればよいのか迷う。

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 母親について否定的なことを書いたので、少し補足。
 大人になって思うのだが、うちの母親は、「大事なことはいちいち言葉にしなくてもよい」という思いの人のようだ。「あなたのことを信じている」とか「好きだ」とか「期待している」とか、そういうことは一々伝えなくても分かっているだろう、って思っていそう。母親は私の一つ一つの言葉にダメだしをしていたのは、「思いつきじゃなくもっとよく考えなさい」という気持ちがあったのかな、と今となっては思う。子どもの頃は母親に一つ一つ否定されるのが結構つらかったし、つまらなかったけれど、今思い返せば一度私がやると決めたことに対しては、ほとんど口も挟まないし、支援もしてくれている。私は関西弁でいうところの「へんこ」に育ったかもしれないけれど、母親の教育方針は大きくは間違っていなかったと思う。

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*高校生で親に成績表を見せないのはやりすぎだと思う。何でうちの親はそれを容認していたのだろう? だが、大学生になれば成績表を親に見せないのはあたり前だと思っていたのだが、私立大学の中には親に成績表を送りつけるところがあるらしい。親御さんは確かにスポンサーとして学費を出してくれているかもしれないが、大学の成績が親御さんには何の関係があるというのだ? 大学生になったらいっぱしの大人なので、成績の結果の責任は本人に帰属するはずだ。そうやって大学生を子ども扱いするのは良くない。

**偏差値が高い大学ほどよい大学ではない、という事実は当たり前のようで、意外と知られていない。確かに偏差値の高い大学の方が、よい先生たちが揃っていたり、国からの研究を多く取得していたりして面白い研究をしている傾向はある。だが、地方のそれほど偏差値の高くない大学でも、よい先生さえいれば、面白い研究をしているのだ(例えば鳥取大とか岡山大とか岐阜大とかは、大学のランキングでそれほど上位にこないが、土木計画に関しては面白い研究をしている気がする)。大学で何がやりたいか明確になっているのであれば、高三の一年間を受験勉強という非生産的な活動に時間を費やすよりも、自分がしたいことができる大学を探して入ったほうがよいと思う。

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2008年10月26日 (日)

恋してるとか好きだとか

 最近、デザイナーの川崎和男さんのことが好きだ。もう少し正確に言うと、相手のことをよく知らないのに、勝手に一方的に見つめている感じ(恋みたいな感じです)。

 オットはMacPowerの読者であったため、以前から「川崎和男さんというデザイナーは面白い」という旨の話を私にしていたのだが、それほど興味をもって話を聞いていなかった。だが、彼が大学でやっている授業にもぐりで行って以来、彼のことが好きになった(百聞は一見に如かずだね。オット、ごめん)。授業を聞きに行った理由は、単に有名人の授業を聞いてみたいというだけだったのだが、彼の考え方、生き方にすごく感銘を受けたのだ。

 川崎氏に強く惹かれる理由は主に三つある。

 一つ目は、彼が強い意志を持っていること。
 彼はデザインの力を信じている。デザインは未来を変えるというし、デザインにしか未来を変えれないという。こんなに強く自分がしていることや自分が作り出したことに自信を持っている。こんなに明確な意志を持っている人って、いるようでいない。

 二つ目は、自分の言葉を持っているということ。
 たとえば、川崎氏は大学で学ぶことは2つしかないという。「創る」ことと「探る」ことである。こんなに明快に大学の本質を言葉で聞いたのは初めてかもしれない。一般に、大学の先生方は、大学で何を学ぶべきかということをおっしゃられない。なぜなら彼らは「そんなことは各自で考えることだ」と思っているからである。だが、明快な言葉は力強く、浅学の者たちを導く道しるべになる。
 また、彼は自分のデザインに対して、かなり能弁だ。編集家の松岡正剛氏が「言葉を重視するデザイナー」と書くぐらい、川崎氏は能弁である。なぜこのようなデザインにしたのかという背景や考え方を事細かに話す。その考え方はデザイナーだけでなく、有形・無形のさまざまなものづくりに関わる人々にも生かすことができる。

 三つ目は、"Think globally, Act locally"を実践しているところ。
 川崎氏は自らの出身地の北陸の地元企業との共同開発を多数行っている。例えば福井市の増永眼鏡や武生市のタケフナイフビレッジ、EIZOで有名な白山市のナナオなどである。世界に通用するものを小さな地方都市から発信し続けるということは、スローガンとしてはよく言われることだが、なかなか実現できることではない。川崎氏が福井市の出身であることを誇りに思うし、地元の産業を盛りたてていることに対して感謝の念を抱いている。
 彼の言葉は訛っている。福井訛りだ。私は彼は訛りが抜けきれないのだと勘違いしていた。でも、そうじゃない。地元の企業や職人とコミュニケーションをとるために、あえてそうしているようだ。武生の刃物職人とのエピソードを読んで、なんて美しい話なんだろうと感動した。

 多分、私のこの恋は、しばらく続く。今度、実家に帰った際には、増永眼鏡でKazuo Kawasaki Ph.Dの眼鏡を買い、タケフナイフビレッジを訪れてみたい。それに、川崎氏がデザインについて書いている本も集めようと思う(読みたい本は増え続けるばかりだ。最近積読になりがち)。

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2008年10月24日 (金)

地球のみんな

200810061645  最近、あるイベントで大きなスヌーピーのぬいぐるみをもらった。娘はかなり気に入ったようで、添い寝をしたり、一緒にテレビを見たり、家じゅうを連れまわしている。あんまり仲良しなので、
 「お母さんととスヌーピーのどちらが好きなの?」と「仕事と私どっちが大事なの?」と詰め寄る超うざい彼女ばりに聞いてみた。

 すると「地球のみんなが大好き」という突き抜けたお返事が。いや、そんな博愛主義的な答え望んでいないし。本当はお母さんと答えてほしかったのに、思わず笑ってしまった。どこで、地球のみんななんていう言葉を覚えたんだろう?

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 でも、娘は地球のことをちっとも理解なんかしていない。

 先日、保育所の帰りにお月さまを見て「あ、お月さまだ」とか言ったそばから「はっちーも地球に行きたいなー」と謎の言葉。「地球って?」と聞きなおすと、「あのお空に見えるのが地球」とかいう。「あれはお月さまだってば。あなたが立っているここが地球よ」といっても分かってくれない。

 きっとテレビが何かで、宇宙から見た地球の写真を見て勘違いしているんだろうけど、じゃあ、地球のみんなが好きというのはどういう意味なんだろう?考えると頭が痛くなってきた。

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写真:21世紀美術館のミュージアムショップで買ったモビール。猫が高いところから落下するところ。くるっとひっくり返って着地しているよ。

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2008年10月11日 (土)

よろしくない

 先日、美容院で髪を切った。最後に美容師さんに「これでよろしいでしょうか?」と聞かれたのだが、鏡に映った自分を見て

「全然よろしくないよ。あなたの仕事は問題はないけれど、髪型を変えてもすごくおばさんっぽいし、顔がすごく大きく見える。よろしくない、よろしくない」

と、心の中で呟いてしまった。もちろん、美容師さんには「これでかまいません」と笑顔で返したけれど。

 最近、美容院に行っても全然楽しくなくなってきた。その原因の一つに大きな鏡を見るのが怖いというのがある。想像の中の自分と実際の自分に乖離があるのは昔からだが、それがどんどんひどくなってきた。森茉莉は、晩年は老いた自分の姿を見たくなかったので、家の中に鏡を置いていなかったという。森茉莉のような芸術家であれば妄想の世界に浸っていればよいのだけれど、凡人の私は自分を客観視するためにも自分がどう見えるのかちゃんと意識しないといけない。ちゃんと自分のことに気をまわそう。痩せよう、髪や肌の手入れをちゃんとしよう。

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2008年10月 4日 (土)

ドボジョ

 先日、何かのきっかけで、I先生と昔の学生の思い出話になった。

 I先生曰く、私たちの学年の6人の女子学生は、1人1人が個性的だったそうな。他の学年は、見分けがつかない学生がいたり、忘れてしまった学生もいるのに、うちの学年は1人1人の個性が今でも全員思い出せるそうな。

 まあ、そうでしょうね。薄々感じてはいたけれど。たぶん、今土木に入ってくる女子と私らの時代の女子とは違っているのが主要因かと思う。

 私らの上の世代って土木女子は学年に0人か1人だった。私たちの世代は入学の時点で、クラスに女子が1人でもいいやという気持ちで入ってきたと思う。そこが一番大きな違い。

 それなのに、入学したら、思いのほか女子が6人もいた。

 私たち6人はもっとたくさん女子がいれば、全員ばらばらのグループに入るぐらい共通点が少なかったような気がするけれど、そのバラバラな感じがかえってサバサバしていて居心地がよかっ。たぶん、クラスタ分析したら、全員別のクラスタに入るよ(って、つまんない統計用語使っても誰も理解してくれませんけどね)。で、こんなにみんなバラバラな性格なのに、良くも悪くも、泥臭いところがあったり、大雑把な感じがするのは共通していたように思う。

 ちなみに、私は6人の中では一番ぼーっとしているキャラだった。どのくらいボーっとしていたかというと、モテ系のMさんから「不思議ちゃんだと思っていた」というメッセージをもらっちゃうくらい。袖の長いシャツを着て行ったら、右手と左手を結ばれていじめられるくらい。

 最近入ってくる土木女子って、すっごく普通のお嬢さんばっかりだなー、と思う。みんなかわいくて、そこそこ賢くて、要領よさげで。そういうお嬢さんを見ていると、土木も普通の業界になってきたんだな、と思ったりする。山の神様が怒るから、現場に入れてくれない、という世界じゃなくなったんだ。良くも悪くも、普通のお嬢さんが普通の覚悟で入ってくる業界なのかも、今の土木は。

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