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2009年1月

2009年1月31日 (土)

気づくのはいつでも過ぎたあとだろう

 学生生活もあと1年強。論文も書かないといけないけれど、そろそろ就職のことも考えよう。ということで、先日、博士後期課程在学者を対象としたキャリアセミナーに行ってみた。そこで、日本の博士号取得者には欠けている能力が2つあるという話が出た。

ひとつは、プロジェクトをマネジメントする能力。
もう一つは、コミュニケーション能力。自分の研究をプレゼンして、資金をとってくる能力。

 ああ、ああ、よくわかりますよ。イタイところを突かれている感じ。これは先生方にも問題があるし、学生側にも問題がある。
 先生方の多くは、研究者というのは徒弟制度のようなものだと考えているので、研究者の育成のために特別何かをしなければならないとは考えていないふしがある。一方、学生側も、大学までの受け身型の教育に馴れすぎていて、自らプロジェクトを動かすという意識が薄い。
 現状では、研究者になれるかどうか、博士後期課程を充実して過ごせるかどうかは、入学してきた人間の才能に大きく依存している。才能のある人間以外は研究者になるべきじゃないというのも一理あるかもしれないのかもしれないが、博士後期課程で過ごす時間、投入されるお金(学生が払う授業料だけでなく、公立大学であれば間接的に投入される税金など)がもったいない気がしてならない。

 ええと、こうやって、愚痴っていても仕方がないので、とりあえず、博士後期課程に入ってしまった人間は、どうすればよいのか、っていうのを考えてみよう。
 社会学に近いような研究をしている人間であれば、とりあえず、自分のフィールド(先生が主になっているんじゃなくて、自分が主にならざるを得ない現場)に出てしまうというのも一つの手。現場の多くは、何かしか課題を抱えているし、それを解決しようすると何かしかのプロジェクトを動かさないといけなくなるから。
 あと、研究助成もできるだけたくさんの申請するとよいような気がしている。RA(Research Assistant)をしていれば、科学研究費にも申し込めるし(学術振興会の特別研究員も申し込むべき)。民間でも、若手が取りやすい助成金も多い(UMINの研究助成公募情報にたくさん公募情報は載っている)。もし、助成金が取れなかったとしても、申請書の書き方の練習になる。実際に助成金がとれれば、自分が自由に使える研究費ができるし、何かのプロジェクトを動かさないと助成金の報告書も書けないから。

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 何にせよ、最高学府の大学院、しかも博士後期課程を修了したのに、能力がちゃんとついていないという現状は由々しきことだ。さらに、博士後期課程を修了した後に「高学歴ニート」になっちゃう人も多いという話を聞いて、凹む凹む。

 ここ(日本に起業家が少ない理由)にも書いてあるけれど、高学歴ニートになっちゃう人たちは、自己抑制キャパシティが小さい。かといって、社会適応スキルも高くないぞ、きっと。

ちなみに、自己抑制キャパシティというのは、

23才から60才過ぎまで40年間、毎日1時間以上をラッシュの地下鉄でぎゅうぎゅうにもまれる人生に「耐えられるか」とか、
同じく雨の日も雪の日も二日酔いの日も子供が病気の日も気温が40度の日も「ネクタイにスーツジャケットに革靴」でそういう電車に乗るっていう生活に「耐えられるか」と。
超くだらんことをいう、いかにも能力も時代への適応力もない上司が自分の倍の給与を貰っていても「まあそんなもんだ」と納得し、自分がそういう立場になるまで「20年間待てるか?」とか
(以上、日本に起業家が少ない理由から引用)

ということ。

 あー。わかるわかるよ。少なくとも私は自己抑制キャパシティが小さいよ。
 そういう不条理なことに耐えられないから、10年前公務員試験を受けるの止めたんだよな。やってられるか!!(゚ロ゚屮)屮って。会社員生活も3年しかもたなくて、会社員生活をオットに押し付けてしまっているよ。能力があれば起業家の道もあるのかもしれないけれど、私にそういう能力はないような気がするしなー。高学歴ニートの道はすぐそこかもよ。((((;゜д゜)))ガクガクブルブル。あははははは。

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2009年1月25日 (日)

演劇のようなライブ

 前々回の日記の補足。

 ソラネコのライブはすごい。ライブのイメージをくつがえされる。

  私が初めてソラネコさんを知ったきっかけは、はじめにきよしのきよしさんとはたさん(ソラネコのボーカル)のユニット「はたき」のライブを見に行ってとき。このときのはたさんのイメージは、カレー男の歌とかおもしろい歌も歌うけれど、伸びやかな声を持つかわいらしい方だな、という感じ。
 で、その時にもらったフライヤーをみて行ったソラネコのライブがめちゃめちゃ面白かった。もうだいぶん昔になるので、うろ覚えだけれども、紙芝居に合わせて演奏をしたり、影絵があったり。パーカッションには空き缶がついているし、子どものおもちゃを楽器に使ったり、にぎやかな曲ではみんな飛んだり跳ねたりしているし。衝撃的だった。バンドで、こういう表現の方法があるんだって考えもしなかったから。

 先週家族三人で見に行った「ソラニセイザ」は、ソラネコのうたと落語家の桂三金さんの落語が聞けるというすごくお得なライブ。しかも入場料は投げ銭なので、自分が満足しただけ払う。場所は高槻の南風楽天というステージがあるご飯屋さん(ご飯もめちゃめちゃおいしかった)。
 久々に見るソラネコさんのライブは、やっぱり面白かった。見ていて、引き込まれる。シャボン玉とともに登場だし。「ギヤマン」というタイトルの歌紙芝居、うちの娘は吸い込まれるように見ていた。はたさんのわきカスタネットもすごかった。途中でカスタネットのソロパートがある曲があって、なぜかはたさんはカスタネットをわきにはさんで叩く。会場からは「わき!」「わき!」のかけ声。うわー、何これ、すごいわ。面白すぎて涙があふれた。
 三金さんの落語も素晴らしかった。当たり前なんだけど、本当に話が上手で、話の先が見えても面白い。大喜利の進行もすばらしくて、三金さんのつっこみが入ることで、面白くなる。
 最後は、ソラネコと三金さんと一緒にキラーチューン「けものちゃん」を演奏。三金さんは箱の形をした打楽器を演奏された。今まで4,5回ソラネコのライブに来ていると思うのだけど、毎回「けものちゃん」はすごく盛り上がる。うちの娘は、はたさんの「踊っていいですよ」という言葉を真に受けたのか、椅子の上に立ち上がって、ノリノリで踊り続けていた。わたくしはうちの娘のこういうノリのいいところが好きだ。というわけで、本当に本当に楽しいライブだった。


本に、「プラスチックワード」と「安心社会から信頼社会へ」を追加。一つの記事に書こうと思っていたのだけれど、なかなかうまくまとめきれなかった。だから、とりあえずのメモ。読んだ本の内容を次から次へと忘れてしまうので、もっとメモを活用しようかと思う今日この頃。(このブログは、ワールドワイドに公開している私のメモ帳ですから)

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2009年1月24日 (土)

こどもの歌 その2

 親バカなので、娘が歌う歌が好きだ。保育所の行き帰りやちょっと元気がない時、娘に「歌ってよ」とお願いする。

 以前も書いたのだが、娘はまだ文字が読めないのと、語彙が少ないのがあって(勝手に自分の知っている言葉に置き換えるので)、歌詞の覚え間違いが多い。で、それをそのまま、外れた音程で歌うので、とっても面白い。

 以下の歌は、最近娘が歌う歌で間違っているもの。些細な間違いなので、きっと記録しておかないと忘れてしまうので、ここにメモ。

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note「涙そうそう」の歌いだし
(◎´∀`)ノ ふーるい あーるい ゆーめのなか(本当の歌詞は「古いアルバムめくり」)
 あーるいって何だ?しかも夢の中って歌詞をねつ造しているし。多分、私以外は彼女がこの歌を歌っていても、何の歌か認識できない。

note「memories」のサビの部分(映画「パコと魔法の絵本」の主題歌)
(◎´∀`)ノ 君がカギをかけた おいでの たからばこ(本当の歌詞は「君が鍵をかけた思い出の宝箱」)
 何が入っている箱なんだろう?箱がおいでおいでしているの?

note「羞恥心」のサビの部分
(◎´∀`)ノ しゅーちきん しゅーちきん おれたちはー(本当の歌詞は「羞恥心」)
 羞恥心がシーチキンみたいになって格好悪くなっている。

note「陽は、また昇る」のサビの部分
(◎´∀`)ノ がんばれ にっぽん、すばらしにっぽん (本当の歌詞は「すごいぞ日本」)
 まあ、意味はだいたい合っているんだけど。なぜ古語になるんだ?

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2009年1月19日 (月)

ソラニセイザ

200901181831200901181832  とりあえずの感想。

 4年ぶりのソラネコライブ。
 脇カスタネットとか、音楽紙芝居とか、桂三金さんの落語とか、大喜利とか、おいしいご飯とか盛りだくさん。
 一番よかったのは、キラーチューン「けものちゃん」に合わせて踊り狂ううちの娘。
 楽しかったなー。ほんまに。ドーパミン出まくりです。

 (また、後日、付け加えます。)

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2009年1月18日 (日)

十五歳の原点

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 アンジェラ・アキさんの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」を繰り返し繰り返し聴いている。この曲、NHKのみんなのうたでも流れていたようなので、娘が大好きなのだ。この歌詞に、「消えてしまいそうな時は、自分の声を信じ歩けばいい」というのがあって、ふっと中学生の頃に書いた啓発録*を思い出した。

 福井では、地元の偉人であるところの橋本左内氏にちなんで、中学2年生(数えで十五歳)の時に一人ひとりが自分なりの啓発録を書く。

 私の啓発録のタイトルは「自分らしく生きる」だった。内容は、異端審問を受けたあとも「それでも地球は回る」と言い続けたガリレオ・ガリレイのように、自分が確かだと思うことを信じて生きて行きたいというようなもの。誰が何と言おうと、自分のことを信じて生きて行くべきって。(わざわざガリレオを持ち出しているものの、科学的真実と意志の強さを取り間違えていた感じがして恥ずかしい。)

 で、その後、立志式で、代表者が自分の啓発録を読み上げるのだが、なぜだかよくわかないが私が選ばれてしまった。

 数百人を前にして、スピーチをするというプレッシャーで、私は自家中毒**をやからした。自家中毒というのは、ストレス性の嘔吐症。前日には病院で点滴を受け、立志式の直前まで保健室で寝込んでいた。今思い返すと、自家中毒にかかったのは、自分自身と自分が書いた啓発録の内容が乖離していたので、それを他者に聞かれるのが嫌で嫌で仕方がなかったんだろう。当時の私は、自分自身に自信がなくて、人の目を気にしていたし、他者と自分の違いにばかり気を囚われていた。そんな私が「自分らしく」生きたいと語るなんて、他人におかしいと思われるのではないかと思ったのだろう。

 肝心の立志式はさっぱり覚えていないのだが、たぶん、問題なく発表したようだ。で、きっと、他人は人のことなんて大して気にしていないということに気づいたんじゃないか。立志式が終わった後に、啓発録の内容について聞いてくる同級生なんて一人もいなかったから。その後も私は相変わらずの自信のない人間だったけれど、少しずつ、他者との違いなんてどうでもよいと考えるようになった。

 橋本左内先生ほど立派ではないが、私の啓発録はやっぱり私の原点なんだ。三十歳を超えても、自分に自信があるわけじゃないし、きっとこの自信なさ加減は一生治らない。でも、少しずつ、信じるべき自分を模索し続けている。

 というわけで、啓発録、立志式は面倒なんだけど、なかなか良い通過儀礼だと思う。福井だけでなく、日本全国あちこちで行われるようになったらしい。娘にもぜひ啓発録を書いて欲しいし、我が家で個人的に立志式をするのもいいかも、と思ったりする。

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**啓発録は、橋本左内先生が15歳の時に、自分を勇気づけるために書いた自己の行動規範を五項目に渡って記したもの。稚心を去る、気を振う、志を立つ、学に勉む、交友を択ぶの5つの事項について書かれている。15歳の時に、こんなことを書くなんて、ほんまに立派な人だ。

*自家中毒とは、10歳ぐらいまでの子どもがかかる病気である。自家中毒を治すのは、ストレスの原因を取り除くこと。ストレスの原因がなくなれば、ケロッと治る。私は子どもっぽいせいか10歳を過ぎた後も、何回も自家中毒を繰り返していた。うちの娘も自家中毒をやらかさないか心配。おおらかそうに見えて、意外と神経質なところがあるから。うちの母は、いまだに「人前で何かやる度に自家中毒をおこしていたあなたが、学会で発表したり、授業をしたりするなんて不思議」と笑う。


写真:数年前に植物園で撮ったキヌガサダケ。かさの部分がレースになっているキノコ。かわいい。中華料理では高級食材だとか。

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2009年1月17日 (土)

アクセントが崩壊している

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 同音意義語の発音が区別ができない。耳で注意深く聞けば違いはわかるが、単語だけ発せられると何を言っているのかよくわからない。私にとって「橋」も「箸」も「端」もみんな同じだ。もちろん、「八」も「鉢」も「蜂」も一緒。「雲」と「蜘蛛」、「一語」と「苺」、「歯医者」と「廃車」、「型」と「肩」も。どうやらアクセントの場所が違うらしい、という知識はあるのだが、よくわからない。話していて、同音異義語が出て来た時には、文脈で何となく判断するか、「お空の雲」、「虫の蜘蛛」とか言葉を付け加えないと分からない。これは、私がおかしいのではなく、出身地であるところの福井県福井市の訛りが問題なのだ。

 少し調べると、アクセントがなくなることを方言学上で崩壊アクセントというらしい。崩壊ってなんか大げさだ。崩壊アクセントを使用している地域は福井だけでなく全国各地にあるらしい。で、思っていた通り、福井県では福井市周辺で崩壊アクセントが使われているが、他の地域では使われていない。福井は変わったところで、福井の中心部が一番訛っていて、山間部にいけばいくほど訛っていないのだ。

 そういえば、小学校の国語の教科書に、アクセントについて書いてある部分があったのだけれども、さっぱり意味が分からなかった。先生もその箇所をスルーしたような気がする(先生も福井出身者だったので、あえてスルーしたのかも?)。

 たぶん、うちの娘も崩壊アクセント話者になりそうな気がする。オットが時々「違うやろ」と指摘するけれど、私にはどうも何が変なのか分からない。娘は私と一緒にいる時間が長いので、ずっと分からないままかもしれない。少し申し訳ないけれど、仕方がない。


写真は福井市内で走っている“すまいるバス”。商工会議所が運行していて、なかなか好評で、いつ見ても利用者がいっぱい。コミュニティバスとしては、成功している方だと思う。


耳の栄養に、「にほんごであそぼ」「J-POP」、「GAME」、「Routine Jazz 06」を追加。どのアルバムも、現在私の中でヘヴィーローテーション中。

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2009年1月12日 (月)

Kazuo Kawasakiの眼鏡

200901071825  年末に福井に帰省した際に、Kazuo Kawasaki Ph.Dの眼鏡を購入。

 福井北の庄通りの増永眼鏡にて購入したのだが、ここの店員さんが素晴らしくよかった。年配の方と若い男性の2人(たぶん親子かな?)でお店を切り盛りされているのだが、私たちがふらふらと眼鏡を見ていると、一つ一つ丁寧に説明をしてくれた。眼鏡を決めた後も、ものすごく丁寧に目の検査をしてくれ、顔や鼻梁の大きさもしっかり計測してくれた。眼鏡のツルの色やレンズの形も実物を山ほど見せてくれて試させてくれたし。お店の人が眼鏡のことを大事に思っていて、お客さんに良い物を購入してもらいたいという気持ちが伝わってくる感じがした。買い物の後に桃の香りのする紅茶も淹れてくださって、これもすごくおいしかった。人の温もりを感じる買い物だった。ちょっと高かったけれど、私は本当に良い買い物をしたなーって幸せな気持ちになれた。

 購入したのは、ペイリンさんと同じ形のもの(流行にのったみたいで恥ずかしいけれど、一番気に入ったのが結局これだったのだ)。フレームがなくて、つるがレンズにクリップみたいに刺さっている。ネジが使われていないので歪みが生じにくく、鼻や耳にかかる圧力が小さくなるように設計されているとのこと。チタン合金を使っているのでとても軽いし。ミニマムなデザインで、かけていても眼鏡があんまり目立たなくていい感じ。しかも長時間かけていても、全然重くならない。素晴らしい。

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2009年1月11日 (日)

ホームコンサート

 先日、娘の保育所のお友だちのSちゃん宅のホームコンサートに行った。
 Sちゃんパパはチェロ、ママはヴィオラの演奏家。この日はサックスの方もお迎えして、トリオによる演奏だった。"ホーム"コンサートなのに、20人ぐらいお客さんが来ていた(20人入るっていうのがすごい)。

 コンサートはお正月らしく「春の海」からスタート。チェロ、ヴィオラ、サックスという編成で聞く春の海は、新鮮で面白かった。サックスの優しい音色が心地よかった。

 で、次は現代音楽。
 現代音楽は、作曲家の説明の後、聞いた。現代音楽って面白いなぁ。全然快くない。むしろ不快、それが面白い(というか、ホームコンサートでこんな曲を聴くなんて思ってもいなかった)。メロディらしいメロディもなくて、弾くのがめちゃめちゃ難しそう。作曲家の方によると、もともと日本の文化にはノイズや余白を楽しむという価値観があって、それを曲の中に入れてみたかったとのこと。

 最後は、バッハのゴールドベルク変奏曲。これはすごく気持ちよくて、素敵な曲だった。Sちゃんパパの説明によると、ゴールドベルクさん14歳が、不眠症に悩む伯爵のためにこの曲を演奏したという逸話があるので、ゴールドベルク変奏曲という名前が付いているとか。でも、そんなに眠気を誘うような静かな曲でもないし、かなり高度な技術が必要なので14歳には弾けないだろうから、そんな話は嘘だろうとのこと。

 コンサートもよかったのですが、Sちゃん宅自体もすごく面白かった。
 中古マンションをいじり倒している感じ。壁も天井もとっちゃって、床も渋い色の古材を張り直している(しかも、土足!)。壁なんか黒く塗ってあって、子ども部屋は緑色。トイレも黒で、便座も黒かった。
 部屋にはかっこいいものしか置いてなくて、すっきりしている。生活していると自然と出てくる雑多なものが存在しない。たとえば子どものおもちゃとか、新聞とか、テレビとか、そういうもの。
 Sちゃんパパは「最近、生活感がでてきて。。。」というようなことを言っていたけれど、小さな子がいる家で、あれほど生活感がない家も珍しい。
 いいなあ、私も家を買ったらああいう家にしてみたい。それにはセンスと多少のお金と手間暇がいるよなあ。

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2009年1月10日 (土)

福井の食べ物

 年末に帰省した際に、福井ならではの食べ物を2つ購入した。

200901021806 ひとつは越前茶。福井のお茶って、お茶っぱに炒った大豆が混ぜられているのがデフォルトなのだ。大豆が入っていると香ばしいお茶になる。三國屋善五郎で購入したのだが、このお店の説明によると、福井県の嶺北地方でしか飲まれていないらしい。あんまりにも当たり前すぎて、今まで福井以外で大豆が混ざっているお茶が売られていないことに気づいていなかった。

200901031821  もうひとつは、水ようかん。福井以外の人は、冬に水ようかんを食べるのは奇異にうつるらしい。だが、私は正月に水ようかんを食べないと、正月が来た気がしない。福井では、冬になると水羊羹がスーパーで山積みになって売られている。夏場に売られている水ようかんに比べて、寒天が少なくて、つるつるっと口の中に入る感じ。私のお気に入りは、江川の水ようかん。黒砂糖の味がして、すごくおいしい。

 どちらも名物というには少し地味な食べ物。でも、福井以外ではなかなか手に入らない。通販すれば手に入るのは分かっているのだけれども、地のものはできるだけその土地で買いたい。だからこそ、帰省だとか旅行だとか遠方からの人の訪れが楽しみになる。便利さは短期的には幸せ感を増すかもしれないけれど、長期的には幸せ感を減らすような気がする。

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2009年1月 8日 (木)

チョーさんをいつも見ていた

Tn_inai  ごくごくつまらないことだけれども、発見して興奮したこと(しかも、幼児を子育て中の人しか分からないネタ)。

 「たんけんぼくのまち」に出ていたチョーさんは、いないいないばあの「ワンワン」の中の人なんだよ、みんな知ってた? 公式サイトに、ワンワンはお絵描きが上手と書いてあるのを見て、なおさら興奮。子どもの頃、チョーさんが書くたんけん地図がうらやましかったのよ。さらさらさらって上手に書くなーって。ワンワン、着ぐるみなのに小器用だと感心してはいたけれど、特に好きでも嫌いでもなかったのに、なんか好きになってきた。すごいぞ,ワンワン、がんばれワンワン。でも、子どもにはワンワンの中の人がいるなんて話はしちゃダメ。

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2009年1月 4日 (日)

明るくてきれいなディストピア

 ピクサーの最新作の映画「wall-e」を家族三人で見た。面白かった。2時間が本当に楽しかった。大人も子どもも安心して楽しめる上質の映画だった。ピクサーは本当に外れがない。主人公のwall-eもeveも無機質なロボットなのに、見ているうちに無性にかわいく見えてくる。ロボットをかわいく感じさせるのは、やはりCGで細部に至るまで作り込まれているせいだと思う。名作のパロディも散りばめられているのも楽しい。

 未来の姿が描かれているのが、これが見事なディストピア。今まで映画に描かれて来たディストピアは、マトリックスブレードランナーのように暗くて憂鬱なイメージの世界なのだが、wall-eに描かれているディストピアは明るくて、美しくて、とりあえず誰も不幸じゃない。ミクロ経済でいうところの効用の最大化だけを考えていったら、こういう世界になるんじゃないかな。資本主義の最先端の実験を繰り広げているアメリカはやっぱりすごい。こういう映画を作っちゃうんだから。

 娘もwall-eを気に入っているようで、映画の中のロボットの声を真似て「ウォーリー」とか「ガイライノ、オセンブッシツデス」と口にしては喜んでいる。きっと、娘は大きくなってこの映画を見直したら、全然違うメッセージを読み取ることができて、面白く感じるんじゃないかな。

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 脳のこやしに、パーサ・ダスグプタ:経済学、矢作 俊彦: ららら科學の子を追加。

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2009年1月 3日 (土)

十牛

200812201767

 干支が牛だったので年賀状に「十牛」を使おうと思っていたのに、すっかり忘れていた。

 「十牛」とは、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの。十枚の絵とは、1.尋牛、2.見跡、3.見牛、4.得牛、5.牧牛、6.騎牛帰家、7.忘牛存人、8.人牛倶忘、9.返本還源、10.入鄽垂手の10枚。詳しくはWikipediaの十牛図の項をどうぞ。せっかく牛を得たのに、牛のことを忘れるっていうのが禅の考え方らしい。多分、謙虚になりなさいということなんだろうけれど、いまいちよく分からない。牛は、真の自己を喩えたものらしい。

 学生の頃所属していた茶道部に「十牛」の絵が描かれた数茶碗があって、お茶の師匠にその意味を教えていただいた。

 私はどうもいつまでたっても、入り口の尋牛あたりにいるような気がする。最近、どうにかこうにか人生の目標を見つけたよ、という感じ。時々、うっすらと牛の足跡が見えるけれど(見跡)、まだまだ牛を手に入れる段にはなっていないし(得牛)、ましてや牛に乗って家に帰るなんて(騎牛帰家)、いつのことになるのやら。その先の牛倶忘、返本還源、入鄽垂手なんて想像もつかないぞ。

 というわけで、今年もぼちぼち頑張ります。

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写真:牛ならぬ丸太に乗る娘。

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