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2009年2月 1日 (日)

北山の茶室住宅の話5-便利よりも不便の方が良い時もある-

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 いまさら思い出したように、北山の茶室住宅の話の続き。ニュータウンの団地生活も5年目になり、北山での日々が、時々夢のように思えてくる。

 北山の茶室住宅についての以前の記事はこちらからどうぞ。


 茶室住宅の生活は、自然と一体になった生活だった。

 自然と一体になっていた理由は二つある。一つは、茶室が一枚の障子で外で隔てられていただけなので、外と家の中の空気は限りなく同じだったこと。もう一つは、近くに怪談で有名な深泥池がある山の麓に立地していたことである。深泥池には太古から生き残りの生物がたくさん生息している。そのせいか、茶室住宅の周りは静謐な空気が流れていた。

 外の暗闇と静けさ、それらを家の中から感じることができるのは、茶室住宅の魅力の一つだった。私達が寝室として使っていた3畳の部屋(おそらく水屋だったと思われる部屋)には、大きくて素敵な丸い障子窓が付いていたため、外の様子をつぶさに感じることができた。ある夜、寝ようとすると、妙に外が明るい。庭の灯りを消し忘れたかと思い、外に出たら、空に見事な満月がかかっていたことがあった。落ち葉が落ちる音も、一つ一つ聞こえた。雨の音もよく聞こえた。家の中から雨のしずくを見続けるのも風情があった。

 冬場は家の中でも本当に寒かった。毛布を2枚と羽毛布団を使っても寒かった。朝はいつも凍えて目が覚めた。冬には、化粧品のオリーブオイルが凍っていた。娘が生まれてからは、赤ん坊が凍えていないかと心配になって、目覚めるとすぐ子どもが息をしているのを確かめた(結局、子どもが生まれてからは一冬も越さずに引っ越した)。

 湿度が高くて、気をつけていないと夏場にはいろんなものにカビが生えた。カビを防ぐために6リットルのタンクのある除湿機を購入したのだが、それでも間に合わなかった。朝、家を出る時に除湿機をかけていくと、帰ってくると6リットルのタンクがいっぱいになって止まっていた。洗濯物もなかなか乾かなくてかなり困った。

 梅雨には、庭に巨大な白いキノコがたくさん生えた。大きさは10cmぐらい。最初の頃はすごくびっくりして、抜いて捨てたりしてたが、生えたまま放っておいたら2,3日で消えていた。おそらくオニフスベだったのではないかと思う。オニフスベはそれほど美味というわけではないらしいが、食べようと思ったら食べれるキノコのようである。

 虫もたくさん出た。ごきぶりは、家のなかよりも庭でよく見た。ごきぶりを餌とする蜘蛛もたくさん出た。壁によく体長20cmぐらいの大きさの蜘蛛(たぶん、アシダカグモ)がいて、最初の頃はキャーキャー騒いでいたのだが、あっという間に馴れて平気になった。なぜなら蜘蛛は、刺したりもしないし、音もたてないから。出産直後に母が手伝いに来てくれたのだが、いちいちクモに騒ぐので、面倒くさかった。

 庭にあった御堂(という名の物置)には、ミツバチが巣を作っていた。ミツバチ自体はそれほど攻撃性が強くない。踏んだり叩きつぶしたりしない限り、刺されることはない。でも、ミツバチを襲いにスズメバチがよく来ていて、怖かった。スズメバチがすごい速さで顔の横を通り過ぎていったこともある。

 ムカデもよく出た。オットも私も1,2回ずつ刺された。ムカデに刺されると本当に本当にめちゃめちゃ痛い。ムカデは不意に天井から落ちてくることもあった。そういえば、虫だけでなく、野良猫がよく庭を通り過ぎていてた。一度だけ庭で猿を見かけた時があって、怖かった(猿も恐かったかもしれないけれど)。

 今はアルミサッシのついた団地に住んでいるので、家の中から外の様子はそれほど窺い知ることができない。冬になってどれほど寒くなっても、凍えて目が覚めることはなくなった。オリーブオイルだって凍らない。室内の湿度が異常に高くなることもなくなった。家の中で、あまり虫も見かけなくなった。でも、月が満月なのかどうかも気にかけなくなってきた。落ち葉の音はおろか、雨音でさえも家の中ではよく聞こえない。今の生活は、かなり意識しないと自然を感じることができない。茶室住宅は否応無しに自然を感じさせられる生活だった。

(しつこいようだが、茶室住宅の話は、あと2回ぐらい続ける予定。)

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写真は茶室で生活していた頃の様子。生活感あふれまくり。

少しだけですが、マイフォトにも茶室住宅の写真を追加。

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コメント

私も、「ほぼ外」の暮らしをしてみて、ぴかさんと類似の経験をしています。

月の明るさなんて、街灯のある街に暮らしていたときにはまったく気がついていなくて、月光に照らされた足元に、自分の影が伸びているのをみたときは、驚きでした。

虫も獣も菌類も植物も・・・常にうごめいていて、勝手に物質も循環していて、人間が全部を管理しなくても(というか、できないんだけど)、勝手に場がなるようになっていく様が、今では非常にここちよいです。
・・・この状態、うまく言葉で伝えがたいのですけれど。


投稿: ミキコ | 2009年2月 3日 (火) 11時26分

ミキコさん、いらっしゃいませ。

ミキコさんの暮らしとは比べ物にならないような気がします。
ミキコさん達、すごすぎるから。
でも、万物がうごめいて勝手に循環していく感じ、何となくわかります。
人知が及ばない範囲って広そうって。
そこに鬼か何かよくわからないものも混ざってそうだなあ、と思ったりもしていました。
「ほぼ外」の暮らしって、かなり豊かだと思えてならないです。

投稿: ぴか | 2009年2月 3日 (火) 21時10分

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