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2009年2月

2009年2月28日 (土)

水玉が好き、ピンクが好き、ヒラヒラが好き

200902181891  昨日に引き続き、フェミニスト的な話題。

 子どもの頃から「女の子なんだから○○しなさい」「女の子らしく」「女のくせに」とか言われるのが嫌だった。性格ややりたいことは、性差よりも個人差の方が大きいに決まっているのに、性別で行動を制限されるのには納得いかない。

 それでもジェンダーフリーになりきれない自分がいて、時々「女(男)はかくあるべき」と考えている部分が顔を出して、出そうとした言葉を飲み込む時がある。服装であったり、仕事や家庭に対する考え方であったり。でも、偏見のない人間なんていないし、完全に文化的背景から影響を受けない人間も存在しないから仕方がない。大事なのは自分がどれだけ偏っているのかを認識したうえで、その偏りをなくすような行動をとることだと思う。

 そんなわけで、娘を含め、子どもたちに男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしくしなさい、なんていうのは絶対に言わないでおこう、男の子も女の子も同じように接しよう、と思っていた。

 でも、そんな親心と関係なく、うちの娘は女の子らしさにやたらとこだわる。

 娘は、水玉が好き、ピンクが好き、ヒラヒラが好き、苺の模様が好き、キラキラしたものが好き、リボンが好き、レースが好き(母も好きなんだけどね)。娘は、男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしい格好をしなきゃって思い込んでいるようで、母が用意した暗い色のトレーナーやズボンを見て、「そんな服は男の子の服だからイヤだ」とのたまう。この前も保育所に着ていく服で私と大喧嘩をした(娘のお気に入りのヒラヒラした服は、洗濯されていて乾いていなかったのだ)。

 娘は最近「髪を伸ばしたい」と言って、「ちょっとは伸びた?」とやたらと髪の毛の長さを気にする。娘はショートカットなのだが、彼女の切れ長の目や小さい顎には短い髪がよく似合っている。周囲の人からも評判がよく、「短いのがよく似合う」とよく言われる。でも、本人はあんまり気に入っていないようだ。「男の子に間違われるのがいやだ」とか。先日もスーパーの試食コーナーのおばさんに「僕も食べる?」と間違われて、怒っていた。

 4歳児では、男の子と女の子の差異なんてほとんどない。遊び方もそんなに変わらないし、力の強さや体の大きさもあんまり変わらない。でも、いつの間にか娘の頭の中に「男」と「女」は違うものだと刷り込まれている。バリバリのフェミニストに育って欲しいわけではないけれど、「男」だとか「女」にこだわって自分や他人の行動を制限するのはつまらないことだと思うんだよな。服装だとか髪型にこだわるだけであれば、それほど問題はないし、洗濯とか気候の問題がなければ「好きな格好しとき」と思うけれど。子どもに価値観を伝えるというのは、なかなか難しい。

(追記)保育所のクラス会で、上記のような話をしたところ、4才というのは自分のアイデンティティを意識し始める時期なので、そういう女の子/男の子の差異を意識し始めるのは成長のあかしでもあるとか。うちの娘とは逆に、女の子なのに「お兄ちゃんみたいな男の子になりたい」と男の子の服装しかしない子もいる(その子はパンツまで男の子用を履くし、トイレも立ってしたがるそうだ)。自分のアイデンティティの帰属を性別に求めるというのはよく分かる。もう少し大きくなれば、そういう意識も変わっていくみたい。


写真:大学の研究室で遊ぶうちの娘。学生さんたちは卒論・修論発表会準備の合間の息抜きでクイズをしている。学生さんがしてくれた手品にキャーキャー喜んでいた。

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2009年2月27日 (金)

ドボジョの生きる道

 構造計算もできない、流体力学もわからない、土質力学もわからない。クリープと聞いても「コンクリートが変形する現象」じゃなくて「コーヒーに入れる白い粉」としか思わない、そんな私でも、土木に対して愛着がある。

 だから、2月号の土木学会誌*には泣けた。「女子学生の気持ち」というタイトルで、ゼネコンでバリバリ働くすごくえらい女性の方がエッセイを寄稿されていて、次のような文章があった。

>仕事を続けたいと思うことと、結婚や子供を対立するものと漠然と不安に感じていた。周囲に不安を気づかれるのが怖くて、女の子の淡い夢は胸の奥にしまいこみ、「結婚はしない」とだけ両親に宣言してきた。(土木学会誌,vol.94,no.2, 2009)

 この方は、この宣言どおりではなく、結婚して子どもも産んで、バリバリやってらっしゃるのだけれども、この仕事と家庭の両立に対する切ない意気込みに泣けてくる。

 ドボジョ(土木学科にいる女学生たち)は、就職が始まる三年生ぐらいの頃に、先生方に「女子は公務員試験を受けなさい。一般企業に女子の居場所は無い」とさっくり言われたりするのよ。高校まで男女平等は当たり前でやってきたのに、大学に入って目の当たりにする男女差別。夢も希望も打ち砕かれるような気持ちになる。空気を読めちゃう賢い女子学生たちは、さくさくと公務員試験の勉強をして、公務員になっていく(公務員は面白い仕事ができると思うけれど、待遇だけにひかれて公務員になるのはどうかと思う)。

 少し前に、優秀な成績を修めている女子学生からこんな相談も受けた**。「卒業後すぐに結婚する予定なのだが、家庭と仕事が両立できなさそうなので、仕事はあきらめようかと思っている」。本当にもったいない。いっそのこと、仕事内容に魅力が無いからという理由の方がいい。「両立できなさそう」って、部活と勉強で悩む中学生みたいな理由で、仕事をあきらめるのがつまらない。

 私たちの世代は、家に母がいるのが当たり前として育ってきたし、少し下の世代もそれほど状況は変わらない。だから、家庭と仕事を両立させるモデルがうまく見つからなくて、二の足を踏んでいる。新聞やテレビ等のマスメディアで取り上げられる女性達は、ものすごく頑張っている人たちだ。しかも今は不況なので、会社のために身を粉にして働く人間以外は受け入れてもらえないんじゃないか、という感じもする。で、結婚相手は身を粉にして、そこそこの給料を稼いでくる。そうなると、無理してまで仕事をする意義が見つからない。空気がよめちゃう賢い女子学生がそう思うのも無理もない。

 でも、そこはあえて空気をよまないでほしい。「女性は育休とかがあって迷惑」「ダンナさんの給料で食べさせてもらえばいい」という空気をよまないで、自分がやりたいことをやるべきだ。空気をよんで、それに合わせて行動するのは場を乱さないために大事なことかもしれないけれど、そのやり方ではみんなが幸せになれない。自分がやりたいことをやると決めたうえで、家庭生活をどうやって維持するのかという対策を考えればいい。育児に関しては、周りの助けを借りた方がよい場合も多いし。

 一人一人の女性技術者が仕事を辞めないということは、本人にも後輩にも意味があることだと思う。私も含めて今働いている人やこれから働こうとしている女性土木技術者は、公務員だけでなくいろんな働き方もあるということを、後輩たちに見せる役割もある。会社という組織に固執しないというやり方もあるし、細々と続けることも大事。仕事を続けるためには家庭生活はあきらめよう、なんていう切ない思いを持たなくても、もっと気軽に土木の女子学生が土木の仕事***に入っていくようになったらいいと思う。

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*土木学会誌は、土木学会員に対して毎月送られてくる優良な土木業界誌。学会誌なので少しキレイゴトすぎるきらいはあるものの、美しい写真を表紙に使ったり、旬なネタを扱ったりしていて、読みどころ満点。これを購読できるなら、会費もそれほど無駄でもないかと思う。ただ、うちの家はオットも会員なので、学会誌は2冊もいらない。会費を一人半額にして、学会誌も1冊にしてもらえるとうれしいのだけど。
**彼女には「仕事をする/しないの二分法ではなく、細々と仕事を続ける道を探ってはどうか」というアドバイスをした。最終的に彼女は非常勤の研究員の職を見つけたようだ。ひとまず、よかった。
***土木の仕事って何?て聞かれるとすごく困る。ゼネコンやコンサルタント、行政に入って、道路や橋、下水道、鉄道を作るだけが土木じゃない。公共の福祉に関わる仕事、公共事業に代表されるような狭い意味の公共じゃなくて、広い意味の公共の仕事。そんなこというと何でもかんでも土木だ、定義付けの意味がなくなってしまう。でも、広い意味でとらえておいた方が、語源の「築土構木」の意味に近いし、もっと柔軟性が増すはず。

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2009年2月26日 (木)

エクセルの白黒グラフ

 エクセル2007でグラフをハッチングする方法が見つかったので、紹介。よかった、よかった。でも、ハッチングはデフォルトにしておくべきだと思う。ここ↓に書いてあるとおりにやりましょう。

 Excel 2007でグラフをハッチングして白黒印刷でもきれいにする

 オプション画面の「アドイン」は左上にあるカラフルなアイコンを押すと出てきます。

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2009年2月15日 (日)

広い宇宙の点と線をいつまでもつなぎつづける

 論文の締め切りが迫っているせいか、こまごまとしたことをやりたくなっている。

  • かぎ針をやりたい。ひたすら延々とモチーフ編みをやりたい。
  • クロスステッチをやりたい。布に×の印をつけ続けたい。
  • 字があり得ないほど汚いので、習字を習いたい。
  • ピアノをもう1回習いたい。
  • 押入れで眠っているアコーディオンの練習をしたい。
  • スペイン語を勉強したい。
  • ベランダ菜園をやりたい。
  • 子供の人形のお洋服を作りたい。
  • モビールをつくりたい

 こういった事柄は、やってもやらなくてもかまわない事柄で、ただの自己満足である。誰の役にもたたない。空の星を線でつなぎ続けるような行為。しかも、手先が不器用なので、出来上がったものはゴミになる可能性もある。だからこそ、やりたい。でも、それを阻む「そんなことより論文」「そんなことより家事」という心の声がする。で、結局何もやらないで週末が終わる。そして、そんな自分が嫌いになる、という悪循環。

 とりあえず、週末に簡単にできる何かを少しだけやろう。1時間だけアコーディオンを弾くとか、紙のモビールを1個だけつくるとか。で、新しく始める何かは、また折をみて。博士論文が書き終わった後の楽しみにおいておこう。

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2009年2月14日 (土)

いまどきの男の子、女の子

 TAのお仕事で、試験監督のお手伝いをする。学生の頃、試験監督をやりたかった。なぜなら、本とか読みながら、時々監視の目を走らせるだけの気楽な仕事って思っていた。だから、喜んで「いいですよ」と返事したのだ。ああ、それなのに。今はJABEE*とやらの関係で、試験監督が2人も付いて、しっかりと監督しないといけないらしい。本を持って行こうとしたら、I助教に「それはちょっとダメ」と言われてしまった。

 というわけで、試験監督は何もできないとても暇な仕事。カンニングでも見つければ少し興奮するのだろうが、カンニングが見つかったら停学になっちゃうので、そんなことをする子はまずいないし、計算問題も多いのでカンニングしようがないし。せいぜい落ちた消しゴムを拾ってあげたり、問題と学生達の回答を見比べて、ああ、これはこういう答えなのか、と納得することぐらい。時間があまって仕方がないので、若い子たちのみかけを観察。で、気づいたこと二つ。

 1つは男女の区別がつきにくくなったこと。最近の男の子は華奢になった気がする。骨格が細い。それに冬場はみんな着込んでいるので、なおさら分からない。たとえば、ちょっと髪が長くてパーマがかかっていたり、ピンクのズボンをはいていたり、かわいいチェックのシャツを着ていたりすると、もう女の子か男の子かどっちかおばちゃんには分からない。あー、私はいまだに男の子は青い服で短髪、女の子は赤い服で長髪という固定概念に引ききずられているんだ、時代遅れだなぁ、というのをヒシヒシと感じた。というわけで、性別あてクイズをして時間をつぶしていた。結果は、3人ぐらい男の子を女の子と間違えていた。

 あと、男の子女の子を問わず、ほとんどの子の顎が細くとがっているというのを発見。顎がごつい子は何人いるのか一人一人確認したところ、30人中1人しかいなかった。本当にこれにはびっくり。歯の数とか足りて無い子**、ボロボロいそうだ。歯を食いしばるとかできる?固いお煎餅とかちゃんと食べられる?そういえば、うちの子も顎が細いなあ。

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*JABEEとは大学とかの教育機関の教育内容を評価する機関およびそのしくみのこと。これを大学が受けると、卒業した学生には自動的に技術士補の資格がもらえるらしい。授業内容をつぶさに記録しなければならないので、先生方は仕事が大量に増えて面倒くさがっている。昔は、15回の授業のうち半分ぐらいしか講義しない先生とかがよくいたが、JABEEのせいで、休講したら必ず補講しなければならなくなった。良いか悪いかよくわからん。少なくとも、いつの間にか文科省の天下りの人たちが行くところが一つ増えて、大学の教育内容まで管理する仕組みができているということ。部外者の立場からいうと、技術士補がもらえるだけで、あれほど管理されるのであれば、やらなくてもいいんじゃないか、と思ってしまうんだけど。

**私も歯の数が足りてない、しかも乳歯が2本残っている。今のところ大きな不便は感じていないけれど、噛み方とかがおかしいかもしれない。

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2009年2月11日 (水)

絵と文字は認識の仕方が違っているらしい

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 娘はマークや記号を認識する力がすごくて、マークでいろいろなものを識別する。保育所では子ども一人ひとりにマークが決められているのだが(娘はどんぐり)、娘はクラス全員のマークと名前を一致することができる。お花のマークはKちゃんとか、星のマークはI君だとかいうふうに。ほかにも、新聞と一緒にやってきたチラシについているロゴをみて、どこのスーパーからのものかを正確にいう。私は、子どもに言われるまで、近所のスーパーのロゴがどういう形なのか認識していなかった。バスの側面に貼ってある広告も、ロゴをきちんと見分けて会社名を叫んだりもする。


 最近、娘は文字に興味を持ったようで、字の練習をしたいと言い出した。文字が自分で読めるようになれば、絵本も一人で読める。子どもが文字を読んでくれるといろいろと便利だ。マークをあれだけ覚えることができるのならば、ひらがなを覚えるのも簡単にできるだろう。そう思って、50音表と文字ドリルを買ってみた(教育ママっぽいよなあ)。


 この文字を練習するということが、なかなか難しい。たとえば、「つ」を練習しているのに、娘は迷いもなしにまっすぐ上から下に線を引き出すのだ、左から右ではなく。「こ」と「り」、「く」と「へ」の区別も難しいみたい。どうやらうちの娘は文字を回転させても、同じだと考えているらしい。絵やマークだったら回転していても、同じものを指すからだろうか。


 そんなわけで、文字の練習は少しずつしか進んでいない。練習した文字もなかなか読めるようになっていないし、書ける文字は少ない。書ける文字は「か」「ひ」「は」「る」「ろ」「も」ぐらい(ほとんどの字は娘の名前に入っている字。時々「ひ」は90度回転する)。ちなみに、買ってきたドリルは3才用。うちの娘は4才。娘と2人で「これは3才には難しいよねぇ」と言い合いながらやっている。きっと、母が期待する「一人で絵本を読むようになる」ステージに上がるのは、小学校に上がる頃だろうなあ。


写真は子どもが保育所で作った飾り物。木の実や葉っぱを上手に使って可愛く作ってあるような気がする(親のひいき目)。

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2009年2月 8日 (日)

何で、みんながやっているからって同じことをしなくちゃいけないんだ?

Photo

 正月に読んだ「ららら科學の子」が面白かったので、同じ矢作俊彦さんの「スズキさんの休息と遍歴」を読む(最近、小説ばっかり読んでいる)。あんまりにも面白かったので、読みながら声をたてて何回も笑ってしまった(本を読みながら声を出すなんて、疲れているんだろうか?)。

 スズキさんは、超青臭い。理屈っぽい正論ばかり振りかざして、あちこちに首をつっこんで、惨敗する。スズキさんは、勇敢に風車につっこむドンキホーテなのである。そんなスズキさんに、すごく共感しまくった。

 たとえば、大学病院の一部はうちの先生が建てたようなものなんだぜ、という政治家の秘書をしている友人に対しては、こんなことを言う。

「国大病院は国民の金で建てたものだ。政治家の金じゃない。君の言うパワーポリティクスのパワーは、銅像の大きさで計れるようなもんなのか。」

 ディズニーランドについても、

「人より目立たず、うんうんと運命に頷いているのがまったく素晴らしい人生のコツだよなんて考えを、子どもの心に植え付けるんだ。ディズニーは子どもに毒だ。」

 子どもの小学校の授業参観。少し変わった解法を用いて算数の問題を解く子に「他の子と同じように解きましょう」という先生に対して、

「何でみんながやっているから同じことをしなくちゃいけないんだ。合理的な理由を聞かせなさい。」

 正論過ぎて、しかも、しっかりと左に傾いていて笑えてしまう。こんなこと、真顔で言っていたら、煙たがられる。でも、人間、正論を言うのって大事かも。

 以下はネットで見つけた矢作俊彦さんのインタビュー。還暦を超えているはずなのに、何かと戦い続ける矢作さん。戦い続ける姿勢はやっぱりかっこいい。

WIRED VISION:矢作俊彦インタビュー

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2009年2月 7日 (土)

大学の人間が地域に入るということ

 今回は、私がやっている研究上の取り組みについて。

 I助教と二人で、過疎部のE地域で住民さんと一緒にバスを検討している。この取り組みの目的は、「住民自らの手で、身の丈に合ったバスを走らせよう」ということである。この地域に足をつっこんで、2年半の月日が流れた。行政施策だとか既存のバス路線との兼ね合いがあって、なかなか前に進まなかったが、とりあえずこの3月に10日間だけバスの試験運行をすることになった。この試験運行を踏まえて、本格運行を検討していく予定である。

 E地域に入ってしばらくのうちは、かなり怪訝な感じで見られていた。一般的に、大学の人間は地域に利益をもたらすでもなく、調査と称して地域に面倒なことをさせて、データがとれたらハイサヨウナラと出ていくような輩だから仕方がない。私たちは、地域住民が運行するバスってどうやったらできるんだろう?という研究上の興味でこの地域に入ってきた。最初のうち、住民さんたちは「高齢者になっても、みんな車を運転するから困っていない」と言ったり、「交通は行政に任せておけばいい」というようなことを言っていた。住民さんたちとの会合や調査など、さまざまな活動を通して、徐々に住民さんの意見は変わってきた。たとえば、「地域の維持のために交通は大事だ」「今地域内で困っている人たちのことは他人ごとじゃない」「行政任せにしていてはいつまでも問題の解決の糸口は見えない」といったことをよく言うようになってきた(あくまでも私の聞いている範囲だけど)。大学の人間は地域に対して責任感がない部外者なのに、地域の人々はよく私たちと一緒にやってきてくれたと思う。

 社会基盤整備における住民参加は、福祉とか建築とか他の分野に比べて遅れてやってきた。最近では土木の教科書にも「住民参加は重要」と書かれているけれど、なかなかノウハウが無いし、実行は難しい。研究者が地域に入ったからといって、地域の人々の思いは少しずつしか変わらないし、地域の人々の思いが変わったとしても、思った通りに前に進まないことが多い。しかも、それが論文のネタになる保証はない。それでも、知識を集積している象牙の塔の人間は、地域社会に少しずつ知識を還元する役目はある、それが例え大したことの無い知識であったとしても。誠実に地域社会に接していけば地域の人々の意識も変わって、何かが前に進んでいく。それに、若輩者の私には、活動を通してワークショップの運営だとかニュースレターの作成だとか、いろんな余技を増やしてくれた。何より、E地域は美しい山間部なのと、住民のみなさんの人柄も良いから、行くのが楽しかった。

 この先、どうなるのか見えていない部分があるけれど、どうにか今年の秋には本格運行にこぎつけたい。その際には、地域の人々が「大学の人間が言うことについてきたこと」を後悔するのではなく、この取組みが地域の役に立ったと感じることができるようにしたい。


本/書籍に、「スズキさんの休息と遍歴」「バスでまちづくり―都市交通の再生をめざして」「市民の政治学―討議デモクラシーとは何か」「煙か土か食い物」を追加。

 いずれの本も面白かったのだが、「市民の政治学」は、私達がE地域でやっていることは、討議デモクラシーの実験の一つなんだ、と納得しながら読んだ。もっともっと本を読もう。世の中には面白い本があふれている。本は私に知識を与えてくれるだけでなく、私がしている行為の意義を教えてくれる時があるのだから。

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2009年2月 1日 (日)

北山の茶室住宅の話5-便利よりも不便の方が良い時もある-

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 いまさら思い出したように、北山の茶室住宅の話の続き。ニュータウンの団地生活も5年目になり、北山での日々が、時々夢のように思えてくる。

 北山の茶室住宅についての以前の記事はこちらからどうぞ。


 茶室住宅の生活は、自然と一体になった生活だった。

 自然と一体になっていた理由は二つある。一つは、茶室が一枚の障子で外で隔てられていただけなので、外と家の中の空気は限りなく同じだったこと。もう一つは、近くに怪談で有名な深泥池がある山の麓に立地していたことである。深泥池には太古から生き残りの生物がたくさん生息している。そのせいか、茶室住宅の周りは静謐な空気が流れていた。

 外の暗闇と静けさ、それらを家の中から感じることができるのは、茶室住宅の魅力の一つだった。私達が寝室として使っていた3畳の部屋(おそらく水屋だったと思われる部屋)には、大きくて素敵な丸い障子窓が付いていたため、外の様子をつぶさに感じることができた。ある夜、寝ようとすると、妙に外が明るい。庭の灯りを消し忘れたかと思い、外に出たら、空に見事な満月がかかっていたことがあった。落ち葉が落ちる音も、一つ一つ聞こえた。雨の音もよく聞こえた。家の中から雨のしずくを見続けるのも風情があった。

 冬場は家の中でも本当に寒かった。毛布を2枚と羽毛布団を使っても寒かった。朝はいつも凍えて目が覚めた。冬には、化粧品のオリーブオイルが凍っていた。娘が生まれてからは、赤ん坊が凍えていないかと心配になって、目覚めるとすぐ子どもが息をしているのを確かめた(結局、子どもが生まれてからは一冬も越さずに引っ越した)。

 湿度が高くて、気をつけていないと夏場にはいろんなものにカビが生えた。カビを防ぐために6リットルのタンクのある除湿機を購入したのだが、それでも間に合わなかった。朝、家を出る時に除湿機をかけていくと、帰ってくると6リットルのタンクがいっぱいになって止まっていた。洗濯物もなかなか乾かなくてかなり困った。

 梅雨には、庭に巨大な白いキノコがたくさん生えた。大きさは10cmぐらい。最初の頃はすごくびっくりして、抜いて捨てたりしてたが、生えたまま放っておいたら2,3日で消えていた。おそらくオニフスベだったのではないかと思う。オニフスベはそれほど美味というわけではないらしいが、食べようと思ったら食べれるキノコのようである。

 虫もたくさん出た。ごきぶりは、家のなかよりも庭でよく見た。ごきぶりを餌とする蜘蛛もたくさん出た。壁によく体長20cmぐらいの大きさの蜘蛛(たぶん、アシダカグモ)がいて、最初の頃はキャーキャー騒いでいたのだが、あっという間に馴れて平気になった。なぜなら蜘蛛は、刺したりもしないし、音もたてないから。出産直後に母が手伝いに来てくれたのだが、いちいちクモに騒ぐので、面倒くさかった。

 庭にあった御堂(という名の物置)には、ミツバチが巣を作っていた。ミツバチ自体はそれほど攻撃性が強くない。踏んだり叩きつぶしたりしない限り、刺されることはない。でも、ミツバチを襲いにスズメバチがよく来ていて、怖かった。スズメバチがすごい速さで顔の横を通り過ぎていったこともある。

 ムカデもよく出た。オットも私も1,2回ずつ刺された。ムカデに刺されると本当に本当にめちゃめちゃ痛い。ムカデは不意に天井から落ちてくることもあった。そういえば、虫だけでなく、野良猫がよく庭を通り過ぎていてた。一度だけ庭で猿を見かけた時があって、怖かった(猿も恐かったかもしれないけれど)。

 今はアルミサッシのついた団地に住んでいるので、家の中から外の様子はそれほど窺い知ることができない。冬になってどれほど寒くなっても、凍えて目が覚めることはなくなった。オリーブオイルだって凍らない。室内の湿度が異常に高くなることもなくなった。家の中で、あまり虫も見かけなくなった。でも、月が満月なのかどうかも気にかけなくなってきた。落ち葉の音はおろか、雨音でさえも家の中ではよく聞こえない。今の生活は、かなり意識しないと自然を感じることができない。茶室住宅は否応無しに自然を感じさせられる生活だった。

(しつこいようだが、茶室住宅の話は、あと2回ぐらい続ける予定。)

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写真は茶室で生活していた頃の様子。生活感あふれまくり。

少しだけですが、マイフォトにも茶室住宅の写真を追加。

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