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2009年4月

2009年4月25日 (土)

春のいただきもの4種

 今週の始めに岡山県と兵庫県の県境に行った際、地元のYさんに「めだか、いらない?うちの庭にいっぱいいるんだけど、娘さん喜ぶんじゃない?」と言われた。「めだかって育てるの、難しいんじゃないですか?」と聞いたら、「簡単だよ。普通の川魚は育てるのは難しいけれど、メダカは強い。それに、水面まで出てきて空気を吸うから、金魚鉢みたいなので大丈夫。」とのこと。

 というわけで、Yさん宅までメダカを取りにいった。Yさんが網でふわっとすくって、メダカ4匹とタニシを3つ、水草をいくつかをペットボトルに入れてくれた。他にも、庭に自生しているウド、野菊もくれた。

 家に持って帰ると、娘はペットボトルの中のメダカを発見して大喜び。早速、タライに入れて、そよそよと泳ぐメダカを熱心に眺めている。そして、「メダカを見ながらご飯を食べたい」とのたまうので、食卓にメダカを置いて味わう夕飯。

 野菊はチューリップが終わったプランターに植生。ウドはきんぴらに。ウドなんて調理したことなかったから、どうすればいいか分からず、インターネットで調べまくったのに、結局自分の調理しやすいきんぴらにしたので、食べ慣れた感じの味になった。

 そして、あくる日に大学に行ったら、調査から戻ってきたI先生から「たけのこ、いらない?」と聞かれた。高速道路会社の人にいただいたのだとか。高速道路会社の人たちは、竹やぶの整備活動を市民の方としていて、筍採りをしたとのこと。というわけで、その日の夜は、急きょタケノコのあく抜きをして、半分を筍ご飯を炊いた。筍ご飯は、次の日の娘と私のお弁当に、そして残りのタケノコは田楽風にして夕飯に供された。

 そういうわけで、思いもかけない春のいただきもので、なんだか得した気持ちの1週間だった。春は豊かな季節なんだ。

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本/書籍にピーターラビットの絵本を追加。ピーターラビット、子ども向けだと馬鹿にしていたけれど、面白い。擬人化具合の中途半端なところとか。単純なかわいい話でもなく、教訓めいた話でもなく。美しい挿絵も楽しい。

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お仕事のこと

 がんばって就職活動するよ。でも、このご時世だから、ひょっとしたら就職できないかもしれない。年も年だしね。

 で、どうしよう?どうしよう?と、いろいろ悩んでいたんだけど、どうにかこうにか、就職しないでもやっていく方法も考えた方がいいかな、という気になってきた。

 「市民科学者として生きる」を書いた高木仁三郎さんみたいな生き方もありだよな、ということ。市民に寄り添って、研究活動を行うって、そんなに不可能でもないかもしれない。

 論文を書くこと自体は、大事なことだと思っている。だって、査読に通りさえすれば、名もない私の書いた論文と、有名な大御所の先生の書いた論文が同格のものとして、同じ論文集に載るんだよ。そして、少なくとも全国の研究者の目には触れる。これって、すごいことだと思う。

 でも、論文だけを研究の成果として見るのは、やっぱり足りない。論文じゃ人の心に届かないもの。弱い立場にいる人に寄り添って、知識人としての責務を果たす必要がある。で、その責務は、研究機関にいなくても、できるような気がしてきた。負け犬の遠吠えに聞こえるかもしれないけれど。

 私は交通計画に携わることが好きだ。いろんな人に会うのが好きだ。フィールドワークも好きだ。で、今年度いっぱいで幸せな大学院生活は終わってしまうけれど、来年度以降もどういう形であれ、交通計画に携わっていくよ。

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育児における幽体離脱のすすめ

 子どもと二人きりで過ごすのは、楽しいけれど、なかなかへヴィーなんだ。
 子どもはかわいい。数多くの家の中から、我が家を選んでやってきてくれた、かわいい天使だ。
 子どもなりの理論で話す。子どもは素直だ。でも、こちらの気持ちを考えてくれない時も多い。子どもは一つ何かでつまづくと、気持ちの切り替えが上手にできないで、泣き叫んで、暴れる。

 誤解を恐れずに言うと、私にとって児童虐待は他人事じゃない。
 子どもに手を出してはいけない、子どもの全てを受けいれてあげたい、理性ではそう思っている。そう思っていても、受け入れてあげれない時がある。そして、そのうち手を出してしまうんじゃないか、と怯えている。手を出さずとも、金切り声を上げたりしてしまいそうになる。

 子どもが金切り声をあげたとき、それに対して金切り声や怒号で返すのは得策じゃない。なおさら子どもを興奮させて暴れさすだけだ。

 子どもに手を出してしまうんじゃないかという時、一線を越えそうになったら、少し意識を外に飛ばそう。幽体離脱をするように、意識を自分の体から出すような感じで。そして、自分を上から客観視してみよう。そうしたら、自分がいかに馬鹿げた言葉に腹を立て、大人げないことをしているか見えるから。それに気づけたら、自分が何をしないといけないか、考えられる。最悪の場合、今起こっている事態から意識を遠のけさせたまま(幽体離脱したまま)、子どもが力尽きるのを待てばいい。

 子どもは親を映す鏡だ。親が何か問題を抱えていると、子どもにも大きく影響を与える。それに、どんなに問題を抱えている親であったとしても、子どもにとって親は親なんだ。親がたとえひどいことを言ったとしても、「お母さん(お父さん)に受け入れてもらいたい」という求愛行動を示す健気な存在なんだ。だからこそ、親はできるだけ子どもを受け入れないといけない。もし、親が子どもを受け入れることができない状態であったとしたら、次善の策として、子どもに「人非人の対応」をするのを防がないといけない。

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2009年4月24日 (金)

血液の話

 私は、かなり短い時間で採血をすることができる。血管も太くて見えやすいので、手慣れていない看護婦さんでも簡単に注射針を刺すことができる。これは私の数少ない特技の一つだ。それに私は少し太りすぎ以外は、いたって健康なのだ。健康診断で問題があったことはないし、血圧も低い。

 というわけで、私は定期的に献血をするようにしている。なぜなら私にとって献血は、それほどデメリットがないから。

 先日も献血をしたら、看護婦さんにびっくりされるぐらいの時間で採血を終えた。記念品の歯ブラシもいただいて、何だか得した気分。

 血液ついでに、血液型の話。

 血液型って、輸血や献血にしか役立たないといわれている。それでも、なぜ血液型での性格判断を信じる人っていなくならないんでしょうね?血液型の性格判断の非科学性は、かなり検証されているのに(Google scholar さんに「血液型 性格」とか入れて検索してみれば、山ほど研究成果が出てくる。たとえば、「血液型性格関連説についての検討」はかなり公平な立場から、日本における血液型性格判断について分析している)。

 血液型の性格判断は日本、中国、韓国あたりでしか行われていないらしい。欧米の人は自分の血液型を知らない人も多いらしいし。血液型の性格判断は、日本で多数派であるA型に関しては、良いことしか書いていない。一方で、少数派であるO型やAB型、B型に関してはあまり良くないことが書いてある。多数派にとって受け入れやすいことしか書いていないから、なくならないんだろうか?

 私は神経質な時もあるし、大らかな時もあるし、行動力がある時もあるし、性格に二面性もあるよ。で、おそらくほとんどの人もそうだ。人のない面は多様であるのが当然だ。でも、血液型をもとに、「ぴかさんはこういう性格なんですね」とか、「ぴかさんとこの人との相性は・・・」なんていってくる人がいる。私は、血液型で性格を判断されるのは嫌なのだが、血液型を聞いてくる人はいなくならない。というわけで、大人げない私は、人に血液型を聞かれた時には、Rh+型と答えるようにしている。

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 本/書籍に不透明な時代を見抜く「統計思考力」を追加。ダンコーガイさんがお勧めしていて面白そうだったので、購入した。読みやすいので、ちょっと集中すれば2時間ぐらいで読める。数式が一個も使われていないというのも、すばらしい。

 統計の読み取り方に関するわかりやすい本は多数あるのだが、ちょっと話題が古くなったりして、学生さんにすすめにくかった。この本は、学力低下とか格差の拡大とか最近の話題ばかりであるので、ちょっとした話のタネにもなると思うので、おススメ。

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2009年4月20日 (月)

保育所が永久に足りないということは、ないんじゃない?

 保育所が永久に足りないであろう理由を読んで、ちょっと違うかも?と思ったので、メモ。

 保育所が「供給が需要を生む」サービスであることは確かなんだけど、みんながみんな、喜んで自分の子どもを保育所に預けたいかというとそうでもない。

 私の場合は、子どもを産んだ時は非常勤職員で産休しかとることができなかったので、泣く泣く出産後2ヶ月で職場に復帰した。子どもとの時間を十分に味わうことができなかったので、せめて母乳だけ2歳頃まで続けたいと思い、母乳が止まらないように(乳腺炎も怖かったし)、職場でも母乳を絞っていた。搾乳は思い出すだけでも悲しくなる。あのとき、育休がとれれば、あるいは、無休でも職場に復帰できる確約がとれれば、私は安心して育児に専念していただろうと思う。

 保育所のママ達をみていると、育児休暇がとれる場合でも、多くの人が4月に復帰する計画をたてる。子どもの誕生日が4月であっても、12月であっても。多くの母親は早く働きたいからではなくて、ただ単に、途中から保育所に入所するのが困難なので、泣く泣く4月に復帰するのだ。保育所の4月はいつも悲しい。母親と離ればなれになる子ども達の泣き声と、泣いている子どもに後ろ髪を引かれながら悲しい顔で職場に急ぐ母親達でいっぱいになる(父親もいるけれど、まだまだ若干名だ)。

 低年齢児を保育所に預けると、1人あたり20万円程度の経費がかかるときく。その経費のうち、親が負担する金額はごく一部だ(それでも、家計にかなり負荷がかかる額なんだけど)。育児休暇を3年ぐらいにのばせば、低年齢児を保育所に預ける人はかなり減るだろうし、もっと保育行政にかかる費用はもっと小さくできるような気がする(無休であっても育休をとりたいという人は多いんじゃないか)。

 それに、4歳児になったら、保育所ではなくて幼稚園に通わせたい人も多い(幼稚園は教育に重点が置かれているから)。子どもが小さいうちは、時短勤務を選べるよう制度をつくれば、もっと幼稚園に通わす人が増えるような気がする。

 育休の延長(非常勤職員への育休の拡大)、低年齢児の親の時短勤務といった施策を同時に行えば、きっと保育所が飽和量に達する時がくるような気がする。

 で、3歳までの育児休暇も、時短勤務も、非現実的な話ではなくて、フランスでは既に実現している施策だったりする(参考:フランスの少子化対策)。それに、フランスでは父親が必ず育児休暇をとらないといけない。よその国の施策をそのまま持ってくるのは難しいとは思うが、日本風にアレンジするのはそれほど不可能というわけではないだろう。

 子どもと母親だけ(あるいは父親だけ)の育児もかなりきついけれど(それは保育所と別問題)、乳児との時間を楽しめない親も少ないと思う。もう少しの工夫で、どうにかこうにかみんなの満足できる保育のシステムが作れるような気がする。

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 ついでに、保育所の現状について。

 保育行政に結構なお金はかかっているはずなのに、保育所は貧しい雰囲気が漂う。私が具体的に知っているのは、うちの娘が通っている保育所だけだが、勝間さんも同じようなことを言っていた。

 うちの娘が通っている保育所はびっくりするぐらいボロボロだ。入り口の門がさびついている。ドアの立て付けは悪い。トイレは暗くて、換気が悪いので、臭いがこもっている。備品は十分に無い様子で、保護者は、毎年ティッシュペーパーや雑巾、ビニル袋を寄付しなければならない。

 先生方の雇用状況もよくない。私が住んでいる市では、保育所の民営化を進めているため、公立保育所の先生はみんな年配の方ばかりだ。若い先生は非常勤職員で、10ヶ月以上連続して働くことができない。正規職員の先生も非常勤職員の先生も、傍目から見ると同じような仕事をしているにも関わらず。新しく正規職員を雇わないので、男手を必要とする職場なのに、なかなか男の先生が入ってこない。

 保育所は、子どもを持っていない人の税金も使っているのだが、決して贅沢をしているわけではない。ピカピカした施設がいいわけでもないけれど、せめて先生方の雇用状況を改善してほしいと思う。

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2009年4月19日 (日)

人に頼るんじゃなくて、道具を使うこと

 先日、バリアフリーに関するセミナーに行って来た。いろいろと勉強になったのだが、福祉用具、バリアフリーは、人の生き方の幅を広げるために必要なんだ、ということを再確認した。

 病気、事故、加齢などで、何らかの障害が残った場合、本人ができない部分を家族が介助して何とか支えようとする。たとえば、トイレに行くのを手伝うとか、洋服を着替えるとか。でも、介助者にしてもらうと、一人ではできないと思いこんでしまったり、してもらうのが当たり前という意識になってしまう。その結果、一人で何かをしようという意欲がなくなってしまう。

 でも、早い段階から福祉用具を使ったり、バリアフリー整備をしておけば、人に頼らなくても道具を使って、何とか自分でやりとげよういう意欲が出る。

 たぶん、介助の一つ一つはとても些細なことで、介助者にとっては大した手間じゃないかもしれない。障害当事者が道具を使っておぼつかない手つきで何かをするの方が、時間もかかるし、歯がゆい気持ちになるかもしれない。でも、そういう一つ一つのちょっとした手助けが、ひょっとしたら、障害当事者の自発的な気持ちを摘み取っているのかもしれない。

 学生時代に出会った全身麻痺の方は、寝たきりに近い生活を送っているて、結構衝撃だったのだが、今では大変重い障害があったとしても、道具を上手に使うことでかなりいろんなことができるようだ。セミナー会場で も、顎で電動車いすを操作しながら一人で自由に移動している方とか、トーキングエイドを用いて質問をしている方などを見かけた。それに、大阪は鉄道が発達しているし、地下鉄のすべての駅にエレベーターが設置されているので、車いすの方でも一人で自由に移動できる。非接触式のICカードも普及したので、手先に麻痺がある方や小さな文字が読めない方でも券売機で手こずることもなくなった。

 私の父方の祖母はの晩年は、寝たきりだった。20年以上前のことである。母の介護は大変献身的だったと思うし、私が同じことをオットの両親にできるかと言われると、正直なところ少し難しいと思っている。でも(母の目の前ではこんなことは口が避けてもいえないが)、「寝たきりは寝かせきり」というのが今の介護の現場の常識なのである。当時、介護を主に担っていた母も知識がなかったし、福祉用具の貸与/補助の仕組みもなかった。もし、もっと道具を使うことができていたら、祖母は残っていた能力を生かして、もう少し幸せな晩年を過ごすことができたのかもしれないし、介護者の母の負担ももっと減らすことができたのかもしれない。

 この文章のしめがうまく思いつかないので(簡単なセミナーの感想を書くつもりだったのに、重い文章になってしまった)、車いすの活動家J.ヒューマンの言葉でしめよう。多分、今の日本は、障害当事者に気力があれば、生活に必要なことをある程度提供できる仕組みができつつある。

「生活に必要なことを社会が提供しないとき、そこで初めて障害は悲劇となります。車いすで生活していること自体は悲劇でも何でもありません。」

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2009年4月13日 (月)

気が狂いそう やさしい歌が好きで ああああああ あなたにも伝えたい

 以下の記事は酔った勢いで、夜中に書いたもので、今読み返すと本当にひどい。でも、書いている時は、こういうのもアリかも、と思っていた(頭の中でブルーハーツの「人にやさしく」が流れていたんだ)。酔っ払うと自分を客観視できなくなる。削除しようかとも思ったが、反省の意味も込めて残しておきます。

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 いぇぃ、酔っているよー。酔った勢いで書いた文章をワールドワイドに伝えるよー。

 娘もオットも愛しているよー。ダメなお母さん、ダメなツマかもしれないけれど、仕方ないんよ。そうよ、そうよ。娘がちゃんとまっとうに育つか、不 安でいっぱいだけど、私は娘の素直なところ、生真面目なところが大好きよ。ごめんな、お母さん、いい加減で。でも、明日からはがんばる!という何百回目か のがんばる宣言をしてみる。このまま、お母さんは汗をかいていきるよ。いつまでもこのまま。

 地球のみんな、愛しているよー。マイクロフォンの中から言っている。私は後ろ向きな人間だけど、世の中のすべてのものを愛しているよ。本当に本当だよ。10年ぐらい前までは、大嫌いな人間とかもいたけれど、今ではすべての人、すべてのものがいとおしい。

 たぶんね。世の中、ひとの気持ち次第で変わるよ。みんなみんなみんな信じ合えば、もっといろんなことができるはずだよーん。いや、本当。不景気だって、みんなの気持ち次第で変わるところ、あるんだよ。あかん、あかんて、みんな不景気やと思ったら。景気いいと思っとこって。思いこむのはタダや。

 いぇい、酔っている勢いで、いろんなことを書いてしまおう。次からはネガティブな話ばっかりだぜぃ。

 誰だよ、高速道路を1000円で乗り放題に決めたやつ。ちょっと出て来い。あれだけは我慢できない。あんな馬鹿らしいことに税金が投入されるなんて。ちょっと待て。よく考えろ。本当に経済効果があるか? ないって。不景気やと思っている人が移動したかて、地元にお金なんか落とさないって。せいぜいマクドのハンバーガー食べて終わりや。で、その割には人の行動に与える影響が大きすぎる。人の行動っていうのはね、一度楽な方向に流れると、元に戻すのは難しいよ。ここしばらくさー、原油高だとか環境に対する意識とかで、車を使わない方向に人の意識が向いていたのに、何、その反則技。この施策を考えた人間はさー、町のあり方とかを考えたことがないんじゃないか?

 子育て環境についても一言。保育所にみんな預けたいわけじゃないよ。仕方なしに預けているんだから。本当だよ。もし、3年ぐらい子育てに没頭しても、その後、自分の仕事場が育児休暇前と同じようにあるんだったら、みんな育休とるって。その自分の場所がなくなる恐れがあるから、制度がないから、保育所に預けるのよ。保育所に預けると、保育料以上に税金を投入しているのは、みんな知っている。だからさ、ちゃんとみんなみんなが安心して休める環境を作れば、きっともっと保育所は少なくてすむし、もっとみんなの満足度も上がって、税金の投入量も減るような気がするんだけどね。

 それと、雇用がこれだけ不安定になっているのに、新卒しかとらない産業界にもがっかりだよ。それにどれだけ学生たちが苦しめられているか。一生を決める仕事を何でこんな短期間に決めなあかんの?ふざけんな!面接で何が分かるん?

 いつもと言っていること、変わんないかもしれない?まあ、それでも、いつもよりもタガは外れているのよ。だから突っ込みは無用だよん。

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2009年4月12日 (日)

春がきた

200904051958  雲一つなく晴れ渡る青い空。白々と広がる薄いピンクの桜。桜を見ると、春が来たのを強く実感させられる。ああ、よかった。やる気のない私にも春は公平にやってきた。春がくると、心機一転、何かを頑張ろうって、気になってくる。四季は気持ちの切り替えに役立っている。

 と、思っていたら、今週は思いがけず、娘がおたふく風邪にかかってしまった。予防接種していたのにね。どこにも出かけられず、娘と二人でベランダから外を眺めて過ごす日曜日。お外で散りゆく桜の花びらでも見ながら、お弁当でも食べたい感じなのに。

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本/書籍に「孤独のグルメ」を追加。この漫画の主人公、うちのオットにそっくりだ。食べ物の絵が丁寧で、おいしそう。

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2009年4月10日 (金)

大人しい若者

 4月になって、新4年生が研究室に入ってきた。今年入って来た4年生は、とにかく大人しい。反応が薄い。でも、大人しいのは4年生だけじゃない。M1もM2もおとなしい。ここ数年間で卒業した子たちの中にも大人しい子、何を考えているのかが分かりにくい子はたくさんいた。

 学生たちとしゃべっていると、私の頃よりも同世代間の同調圧力が強いような気がする。彼らは人と違うことをするのを恐れているようにみえる。もし、何かに手を出して失敗したら、自分で責任を取れと批判されるだろうと考えている。それに、一回道から踏み外したら、元の道に戻るのがものすごく困難なことだと考えているようだ。もちろん学生の中でも元気な子はいるのだが、周りの学生たちは「あの人は変わっている」「自分とは違う」というレッテル貼りをする。

 少し前までは、若いんだから、もっとシャキッと元気よくすればいいのに、と冷たく思っていた。だけど、どうも個人的な問題だけでなく、若い子達を取り巻く環境が悪くなっているせいもあるかな、と最近は思っている。

 若者をとりまく環境悪化の端的な現象として、国立大学の学費はガンガンあがっているというのがある。年間の授業料は、10年前に比べて10万円あがっている。これ2割強上がっているん だけど、給料水準ってこんなに上がっている?上がっていないよね。マクドの時給、10年前と変わっていないし、大卒の初任給も変わっていないもの。学費の上昇に合わせて、学生への仕送り額 もどんどん減っているらしい。米百俵の話はどこに消えたんだ?

 学生の口から聞く話としては、就職活動の厳しさがある。国立大学の理系の学生であったとしても、ワーキングプアや派遣社員の問題は全然他人ごとじゃない。一昔前は学内推薦さえもらえれば、どこかに就職できた*。でも、今では学内推薦なんて、ないよりもあった方がまし、なくてもあまり困らないという代物。むしろ、大学は、学生にとって「シュウカツだけでなく、研究もしなさい」という足を引っ張る存在でしかない。

 それに、就職ができたとして幸せになれるかというと、そうでもない、という噂も入ってくる。サービス残業なんてあたりまえ、ボーナスが出ているだけましな方とか。公務員になったらなったで、安定した生活は得られるかもしれないが、「税金の無駄づかい」と市民やマスコミにたたかれる。国家公務員は、自殺率がめちゃめちゃ高かったりするし。SEやコンサルタントは鬱病で療養中の人間が多いよ、とか。

 こういう状況の中で、「未来は希望に満ちている」といえるのは、よっぽど、鈍感か、何か信念を持っているかのどちらかだ。

 でも、私は、学生さんたちには、信念を持って「未来は希望に満ちている」と、思っていてほしい。で、そう思うためにはどうしたらいいかというと、いろんな経験をすることが一番の近道だと思う。

 若さの特権というのは、失敗できるということにあると思うんだよな。失敗を恐れていたら、小さく小さくまとまってしまって、新しいもの、楽しいものを生み出せない。自分たちで道を作っていくのが、回り道に見えるかもしれないけれど、ハッピーになるための近道だ。だから、多少失敗してでも、何かに取り組んでいってほしい。自己責任論なんて気にしないでほしい。穴の中から世界を見ている時は、失敗したら誰も助けてくれないんじゃないかと思えるものだけど、そうでもない。大丈夫、君らがした失敗ぐらいであれば、誰かが穴埋めしてくれるし、君らが年取ったときに、他の人の穴埋めをすればいい。そういう経験を積み重ねれば、きっといろんな希望を持てるようになる。

 そういう思いがあるので、先日、学生たちとの勉強会の最後に次のような話をした。勉強会というのは、学生同士で研究のやり方や統計を勉強しなおしましょう、という場なんだけど、学生たちを前にして話す場がないので、やってしまった。

 話した内容は、以下のようなこと。

  • 学生のうちに、対価が得られるアルバイトじゃなくて、ボランティアをやってほしい。どんな分野でもいい。学生で時間に比較的余裕があるうちに、ぜひやってほしい。
  • 君らが社会人になったとき、ウリになるもの、拠り所になるのは君らの学歴じゃない。どういう経験をしてきたのかということだ。一番怖いのは、何もやらないで、何となく時が過ぎ去ること。
  • ボランティアというのは、する側もされる側も相互で依存し合っている。たぶん、君らがボランティアを始めて、最初の頃は、相手に何かを与えているという意識になるかもしれない。でも、何回か繰り返すうちに、君自身がされる側の人に助けられているというのにきっと気づく。
  • 大事なのは、自分自身と「他人の問題」を切り取らない、傍観者でいないということ。自分と関係ないと思って他人事と済ますのではなく、多少おせっかいになってほしい。
  • 私が学生の頃にした視覚障害者のガイドヘルパーについて。

 学生達の反応が非常に薄かったので、心に響いたかどうかはよくわからない。まあ、こういう恥ずかしい話に反応するのは、恥ずかしいことだから仕方がない。説教くさいと思われただけだと辛い。

 それにしても、こんなことを昼間っからお酒も飲まずにいうなんて、私も年をとって、図々しくなったなぁ。自分のこと全部棚上げやん(先月は、やる気がなくて土ごもりしていたのに)。でも、少なくとも嘘はついていないし、本気で思っている。今思い返すと、私ももっともっと若い時にいろんな体験をするべきだった。今からだって、きっともっといろんなことに手を出せる。

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*学内推薦のカードが使えるのは、男子学生だけだった。女子は学内推薦のカード選びからは外されていた(鉄道会社もゼネコンも女子なんかいらないってさ)。カードは、話し合いによって分配されるけれど、ひどい学年はジャンケンによって決めていたらしい。今では考えられないよなぁ。学内推薦でほぼ受かるというのもおかしいと思うけれど、短時間の面接で学生の一生を左右するのも何だかおかしいなぁと思う。


本/書籍に、高見沢 実: 都市計画の理論―系譜と課題高橋 愛典: 地域交通政策の新展開―バス輸送をめぐる公・共・民のパートナーシップ畠中 宗一・木村 直子: 社会福祉調査入門木下 是雄: 理科系の作文技術)を追加。社会福祉調査入門と理科系の作文技術は、学生向けの勉強会のために読みなおした。

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2009年4月 4日 (土)

悲劇と喜劇は紙一重

 先日、オットが夜中に苦しみだした。その日、オットは終電で帰ってきて、1時過ぎに夕飯を食べていた。私は隣の部屋でのんきに寝ていたのだが、隣の部屋にいたオットが急に「痛い、痛い」とのたうちまわり始めたのだ。何が起きているのだかさっぱりわからず、とりあえず救急センターに電話して症状を伝えたら「病院にこれそうだったらすぐ来てください」とのこと。あまりにも痛がっているので救急車を呼ぼうかどうか迷ったのだが、オットが「救急車じゃなくていい」というので、タクシーで移動した。

 タクシーの中では、どうか大したことのない病気でありますようにって本気で祈っていた。もしオットが死んだらどうすればいいんだろうと考え、いろんな思いがグルグルと頭をかけめぐっていた。

 病院に着いてからもオットは「痛い、痛い」とmずっとうめいている。心配になって看護婦さんに、「すごく痛がっているので対応してほしい」と伝えるが、「順番に見ますからね」という冷静なお返事だった。

 じりじりと20分ほど待って、やっと診察の順番がまわってきた。お医者さんが言うには「尿路結石だろう」、とのこと。こんなに痛がっているのだから、入院や手術が必要な病気に違いないと思いこんでいたのだが、基本的な治療法は水を飲むことしかない。石が小さいうちは水をたくさん飲んで流す。石が大きそうだったら衝撃を与えて石を砕いてから水をたくさん飲んで流す。

 お医者さんが言うには、尿路結石の痛みは、人生でかかる病気の中で一番痛いそうな。でも、人生で一番の痛みであっても、死んだりはしない。人間の体って不思議だ。

 オットは救急センターに行った翌日は会社を休んだものの、その明くる日からは普通どおり仕事に行っている。

 何にせよ、命に直結しない病気でよかった。急病センターに行く途中、私たちは悲劇の真っただ中にいるかのように感じていた。それでも、終わってしまえば、すべてが笑い事になった。お水を飲めば治る病気で、死の兆候を感じていたなんて。そうオットに話したら、「勝手に殺すな」と怒られた。よかった、よかった、本当に。

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 ちなみに尿路結石は誰でもなりうる病気なので、予防を心がけることが大事。もともと男性がよくかかる病気だったのだけれど、女性でもかかる人が増えているとか。予防法は次の5つ。

  • 食塩を過剰に摂取しない
  • 動物性蛋白質を過剰に摂取しない
  • ビタミンCを過剰に摂取しない
  • 就寝直前に食事をしない
  • 一日の尿量が2リットル程度になるように水分をとる(アルコールは分解過程で水分を大量に必要とするので、アルコールを取りすぎないことも大事)

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