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2009年5月

2009年5月30日 (土)

高速道路のユーザー

 先日、高速道路会社の方の話を聞いて面白かったので、メモ。

 今は、高齢ドライバーが増えているので、それに伴った対策が必要とされている。でも、そもそも、高速道路は一般ドライバーを念頭に置いて設計されたのではなく、トラックや高速バスなどの職業ドライバーを主として利用者層としてみていた。

 同じ道路であっても、運転者の運転技能によって、捌くことができる交通量は異なる。ほんの少しのブレーキの遅れが渋滞につながることも多い。つまり、車の運転に慣れていないドライバーが増えれば増えるほど、渋滞は起こりやすくなる。もちろんモータリゼーションにより交通量の増大が主要な渋滞の原因ではあるものの、慣れない道を慣れない運転で走るドライバーが増えたことも要因としてあるんじゃないか、ということ。

 それと、高速道路は渋滞すると事故がかなり増える。渋滞していない時には、ほとんど事故が起きないのに、渋滞してくると途端に事故件数が増える。つまり、事故を減らすためにも、渋滞を減らすことは効果的であるということ。

 一般化、大衆化の功罪。あるものが爆発的に普及すると、便利になる一方で、必ず「不慣れな人」「プロじゃない人」向けの対策をかなり行わないといけない。高速道路でそういう対策をするにあたって、高速道路1000円で乗り放題施策はすごく真逆の効果があるんだろうな、と思った。高速道路会社の人々、事故対策、渋滞対策に追われているようよ。

 個人的には、一般ドライバーが高速道路をガンガン走るのって、そんなに必要じゃない気がする。交通の便が悪い所に行くにしても、電車で移動して、そこからレンタカー使えばいいやん。その方が疲れないし、環境負荷も小さい。電車で移動すると風景も見れるし、本も読めるし、駅弁も買えるし、楽しいよ(これは私らが電車好きなせいか)。事故も起こしにくいし、巻き込まれにくい。車を持たない者の視点しか持ち得ていないせいかもしれないけれど、1000円をチラつかせて一般ドライバーに高速道路をガンガン利用させるのはちょっと変だな、と思う今日この頃。

*高速道路を使う必要がない人は使わない方がいいというだけで、高速道路が必要ないとは思っていない。

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2009年5月24日 (日)

たのしいさびしいうれしいくるしい気持ちはいつでもとっても不安定

Photofuniac91285  過去ログを何となく読み返していて、意味がわかりづらいと思ったので、補足。

 ティーンエイジャーの頃、自分は絶対に子どもを産まないと考えていた。お腹の中に、自分以外の命が宿るということが不思議で、というか不気味で仕方がなかった。エイリアンみたいやん。それに、6歳年下の妹がいるにも関わらず、年下の人々が苦手だった。自分だけで持て余しているのに、他の人たちの世話なんてできない。

 と思いながらも、ガチガチの田舎の価値観にがんじがらめになっていて、結婚しない人生も子どもがいない人生も想像できなかった。だから、結婚して、相手が子どもが欲しいといったら、養子をもらおうと考えていた。しかも、ある程度自分のことは自分でできるようになる小学生ぐらいの養子をもらうつもりだった。不遜にも自分が「(プロポーズのしない)あしながおじさん」のようになれる、と考えていたのだ。

 上記のような内容を女の子の友達に話したら、「変わっているなぁ」と笑いながらも、一定の理解を示してくれた。でも、男子に話したら、「うわぁ、ちょっと、それはない」と拒絶反応。男の子は、自分のお腹の中から子どもが産まれる可能性がないから、理解してくれないんだ、と思っていた。でも、今となっては、かなり精神的にできた人じゃないと、養子を育てるのは難しいような気がするので、私でも「それはないわ」と反応するかもなぁ。ティーンエイジャーの私は養子を安易に考えすぎていた。アンジーはえらいと素直に思う。

 と、前フリが長くなったけれど、子どもは苦手だと思っていた私が親になってしまった。子どもと一緒にいる生活は、かれこれ5年になるが、やっぱり私は子育てには向いていない。子どもは喜怒哀楽がコロコロと変わるから、本当に理不尽。理不尽だらけ。でも、どれだけ理不尽で私が育児が向いていなくとも、今のところ、この子の人生に私は責任を負っているから、何とかやっていかないといけない。

 例えば、お出かけした際に、風船をもらって帰ってきたとする。その晩、娘は風船に大喜びで、天井に飛ばして遊んだりする。そして、次の日には、当然のことながらもらった風船は床に沈んでいる。それでも、娘は「風船をあげて」と泣き叫ぶ。空気より軽いヘリウムが風船から出て行ってしまったから、もう浮かばないと、いくら説明しても理解してくれない。まともに相手にしていると、こちらまで辛くなるので、娘の気持ちがおさまるまでしばらく見守ることしか術が見つからない。

 先日は、娘が朝食を食べている時に、「保育所に、髪の毛をゴムで結んでいきたい」と頼んできた。「ご飯食べ終わったらね」と快諾したのだけれど、うっかり忘れて保育所に来てしまった(だって、娘の髪は短いんだもん)。娘は、機嫌よく先生に挨拶した後に不意に気づいて「家にとりに帰って!」と泣き叫び始めた。「忘れたのはお互い様だから、仕方ないよね」と誤摩化そうとしたのだけれど、全然落ち着いてくれない。でも、こちらも大学に行かなければいけないので、先生に「すみませんが、よろしくお願いします」と預けて保育所を後にする。

 こんなことが何回も何回も繰り返される。うちの娘が特別わがままというわけでもないと思う。お昼寝のタイミングを失っていたり、お腹が空いていたり、布団のよくない方向から起きてしまったりすると、もう駄目なんだ。

 こういう時にどうすればいいのか、というと、どうしようもない。ただ、大人があんまり妥協しすぎると、子どもはこうやって泣き叫べばどうかなる、と思ってしまうので、それだけは避けなければいけない。だから、ある程度放っておくのが次善の策のような気がする。そうじゃないと、子どもにまともに対応していたら、子どもに対してひどいことをしそうになる。そして、子どもの気持ちが落ち着いてから、何がよくなかったのか、こういう時にはどうすればいいのか、気持ちを切り替えることが大事だよ、という話を淡々とする。でも、あんまりクドクドと言い過ぎると、「お母さんはしつこい」と言われるので、気をつけないといけない。

 ちなみに、この記事のタイトルは、たまの名曲「方向音痴」から借用。最近、子どもの気持ちがクルクルと切り替わる時、この歌を口ずさんでいる(娘に口ずさんでいるのを見つかって、怒られる時もあるだけどね)。本当にそうだよなぁ。気持ちはとっても不安定なんだ。この不安定さを安定させるのは、なかなか難しいことなのよ。

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写真:シャボン玉をふく娘。http://www.photofunia.com/で加工。

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2009年5月22日 (金)

新聞を書いて配るよ

 この1週間保育所も大学も休校(というか研究は自粛なので、研究しても別にかまわない)。というわけで、この1週間は子どもと二人きりの時間を過ごした。こんなに長い間、どこに行くでもなく、普通の日を子どもと二人きりで過ごすのって、久し振り。大変だったけれど、新鮮だった。 

 月曜日は、オットは有給休暇をとっていたので、竹やぶのある近くの公園まで3人でピクニック。火曜日は、私に微熱が出たので、念のため自宅で療養(一日ゆっくりしたら治ったので、ただの風邪だった模様)。

 そして、水曜日から3日間は、娘と一緒に大学に通った。大学に行ったものの、私はほとんど何もできなかった。娘には静かにすることを約束させたが、神妙な顔をしていたのは30分ほどだけ。その後は、すっかりいつもどおりの娘のペースだった。

 気が付くと、娘は歌を口ずさみながら何かをしている。DVDを見せておけば1時間ぐらい静かにしてくれるかと思ったのだが、そんなわけない。途中で少しでも怖いシーンがあると、「キャー」と走り回る。私やまわりの大人にやたらと話しかける。電話を受け継いでいる途中で、「今日は電話が多い日やなぁ」と大声で話す、などなど。

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 昨日と今日は、娘は新聞作りに忙しそうだった。左にあるような絵を、「しめきりに遅れる」と焦りながら、ひたすら描き続ける。30枚程描き終えたところで、「あー、間に合った」と安堵の声。そして、母に「よみうり新聞」と一枚一枚に書かせて完成。なぜ?うちは読売新聞を購読したこと無いよ。昨日はA4で1枚ピラのもので満足していたのだが、今日は複数枚をのりで貼付けていた。

 新聞作りが終わったら、今度は新聞配達に出かける。事務職の方、学生、先生方に一部ずつ「新聞です」と配るのだ。残った新聞は心やさしいI助教に受け取ってもらった。そして、ようやく終了。

 あとは、普段でもやっているのだけれども、よくわからない「ごっこ遊び」。この「ごっこ遊び」は、いつも唐突に始まる。最初はわけが分からなくて、普通に対応していたら、「お母さんはこういう役なんだから、こういうふうに答えて」と説明される。今日は友達遊びで、娘と私はクラスメイトという設定だった。「ねぇ、○○ちゃん、今日は一緒に二人で旅行ができてうれしいわ」、「こんなに大きな自転車に乗れるなんて、○○ちゃんはすごいのねぇ」なんていう上っ面なセリフを、いつもよりも高い声で娘が話す。私もそれに合わせて「そうね」、「誉めてくれてありがとう」といつもより高めの声で答える。

 他にも、娘のオリジナルソングもたくさん聞けて面白かった。下記は娘の歌の一部。もっと面白いのがあったのに、忘れてしまった。

note(紅茶に砂糖を入れてスプーンでかき混ぜながら)はたらけ、はたらけ、さとうさん。はたらけ、はたらけ、おとうさんはたらけ、はたらけ、おとうさん

note(お人形の世話をしながら)小さいおっぱい、大きくなるよ。ぴっちょんぴっちょん、ぴっちょんちょん

note(ホワイトボードに絵を描きながら)ぐちゃぐちゃかきーかきー、ぐちゃぐちゃーかき。

note どですかどん、どですかどん、どですかどですか、どですかどん。がんばれがんばれ、どですかどん、どですかどですか、どですかどん。(あとで聞いたら、保育所で習った曲だった)

 というわけで、この1週間、私は研究活動を本当に自粛してしまった。こまったこまった。あはははは。ま、いいや。いや、よくない、よくない、全然よくないよ。そろそろ学生生活をオイトマしたいので、来週から急ピッチでがんばるよ。

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2009年5月17日 (日)

新型インフルー

 何でもかんでも最先端の流行がいいってわけじゃないのよん。困った、困った。

 困ったことに、新型インフルエンザの波が私たちの住んでいる大阪にもやってきた。新型インフルエンザ自体の毒性はかなり低いとのことだけど、学校関係は1週間お休みになった。そんなわけで、娘の保育所も私の大学もお休み。

 保育所の先生から「保育所お休み」のお電話があったのだが、それを聞いた娘は 「私、ちゃんと水際対策していたのにね」と、真剣な表情でのたまった(不謹慎だけど、ちょっと面白かった)。

 念のため、薬局にマスクを買いに行ったら、どこの店も売り切れとのこと。心なしか、町中に出ている人々も少ない。 

 まだまだ人ごとだけど、このインフルエンザ、ちゃんと収束するんかなぁ。不安だ。 普通、暖かくなればインフルエンザはおさまるのに、罹患者がどんどん増えているし。 タミフルが効くらしいけれど、数も限られているらしいしなぁ。とりあえず、健康に気を付けて、体調を整えよう。

 ちなみに、インフルエンザについては、以下のページが少し役に立ちそう。

  • 内科医が風邪について書く(単純には「水と塩」が必要最小限。もともと元気な人は、インフルエンザになっても何とかしのげ。などなど)

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2009年5月16日 (土)

子どもといっしょに、自転車でどこまでも行こう

 うちには車がない。お金がかかるのもあるが、必要ないから買う予定はない。

 車を持っている人たちと話をしていると、車を持っていないという状況があんまり想像できないらしい。「公共交通が通っていないところへ小さい子どもとは出かけられないやん」とか、「荷物がある時とか困るし」とか。

 でも、自転車もちょっと装備を整えれば、結構、家族での移動に対応できる。自転車って意外と使える乗り物だよ。

 それに、自転車での移動は体力が必要だと思われがちだけど、ゆっくり進むのであれば、そんなに体力いらない。運動神経がからしきなくて運動不足の私*でも、そんなに問題なく自転車で20kmぐらい移動できる(この前は豊中から西宮に行ったけれど、楽しかったよ)。 

 子どもは、補助いすをつけるかキッズトレーラーに乗せればいい。

 補助いすは、topeakのベビーシートを使っている。必要がある時だけ工具なしでつけれて、不必要な時は簡単に外せるので、便利。背もたれがちゃんとしているし、シートベルトも三点式でしっかりしている。このベビーシート、安いママチャリぐらいの値段であるので、これを買うか、新しくママチャリを買うか、かなり迷った。だけど、このベビーシートで正解だった。ママチャリだと長距離移動が大変だし、このベビーシートはサスペンションが付いているので乗り心地がよいみたいだ。

 キッズトレーラーは、自転車の後ろのタイヤに取り付けるほろ付きの乗り物。日本ではほとんど見かけないが、一昨年行ったカナダでは自転車に取り付ける補助イスよりトレーラーの方が多かった。ただ、問題は上り坂はすごく重いので、結構鍛えている人じゃないとしんどいかも(うちでは、キッズトレーラーを引っ張るのは主にオット)。それと、交通量の多い道では車道を走行するのは危険なので、歩道を走行せざるを得ない。

 キッズトレーラーの良いところは、子どもがトレーラーの中でのんびりできること。うちの子は中にお人形とお茶を持ち込んで、自由気ままな時間を楽しんでいる。時折、さびしくなって、父母を呼ぶ時もあるが、自転車の程よい揺れで寝てしまうことも多い。それと、荷物も大量に入るので、パスタやトマト缶といった保存食品を買いに行く時に重宝している。

 キッズトレーラーはいろいろと探したのだけれど、近くの自転車屋さんでは取り扱っていなかったので、インターネット通販をした。私たちが買った3年前よりも、色がカラフルになって、軽量化が進んでいるようだ。

 キッズトレーラーで移動していると、かなり注目を浴びる。車を減速して近づいてくる人や、信号待ちしている時に話しかけてくる人とかも多い。子どもたちが「すっげー」との歓声をかけてくれるのも面白い。おばちゃんたちは「私らものせてほしいわ」と話し合う声が聞こえる(誰がひっぱるんだろう?)。オットと「私ら、キッズトレーラーの良い広告塔だよね」と話している。

 キッズトレーラーが日本で普及しないのは、自転車道の整備が遅れているせいもあると思う。でも、多分、日本の自転車道の整備は、今のままだとあんまり進まない。日本の道路行政はだいたい後手後手の事後対策だから**。だから、もっともっと自転車ユーザが増えないと、自転車道の整備は進まない。そういうわけで、もっと自転車安全に便利に使えるようにするために、もっとみんな自転車の便利さに目覚めて、自転車をがんがん使ってくれるといいな。

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*小学校の間は通知表の体育は「2(5段階で)」がデフォルトだった。おかげで、私は運動が嫌いなんだと思い込んでいた。でも、大人になって気づいたのは、上手にできないだけで、運動すること自体は嫌いじゃないということ。学生時代の体育って、運動のできない人間にとって、かなりトラウマなんだ。

**たとえば、高齢者が2割を超えるぐらいになってから、バリアフリー対策に本腰を入れるようになった。高齢者割合が14%を超えると高齢社会といわれるので、もう10年ぐらい早く取り組むべきだったと思う。その方が整備費用がもっと少なく済んだはず。

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2009年5月14日 (木)

グーとパーで赤ちゃんと会話をしたかった

20060611001  娘が話し出す前、すごく賢げに見えた。宇宙からやってきた使者のようだった。何もかもお見通しなんじゃないかと思わせる純粋さがあった。でも、そういう日々も、はるか昔になってしまった。不思議だ。あの頃の賢そうな雰囲気がまったくなくなってしまった。今では

「あのなぁ、わたしなぁ、きょうなぁ、ほいくしょでなぁ、それでなぁ」

と、娘は取り止めもない話ばかりする。しかも、

「○○って、おもしろいねん、あははは」

と言って、自分の話に笑い転げる(面白い話をする時に自分で笑うと致命的に面白くなくなる。でも、子どもがやるとその仕草が面白くて、話の意味がわからなくても一緒に笑ってしまう)。しかも、娘は人の話をさえぎってでも、自分の話をしようとするので、よくオットとケンカになる(4歳児と対等に喧嘩してしまう34歳児もどうかと思ったりするのだが)。

 でも、娘と会話ができない1歳前後の頃は、私は娘と意思の疎通をしたかった。何が好きなのか、何が嫌なのかを教えてほしかった。そんなわけで、本屋さんでベビーサインの本を見つけたとき、大喜びで買って帰った。

 ベビーサインというのは、グーとパーといった簡単な手のサインで赤ちゃんとコミュニケーションをする方法。たとえば、ほっぺたをパーでぽんぽんと叩いたら「おいしい」とか、あごの下にグーを持っていったら「待っててね」とか、そういう簡単なジェスチャーである。ベビーサインの本には山ほどサインが載っているのだけれど、全部覚えなくても、数個覚えれば、結構赤ちゃんとコミュニケーションをとれる。

 子どもが初めて「おいしい」のベビーサインをした時、本当にうれしかったなぁ。この「おいしい」のサイン、今でもよくしてくれている。レストランとか外で食べている時に、娘が私に目配せをしてほっぺを2回叩いてくれたり。

 うちの娘はあんまり覚えてくれなかったんだけど、病気の症状を訴えるベビーサインを覚えれたら、便利だっただろうな、と思う。病気の時って、子どもは言葉数が少なくなるから。今からでも教えようかな。

 写真:1歳ごろの娘。片言の日本語を話していて、とてもかわいかった。

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 先日、10年前の友人のYさんが我が家に来たとき、この↓ベビーサインの本をプレゼントしました。かわいらしい絵なのと、小さい本なので、邪魔にならないかと思って。でも、ちょっと私の子どもっぽい趣味が全面に出過ぎしているかもしれない。プレゼントっていうのは結局のところ、趣味の押しつけで、我がままなものなので、仕方がないです。というわけで、時々、パラパラとみていただけるとうれしいです(ワールドワイドな私信でごめんなさい、Yさん)。

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2009年5月 9日 (土)

文字が読める世界

 娘が急に文字を急速に覚え始めた。2月には、数えるほどの文字しか読めなかったのだが、ほとんどのひらがなとカタカナを読めるようになった。びっくり、びっくり、本当にびっくり。ほんの少し前まで、娘が絵本を一人で読むなんて遠い先のことだと思っていたのに(「つ」と「し」と「く」の区別がつかなかったんだから)、簡単な絵本であれば一人で読んでしまう。

 ひらがなとカタカナは表音文字だから、覚えるためには丸暗記しないといけない。かえって、表意文字である漢字の方が覚えやすいのではないかと勝手に思っていたのだ。私は幼児の丸暗記能力をなめていた。そうだった、幼児というのは、無意味なものでも興味を持ったものは丸暗記できるんだ。少し前も、文字も読めないのににほんごであそぼカルタをほとんど覚えて、親を驚愕させていた(「みちのくのははのいのちをひとめみん」とか「あめにもまけず、かぜにもまけず」といった言葉を丸暗記したのだ)。

 それでも、子どもが何か一つできるようになると、必ず困ることも少し出てくるのが育児。文字についても同じこと。

 娘にとって今まで意味のない模様にすぎなかったものが、意味のあるものとして迫ってくるようになった。その変化があまりに急なのものだから、娘は生活の中にあふれている文字が気になって気になって仕方がないようだ。町中の看板やポスターの一つ一つに立ち止まってゆっくりゆっくり一字ずつ読んで、なかなか前に進めなくなっている。食品のパッケージも気になって気になって、書いてある文字を読むまで片付けさせてくれない。

 でも、急に文字が読めるようになるってどんな感じなんだろうね?毎日毎日おもしろいんだろうなぁ。オットが、ハングルを覚えたら町中に溢れるハングルを急に読めるようになるので追体験できるのではないか、と言っているが、ハングルの音と意味を繋げるにはかなり勉強が必要な気がするので、娘が感じているものとまた違うのではないかと思ったりする。

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2009年5月 2日 (土)

赤ちゃんは人生を楽しくいきたほうがいい

Child_care  2つ前の職場にいた時(つーか、どんだけ転職しまくり人生なんだ?)、職場の方々から産休の直前に「定本 育児の百科松田道雄著)」という本をいただいた。

 やたらと分厚い本で、表紙にはいかにも日本人の赤ちゃんという感じの写真。育児本なんてハウツーものとか教条主義的なものかのどちらかだろう、という気持ちで読み出したのだが、思いのほかこれが面白かった。内容も面白いのだが、文章に味があって素晴らしい。

 例えば、赤ちゃんの「消化不良」という項では、

母乳だけで育っている赤ちゃんが、1ヶ月ちかくなって「消化不良」で医者を転々と変えることがある。それは偏見のなせるわざで、赤ちゃんにとって、こんなめいわくなことはない。
母乳栄養がいちばんいいといわれて、無理にも母乳でそだてている母親は、理想主義者である。理想主義者である。理想的な栄養をしているのだから、赤ちゃんの便も理想的なのが出るだろうと思っている。(p108-109)

  「理想的な栄養」で「理想的な便」って、図星だ。私も母乳信者でしたから、この気持ちよくわかる。INPUTが良ければ、OUTPUTも良いはず、という 思いこみ。こわいこわい。病院まわりをしないですんだのは、この本を読んでいたおかげかもしれない。赤ん坊が少々熱を出していたとしても、ちょっと柔らかい便をしたとしても、赤ん坊がニコニコと元気よくしていれば、大概の場合病院に急いでかけこむ必要はない(むしろ、いろんな病気をもらってしまうかもよ)。

 赤ちゃんの「偏食」という項では、

人間の好みにかたよりがあってはならないという思想には、賛成できない。特別にあるものが好きであるという性質は人間にむしろ必要である。好きなものがあるという裏には、きらいなものがあるのはやむをえない。食べ物についても、同じことがいえる。
食べ物の味にたいする好みを、赤ちゃんの時代に無理にかえようとあせらないでいい。赤ちゃんの時きらいだったものを幼児期になってよろこんで食べるというのはめずらしくない。ある程度の努力はいいが、むきになってはいけない。(p355)

 たいがいの育児書には、偏食にならないような工夫ばかり書いてある。それなのに、この本ったら、偏食を肯定している。

 私自身は、食べ物に関して好き嫌いがほとんどないので、娘の好き嫌いにはほとほと困っている。トマトジュースが飲めるのに、しかもトマトソー ス、トマトケチャップは好物なのに、なぜ生のトマトが食べられないのか? 苺は大好きなのに、なぜ桃が食べられないのか? ニラが大好きなのに、ほうれん草が嫌 いなのはなぜか? でも、食べ物の好き嫌いも含めて、娘の個性なんだよね。だから、あきらめないようにしつつも、無理強いはしないようにってこと。

 子どものおやつについての項には、

おやつは子どもの楽しみである。人生は楽しくいきたほうがいいから、子どもにはなるべくおやつをやりたい。(p527)

なんて書いてある。「楽しみである」って断定が何か面白い。そうだ、おやつは人生の楽しさに結びついているんだ。これを読んで、子どもにおやつを与えるのが楽しくなった。この子の人生が楽しくなりますようにって、あげればいいいんだ。

 その他、この本の特徴は以下の通り。他の育児書をたくさん読んだわけではないが、本屋さんで見た感じでは以下の特徴がある育児書は多くない。

  • 月齢ごとに書かれているので、全部をいっぺんに読むのではなくて、該当する齢だけを読めばよい。
  • 赤ちゃんがニコニコしていれば、無理に病院に連れて行く必要はないという姿勢。結構、他の育児書には怖い病気ばかり書いてあるので、母親を不安にさせることが多い。
  • 集団保育について、結構なページが割かれていること。赤ちゃんを保育所に預けて仕事に行くお母さんを安心させようという意図が感じられる。
  • 離乳食、子どもの食事の準備にあまり時間をかけなくてよいと書いてあること。食事の準備に時間をとられるよりも、子どもと遊んであげることが大事であること。
  • 他の人の助言はそれほど役にたたないこと。多くの人は限られた子どもしかみていないし、子どもは個人差が大きいので、参考程度に聞いた方がよいと書いてあること。

 ただし、著者の松田道雄氏は故人であるため、1998年以降、内容が更新されていない。そのため、保健所や産婦人科で教わることと異なるところもある。例えば、この本のとおり離乳食を与えると、少し早すぎるような気がする。

 amazonで調べたところ、私がいただいた単行本版はもう売られていないようだ。代わりに文庫本が出されている。

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