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2009年6月20日 (土)

ドロップアウト、アウトサイダー

Dsc00176_s  また、周回遅れになってしまったネタですけど、アカデミックハラスメントについて。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090513STXKD016413052009.html
「指導に重大な過失」=大学院生の自殺で東北大

 このニュースの場合、たまたま因果関係が明確なので、ニュースになっているだけだ。大学ってところは、この手の話には事欠かない。『具体的な指示を与えず、適切な指導を行わなかった』と書かれていたりするけれど、こんなん、どこの研究室の指導もわりとそうだったりする。

 自殺しちゃう人の気持ちは分からないでもない。指導教官に認められないというのは、かなり辛いことだ。将来を悲観してしまう気持ちはよく分かる。他人事だけど他人事じゃない。

 博士課程3年目にして思うのだけど、意味のある研究をするのって、本当に難しい。 研究に求められる第1条件は「オリジナリティ」。つまり、今まで誰も手を出していないということ。 でも、誰も手を出していないということには理由があって、難しすぎるからというのもあるだろうけれど、「やってもムダ」「意味がない」「つまらない」から、誰も手を出していないからかもしれない。

 自分の研究がまさに「意味がない」のではないかという気持ちに陥る学生は多いと思う。特に、先生に与えられたテーマじゃなくて、自分でテーマを設定した場合なんかは。 自分がやっている分野は、すでに学問としての体系はできあがっているように見えるし、 そこに自分が考えた研究成果を付け加える余地なんてないように思える。

 そういう時に、周りのサポートが少しでもあれば、何とか乗り越えることができる。指導教官以外に研究について相談でいる人を確保しておく、というのは大事なことだ。私の場合は、幸いなことに、相談しやすい先生が何人もいたり、行くと楽しい現場があったり、家族がいたり、思いを共有できる友人がいたりするので、何とか楽しくやっている。あと、学会で発表するってやっぱり大事。自分の指導教員は認めてくれなくても、他の先生が応援してくれる時もあるし、同じような研究をしている人もいるし。

 そして、もっと大事なこととして、「ドロップアウトしても平気」という思い切り。そして、アウトサイダーとして、少しひいた目線で大学や研究対象を見ていく。そうすれば、先生に認められないとか、卒業が遅れたとかいう理由で自殺しなくてすむ。それに、引いた目線で見た方が研究対象に対する視線もぶれないかもしれない。

 私は8年前に会社を辞めて以来、アウトサイダーとして生きている気がしている。会社を辞めて、1年くらいふらふらとしていた時期は、かなり鬱々としていた。ああ、私はこのまま社会との接点を失うのかもしれないって。でも、子どもを産んで、大学に入りなおしたことで、「もうアウトサイダーのままで、ええやん」と開き直っている。レールから外れても楽しくハッピーに生きていけるし、何かを一生懸命やっていればお仕事が向こうからやって来るときもある(で、研究に対する視点が定まっているかというと、ぶれまくりなんだけどね)。

 アカデミックハラスメントについては、教官自体の問題も多いけれど、学生側も自衛しないといけない。自分一人で抱え込まないで済むような環境を整えること。そして、自分の人生の向かう先を真っすぐなものではないと捉えること。博士後期課程というところは、優秀な人でもかなり悩む場所なので、能力も気力も普通かもと思う人は、よくよく考えた方がよいよ。

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 「博士後期課程の歩き方」というカテゴリーを作ってみた。今まで「研究のこと」カテゴリーに入れていたけれど、研究に関する話とは少し色合いが違うので。ハウツーものなのに、博士後期課程に入るのを全然勧めていないネガティブな文章群で笑った。

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写真:徳島眉山で見かけた猫山さん親子。子どもたちは3匹いたけれど、一緒にフレームに入ってくれなかった。ねこ、かわいいよ、ねこ。中学生の頃、将来の夢をかかされた時、「猫になりたい」と書いたら、先生に怒られたなぁ。

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