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2009年8月27日 (木)

研究者の冷たいハート

 研究者に憧れて、博士後期課程にきたものの、私は研究者に向いていない気がする。

 研究者に憧れた理由のひとつは、仕事範囲を自分で定めることができるということ。影響を及ぼす範囲の広さ。そして、若い世代と交流することの可能性といったこと。

 でも、なりたいと思いつつも、ポストが限られている以上、なかなか研究者にはなれないし、それ以前の問題として、研究者の適性があるかどうかというのもある。

 博士後期過程に入ってすぐに、准教授の先生に「これからの研究者は地域に入っていかないといけない。でも、地域の中でいろいろと一緒に活動しつつも、冷たいハートを持っていないといけない。冷たいハートの持ち主だけが、客観的な分析をできる」と言われた。その時はそんなものか、と思ったのだけど、いまさらながら私は冷たいハートなんか持てないような気がしている。

 たとえば、困っている人がいたとして、その人の状況を詳しく分析するのが研究かもしれないが、私はついついその人に対していろんな思い入れをしてしまうし、何かに対して憤りを感じてしまったりする。それに、研究的に新規性がある、という理由だけで、いろんなことを聞き出すのには、かなり躊躇する。

 今回の佐用の災害だってそうだ。もっともっとボランティアを投入すべきだ、とか、義捐金を集めなきゃ、とか思う。ある先生は「これをきっかけに人口が移動するだろうから、そういう人口動態を調査したりすると研究上意義があるんじゃないか」と言った。私はそんなことを思いつきもしなかったし、そんなことするのは嫌だ、そんな研究できない。だって、「ここに住んでいたおばあちゃんは佐用が大好きだったのに、住宅を再建することができなかったから神戸の娘さんの家に移り住んでしまった。高齢になってから慣れていない都市で生活するのはどれほど大変なんだろう」といろんなことを考えてしまって、調査なんかしたくなくなるのが目に見えているから。それに、今だって、論文の締め切りがあるからここにいるけれど、本当は佐用にもっと行きたい。論文なんて役に立つかどうかわからないのに、こんなものに振り回されている自分が恨めしい。

 冷たいハートを持ちきれていないから、私の分析はシャープさに欠けるし、考察も一般的すぎる。だから、私の論文はつまんない。なんか言い訳がましいな。がんばろうという掛け声だけじゃ乗り越えられない壁があるような気がするんよなぁ。

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