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2009年10月

2009年10月31日 (土)

筋電義手の話

 以前、私が働いていたF研究所は、筋電義手の処方を行う数少ない施設の一つだった*。筋電義手というのは、脳から発せられる命令が神経を通して伝えられた時に発生する微弱な電気的刺激を検知して、動く義手。5本の指すべての指を動かす筋電義手も研究がすすめられているが、一般的な筋電義手は手のひらを閉じる/開けるの単純な動きしかしない。それでも、動かない義手と違って、物をつかむことができるし、他の機能的な義手(フック型のものなどと比べると)ぱっと見、普通の手に見える。

 去年、24時間テレビで、そこの施設で筋電義手を処方された少女がヴァイオリンを演奏する姿が放映された。先天的に上肢欠損で生まれると、無いのが当たり前なので、上肢がないことの不便さ、義手の便利さを感じにくいらしい。1回処方されても、長続きしない子どももいるそうな。ヴァイオリンの演奏は両手がないとできないので、リハビリとしても意味があるとか。

 放映後、問い合わせが飛躍的に増えたそうだ。私は、24時間テレビの演出があまり好きではないのだが、情報を伝達するという役割は重要だ。なぜなら、上肢欠損の子を持つ親でさえも、筋電義手に関する情報を持っていないから。

 なぜ、筋電義手の情報が広まっていないのか?最大の理由は、筋電義手は一般に公的に処方されていないこと。身体障害者福祉法では筋電義手の交付は基準外交付という形でしか認められず,労災による交付も,両側上肢切断の片側のみ交付が認められているという状況らしい。さらに、義手が1本100万円程度と高いこと(当然、処方後のリハビリ、定期的な適合チェックなど費用はかなりかかる)、筋電義手を処方する病院が少ないことから、自費で筋電義手を使おうという人はまずいない。

 補装具の基準外交付は、普通の病院では不可能というぐらい難しいらしい。F研究所は、研究の一環で筋電義手を購入、貸出していた。使えるという実績を積んでから交付申請するとか。筋電義手が交付の基準外になっているのは、日本で「使えないもの」と思われているためだとか。義肢装具士の方は、医療のそういう常識を変えたくて、少しずつ筋電義手ユーザを増やしていこうとしていると言っていた。

 実は、筋電義手は新しい技術ではない。何十年も前からある技術で、欧米では義手と言えば筋電義手を指すらしい。一人の人間が自立して生活できるという観点からすると、公費で負担するべきだと思う。しかしながら、筋電義手に限らず、障害者の補装具の公費支給の物品や価格の基準は、1990年代後半の状況が変わっていないという話も聞くので、なかなか使い勝手のよいものになっていないようだ。障害者の人数は少なく、高齢者介護に比べて市場が小さい。そのため、障害者の補装具や施策の改善があまり進んでいない。

 私の専門ではないため、この記事の全てが伝聞を元にしているのは、少し心苦しい。この現状を変えていくのには、少しでも多くの人に知ってもらうことが大事かと思い、私が知っている範囲でまとめてみた。

 筋電義手に関する情報はこちら→が詳しい。日本義肢装具学会誌の特集「小児の四肢欠損・切断と義肢」筋電義手と試用評価サービス

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今回の筋電義手に関する話は、F研究所の研究者、義肢装具士の話をもとにして書いています。また、miwa_chanさん(twitter)に障害者の補装具の現状を教えてもらいました。

*F研究所は、病院やリハビリ施設などを含む大きなセンターの中の一部分。正確に言うと、筋電義手を処方するのは病院。でも、研究所に所属している義肢装具士、義肢の研究者も大きく関わっていた。私がしていたのは、交通計画に関する研究。交通計画は環境の面から、義肢装具は個人の身体能力の面から、障害者の生活を支える。目的は同じだけど、アプローチが全く違う。

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2009年10月30日 (金)

障害があること自体は不幸じゃないはず

  国際生活機能分類(ICF)というものがある。国際的に障害がある状態というものをどう定義づけるのかを示したものである。ICFの利点はたくさんあるが、障害とは身体的な機能障害だけでなく、環境因子も障害に含まれると位置づけた点は大きな利点であると思う。

 同じ身体機能を持っていても、環境が異なれば、できること/できないことは大きく違う。たとえ車いすユーザであっても、住宅や交通機関、多くの施設がバリアフリー化されていれば、移動に大きく困ることはないだろう。一方、身体機能に障害がなかったとしても、車が使えない私なんかは、田舎に行くと大きく移動に不便を感じる。子どもが小さかった時も、ベビーカーを押していると、やたらと遠回りしないといけなかったり、エレベータがなくて階段しかない駅のホームで立ち尽くしたことがある。人の能力というのは環境に依存する部分が大きい。

 ということをふまえて。私は社会をバリアフリーにする意義は大きく4つあると考えている。

 1つはバリアフリー化することで、個人の能力を高めることができるだろうということ。障害があろうとなかろうと、一人一人ができることの幅を広げる。そして、生き方を自分できることができるようになる。

 2つ目は、バリアフリー化することで、公平な社会を実現できるだろうということ。バリアフリー化されていないと、障害を持っている人、持っていない人との間で格差が大きい。移動もそうだし、教育、職業など様々なところで格差が生じている。バリアフリー化は、そうした格差を小さくすることができる。

 3つ目は、バリアフリー化することで、「安心」「安全」な社会を実現できるということ。車いすユーザでなくとも、駅のエレベータにほっとしたことがある人は多いだろう。万が一、けがをした時、妊娠したとき、大きな荷物を持った時、そういった一時的な障害が生じても、社会全体がバリアフリー化されていれば困難が小さくなる。また、不確定要素の多い将来に対する不安も減らすことができる。

 4つ目は、バリアフリー化することで、社会を活性化することができるということ。たとえば、通勤が困難であることを理由に仕事ができなかった障害者の方は多い。働きたい人が働けるようにする、人と人との交流を深めるなど、バリアフリー化することで達成できることはたくさんあるだろう。

 障害があること自体は不幸じゃない。障害に対応していない社会であるということが不幸なんだ。私は、この世の中が良い方向に向かっていると信じているし、そう感じている*。障害を障害だと感じない社会がいつの日か実現できる日がくると思っている。

 具体性がなくてすごく上滑りのつまらない文章になってしまった。私の経験値が少なくて、文章が下手なせいだなぁ。書きたかったことは、障害があるかないかというのは環境に依存するから、障害者のことやバリアフリーは他人ごとなんかじゃなくて、みんなに関する話なんですよ、ということです。

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*もちろん小さなブレはあって、悪い方向に向かっている時もあるが、大きな流れを見ると、そう悪くはないのではないかと。そして、その悪い方向は修正がきくのではないかと。

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2009年10月25日 (日)

みちくさをくおう

 先日、はじめにきよしのインストアイベントに行った。6年ぶりのニューアルバム「みちくさ」に合わせたイベント。新しいアルバムには、20曲も入っている。サキタさんののこぎりも、きよしさんのピアニカも生で聞くと本当にいい音でうっとりした。素敵な曲ばかり。 

 ライブでは、きよしさん、緑色の変わった鍵盤ハーモニカを使ってはった。口笛のような高い音色。大きさも普通のものよりも幅が広くて、鍵盤少なめ。調べたら、アンデスという鍵盤リコーダだった(ハーモニカじゃないのね)。いいなぁ。ちょっと欲しい。 でも、弾くのがすごく難しいみたい。

 ライブの後は、サイン会。娘は、NHKのテレビ番組「
シャキーン」で流れている「るるるの歌」が大好きで、これを歌っているサキタさんに会いたい、会いたいと言っていた。映画「パコと魔法の絵本」を見た時も、ノコギリを弾く包帯男さん(サキタさん)にも会いたがっていた。それなのに、サイン会では恥ずかしがって目も合わせられなくて、机の下に隠れてしまった。最近の娘は恥ずかしがりやさんだ。

 思い起こせば、"はじめにきよし"を聞きだしてから、もうすぐ10年。金沢のもっきりやではじめて聞いたのが最初。それ以来、ライブに時折でかけたり、アルバムを買ったり、人にプレゼントしたりしている。聞くと気持が落ち着くというか、ほっこりさせられるというか、うれしい気持ちになる。久しぶりに新しいアルバムが聞けて、うれしいなぁ。

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2009年10月24日 (土)

結婚式の不思議

 昨日に引き続いて結婚式の話。

 我が家の近所に、チャペルのあるホテルがある。この季節、週末になると結婚式が行われているようだ。「ようだ」というのは、通りすがりに、ハイテンションな司会の方の声を聞いたり、飛んでいく風船を見かけたりするので、「結婚式をしてるんだなぁ」と思うだけということなんだけど。全く見知らぬ誰かが結婚している、というのを感じ取ることができる環境というのは不思議なものだ。

 でも、思い起こしてみれば、子どもの頃は、見知らぬ人の結婚をもっと身近に感じていた。私の生まれ育った福井は結婚式が派手なお土地柄だった。春や秋には、花嫁道具を積んでいると思われる大きな赤いリボンをつけた派手なトラックをよく見かけた。それに、饅頭まきもよく行われていた。饅頭まきというのは、お嫁さんが嫁ぎ先の2階の窓からお饅頭やお菓子等をまく儀式で、主に福井でだけ行われるものらしい。週末になると「○○で饅頭まきがあるらしい」という噂を聞いて、エプロンをつけて出かけるのだ。そして、エプロンを広げて落ちてくる饅頭をキャッチするのだ。不思議な儀式よなぁ。でも、私が中学生ぐらいになってからはあまり見たことがないので、廃れてきているんだろう。

 そういえば、結婚式の食事にお赤飯と鯛の尾頭付きは「必ず付くもの」ではない、というのに最近やっと気がついた。引き出物と一緒にお赤飯を持ち帰るのが、結婚式の楽しみの一つだと思い込んでいた。

 先日は、後輩の結婚式で、ファーストバイトというイベントを初めてみた。お互いにケーキを食べさせるというもの。司会の方の説明によると、新郎から新婦への一口は「一生食べるものに困らせないから」、新婦から新郎への一口は「一生おいしいものを作ってあげる」との意味が込められているらしい。何でこんな役割分担をみんな受け入れるんだろう?不思議だ。

 不思議と言えば、新婦から家族への手紙も不思議だ。なぜ、ああいう個人的な思いをなぜ衆人環境のもと、打ち明けなければならないんだろう。しかも、新婦のみで新郎からの手紙はない。そして、私はあれにいつも困る。だって、友人の頑張ってきた様子とかを思い浮かべて泣いてしまうし、自分と友人を重ね合わせては泣いてしまうし。お酒が入っているのもあって、号泣してしまったこともある(←泣き上戸とはいえ、バカか私は)。最近では、自分の娘が改まって家族に手紙を書く様子を勝手に想像して、さらに泣いてしまう。

 斎藤美奈子さんの著書「冠婚葬祭のひみつ」によると、式も披露宴も高度成長期にできた形態で、伝統的なものではない。そうはいっても、結婚式は、区切りになるし、気持ちも改まる部分はあるだろう。それに、披露宴は、親戚や友人、お世話になった人々に配偶者を紹介する場としてちょうど良い。そんなこんなで。私にとって結婚式は不思議がいっぱいで、興味深い。

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2009年10月23日 (金)

巫女さんだった

 学生の頃、ホテルの結婚式の巫女さんのバイトをしていた。1回だけ写真を撮ったような気もするが、紛失してしまって残っていないのが残念だ。残っていたら、子どもに見せて自慢したかった。

 巫女さんのお仕事は、準備と片付け(神酒、榊、杯、お祝いのお菓子の設置、雅楽テープの確認など)、神主さんのサポート、お神酒をつぐ程度の軽微な内容だったのだが、なかなか楽しかった。1回だけ研修を受けて、あとは何となくのノリでこなしていた。お神酒をスムーズにつぐこと、すり足で素早く歩くことが大事だった。

 基本神式だったのだけど、人前式、仏式も体験したことがある。そういうときは、巫女さんの衣装ではなくて、スーツを着ていた。人前式はお神酒もないし、榊もないから、することが少なかった。仏式 は、お坊さんがお経読んで、それに合わせて出席者も唱えるので圧巻だった。

 1回だけ、ホテルに行ったら「都合により式がなくなりました」と言われてびっくりしたことがある。2週間前にアルバイトの連絡をもらったばかりだったので、こんな短期間に心変りがあるものかと。

 いずれにしても、見ず知らずの人の結婚式に参加している私という状況自体が面白かった。巫女さんの格好自体がコスプレみたいで楽しかった。こんな軽いノリで巫女さんになってしまって、結婚式を挙げた方々、ごめんなさい(ちなみに、神主さんは近くの神社からやってくる本物)。

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2009年10月16日 (金)

土木への愛をうちあけよう

 あ~いして~る~の響きだけで、強くなれる気がしたよ(from チェリー@スピッツ)。

 三十路を越えて、恥も外聞もなくなってきたので、「土木を愛してる」なんて臆面もなく語ってしまう自分がいるのだけれど、私は土木のことを何にもわかっていない。私の土木LOVEの始まりは、センター試験直後にテレビで阪神大震災の映像を見て、「土木技術は生活を支えている」と単純に思ったこと。今もその思いはあまり変わらない。

 でも、私は土木技術者としてのセンスが足りない。学部生時代、三力学が苦手だった。三力学とは、構造力学、水理学、土質力学。だいたい、高校時代でさえも、物理で赤点すれすれの点しかとっていなかったのだから仕方がない。力学ぐらい、勉強すればできるようになるさ、というのはただの思い込みだった。力学のセンスがなくて、いずれもギリギリの点数で単位をとったように思う。

 そういう力学がわかっていない土木学生はどうするのかというと、交通計画系の研究室にもぐりこむのである。うちの研究室に来る人間は二つのタイプしかいない。力学(構造、水理、土質)もできるけど交通が好きであえて交通にきた人間と、力学が不得意で交通以外の研究室では生きていけない人間。私はもちろん後者だ(えへん)←いばってどうする。

 先日、助教の先生が2年生の個人面談をしていた*。ついつい盗み聞きしてしまって(だって、真後ろで話しているんだもん)、いや泣けたっす、まじ泣けたっす、ネガティブ具合にマジ泣けたっす。

 曰く、「建築に行きたかったのに、点数が足りなくて土木にきた」、「土木の授業に興味が持てない」、「将来土木の仕事に就きたくない」などなど。昔は大学入学の時点で学科が振り分けられていたので、覚悟を決めて大学に入るしかないのだけれど、今は2年生になってから振り分ける。建築にいくつもりで入学してきて、その期待を1年間あたためてきたのに、ちょっとした点差で土木にきてしまうというのはかわいそうといえば、かわいそう。でも、土木だって面白いのに…。土木の仕事、良い仕事よ。

 ごくまれに、建築への夢があきらめきれずに建築の授業にもぐりに行ったり、専門学校に通ったりする学生がいる。それも一つの道だと思うし、積極さは評価されていいと思うのだけど、土木の中に楽しさを見出す方が視野が広がって面白いんじゃないのかなぁ。「建築マインドも理解できるドボク技術者」ってことで、やっていけばいいじゃん。

 というわけで、土木への愛をかきたてるようなwebページを集めてみた**。

  • 日本ジャンクション公団: ジャンクションの構造物としての美しさを感じ取れる。曲線の美しさ。そしてこの曲線を図面上だけでなく、実体化できるという技術の素晴らしさ。
  • Nunobiki

  • 布引五本松ダム: 日本最初の重力式コンクリートダム。意匠も美しい。飲料水の不足、コレラの蔓延などの問題を解決するべくして作られた。布引ダムは、景勝地としても有名で、一年中ハイキング客でにぎわっている。詳しくはこちら→建設コンサルタンツ協会誌237号「日本初のコンクリートダム「布引ダム」

    Lrt

  • PORTRAM: 日本最初の本格的なLRT。富山は車の依存度がかなり高い都市であるので、少し前までLRTが入るなんて考えられなかった。富山市は、LRTだけでなく、コミュニティバスや住民参加型のバスを支援するなど面的な交通体系の整理をしている。他にも公共交通の路線沿線居住を進める政策をしたり、住宅政策との連携もしている。
  • 醍醐コミュニティバス: 「みんなで支えてバスを便利に!」というコンセプトはわかりやすくても、なかなかうまく進まない。醍醐コミュニティバスはそれを実現化していることに、価値がある。ルート上には、醍醐寺などの見どころも多いので、住民以外の人が乗っても楽しそう。

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* 先生との個人面談、問題のある学生だけでなく、全員を対象にしてやっているみたい。私が学部生の頃はなかった。単位の取得状況や生活のことなどを聞いていた。多分、留年する人や退学者を減らすためだったり、犯罪を防いだり、NEETになるのを防いだりという目的なんだと思う。
 でも、もう大学生っていい大人なんだから放っといてええんちゃう?あかんのかなぁ。私だったら必要最低限しか答えない。「何でそんなこと 先生に聞かれなあかんの?」と反発して、感じ悪いオーラだしそう。なくてよかった。

** 土木への愛をかきたてるものって結構探すのが難しい。構造物として美しかったとしても、社会的費用がかかりすぎているものは、おススメできない気がする。よく知らないせいもある。たとえば、明石海峡大橋は美しいと思うのだけど、本州と四国を結ぶ橋が本当に3本も必要だったのか?という疑問もあるし、ストロー効果による四国の経済の衰えも見逃せない。

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2009年10月 9日 (金)

近江八幡

 先日、近江八幡に行ってきた。一応名目は、教授の主催する勉強会に出席することなんだけど、ほとんど観光して帰ってきた。
 近江八幡、今までほとんど興味がなかったんだけど、思っている以上にすごくよかった。

  • 町屋がたくさん残っていて、なおかつ今も使われているものが多い。
  • ヴォーリズの建築物がたくさんある。(ヴォーリズはメンタームを日本に普及させた人かつ建築家)
  • 食べ物がおいしい。近江牛はそれほど高くないのにすごくおいしい。うちの子どもは赤こんにゃくにはまってた。
  • 町の作りがコンパクト
  • 旧市街地に景観を阻害する建物がほとんどたっていない(これは、都市計画が比較的うまくいっているからだろうと思う)。他の町では、素敵な町屋があっても、マンションががんがん建っていたりするから。
  • 町から近いところに自然がいっぱい(八幡山とか琵琶湖とか)

 ちゃんと近江八幡の歴史とかを調べてからいくと、もっともっと楽しめそうな気がする。
大阪から新快速で1時間と意外と近いので、また遊びに行くと楽しいかもしれない。

(追記)
 娘との駆け引きに負けて、近江八幡の駅でひこにゃんぬいぐるみを買ってしまった。
 おやつも我慢して、頑張って歩いたので、ご褒美として。
 ひこにゃんは彦根の子で近江八幡は関係ないのに。
 でも、近江八幡の赤コン君はかわいくなかったので仕方がないかとも思った。
 赤コン君はこちら。
http://www.kyoto-np.co.jp/info/chara/070319.html

(追記2)
 私たちが泊まった旅館は、老舗の旅館。確かに、よい雰囲気のお部屋だったし、素晴らしい水屋箪笥があったりした。
 でもなぁ。正直なところ、ここはあんまりおススメしない。
 サービスがよくない。やる気が感じられない。夜ごはんを早く食べるようせかされたり。お客が見える範囲に、雑然と物が置かれている、バスタオルが古くて、しかも一つ一つ柄が違う、などなど。 金曜日の夜なのに、お客は私たちだけだった。(部屋を広々と使えたのはよかったけれど) 少し工夫すれば、めちゃめちゃ人が入りそうな感じなんだけどなぁ。
 ホームページをみて、すごく期待を膨らましていたので、がっかりした。 料理旅館って書いてあるのに、料理を仕出し屋さんから届けてもらっているというのも、おいしかったけれどなんだかなぁ。

(追記3)

 大阪大学の福田先生が近江八幡にずっと関わってらっしゃる。近江八幡人めぐりツアーとか、とっても楽しそう。詳しくは知らないが、いろんな人がいろんな形で近江八幡に関わっているからこそ、近江八幡の魅力が増しているのだろうと思う。

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写真 左:本陣跡、中:近江牛弁当、右:近江鉄道

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2009年10月 7日 (水)

おはぎLOVE

 母が作ってくれた手料理で、私がつくれないものは山ほどある。

 おはぎもその一つ。すまし汁とおはぎの夕飯、うちの実家では普通だった。でも、「夕ご飯=おはぎ」にすると、うちのオットは怒って食べてくれない。「それはないわ」と全否定された時は悲しかった。

 母はお彼岸のシーズンに必ずおはぎを作っていた。他の時も、何か気が向いたら作っていたようにも思う。大皿にどーんと大量のおはぎが並ぶ。それを家族でとりわけて食べるのだ。母はあんこ、きなこ、胡麻の3つの味付けを作ってくれた。よもぎおはぎというのもあったような気がする。近所の家にもおすそわけするぐらい大量に作っていた。

 出産直後に母が手伝いにきてくれた時に、「たべたいものある?」と聞かれて、「手づくりおはぎ」と答えた。出産直後の不安な時期に母のあまいあまいおはぎを食べた時、どれほどほっとしたことか、うれしかったことか。ああ、母のおはぎは私にとってソウルフードの一つなんだ。私は娘に対して、精神安定剤代わりになるような料理をつくってあげれているだろうか。

 あー、おはぎ食べたい。お腹がすいたとか、甘いものが食べたいとかじゃなくて、母のおはぎを食べて落ち着きたいんだ。今日はゼミが終了して、山ほど課題を言われた。なんだか辛い。このゼミが終わればひと段落かと思ったが、そうでもなかった。今度、時間がある時に、おはぎを作ってみよう。そして、作り方のコツを母に聞いてみよう。

※おはぎLOVEと自分で書いたはずなのに、「おぎやはぎLOVE」と空目した。"おぎやはぎ"が醸し出すまったりとした空気も好きだけど、熱くかたることができるほど好きじゃない。でも、トリビアを一つ。おぎさんの名字は感じで書くと「小木」で、お父さんが福井から東京に引っ越した時に「こぎ」という読み方から「おぎ」に変更したんだって。そういえば、私の中学校の英語の先生にも「小木(こぎ)」先生がいたわ。

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2009年10月 4日 (日)

花らっきょう

 子どものために、「らっきょう」を買った。義実家で食べて以来、えらく気にいっている。先日もスーパーの試食のお姉さんに「大丈夫?」と心配されたけれど、おいしそうにポリポリ食べていた。私は大人になるまで、らっきょうをおいしいと思ったことがなかった。

 子どもがあんまりにも花ラッキョウが好きなので、姑さんに「花ラッキョウ基金」として商品券をもらっている。スーパーで普通の買い物の時に使おうとしたら、子どもに見つかって「らっきょう以外に使わないで」と怒られた。

 ラッキョウだけでなく、メカブ、コンブといった酒飲みメニューが子どものお気に入り。子どもと私は、環境も違うし、持って生まれた好みも違う。だから、当然のごとく、食べ物の好みも違ってくる。ラッキョウ漬けは意外と高いので、来年は自分で漬けようかな。

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