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2009年12月25日 (金)

何かが欠けている不完全な自分が他者とつながるには 1/4 -誰かと一緒に住むことについて-

 独身の頃、 「猫が行方不明*」という映画の主人公が羨ましかった。猫が行方不明になったことを契機に、主人公の女の子とご近所さんづきあいが始まっていくという話で、話自体も面白かったのだけど、主人公のルームメイトがゲイの男の子という設定にすごく心惹かれた。その頃、私は一人暮らしがさびしくて仕方がなくて、家族が欲しかった。でも、実家は、いろいろと束縛されるし職場からも遠かったので帰る気には到底なれなかった。恋愛というのはなかなか難しいものだと思っていた時期で、恋人と住むといろいろドロドロしてしまってややこしい、女の子のお友達だと気をつかいすぎて嫌だなぁ、ゲイの男の子ならはじめから恋愛関係にならないし、サラッと付き合えそうだなと思ったのだ。防犯面からも男の子と一緒に住んでいると何かと安心だし。(でも、ゲイの男の子が彼氏を連れ込むのはちょっと嫌だ。そういうのは「外で」というルールにしたい。)

 その後、いろいろあって、今のオットと結婚して一緒に住み始めた。オットはゲイではないけれど、当時の願いがある意味かなったように思っている。

 子ども**まで作っておいて、何を言っているのかと周りの人にいつも怒られるのだけど、オットは私のすごく大事な友人だ。私と彼との関係は、わりとさらっとしている。彼はあまり私に気持ちのモヤモヤをぶつけてこない(たまにはあるよ、人間だもの、みつを)。それに、私のことにあまり干渉してこない。彼を含め彼の家族は、行為の主体的自由は本人に帰するものだと考えている考えているふしがある***。私にはわりとこれは難しいことをやっているように感じる。私なんか、ついつい人の行為にあれこれ言いたくなったり、束縛したくなったり、よくわからない気持ちをぶつけたりしてしまう。それに、何かあると心身が弱る。彼から見ると、私は何だか面倒くさい人間なんだろうなぁ。

 旧友は、私とオットを「性格とか嗜好でクラスタ分析したら、同じクラスタに入るぐらいそっくり」というが、私はそうは思わない****。オットも「ぼくとあなたは似てない」と言っていた。せいぜいお隣のクラスタで、クラスタをかなり統合していかないと同じクラスタに入らないと思う。私はオットがどのように物事を見ているのか、どのように考えるのかを知ってはいるけれど、分かりあえているかというと、そうでもないと思う。

 オットは他人の問題と自分の問題を切り離すことができるし、何か失敗したとしても気持ちを切り替えることが上手だ。それはすごく健全で、生きていく上で大事な処世術で、その方が周囲の人々と良好な関係を結ぶことができる。それに、オットは私がほしかったものをすべて持っている。運動神経の良さ、要領のよさ、器用さ、屈託のなさ、人当たりのよさ、趣味のよさ、たくさんの友人、やりがいがあってそこそこ給料の高い仕事などなど(先天的な能力もあるが、もちろん、彼の後天的な努力によるところが大きい)。彼が持っていないのは素敵な奥様だけかもしれない。でも、ソクラテスは「悪妻を得れば哲学者になれる」と言っているんだから、やっぱり彼は何でも持っているといえるかもね。私は他人の気持ちに引きずられることも多いし、気持ちの切り替えがすごく下手で、自分のことをグズグズしている不出来な人間のように感じる事が多い。意思が弱くて、いろんなことをまともにこなすことができないし。

 多分、私たちはお互いにわかりあえない部分があって、だからこそ、お互いのことを大事な人間だと思って、一緒に暮らせるのかな、という気がしている。オットがどういうつもりで私と結婚しているのか知らないが、私は彼が私の欠けている部分を補完してくれているように思う。もし私達があまりにも似ていたら、きっとうまく生活できない。

 結婚できて、よかったと思う。でも、オットがいなかったら、私は結婚していないと思う。

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 恋愛ってややこしいものだと、今でも思う。他者を好きになるということは、自分の中の何かをその相手に投影していることで、水仙の精とみんな一緒よ、きっと。この人のことを自分だけは理解してあげれる気がするとか、そういうの。自分を投影しているのに他者は自分の思いどおりにならいし、他者を自分の思いどおりにするって一体何なんだろうって思ったりとか、自己との対話を繰り返して、もやもやする。そういうもやもやが恋愛というものだと思う。

 付き合い始めたとしても、このもやもやは続く。この人にどこまで頼っていいんだろう、とか、本当に私達はお互いにとって必要な存在なんだろうか、とか。お互い適切に助け合って、自分のこともちゃんとして、というのが、よりよい人間関係を築くとは思うけれど、なかなか難しい。どちらかがどちらかに、もたれかかっちゃって、共依存になるとかありがちだし。途中でふっとどちらかが「あー、これ違う。勘違いだったわ。自分はこの人がいなくても、全然生きていける」と思ったら、それでおしまいだし。私みたいなモテないさん人生を送ってきたら、自分に自信がないから、相手が自分のことをいつか嫌いになるんじゃないかといつも不安で仕方がない。モテル人の持っているメンタリティ(自分への自信とか他者との距離感とか)は、大人になってから獲得するのが難しい。自分の心をもてあます感じとか、よそさまに迷惑をかけているところとか、それに対して申し訳なく思ったりとか、そういうのを考えると、体の中で何か有害な物質が生成される感じがしてくる。そういうの全部、面倒でややこしい。

 こういう面倒くさいものを制度化したのが結婚という形態だと思う。いろいろ考えるのが面倒なので、既存の制度にのっかって、みんながやっているのと同じ形におさまりましょう、ということ。制度であれば、役割分担が比較的明確だし、いろいろと義務や権利が発生するから別れるのが難しくなるし。それに、親や親戚、子どものことを考えると、この既存の制度にのっかっると、すごく楽になる。

 私が結婚した時は、頭の中がお花畑だったので、何にも考えずに、仕事もやめて、大好きだった土地を離れて、名字も変えた。でも、もう少し冷静になっていたら違う判断したかもしれない(といって、自分がしてきたことを後悔しているわけではなくて、ただ可能性としてそういうこともあるということ)。事実婚の人とか、かなり共感する部分ある。だから、結婚という制度にのっからなかった人/のっかることができなかった人が大きな不利益を被っているのは、おかしいと思う。情報の面でもそうだし、手続きもめんどうになるし、目にみえない真綿のような差別もあるし。この不利益は、まるで何か罪をおかした人への制裁のよう。おかしい、絶対おかしい。

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*「猫が行方不明」で、朝食に謎の薄っぺらいパンを食べていた。これは何だろう?と気になって探したら、「クラコット」という名前で、近所のスーパーで売っていた。賞味期間が長いので、うちに常備している。パンを買い忘れた時とかに便利。

**「だって、これは、だらだらとしたそういう生活そのものから生まれてくる物なのだから、あなたたち全員の子供なんですよ。」(多和田葉子:「枕木」、ヒナギクのお茶の場合)。子どもというのは、だららとしたそういう生活から生まれる、偶発的にできるものなんだと。でも、偶発的なものだとしても、自分が関与しているものである以上は、責任をとらないといけないし、責任をとるということは、愛情をかけるということと同義だよ、きっと。だらだらとした生活の産物なのに、子どもが産まれた途端、だらだらとできなくなるんだよな。

***アマルティア・センもケイパビリティ・アプローチの中で、同じようなことを言っている。センによれば自由とは、「本人が価値をおく生を生きられる」こと、より正確には、「本人が価値をおく理由のある生を生きられる」ことである。と、こうやって、偉い人の文章を引用すると、まるですごく勉強しているかのように見えるというライフ・ハック。ごめんなさい。本は読んだけれど、よく分かっていないです。

****クラスタ分析とは、与えられたデータを外的基準なしに自動的に分類する手法。データをもとに、似通っているもの同士をグルーピングする方法。物事を単純化するのに役立つので、結構使う。日常的にも、えいえいってデータを統計ソフトに突っ込んで、自動的にクラスタリングできたら便利なのにって思うことがある。

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 ここしばらく考えていたことをつらつらと書いていたら、ありえないくらい、すごい長い文章になった。ということで、4回に分けて投稿する。こういう無駄な文章が書きたい気分なんだ。論文と違って、個人的な思いを書けばいいし、論理性も厳密性もなくてよいし、文字制限もないから、楽しい(途中で、論理矛盾や飛躍に気づいたけれど、面倒なので、直さない)。まさに"書くことは慰安"。でも、blogでこんなに長文だと誰も読まない。

(私信)論文を仮提出しました。あとは、正式な論文提出、公聴会の審査が残っています、って、まだまだやん(笑)

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コメント

いや読みますよ。
読むことも慰安です。

書きながら考える言葉と
書かれた文と
考えているけど口に出さない言葉と
実際に口にする言葉
はずれると偉い人が書いてました。
ハックてます。

一夫一妻の結婚制度や家族制度の誕生を
キリスト教的世界感+産業資本主義的社会の要請からの視点で読み解く考え方もあります。
ハックてます。

事実婚はヘビーです。
差し向かいですから。
幸い自分達の小さな世間は、もともと大きな世間から外れている人の集まりなので基本的にあ、そう的な。
外の世間は厳しいっすねえ。

続編楽しみにしてます。


投稿: は | 2009年12月26日 (土) 04時03分

>「は」さんへ
すみません。「続き」はあるんですが、私がつらつらと考えたことですので、あまり大したことではありません。
「は」さんたちの潔い生き方を考えると、私の書いていることはすごく上滑りなもののような気がします。

> 一夫一妻の結婚制度や家族制度の誕生を
> キリスト教的世界感+産業資本主義的社会の要請からの視点で読み解く考え方もあります。
そうですね。結婚制度も家族制度も、日本において、それほど長い歴史があるものでもないでんすよね。

投稿: ぴか | 2009年12月26日 (土) 16時24分

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