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2010年2月21日 (日)

風景の切り売り

 土木と風景について、いろいろと考えたいのだけど、少しむずいので、とりあえず、今思っていることをポツポツと。

 風景は美しさと関係する部分。美しさというのは主観に左右される部分が多いように感じる。安易に、善し悪し/諦念を文章として出してはいけない分野のような気がして、少し怖い。また、景観とかランドスケープに関する勉強をもっとちゃんとして、いろいろと考えていきたい。

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 風景を切り売りするのに、私達はあまりにも無頓着すぎる気がする。新しく町中に何かが作られて、空がどんどん狭くなる、遠くの山が見えなくなる、川の流れが見えなくなる。そして、四季の移ろいを感じるのが難しくなる。徐々に徐々に、風景が切り取られて、市場に売られていく。その切り売りは、日常茶飯事で行われている。

 風景は、建築家のものでも、一民間企業のものでも、行政のものでもない。現世代の私達だけじゃなくて、過去、未来をつなぐもののはず。風景の切り売りに対して、市場経済とは別のところで、考えないといけないんだと思う。

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 広告でラッピングされたバスや鉄道車両。中途半端にいろんな広告がベタベタつくよりも、一つの企業が車両全体をラッピングした方がまだましだと思うし、企業広告そのものは美しくデザインされているため、景観としてそれほど悪いものでもないのかもしれない。それに、広告がつくと、公共交通の収益が向上し、運賃の値下げ(あるいは据え置き)に寄与する。

 でも、それで本当に、いいのか? 企業広告が、都市の中を走りまわるのを許容していいのか。それは本当に"公共"交通といえるの?今の公共交通の多くは、安っぽい雰囲気がする。広告が全面に貼られた車両で、快適さを感じることなんかできるか? 安ければいいってものでもないでしょ。

 いや、でもなぁ。人はラッピングバスに愛着を持つこともできるだろうし、そういうごちゃごちゃ感が日本の風景として正しいのかもしれない。という感じで、いっこうに考えがまとまらない。

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 田舎の風景が好き。夜に星がきれいに見える。春には桜並木、菜の花畑、そよそよと泳ぐめだか。6月には蛍が舞う小川、紫陽花の群生。夏には向日葵畑、風になびく棚田の稲穂。秋にはすすき、曼珠沙華、月夜。冬には霜柱、柿や柚の色づき。そういう普通の景色が、都会に住む人間にとっては稀有なことで、守っていきたいと思う。美しい風景が残っていてくれてありがとうと思う。でも、そういうのは都会に住む人間の傲慢のような気もする。

 美しい過疎部の風景の中に、割って入る高速道路の高架。高速道路ができて、みんな便利になったという。都会にでた子どもたちが帰ってきやすくなって、嬉しいという。高速道路が風景を邪魔しているというのは、都会の人間の奢りなのか?

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 土木と建築の大きな違い。建築では、美しさを重視する。部外者から見ると、美しさのために機能を犠牲にしていることさえあるように感じる。でも、土木にとって、美しさというのは、機能を現わしているものである。機能を重視するあまりに、無骨なデザインになるのは仕方がないことだという考え方が主流のように思う。あるいは、デザインというのは、上にペタペタと付けるお化粧程度にしか考えていない。大学の土木工学科(少なくとも私の出身大学)には、デザインに関する授業がなかった。にも関わらず、土木構造物は、風景の中で大きな割合を占めている。

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 ヤバ景という考え方、すごい面白いと思う。ジャンクションの曲線とか工場の絡み合う配管とか、丸いタンクとかに、ぐっとくる感じ、わかる。すげー、ブレードランナーみたいじゃん、とか思っちゃう。スチームパンクな感じとか。でも、でも。こういうのを面白いなぁという思いと、自分が好きな他の景観に対する思いとがうまく繋がっていかない。

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 良い本をご存知の方、教えていただけると助かります。とりあえず、土木学会論文集の景観関連を読みふけろうかな、と思っています。あと、下記の本を読もうとしています。

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コメント

最近ではしつこいですがジョンアーリの一連がいちばんしっくりきてます。
このジャンルも、認知心理学的アプローチもあれば、社会的な人と風景の関わり重視のものあれば、哲学的現象学的な内的アプローチもあって迷います。

ピエールブルデューの研究からは、社会的階層によって好まれる、好ましいと思う「風景」の種類が違うとはっきり示されました。
これも身近になるほどなあと思うことたくさん。

車で移動しながら眺める風景とその眺められる場に暮らす人にとっての風景はまた違うし。

今は自分が「美しい」と認識し、受容するその根源を探るのが一番楽しくて面白い作業です。

しばらくは手をつける予定のない風景・景観関連の書籍何冊かあります。あたりもはずれもあるし、ハタケ用なので超ボロですが覗くなら送りますよ。
音源とバーターでどうすか。

投稿: は | 2010年2月22日 (月) 00時53分

>は さん

おぉ。ジョン・アーリ、読みかけでした。読まなくては。
読むのが遅いわ、私。
ブルデューも読まなくては。いろんなところで、名前を見かけるんで。

>しばらくは手をつける予定のない風景・景観関連の書籍何冊かあります。あたりもはずれもあるし、ハタケ用なので超ボロですが覗くなら送りますよ。
音源とバーターでどうすか。

わぁ。すごい魅力的な申し出、ありがとうございます。
音源って何を送ればよろしいのでしょうか?

投稿: ぴか | 2010年2月24日 (水) 17時50分

リクエストはうるさくありません(笑

とりあえず眠らしているのをみつくろって送ります。
役立つかどうかは??ですけど、消去法の手助けくらいにはなるかもです。
ではでは。

投稿: は | 2010年2月25日 (木) 21時17分

共感!
景観、というものが技術的にはともかくも「ガイドライン」みたいなもので仕切られるときに、それは無いよりいいのだろうけれど、ほんとにそういう仕切りでいいのか、と思ってしまいます。本当の課題は、そんなものを設けなければならない、その無頓着さを解決できないところにあるんですね。
ブレードランナー、、は、五十嵐太郎氏が「美しい都市・醜い都市」でもとりあげていますね。伊藤滋が日本橋の高速道路を取っ払う話をぶちあげたとき、その高度成長期の土木技術の象徴としての美や価値を記し、ブレードランナーに見られる世界やスワロウテイルに見られるアジアな景観の価値を記しています。

というより、「伊藤滋が言ったから、そうそうって言ってるなよ。自分で判断してごらん。」というような本だったように思います。

お久しぶり!でございました(^^)

投稿: ryu! | 2010年2月26日 (金) 22時43分

>は さんへ
わー。ありがとうございます。すごく嬉しいです。
音源、みつくろいますね。

> ryu! さんへ
お久しぶりでございます。

「美しい都市・醜い都市」、すごく面白そうです。読んでみます。
どんな分野でもそうですが、誰かの価値観に支配されると、途端にものを考えなくなる気がします。
でも、誰かから影響を受けずにいるということもできないわけですし。
自分の考えを深めるためには、多くの人の考え方を知ることが大事かなと思います。
日用品の中の美を見出す「民芸運動」でさえも、柳 宗悦先生が言っていたからという意識が強いという話を聞いたことがあります。
景観の美しさを判断するというのは難しいことだと思いますが、権威に無条件で従うことなく、直感に従いながら考えていきたいなと思っています。

投稿: ぴか | 2010年2月27日 (土) 08時53分

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