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2010年2月19日 (金)

見える/見えないの多様性

電車の中に、白い杖をついた視覚障害者が乗り込んできた。そして、席に着くと、鞄の中から本を取り出し、本を読み出した。周りの人間はいぶかしげに彼を見ている。

 さてはて。上記の話、何が言いたいのかというと。 

 視覚障害者は全盲だと思い込んでいる人がいる。そういう人たちは、視覚障害者は、本を読むことができないと思い込んでいる。だから、読書をする視覚障害者をいぶかしげに見るのだ。

 視覚障害と一言でいっても、見え方は本当に多様。百人の視覚障害者がおられれば、百通りの見え方がある。視覚障害で障害者手帳をもっている人の中でも全盲の方はわずかだ。弱視とかロービジョンって呼ばれている方の方が圧倒的に多い。視力があっても視野狭窄や中心暗転があると、本は読めても歩行に困難を生じたりする。それに、全盲の方でも、目の前で指を動かせば動きがぼんやりと見える方から、光だけ感じる方、光が見えない方まで、いろんな方がおられる。

 視覚障害者の方は、視覚に障害があるからといって、普通の生活がおくれないのかというと、そうでもない。一人で料理を作る方も多いし、読み上げソフトを使ってパソコンを使っている人も多い。慣れていない道は単独で歩行することに困難があるとしても、慣れた道であれば一人で何の問題もなく外出できる人も多い。視力障害センターといって、就業訓練や生活訓練をする施設もある。そのセンターの中では、視覚に障害があっても、通常の生活を送ることができるような技術を身につけることができる。ただ、センターは不便な地域に建っていることもあるし、それほど施設数も多くないので、入所・通所できる人は限られてしまうのだが。

 ただ、最近は、高齢になってから視覚に障害を生じる人が増えている。40歳を過ぎると、ほとんどの人の視力は衰えていくのだが、糖尿病による失明・網膜症、白内障、加齢黄斑変性等網膜疾患などの罹患率が高くなる。高齢になると、障害にあった技術を習得することが難しくなる。高齢化も、視覚障害者の多様性を増している原因の一つだと思う。

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 バリアフリーの話をしていると、「視覚障害者には見えていないのだから、誘導用ブロックをあんなに派手な黄色を使う必要はないのではないか?」という疑問を投げかけられる時がある。実際は、あの誘導ブロックは足や白杖で触れて感じるだけでなく、ロービジョン者の多くが目で見て判断していたりするわけだ。そんなわけで、アスファルトの黒とのコントラストではっきりと見える黄色を使うことが多い。他の場合でも、色のコントラストをはっきりとさせることが、ロービジョン者の情報取得に大いに役立つ。

 また、点字は、指の先で読み取るという大変難しい技術であるので、高齢者ならずとも中途障害者の多くは、習得することが困難だと聞いた。数字等、簡単なものだけ覚えている人も多いと聞く。点字を用意することは重要だけど、点字になってさえすれば、視覚障害者が全員読めるというわけではない。ロービジョン者でも、コントラストのはっきりとした濃いゴシック体であれば読める人もいる。

(視覚に障害がある方に対するバリアフリー対策については、また、別途書きます。ていうか、バリアフリー対策は私の専門の一つなんで、個別に書きたい/書かなきゃ)

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 視覚障害者をまちで見かけても、困っている様子がなければ、話しかける必要は全くない。当たり前だ。

 今となっては恥ずかしい話なのだが、私は、ガイドヘルパーを始めたばかりの時、駅で白杖を持っている人をみかけて、親切のつもりで、電車の中まで誘導したことがある。いいことをしたというつもりで、私はきっと自信満々の顔をしていたことだろう。その方はすごくやさしい方だったので、私に付き合ってくれて、最後に「ありがとう」と言ってくれた(思い出すたびに顔から火が出そう。申し訳ない。自己満足にもほどがある)。

 自分の身を振り返ってもわかるが、見知らぬ人間にやたらと話しかけられるのは、迷惑なことだ。ある視覚障害者の方は「ぶらぶらと散歩したいのに『どこにいくんですか?案内しましょうか?』と、すぐ話しかけられるので、いつも困る」と言っていた。視覚障害者だけでなく、車いすユーザも、知らない人間にすぐ話しかけられる、という話を聞く。しかも、勝手に白杖を持とうとしたりとか、車いすを押そうとしたりする人もいるらしい(これ、本当にめちゃめちゃ怖いと思う。急に足をとられるようなもんだよ)。そういうことが日常茶飯事にあると、本当に怖いし、面倒くさいことだろうなと思う。相手が善意でやっているから、断りにくいだろうし。

 ただ、困っている場合には、適切に助けるべきだ。人間が歩いている中で、情報の8割は視覚から得るらしい。そのため、視覚障害者の方が普段と違う状況に陥った時に、情報をうまく取得できないことがある。例えば、工事などによって通常の道が通行止めになっている時など。それと、駅のホーム。視覚障害者の方の多くが、ホームから転落した/しそうになった経験があるとか。混雑時には、少し注意が必要だと思う。

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 一応、私は、視覚障害者の歩行環境について査読付き論文を1本書いている。それと、短い期間ではあるが、視覚障害者の方のガイドヘルパーをボランティアでやっていた。実験の被験者になっていただいた方まで含めると、今までに視覚障害者の方には100人近くの方にお会いしているし、一般の人よりは、視覚障害者の歩行環境について詳しいと思う。おこがましいかもしれないが、専門家として、代弁者として(アドヴォカシーとして)、こういう話を多くの人にわかりやすく伝えていきたいという想いがある。専門バカになることなく、奢ることなく、謙虚な気持ちを持ちながらも、自分が話すことができる内容をちゃんと組み立てて行こう。「私なんかが」という自己卑下は、どこにも繋がっていかない。また、時間をみつけて、この手の話を、少しずつ記事として書きたい。

 一番の問題は、人に読んでもらえるような面白い文章が書けないということ。でも、それは今の私の能力の限界なので、書きながら試行錯誤するしかないかな。※今回の内容は、私が知っている範囲で確認しながら書いています。間違っている箇所がありましたら、ご指摘ください。

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