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2010年3月

2010年3月30日 (火)

春の日に君と私が誓ったことが永久の力を持つといいのに

Wedding

 今日は結婚記念日。8年前のこの日に私たちは結婚した。

 私たちは結婚指輪を買っていない。結婚指輪を買わなかった理由は、特に必要性を感じなかったのが最大の理由。結婚式が神式だったので、なくても進行に問題なかった。それと、オットが「指輪物語」のファンなので、指輪を付けると自分じゃないものに心を持って行かれそうで嫌だとかいう、わけのわからない理由。

 結婚指輪を付けていないと、時折不便なこともある。既婚女性で結婚指輪をしていない人って少ないようで、「独身にみられたいんだろう」と勘ぐられたりする。私は、そういうつもりは全くなくて、ただ単に持っていないだけなんだ。ていうか、既婚/未婚って人のパーソナルデータとして、それほど重要なんだろうか? そういえば、学部生達に、私は、助教の先生の彼女だと噂されていると聞いた。しかも珍妙なあだ名までつけられて。ほんまに勘弁して欲しい。結婚指輪をしていないせいもあるかもしれない。助教の先生は、学部生の時の同級生であること、協同研究者であることから、自然と一緒にいる時間が長いっていうだけなのに。教授や准教授の先生方に話したら、爆笑された。というか、オットまで爆笑していたのはどうかとorz。この時、初めて結婚指輪を買おうかどうか迷った。でも、いらないよなー、いまさら。

 うちには結婚指輪がないのだが、婚約指輪はある。婚約指輪は、義母のお下がり。義父がロシアで買ったダイヤ。タテヅメのクラシカルなデザインで、夢野久作の短編("死後の恋"とか)に出てきそうな感じで、気に入っている。きっと、このダイヤを巡って様々な物語が紡がれたに違いない(ごめんなさい。いつもの妄想癖です。そんないわくつきのダイヤのわけない)。義母には「デザインが古いから作り変えていいよ」と言われたのだが、古臭いデザインも味があっていいと思ってそのまま。友人の結婚式に出席する時ぐらいにしか付けないので、登場頻度は年に1回程度。

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 ええと。今だから言える話として。私は指輪に思い入れがないのかというとそうでもない。

 高校の頃の同級生が「指輪というのは自分で買う物ではなく、恋人に買ってもらうものだよ」というのを真に受けて、初めてできた彼氏に「指輪がどうしてもほしい」とねだった、という小っ恥ずかしい思い出がある(ほんまにアホやな、私は)。結局、その彼とはいろいろとあって破局したので、指輪なんかをもらうと関係を続けることができないのではないかと恐れている。そんなわけで、オットに「指輪がほしい」と言ったことがない。私は、占いの類いは信じていないのに、この手の験担ぎをついついしちゃうんだよな。あははは。切り株でウサギを待ち続けるようなものか。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」の愚者そのものだ。

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 多分、指輪には契約の意味合いがある。あなたと私は死が二人を分かつまで時間を共有しましょうという契約。指輪物語云々はオットの照れ隠しの一つだと思うのだが、オットはとても優柔不断なので、私に束縛されるのを恐れ、契約を先のばしにしたかったのだろう。悪意じゃなく愛情であったとしても、何かに束縛される、しかも永遠に束縛されるということは、とてもとても怖いことだから、その気持ちはよくわかる。

 でも、8年の月日が流れて、家族が一人増え、私達ふたりはいろんな経験を共有してきた。多分、この一緒に過ごした月日が私達の契約のしるしで、指輪の代わりなんだと思う。この8年間の経験を大事にしよう。そして、これからも、ぼちぼちと時間を共有していけるといい。束縛でも依存でもない関係を大事にしよう。結婚記念日ということで、気持ちを新たにして、これからもよろしく、ということです。

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2010年3月20日 (土)

自分に向いていないこと

 子どもと一緒に、自分に向いていないことを始めてしまった。
 何を始めたかと言うと、エイサー。踊りですよ、踊り! 月に2回ぐらい、子どもと一緒にエイサーの練習に行っている。保育所のママが中心にやっているもので、近くの小学校の体育館で練習しているのだ。

 私、リズム感かなりやばいんよねー。子どもの頃、エレクトーン習っている時も、かなり苦労したもの。スキップのリズムで、とか言われても、よくわかんなかったり。シンコペーションとかも苦労したよなぁ。しかも人と動きを合わせるとか、自分、すごい苦手やん。

 子どもがやりたいと言って習いだしたにも関わらず、彼女はもう飽きて来ているよ。毎回、お友達に会えるよ!練習の合間に遊べるよ!となだめすかせながら、一緒に通っている。
 うちでもエイサーの音楽をかけて、練習したりとか。エイサー用の太鼓も買った。気分を盛り上げるために、エイサー衣装もたまに着せたりしている。でも、彼女もリズム感がないんだよねぇ。気づいていたけどさぁ。やっぱりか。私似か。オットは運動神経もリズム感もいいのに。
 ま、仕方ない。運動神経が鈍いからこそ、身体を動かす楽しさに気づいてほしかったりもするしなぁ。

 あー。でも、自分、浮いているわ。確実に。他のお母さん方、リズム感いいもの。すごい上手。
 時々、こうやってやらかしてしまう。自分に向いてないと分かっているのに、これを契機にがんばってみようという、よくわからない積極性が急に働いて、何かを始めちゃうんだよねぇ。
 いやいや。楽しいのよ。本当に。すごい人とずれている感じはするけど、音楽と一緒に踊るのは楽しいよ。でもでも。みんなに迷惑をかけている気がすごいするー。やばし。
 
 5月には、近所の商店街のお祭りにでるとか。その後も夏祭り等、何回か発表する場があるとか。みんなに見てもらえるというのは励みになるので、それを目標に、ぼちぼち頑張ります。

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2010年3月14日 (日)

議論についての覚え書き

 議論について、考えていることなど。覚え書きとして。

(議論するための前提条件)

  • 議論って相手を論破することでもないし、正しい何かを一つ決めることでもないと思う。いろんな立場から、ある物事について検討することだと思ってる。
  • 議論するには、誰が議論に参加するのか/知識やデータ/議論の目的/言葉の定義などを共有することが必要。これらを共有することができないと、揚げ足取りや後だしじゃんけんになりやすい。(そういう意味で、流行りのTwitterで議論するのは、かなり難しいと思う。twitterは意見の同調を求める、ブレーンストーミング、情報の拡散に向いているような気はする。)

(当事者の発言に関して)

  • ある問題について議論する時、当事者の発言は大事だけど、当事者じゃないと発言してはいけない、当事者の発言を全て受け入れるべきかというとそうではないと思う。第三者的な視点が入らないと意見が偏って議論が活発化しないし、現実問題との折り合いをつけれない。それに当事者が自身のことを全て把握しているわけでもない。
  • 抑圧されている人が、自分のニーズをきちんと把握しているかというとそうでもない。人は自分の手に届かないものを望み続けることができるほど強くないし、状況に適応するものであるので、傍から困難を抱えているように見えても、本人は何とも思っていないこともある。
  • 当事者が不満を抱えていなかったら、見過ごしてよいのかというと違うと思う。代理者が当事者の権利を擁護すること、他者が多様な人々の状況を慮ることが議論に深みを増し、問題の解決に繋がるはず。他者のことを完全に理解することはできないだろうが、想像することはできるはず。
  • 他者が当事者のことを考える上で、パターナリズムには注意を払わないといけない。世の中で「弱者」と言われている人たちが、自分たちのニーズをきちんと把握して自分の権利を主張し始めると、途端に「生意気だ」と叩かれることがある。

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2010年3月13日 (土)

(覚え書き)ランドスケープの視座を読んだ

 「 ランドスケープデザインの視座」宮城 俊作著、読了。読んだ本は、左の列に概要をまとめているんだけど、長くなりすぎたので、こちらに覚え書き。

 造園、モダニズム、素材、エコロジー、アート、コラボレーション、制度、風景モデルの8つのキーワードを通じて、ランドスケープを見るための視座について整理されている。私は、造園とランドスケープの違いが分かっていなかったお。土木、建築、造園は近いところにいるようで、近くない。

 宮城俊作氏のランドスケープの定義は"われわれを取り巻く環境のある状況を指しており、その状況のもとにおいて、人為的に表象されるものと、現実の環境において表象が志向する対象との間に、われわれの感覚を媒介としたコミュニケーションが成立していること。" 
 ランドスケープが人との間にコミュニケーションが成立していないと成立していないというのは、面白い。そこに富士山があればランドスケープになるというわけでもないってこと。ランドスケープデザイナーが読ませたい何かがあること、で、それを見て読み取ることができる人がいないと成立しない。

 ビオトープについて、完全に誤解していた。小学校の校庭に作られているあれぐらいの認知だった。小動物の生息が可能な空間というだけでなく、"地域生態系の核となる大面積の緑地を相互に関連づける機能を持つことによって初めて意味をなす"

 ランドスケープデザイナーの石川初氏の書評はこちら→ランドスケープデザインへの、戦略的視座

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2010年3月 8日 (月)

本が届いた!

 昨日、南風耕作堂さんから本が山ほど届いた。は さん、み さん、感謝、感激、あめあられです。(こちらからも、近いうちに、何かお送りします)
 読みたかった本、知らなかった本がいろいろと入り混じっていて、読みすすめるのが楽しみ。

 み さんは、私が金沢に住んでいた頃の知人。本当にたまたまお会いした方で、細い細い縁が繋がっているのを不思議に思う。しかもこのblogのおかげで、その繋がりが保たれているのだから、不思議で仕方がない。

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 そういえば、最近になって、み さんと同時期に知り合った方2人から便りが届いた。

 一人はFさん。Fさんの旦那さんのクレズマーバンドのライブに行きたい行きたいと思いながらも、機会を逃していてなかなか行けていない。うちの娘と同世代の娘さんがいて、ずっと遊びに行きたいと思いつつ、行けていない。春になったら、ぜひ押し掛けたい。

 Kさんは、金沢から大阪に引っ越されたとか。私の結婚式の2次会以来お会いしていないので、かれこれ8年も会っていない。せっかく大阪におられるのだから、お会いしたい。

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 人の縁なんかどこで切れて、どこで繋がるものなのかよく分からない。毎日会っている太い繋がりも大事だけど、細い細い繋がりも大事だなぁと思う今日この頃。

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