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2010年3月14日 (日)

議論についての覚え書き

 議論について、考えていることなど。覚え書きとして。

(議論するための前提条件)

  • 議論って相手を論破することでもないし、正しい何かを一つ決めることでもないと思う。いろんな立場から、ある物事について検討することだと思ってる。
  • 議論するには、誰が議論に参加するのか/知識やデータ/議論の目的/言葉の定義などを共有することが必要。これらを共有することができないと、揚げ足取りや後だしじゃんけんになりやすい。(そういう意味で、流行りのTwitterで議論するのは、かなり難しいと思う。twitterは意見の同調を求める、ブレーンストーミング、情報の拡散に向いているような気はする。)

(当事者の発言に関して)

  • ある問題について議論する時、当事者の発言は大事だけど、当事者じゃないと発言してはいけない、当事者の発言を全て受け入れるべきかというとそうではないと思う。第三者的な視点が入らないと意見が偏って議論が活発化しないし、現実問題との折り合いをつけれない。それに当事者が自身のことを全て把握しているわけでもない。
  • 抑圧されている人が、自分のニーズをきちんと把握しているかというとそうでもない。人は自分の手に届かないものを望み続けることができるほど強くないし、状況に適応するものであるので、傍から困難を抱えているように見えても、本人は何とも思っていないこともある。
  • 当事者が不満を抱えていなかったら、見過ごしてよいのかというと違うと思う。代理者が当事者の権利を擁護すること、他者が多様な人々の状況を慮ることが議論に深みを増し、問題の解決に繋がるはず。他者のことを完全に理解することはできないだろうが、想像することはできるはず。
  • 他者が当事者のことを考える上で、パターナリズムには注意を払わないといけない。世の中で「弱者」と言われている人たちが、自分たちのニーズをきちんと把握して自分の権利を主張し始めると、途端に「生意気だ」と叩かれることがある。

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