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2010年7月31日 (土)

郊外について思うこと(その1)-デベロッパーたちの夢のあと-

 戦後から高度経済成長期にかけて、我が国においては、私鉄の発達に伴って、既成市街地の周辺部にあたる郊外部に住宅が開発された。近年にいたるまで市街地は拡大を続け、都心までの距離が遠く鉄道の延伸を望むことができないような地域においても、数多くの郊外型新興住宅地が開発されている。

 最近、こんな書きだしの論文を書いた。

 大阪府内には、新興住宅地がたくさんある。既成市街地の周辺部だけじゃなくて、あぁ、ここらへんは山だなぁとほくほくサイクリングなんかをしていると、突然、まとまった住宅地がぽっくり現れたりするのだ。たとえば、豊能町にある希望ヶ丘は、地域内に買い物施設もなければ病院もない。最寄駅まではバスで1時間だ(希望ヶ丘の不便さについては、Wikipediaを参照してください)。最近開発されたばかりの箕面森町も、地域内には施設がない(ちょっとどぎついけれど、こちら「箕面森町&箕面グリーンロード」をどうぞ)。大阪府内ではないけれど、京都府亀岡市の茨木台は、ちょっとすごい(これもどぎついけれど、こちら「限界マイホーム・バブルの負の遺産 茨木台ニュータウン」をどうぞ)。

 既存の農村コミュニティと違って、こういった新興住宅地に住んでいる人たちはそこに住んで理由が希薄だ。生まれ育った場所でもないし、経済的な糧を得る場所でもない。ベッドしかない場所だ。不便さに耐えかねたお金がある人々は、家を売り払って、便利なところに移り住むという動きもある。高度成長期に作られた新興住宅地の多くは、高齢化とともに人口が減りつつある。将来的にどうなっていくんやろう? どうしていくのがいいのだろうなぁ。

 今のままの傾向が続けば、これから人口がどんどん減少していく。そうした中で、経済効率だけ考えれば、郊外の住宅地はつぶしてしまって、町中に高密度ですむ方がよいだろう。でも、一度作ったものを完全にないものにすることはできないだろう。

 住民自身による地域の活性化活動(エリアマネジメント)もあるが、これをやっていくためには、地域への愛着とか問題意識の共有とか、制度とか、財政面での裏付けとか、地方自治体の体制とか、いろいろとハードルが高い。国の思惑通り、なかなか進まないだろうと思う。

 うーん、難しいですなぁ。何が言いたいのかわかりにくい文章になってしまったし。もうちょっとちゃんと考えます。 

 追記:リンク先が間違っていたのを修正しました。

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