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2010年7月31日 (土)

郊外について思うこと(その3)-耳すまのリアリティについて-

 少し前に、テレビで「耳をすませば(耳すま)」が放映された。ジブリの映画は夏になると、新作が封切られるので、この時期になると必ず放映される。この映画、鬱映画として有名で、この映画で描かれている中学生の恋愛があまりにもキラキラと輝きすぎていて、自分の中学生時代と比較して、鬱入っちゃうらしい(もちろん、私も鬱入るよ!)。最後のシーンとか、なんだよ、あれ。見るたびに、赤面して身もだえするよ!

 というのは、さておき。この映画は多分多摩ニュータウンを舞台にしている(友人に指摘されたのだが、平成狸合戦ぽんぽこも同じ多摩ニュータウンを舞台にしている)。ジブリの映画は、ロケハンを綿密に行っている。宮崎駿という監督は、郊外やニュータウンを肯定的に捉えていないという印象があったので、この映画でのニュータウンの書かれ方は少し意外だった。

 耳すまの主人公が住んでいる家は、旧都市公団のものだと思われる真ん中に階段室のある団地だ。3DKで物があふれている狭い家。大学生の姉と中学生の妹が同じ部屋を共同で使っている。家の周りには坂道がやたらと多い(最後の主人公たちが自転車で駆け上がる道は、路面に急勾配のための滑り止め加工がされている)。そういう普通の郊外の生活が丁寧に描かれている。(モデルとなった土地については、こちら等をどうぞ)

 宮崎駿監督の他の作品のヒロインは、何か大きな運命の渦中にいて、何やら大変なものに立ち向かっている。でも、耳すまでは、何の変哲もない中学生の少女の恋愛を描いている。その舞台として、ニュータウンを選ぶというのは、なかなか心憎いと思う。ニュータウンは、まったくもってストーリーを邪魔しない。なおかつ、今、多くの人が郷愁を抱くことができる風景なんじゃないかなぁと。ニュータウンに住んでいる私たちにとっては、田舎の風景はテーマパークのようでリアリティは全くないのだ(例えば、サマーウォーズで描かれている田舎の風景は、憧れの場所ではあるが、私には郷愁の念は起きない)

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