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2010年8月 7日 (土)

ひょっとしたら私botかも(その1) -中二病であることは、よく知ってるけど-

(注意)定期的に書きたくなる、自意識こじらしているキモイ日記です。
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 中二病 というネットスラングがある。中二病とは、思春期の少年少女にありがちな自意識過剰やコンプレックスから発する一部の言動傾向を小児病とからめ揶揄した俗語(引用元:Wikipedia)。私は、なんともう34歳になってしまったにも関わらず、この中二病をこじらせたままなんだ。

 私がかかった中二病は、自分はロボットに違いないという妄想*。私は高度なプログラムがなされていない低級のロボットだから、うまく環境に適応できないし、臨機応変の対応が苦手。ロボットなので、嫌な物を見ても不快に感じることもないし、楽しくも思わないし、寂しくも思わないし、心を動かすことはないっていう、大変やばくて、暗くて、気持ちの悪い妄想だ。

 その妄想は、高校に入った頃から囚われなくなったのだけど、今でも、時折、自分はロボット(bot)なんじゃないかっていう妄想が顔を出すことがある。ほんまに キモイ☆ ですね(笑) 

 例えば、私がここに書いている文章は、本当に自分の固有の言葉なのか? どこかで見かけた言葉、文章、そういう既にinputされた情報を適当に組み替えて、反射的にoutputしているだけなんじゃないかと思う時がある。自分の文章を書いているつもりだけど、誰かのコピペとそれほど変わらないのではないのか。

 chatを初めてやった時、「わかぬ」さんという見知らぬ人がそこにいた。とても気さくで、時折無礼で、反応がとても早かった。この人はいったい誰なんなんですか?と、chatの中にいる人に聞いたら、「人工無能だよ」と教えてくれた。わかぬは、書かれた言葉とデータベースをマッチングさせて、応答を返すだけの存在で、しばらく会話をしていたら、人間じゃないことはすぐ分かるのだが、初めて見た時は、人らしく感じた。暇な人が、「わかぬ」と会話しているのを何度も見たことがある。この「わかぬ」と私のコミュニケーション力に、あんまり差はない感じがした。私の方が、ほんのちょっと込み入った話ができるという程度だ。

 ちょっと古い記事だけど、twitterでずっと仲良くしていた人がbotだったというのもある。文字だけでやりとりしていると、そういうことってあるかもなぁと思った。会話って多くの場合、自分が望んでいる答えを返してもらいたいもののように思う。人が期待していない答えを返すと、「空気読め、ばか」みたいな反応を受けたりする。そういう意味では、botの方が、ちゃんとデータベースを作りさえすれば、人が望むような答えを確実に返せる。

そして、星野しずるの短歌。

手ざわりの眠りを捨てて君だけのかなしい傷を見た朝に日々
草原の女王になった臨月のつめたい傷を待っている街
過ちが広がる恋のともしびは給水塔の大地に託す
ゆりかごを飛び越えてゆけ 臨月の世界の風になったたましい
恋人を愛し続けるさかさまの話の午後でさえも嘘つき
星野しずる

 私は短歌のことはよくわからないが、星野しずる**の作る短歌には、時折心を動かされる。一首目の「手触りの眠りを捨てて」で、触感のある妙にリアリティのある夢を思い出したりとか。星野しずるは、第七回枡野浩一短歌賞を受賞した短歌自動生成スクリプト。これを見た時、私なんかが綴る言葉になんかまるで価値がないんじゃないかとがっかりした。私の方が、語彙が表現力が貧弱で、低レベルのbotじゃないかと。

 とかいう思いを日々抱きながら、とめどなく溢れる文章を綴り続けている。botよりも拙い文章しか書きませんが、読んでくれている方々、ありがとうございます。

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* 中二の頃に、私が妄想に囚われた理由など。

 私が通っていた中学校は、私達が入学する前まで校内暴力がひどくて、ヤンキーの巣窟だった。私が入学したころは、校内暴力はおさまったが、代わりに学級崩壊といじめがひどかった(唯一学級崩壊していない時間は体育だけだった。体育は、体罰を平気でふるう先生が授業時間を支配していた)。学級崩壊にもいじめにも加わりたくなかった私は、クラスメイトと話をするのを断った。自分から断ったつもりだったけれど、1週間もすると、クラスメイトの輪にうまく加われなくなってしまった。

 クラスメイトと口をきかないのは、なかなかキツかった。目にみえるもの、耳から入る情報に対して反応を示さずに、自分を空気みたいな存在にするということだから。といっても、空気になりきれなくて、自分は今ココに存在して、実在している。ということで、自分はロボットに違いないという妄想を作り出したわけだ。当時は、星新一とか新井素子とかSFっぽいものを熱心に読んでいたので、もろ影響を受けている。ほんまの妄想と違って、これは自分が作った設定で、ほんまは自分はロボットなわけはないって分かってもいたんだけど。

 環境にうまく適応できていなかった。でも、あの環境にうまく適応できちゃっていた同級生も心に傷を残していることだろうと思う。みんな、学級崩壊もいじめも辛かったよね? している方もされている方も。ほんまはあんなことしたくなかったよね? 思い出すとキリキリ胃が痛むよね? 夢に見て、嫌な汗をかいて起きたりしない? 何であんなことしてたんだろう? そして、私を含め、どうして誰も、あの状況を壊すことできなかったんだろう? 娘が同じ状況に陥った時に、彼女はどうするんだろう? 母として何かできることはあるんだろうか?

 自分がロボットだったという妄想は、私の最大の黒歴史(他にもいろいろあるけれども!)。自分でもキモすぎるのは分かっているので、あんまり人に話したことがない、っていうかオットにも話したことがない。それなのに、world wideに書いちゃう自分がまたキモすぎですね☆ミ でも、キモイところも含めて自分を愛しているし、周りの人に受け入れて欲しいのよ、とか、ほんまにキモイことばっかり書きたくなる。ほんまキモイお母さんでごめんなさい(オカンに大事なのは開き直りや!)。

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**星野しずるの作者が、以下のようなことを書いていて興味深い。

人間ではつくれないような新鮮な暗喩をつかったり、時には逆に、まるで人間がつくったかのような深淵な意味が読み取れてしまう短歌も出てきます。まずはそのおもしろさを楽しんでほしいですね。その上で、人間の持つ「理解しようとしてしまう力」の潜在的な高さについて驚いたり、読み手依存型の創作の怖さに気づいたり、創造性がほんとうに発揮されねばならない場所とはどこなのか再考したりしていただければ幸いです。

何かを解釈する、意味付けする、そういうことは自動生成scriptにはできない。ということは、解釈や意義付けに人間らしさが含んでいるということか。短歌だけではなくて、過ぎさる日々に何らかの意義付けをしないと、人間らしく生きていることにならないのか? 

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※ 「ひょっとしたら私botかも」というキモイお題で、今回を含めて4回ほど書きます。あぁ、どんどん、ゆるふわ愛されキャラから遠ざかっていくわ。って、わざとですけどね。

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コメント

やはり、頭に直接入ってくる文章のように感じます。以前http://pika.tea-nifty.com/pika/2010/06/post-ee37.htmlにも書きましたが、形容詞がよく抑えられていることでこんなに文章に生々しさを増すのかと感じ入ります。
読むのが楽しみです。

投稿: pent_jp | 2010年8月 7日 (土) 07時14分

pent_jpさま

コメントありがとうございます。
日記を理解していただき、ありがとうございます。
ご指摘のとおり、形容詞はあまり使わないですね。これは、意図的というよりも、大げさな言葉が苦手なので、自然と使わなくなっているんだと思います。
人に指摘されて初めて、自分の文章の癖ってわかるものなんだなと思い、面白かったです。

投稿: ぴか | 2010年8月 8日 (日) 08時20分

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