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2010年8月 8日 (日)

形なきものを枠に押し込める 枠に入りきれない部分は多いけれど

 blogに文章を書くのは、私の継続している数少ない趣味の一つ。もし、インターネットがなかったら、私はとめどなく溢れるこの文章群をどうやって処理していたのかなぁって思う。

 文章を書くことで、頭の中を整理し、意味づけをしている。自分の書く文章が拙いものであること、大したものを書いていないことを重々承知しているが、何かを自分の言葉で書き連ねたいという衝動にかられて、書いている。

 言葉にするということは、形のないものに枠組みを与えるということだと思う。私はこの枠を作るのがそれほど得意ではない。私は、自分にとって大事すぎる経験を文章化することにためらいがある。大事な経験が、私のつたない文章で陳腐になるのを恐れる。枠に入れる前の経験や思いは、尊くて美しかったように思うのに。それに、経験というのは私だけのものではなくて、必ず他者が存在する。経験を文章にするということは、どんなに誠実に書いたとしたとしても、事実を自分の都合のよい物語にすり替える。だから、些細で関与する人々が少ない出来事を文章化して、大げさな物語にすり替える方を好む。

 でも、きっと、そのうち、大事な経験も言葉にする。ここには書かないかもしれないけれど、何らかの形で、枠に押し込めて、陳腐化させる。この年になって分かってきたことは、過去のことはすべて受け入れなければならないらしいということ。思い出したくない過去もすべて。過去は不意に顔を出して、私の肌をえぐる。それが深い傷にならないようにするためには、過去を何らかの形で自分の中に位置づけをしないといけないらしい。私はいつまでも自分の不安定さを大事にしすぎている。過去に肌をえぐられることを望んでいるふしがある(くだらないな、ほんまに!)。他者を許し、自分を容認し、状況を容認していくことで、安定した人間になれないのだと思う。私の場合、文章化することで、そういう受容を行うことができる。過去に対して不誠実なのかもしれないけれど。

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