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2010年11月

2010年11月26日 (金)

モノとして見られることと、子どものささやかな自尊心と

(注)私の中で大事な話だったりはしますが、暗い話で、人によっては不愉快になるかもしれません。申し訳ありません。子どもの頃に遭遇した痴漢みたいなものに関する話です。

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 先日、不意に、子どもの頃に痴漢まがいのことをされたことがあるのを思い出して、眠れなくなった。子どもの頃、よく行っていたあの場所にどうしていかなくなったのかなあと、記憶を手繰り寄せたら出てきてしまった。かなり気持ち悪い経験だったので、忘れたいと強く願って、本当に蓋をするように忘れていた。記憶というものはすっかり忘れたつもりでも、不意に顔を出して、皮膚を抉ろうとするので、困る。子どもの頃に感じた気持ち悪さと罪悪感、心細さなんかを思い出して、布団の中でひとしきりしくしくと泣いた(ええ大人がすることではないと思うが、泣くというのはストレスの発散方法として一番簡単だったりするので)。

 私は、それほどかわいらしい子どもだったわけではない。おかっぱ頭のどこにでもいるような垢抜けない子どもだった。でも、ブサイクでも、肌の露出なんかしてなくても、ダサい格好してても、痴漢にはあう。むしろ、地味で、大人しそうで、誰にも言わなさそうな子どもを狙うんだろう。自分の保身のために*。

 子どもの私にとって、自分が誰かの性的な衝動をかきたてる可能性があるというのに気づくことは、かなり気持ちの悪いことだった。そのせいで、自分の存在、行動に罪悪感があった。自分がもっとしっかりしていればそういうことに遭わなかったじゃないか、自分の行動に落ち度があったのじゃないかと思った。そして、自分はひどく傷つけられたと感じた。

 大人に言うと怒られるような気がした。誰にも相談できず、といって、自分一人で考え続けるのも嫌で、忘れよう忘れたいと願って、そのまま忘れていた。その後、男性不信に陥るでもなく、結婚して、子どももいるので、大きな傷跡は何も残っていない**。でも、やっぱり当時相談できる大人がいて、「君は悪くない」というのを言ってもらえたらどれだけほっとしたことかと思う。

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 私の何が傷ついたのか。侮蔑的な言葉を投げつけられたわけでもなく、身体的に残るような何かをされたというわけでもない。多分、私の自尊心がひどく傷つけられたのだと思う。大人に性的な視線で向けられるということは、私が自分の意志を持たないモノとして見られているというように感じたのだと思う。

 んー。他の人のことはよくわからないが、性的な視線というのは、相互の承認がない限り、恐ろしいことのように思う。でも、まあ、大人になれば相互の承認がなくても、そういうことがありうるというのはわかる。それに、他人の性癖にあれこれいうべきではないと思っている。ロリータ・コンプレックスの人も頭の中では好きにしたらいいとは思う。非実在未成年に対してなら、私は何をしてもいいと思っている(ただ、私は眼にしたくないし、子どもにも触れさせたくないので、ゾーニングはしてほしい)。受け入れてもらいにくい性癖だと思うが、そういうのがあるのは否定できへん***。でも、お願いだから、決して実際の行動にうつしてくれるなと思う。子どもと大人では、持っている情報に差があるし、体格差もある。少なくとも私はかなり愚かな子どもだったし、何もわかっていなかった。愚かな子どもが悪いのではなくて、悪いのは子どもに被害を与える大人だ。

 もし、自分の子どもがそういう被害にあって誰にも相談できずにいたらと思うと、いたたまれない気持ちになる。自分の子どもでなくとも、子どもが大人の性的な衝動の被害に遭うのは許さない。

 周りの大人は、子どもを悪意から完全に守ることはできないのかもしれない。でも、「子どもは罪悪感を覚える必要はない」と教えること、悪意を持った存在から身を守る術を教えることは重要なのではないかと思う。えっと。ここから先は、もっと具体的に考えないといけない。もうちょっと知識を付けて、また、後日書こうと思う。
 
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*大学生の頃、2個上のM先輩と痴漢に関して言い合いになったことがある。「肌を露出するような服を着ておいて、痴漢にあったとか騒ぐのはおかしい。被害にあう側にも責任があるだろう」と先輩が言い放ったので、「被害者に落ち度があるわけないでしょ!」と怒った(でも、話を理解してもらえたかは不明だけども。つーか、私が顔を真っ赤にして怒るのが面白くて、先輩はひどいことをわざと言っていたな。ひどい><)。
 何を着てようが、責任を被害者に置くのは間違っている。それとも、衝動を抑えられないほど、行動と感情が直結している人ばかりなのか? そんなわけなかろう。文化的な社会生活を送る上で、行動と感情を分けることは最低限度の必要なことだ。

** 傷跡がないのであれば問題ないという考え方もあるかもしれない。無菌状態で育つことなんかできやしないのだから、そういう大人の悪意に触れるのは仕方ないと。こんな小さいことで、ギャーギャー騒ぐなと。
 でも、もしかしたら、私が受けた被害は小さくてすんだものの、運が悪かったらもっと大きな被害になったかもしれない。私がきちんとここで考えることが、自分の子どもや小さき人達を守ることに少しでも繋がるのなら、ギャーギャーと大げさに騒いでもよいのではないかと思った(といっても、blogに書くだけだが)。

*** ロリータとか、わからないこともない。全盛期の加護ちゃん、辻ちゃんとかも、かわいかったしなぁ。でも、想像の中で、かわいいあの子と恋人同士になるのと、危害を加えるのとでは、深くて広い溝があろうて。

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2010年11月19日 (金)

今、お腹の中に金魚ちゃんがおります

 子どもの頃、かたつむりに雌雄がないと知って、母に伝えた。気持ち悪いねぇって。私の言葉に対して母は、「気持ち悪くないよ。素敵な人だったら、男女の区別なく好きになれていいじゃない」と答えた。

 でも、子どもが母にしたい話って、基本的に承認しか求めてない。男女の区別がないほうが幸せって言われた当時の私は、自分の足場がぐらつかされた気がして少し混乱した。うちの母は、時々、わざと韜晦して、子ども相手にも本気で返事をする人だった。

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 今、お腹の中に人がいる。

 産婦人科でエコーを見せてもらった際、やたらと手足を動かしているので「金魚ちゃん」と名付けた。産まれたら、人間の名前を贈る予定にしている。それまでは金魚ちゃん。水の中で、すくすくと育つ金魚ちゃん。

 金魚ちゃんは、まだ10cmの体長しかないのに、人間として必要な器官はだいたい備わっているらしい。今は、絶賛、細胞分裂中。

 金魚ちゃんは、私と一心同体のようで、そうでない。へその緒で繋がっているのに、私とは別個の命。私が風邪を引いても、金魚ちゃんはげーんき元気。たまに、自分と子どもの人格を同一視するお母さんがいると聞くが、その気持ちはよくわからないな。

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 かたつむりにみたいに雌雄の区別がないといいのになって、何度か思ったことがあります。
 
 妊娠、出産は、女性にしかできない(少なくとも、今のところは)。もし、雌雄の区別がないのであれば、前回は私が出産したから、次はあなたねって、交替で妊娠すればいい。妊婦/出産がすごく嫌だというわけでもなく、いや、嫌なのかな? よくわからない。もし、私のパートナーが妊婦/出産してくれて、私の子どもが産まれてくるとしたら、幸せなことのように思えたりします。

 んー。でも、お腹の中に人がいるという状態を味わえるというのも貴重なことのような気もします。今のところ、男の人は一生味わえないことですからね。貴重な体験を、じんわりじわじわと楽しめばよいのですよ、きっと。

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 あー、さてさて。なんかまとまりのない文章ですけれども(それぞれの文章を繋げる努力を放棄しています)、7年ぶりに妊婦になって思ったことなどです。無理しないように、できる範囲で、ぼちぼちと日々を過ごしております。私は時折かぜなどをひいておりますが、大きな不調もなく、金魚ちゃんともども元気です。

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2010年11月14日 (日)

昔のものには、人の記憶がたくさんしみ込んでいる

189111657 先日、娘の七五三のお祝いをした。娘は私が昔着た朱色の着物を着て、私の祖母の形見の渋い帯を締めた。着付けは母がしてくれた。私は、着物のことはよくわからないのだが、昔の着物には最近の着物にはない重さがあって好きだ。古くさい菊の花柄も、くすんだ朱色も好きだ。

 七五三のお祝いは、オットと私が結婚式を挙げた気比神宮で行った。祝詞をあげてもらっている時、ふと娘の横顔を見た。その瞬間、28年前の自分の七五三の記憶の欠片が戻ったような気がして、くらっとした。私も晴れ晴れしい気持ちで、この着物を着て、唇に紅をさしていた。どうやら、この古い着物は、人の記憶をたくさんしみ込ませたまま、保存されてきたらしい。

 お祝いの式が終わり、娘の着物を脱がせながら、母に御礼を言った。神社で見た晴れ着の中で、この着物が一番好きだったということ、母が着物を保存してくれたおかげで娘のお祝いを安くできたことなんかを。

 「安くできた」だなんて無粋なことを言ったのは、私が母に話す時の癖だ。私は母のことを合理主義者だと思っていた。私が、自分の好みで何か行動を起こすとき、母はいつも難癖をつけるように感じていた。もったいないとか、役に立たないとか、そんな感じのことを言うのだ。だから、つい、私は母と話す時、いかに自分の行動が理にかなっているのか、他の選択に比べて何がどうお得なのかを言うように防御線をはるようになっていて、この時も同じように言ったのだ。

 すると、母は、私たちの七五三の着物を取っておいた理由を「自分の作品だから捨てられなかった」と言った。自分で反物を選び、柄を合わせ、自分で縫ったものだから捨てられない、購入していたものだったら捨てていたかもしれないと。母は和裁の仕事をしていたので、一つ一つの着物に思い入れがあると思わなかった。もったいないから捨てなかっただけなのかと思った。

 ああ、そうか。この着物には、私の記憶だけじゃなくて、母の思い入れもつまっているんだ。だから、私が忘れていたはずの記憶の欠片が戻ってきたのか。どうして気づかなかったのかね、私は。この人の娘をもう34年もしているのに。母は、合理性だけで判断しているわけがないのは、よく知っているじゃないか。母は、考え無しの私を考えさせるために、大人として私に口をはさむのだよ。

 子どもを育てていて繰り返し感じるのは、子育てというのは自分の子どもの頃を追体験しているということ。子どもと一緒に体験しながら、ああ、子どもの頃、こういうことしたなあ、こういう気持ちになったなあと思い出す。そして、追体験しながら、その時、親はどういうつもりだったのだろうと、親の気持ちに思いを馳せる。思い出は、私に、子どもの視点と親の視点の複眼を与えてくれる。古いものには、追体験をしやすくなるものがたくさんつまっているような気がする。物を捨てれないのは悪癖かもしれないが、大事な物はきちんと残していきたい。

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2010年11月 5日 (金)

夜中にふと目が覚めると、白い四角い箱にいたたまれなくなって、部屋中にバニラエッセンスをふりまきたくなる

Photo まだ先のことだが、来春、奈良に引っ越すことにした。引越しを決めた理由を書いてみた。

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 夜中にふと目が覚める。暗闇に眼が順応すると、白くて四角い天井が視界に入る。天井だけでなく、壁も白くて四角い。私は、白い四角い箱の中に住んでいる。

 白くて四角い部屋のことを思うと、子どもの頃に読んだ少女の物語を思い出す。多分、松谷みよ子だと思う。田舎から都会に一人で出て来た少女が、孤独にいたたまれなくなって、部屋にバニラエッセンスをふりまくのだ。そして、バニラエッセンスの香りを感じながら、自分がショートケーキの中にいると想像して、孤独をどうにか紛らわして寝るのだ。(この先はうろおぼえなので、間違っているような気がするが)少女の部屋は本当にショートケーキになって、天使達にどこかに運ばれていくのだ。

 大人になった私は、孤独はバニラエッセンスでは紛らわすことができないのを知っている。孤独はあまねくすべての大人が抱えているもので、私一人だけが孤独なのではない。心の中の虎を飼いならすように、自分の孤独と上手に付合っていかないといけない。このニュータウンには、たくさんの白い箱があって、それぞれの箱の中で、たくさんの大人が自分の孤独とどうにかこうにか付合っているのだろう。その孤独は誰とも分かち合うことなく。分かち合いたいと誰も思っていない。

 自分の孤独を弄びながら、この箱に住む理由が私には希薄だと感じる。どうしてここに住んでいるんだったかなあ。子どもの頃に住んでいた家は、天井の木目が人の顔のように見えて怖かった。木の板の天井が懐かしい。あの頃、私は家の中にいる気がする何かに怯えながら、夢の世界に逃げていた。

 

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 私が住んでいるニュータウンは再開発が進んでいる。駅の直近に50階建てのタワーマンションができた。建つ前は、そんな巨大な物が視界の中に入ってくることなど想像できなかったのにも関わらず、できてしまえばあっという間に風景に馴染んだ。

 

 一つ一つの区画が広く高級住宅街が並んでいたはずの場所が、気がつくと更地になってマンションの建設予定の看板が設置されていた。ニュータウンの中に、すっぽりと旧集落や竹林、田畑を残していたK地区も、マンションの建築が進んでいる。詳しいことは分からないが、代替わりする際に土地や古い家屋は売られることが多いときく。相続税を支払うために仕方が無いのだと。

 

 この再開発は、私達が6年前に移り住む前から少しずつ進んで来たものの一端だ。少し前までオールドタウンと揶揄されていたニュータウンであったのに、新築マンションのおかげでたくさんの若い家族が移り住み、子どもがどんどん増えている。ニュータウンを衰退させることなく、維持していくために、再開発は必要なことだと思う。それを望む人も多い。このニュータウンは初期の計画の骨格をきちんと残しているため、子どもがいるような世帯には大変すみやすいと思う。緑地や公園が多く、歩車分離もきちんとされている区画もあるし、各地区で歩いていける範囲に施設が配置されている。特に、私が住んでいる地域は、大阪市内から地下鉄1本でアクセスできる。空港や新幹線の駅にもアクセスしやすい。とても条件がよい。私はマンションのマーケティングには詳しくないが、需要は大きいに違いない。需要が大きいものに、供給側が答えるのは理にかなっている。この再開発は間違っていないと思う。

 

 条件がよろしいですな。でも、果たして、私はこの条件を望んでいたのだろうかというとそうでもない。6年も住んでいれば愛着もわくし、知り合いもたくさんできたし(特に子どものお友達関係が切れてしまうのは本当に悩ましい。親の身勝手で本当に申し訳ない)、私のような田舎から出て来た人間にとって住みやすい地域だとも思うし、便利だと思う。でも、根無し草の私は、そろそろ居場所を変えてもよいような気がした。

 

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 ええと。もうちょっと、もっともらしい理由も書く。

 

 来春、子どもが一人増えることになった。今、お腹の中で成長中。今の家では少し手狭だし、せっかく引っ越すのだから一軒家に住みたかった。

 このニュータウンに引っ越したそもそものきっかけは、夫の父母が住んでいたからだったのだが、義父の退職とともに田舎に帰ってしまったというのも大きい。私達はこのニュータウンを気に入って移り住んで来たわけではなくて、義実家の支援を受けやすいという大変功利的な理由で移り住んで来たのだった。だから、義父母がいなくなったら、ここにいる理由がかなり薄れてしまった。

 

 また、娘が来春小学校に入学するため、引っ越すするなら、入学前にしたかった。保育所の仲良しのお友達がいないのは不安だが、途中で転校するのに比べれば安心して通学できるだろうと思う。

 

 そして、最大の理由。かさぶたを剥がすようで嫌なのだが、アカポスを得られる可能性がとても低いと感じたため、別に、今のような出張に行きやすい場所に住む理由なんかないよなって思ったのだ。それに今は大学に一応籍を置かしてもらっているが、来年度はなくなるから、今の大学の近くに住む理由も薄い。(引越しを理由とともに、とある先生に打ち明けたら「お前は研究から足を洗う気なのか?それでいいのか?」と怒られた。私も自分が他人やったら、「何がやりたいねん」と冷たく言い放つな。んー、でもなー、手に入らへんもんに恋いこがれ続けるのって、むずいし、苦しいやん。研究についてはいろいろと思い悩んでいる。どうにかこうにか研究には足を突っ込み続けたいと思いますよ。うまくいかへんかもしれないけど。ああ、もう!)。

 

 ということで、来春に引越したくて、9月ぐらいから探していた。ある日、オットが奈良で古屋や町家を専門に扱う不動産屋さんを見つけた。そこで、見つけた古家(貸家*)に一目惚れして、決めてしまった。以前、住んでいた京都北山の茶室住宅と異なり、ちゃんと窓にガラスがはまっているし、大家さんも変わっていない。私達が見に行った時は、かなり草臥れた感じの家になっていたが、私達が入居するまでに古家の改修に慣れた大工さんがリフォームしてくれるとのこと。今の四角い家に比べると気密性は落ちるだろうが、住みやすいだろうと思う。

 

*私達夫婦は家を買うつもりはない。車も買わない。大きいものを担うのが恐ろしいから。

写真:今度移り住む予定の奈良の古家の窓ガラスと縁側。ガラスも素晴らしいんよ。微妙に歪んでいる。この歪みは、職人さんが丸いガラスを平面に引き延ばす際に必ず生じるもの。気泡もある。文字通り、職人さんの息づかいを感じる。このガラスは、もう日本では作れないという噂を聞いた。

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