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2010年11月14日 (日)

昔のものには、人の記憶がたくさんしみ込んでいる

189111657 先日、娘の七五三のお祝いをした。娘は私が昔着た朱色の着物を着て、私の祖母の形見の渋い帯を締めた。着付けは母がしてくれた。私は、着物のことはよくわからないのだが、昔の着物には最近の着物にはない重さがあって好きだ。古くさい菊の花柄も、くすんだ朱色も好きだ。

 七五三のお祝いは、オットと私が結婚式を挙げた気比神宮で行った。祝詞をあげてもらっている時、ふと娘の横顔を見た。その瞬間、28年前の自分の七五三の記憶の欠片が戻ったような気がして、くらっとした。私も晴れ晴れしい気持ちで、この着物を着て、唇に紅をさしていた。どうやら、この古い着物は、人の記憶をたくさんしみ込ませたまま、保存されてきたらしい。

 お祝いの式が終わり、娘の着物を脱がせながら、母に御礼を言った。神社で見た晴れ着の中で、この着物が一番好きだったということ、母が着物を保存してくれたおかげで娘のお祝いを安くできたことなんかを。

 「安くできた」だなんて無粋なことを言ったのは、私が母に話す時の癖だ。私は母のことを合理主義者だと思っていた。私が、自分の好みで何か行動を起こすとき、母はいつも難癖をつけるように感じていた。もったいないとか、役に立たないとか、そんな感じのことを言うのだ。だから、つい、私は母と話す時、いかに自分の行動が理にかなっているのか、他の選択に比べて何がどうお得なのかを言うように防御線をはるようになっていて、この時も同じように言ったのだ。

 すると、母は、私たちの七五三の着物を取っておいた理由を「自分の作品だから捨てられなかった」と言った。自分で反物を選び、柄を合わせ、自分で縫ったものだから捨てられない、購入していたものだったら捨てていたかもしれないと。母は和裁の仕事をしていたので、一つ一つの着物に思い入れがあると思わなかった。もったいないから捨てなかっただけなのかと思った。

 ああ、そうか。この着物には、私の記憶だけじゃなくて、母の思い入れもつまっているんだ。だから、私が忘れていたはずの記憶の欠片が戻ってきたのか。どうして気づかなかったのかね、私は。この人の娘をもう34年もしているのに。母は、合理性だけで判断しているわけがないのは、よく知っているじゃないか。母は、考え無しの私を考えさせるために、大人として私に口をはさむのだよ。

 子どもを育てていて繰り返し感じるのは、子育てというのは自分の子どもの頃を追体験しているということ。子どもと一緒に体験しながら、ああ、子どもの頃、こういうことしたなあ、こういう気持ちになったなあと思い出す。そして、追体験しながら、その時、親はどういうつもりだったのだろうと、親の気持ちに思いを馳せる。思い出は、私に、子どもの視点と親の視点の複眼を与えてくれる。古いものには、追体験をしやすくなるものがたくさんつまっているような気がする。物を捨てれないのは悪癖かもしれないが、大事な物はきちんと残していきたい。

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