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2011年2月19日 (土)

文字を残す 忘れぬように 忘れてもいいように

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■写真:娘が書いた初めての物語。1枚目「まほうのともちゃん。ぼくまほうつかい」。2枚目「ぼく いま ほうきのってる」連載はいきなり二回で終了。

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 娘は、少し前まで文字のない世界に生きていた。そのせいか、文字を読むこと、書くことが楽しくて仕方がないらしい。

 子どもは形を丸暗記する能力に長けているので、読むのはあっという間にできるようになった。でも、子どもに文字を教えるのは難しい。ひらがなは生活の中にありふれているので、読みを覚えるのは難しくないのだけれど、書くのが難しい。「あ」とか「む」とか。カタカナは読みを覚えるのには時間がかかるのだけれど、直線が多いので書くのは簡単みたい。漢字は象形文字なので、形そのものに意味があるが、ひらがなやかたかなには形自体に特に意味がない。そのため、丸暗記するしかない。

 最近、娘は漢字を類推して読むようになってきた。例えば、先日は「千葉」の文字を見て、「せんり」と読んでた。借りぐらしのアリエッティは「ひとりぐらしのアリエッティ」と読んでいた。両方とも間違っているんだけど、知っている言葉をあてはめて、自分なりに世界を理解しようとしていることだと思って、母は感動したよ(親バカですみませぬ)。

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 文字を覚えてしまうと、もう文字がない世界には戻れない。子どもが文字を覚えるというのは大きな成長ではあるのだけれども、世界の認識の仕方は大きく変わってしまったように思う。

 おそらく、今以上に、言葉に感情がひきずられてしまうことになるだろう。子どもの保育所のお友達の間で、お手紙ごっこが流行っていた。そのやりとり自体はとても他愛もない可愛らしいものではあるのだけれど、場合によっては文字で書かれているがために傷ついたりすることもあるだろう。例えば、「すき」という言葉は、声だけしか伝達手段がないのであれば、その場に一緒にいることが必須であるし、音はその場で一瞬で消えてしまうので徐々に記憶も薄れて行く。でも、文字はそうじゃない。いつまでもそこに残ってしまう。たぶん、文字を見直すことで安心することもあるだろうけれど、文字に囚われてしまうこともあると思う。

 成長っていうのは不可逆なものなんだなって、たびたび感じる。知ってしまったら、もう知らない世界には戻れない。もちろん、いろんなことを知ることで、世界はどんどん広がって行く。できることが増えるし、将来できるかもしれないことの可能性も高くなる。よく分かっているよ。でも、私は感傷的な人間なので、ついついなかった世界というのを懐かしんでしまう。

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■ 漢字と日本人 (文春新書) 高島 俊男 (著)

 かなり昔に読んだ本なのだけど、日本語と漢字の関係について、わかりやすく書いてあり、大変面白かったので紹介。

日本人は文脈から瞬時に判断する。無意識のうちに該当する漢字を思い浮かべながら…。あたりまえのようでいて、これはじつは奇妙なことなのだ。本来、言語の実体は音声である。しかるに日本語では文字が言語の実体であり、漢字に結びつけないと意味が確定しない。では、なぜこのような顛倒が生じたのか?漢字と日本語の歴史をたどりながら、その謎を解きあかす。(Amazon の内容紹介より)

 娘は、今はほとんど仮名だけの世界に生きているが、さらに漢字を覚えると、文字への依存度は高くなるだろうなあ。昔は、「文字を知っている」ということは、「学がある」と同じような意味を持っていたらしいよ。今の「生きる力」とか「新しい学力」とかに比べると、なんとシンプルな評価基準なんだろうね!

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