« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月

2011年3月31日 (木)

原発について思うこと

ブログネタ: 原子力発電について、どう思う?参加数拍手

 ちょっと時間がないので、調べも熟慮も足りないと思うのだけれども、感情の整理として、原発について思うことを書きます。

 少し前まで原発のことについて書くこと、喋ることはかなりセンシティブな話題であった。思想や政治性に強く結びついていて、少しでも反原発である自分の立場を表明すると「左」だとか何らかの決めつけをされるように感じていた(私はかなり左寄りの考え方なので、決めつけられてもどうということもないのだけれども、これについて議論するのは面倒くさくて避けたかった)。

 それが311以降、大きく変わった。

 ずっと恐れていたこと、高校生の頃に原発について少し調べたあたりに抱いた恐怖が現実になってしまった。

 私の出身の福井県には15基の原発がある。私が高校生の頃、美浜原発で非常用炉心冷却装置(ECCS)が稼働するという事故が起こった。その際、原発関係者が事故を県などに連絡するのが遅れていた。

 少し調べると、原発関係者は事故を隠蔽する傾向が強いこと、チェルノブイリでも事故を隠蔽したがために被害が拡大したことなどがわかった。そして、原発を誘致することで、多額の補助金が国から落ちていること、原発があることで地域の産業が潤っていることなんかもわかった。(今となっては内容に不適切なところも多いと思われる)広瀬隆氏の本を読んで、原発誘致はいざという時にお前らの土地を見捨てるぞというメッセージを受け入れることなのではないかと思ったりした。

 福島の原発事故に関するニュースは毎日のように流れてくる。関東圏では、通常よりも大気の放射能濃度が高い(http://atmc.jp/)。少し前に東京の水道水から放射性のヨウ素が検出された。福島では多くの人が避難を余儀なくされているだけでなく、風評被害(福島第1原発:農家ら風評被害を懸念 放射線検出)やいわれのない差別(例えば、福島からの被災者、宿泊拒否しないで 厚労省呼びかけ)に苦しんでいる。

 私の不勉強なのかもしれないが、現状のところ、放射能が身体に与える影響はよくわかっていない部分が多いのではないかと思う。現状で放射能と疾患の関係で明確になっているのは、小児性の甲状腺癌。他の疾患(白血病など)については、関係性が明確になっていない。感情的なものいいかもしれないが、"数十年が経ち、仮に不幸にも福島原発事故の影響と思われる健康被害が続出したとしても、被害者達は何十年も闘い国に保証を求めなければ、国家は知らん顔を通す" 可能性はあると思う。他の公害被害でも、何の罪も無い被害者は何十年にもわたって国や大企業相手に闘いを行わなければならなかった。訴訟の際、疾病と公害の関係性を明確に示さなければならなかったのは原告側だ。原告側って基本的にそこらへんにいる普通の人。科学的な根拠を示すのは容易ではない。しかも、今までの公害訴訟では、訴訟を起こすことで差別を受けたり、コミュニティの中で迫害されたりということが起こって来た。

 そして。福井の高速増殖炉もんじゅ。もんじゅのことはこちら(福島原発以上に危険性のある高速増殖炉もんじゅで今起きていること)にわかりやすい説明がある。もんじゅのことを考えると本当に恐ろしい。お願いだから状況が改善されるように、福井に大きな地震が来ませんようにと祈るばかりだ。

 おそらく、原発は縮小して行く方向にいかざるをえないだろう。それに伴い、私達のライフスタイルは大きく変わるはずだ。少し前まで実現性が小さいように感じられたスマートグリッドの検討を本気で勧めていかないといけないだろう。

 不安を煽っても仕方がない。当面のところ私は安全な関西圏にいるのに、何を言っているんだと思われても仕方がない。そして、反原発と思いながらも、今までとりたてて何もしてこなかった(小さくは「クーラーを絶対に買わないと決めている」とかはあるけれど、それでも電気にかなり依存した生活をしている)。私に今すぐ何ができるというわけでもないが、きちんといろんな情報を取得し、きちんと熟慮していこうと思う。

- - - -
原発を擁護する : アゴラ - ライブドアブログ:読みながら、あまりのバカらしさに怒りで体が震えた。著者がどういう方なのか存知あげていないが、被害を小さく見積り過ぎている。こういう人たちが、原発を推進してきたのか。他人の命や長年の文化を疎かにしてまで、便利な生活を享受したい、経済大国を維持したいっていうのは、非合理だと思うし、そんなの誰も望んでいない。それに、今回の原発事故によって傷つけられた日本のブランド力というのは、莫大なものだと思う。あまりにも現実が見えていないように感じる。

日本が今後採るべき電力供給戦略について
発電原価について。原子力は、事故が起こらなくても発電原価が安かったわけではない。でも、blogタイトルがちょっとどうかと。

切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man's Blog
赤ちゃんの顔を見ながら、仕事と家庭の両立について思う(雑感)
東日本大震災の気分的総括について
この方のblogにこんなに共感をする日が来るとは思わなかった。

| | コメント (0)

2011年3月30日 (水)

だましているのなら、一生上手にだまし続けてほしい

 こういう時にこういう文章をupする意味はほとんどないし、ただの自己憐憫です。3月30日の結婚記念日にupしようと思って2月末に書いた文章です。阿呆なこと書いているなあとは思いますが、その時にはこういうふうに思っていたということで記録としてupします。

06052002_no01_2
恋は病気の一種だ。治療法はない。ただしそれは世界中で一番美しい病気だ。(中島らも)

 恋は病。同意する。よく知っている。

 それなのに、結婚生活は健全なものにならざるをえない。妊娠や出産、それにまつわる物事すべてが健全で正しいものになる。今、私のお腹の中でぼこぼこ動いている人の存在は、恋という病がもたらしたものということを不思議に思う。

 妊婦も後期になると、バーバママのように可塑性の高そうなお腹になる。そして、気軽に他人にお腹を触られるようになる。普段であれば丁重にお断りするところだが、中に人がいるお腹は私のものでありながらそうでもないような気もするので、触られても平気だ。

- - - - - -

 オットはどうでもよい嘘をよくいう。人を小さく驚かせたいという欲求があるみたい。

 オットのどうでもよい嘘の例。

仕事帰りに電話してきて、
「今日、一億の仕事まとめたから疲れたわ」(どうやらトレーダーという設定らしいが、オットは技術者)
「今、ニューヨークにいるよ。今から飛行機に搭乗するから、しばらく電話つながらないよ」(自転車で通勤してるのに)

 こういうのはわかりやすい嘘(ホラ?)だけど、どうしてこういうことをわざわざ言うのか意図をはかりかねる。結婚したての頃は、「何? 何、言ってるん?」と一つ一つ聞き直していた。でも、最近では「んー。そうなんやー。おつかれー。大変だね。早く帰ってきてね」と流してしまう。

 娘はオットが言っていることをだいたい真に受けるのだが、最近では、「お母さん、お父さんが言っていることは本当なの?」といちいち聞いてくるようになった。そのうち、社会との関わりがもっと深くなると、父の言っていることが嘘なのかどうか、判断つくようになるだろう。そうすると、オットは寂しがるだろうな。

 私は、時折、オットに私となぜ結婚したのかを聞く。でも、まともに答えてもらったことがない。「実は全部ドッキリで、君をだましているだけだよ」と大変しょうもないことをいう。もし、本当にだましているのだとしたら詐欺師として素晴らしい仕事をしていると思うし、詐欺師のわりにはリスク取りすぎで意味がわからないと思う。そして、このまま一生上手にだまし続けてほしいと思う。

- - - - -

 オットと結婚してよかったことの一つは、オットは私の頭の中にさほど興味がなさそうということ。オットは、私のblog等に一応眼を通してはいるようだけど、どんな変なことを書いても私に何かを言ったりしない。彼が咎めるのは、私の行動に対してだけ。これは一緒にいる人間としては、すごく気が楽なことだったりする。

 私は、あんまりよい人間じゃないので、心の中で気持ち悪い何かが蠢いていることがある。それを咎められるのは、自業自得とはいえ辛い。見えないものは暴かないでほしい。見たくないものは、見えないふりをしてほしい。身勝手だとは思うけれど。

 以前、知人に、結婚にまつわる次のような話を聞いた。家によっては、結婚相手の素性がおかしくないかどうかを、興信所で調べるらしい。もし、そんなことをする家族がいる人と結婚しなきゃいけないとしたら、どれほど苦痛なことなんだろう。そして、人生に関わることなんだから、そうされるのも仕方がないと語った知人も恐ろしかった。

 ええと。私は対となるパートナーには、私がどういう人間でも、受け入れてほしいと思ってしまっている。馬の骨であったとしても、私がどんな背景を持って育ってきたとしても、私を受け入れて欲しいと(私の背景に大層な何かがあるわけでもないが)。

 オットは、私の頭の中だけでなく、私の素姓にもそれほど興味がなさそう。本当に興味が無いわけれはなくて、詮索しないように自分を律しているのかもしれない。彼は規範に従った善き人でありたいという思いが強いように思う。他人に必要以上に影響を受けないし。オットだけじゃない、オットの両親もそうだ。

 初めてオットの両親に会いに行った日のことを、よく覚えている。結婚を前提におつきあいをしていたので、私の仕事のこと、実家のことなんかを根掘り葉掘り聞かれるのではないかと覚悟していった。でも、それなのに、話した内容と言えば、猫のこと、その場で出されたお菓子のこと、そのほか他愛もないこと。気は抜けたが、ちょっとほっとした。

- - - - -

 今日は結婚記念日。今日から、10年目の結婚生活を始める。

 二人で向かいあう日々は、辛い時もある。一対一の関係だと、私かあなたかのどちらかがおかしい、間違っているということになることがある。でも考え方や習慣が違うのは当たり前なんだ。私達は、生まれ育った環境も違うし、持っている能力、今おかれている状況が違うのだから。

 冷静に考えれば違うのが当たり前でも、オットと行き違いがある時、自分が正しいように思うことがある。そして、自分の正しさにこだわってしまい、相手に謝ってほしいという気持ちばかりが強くなる。正しさなんてものは相対的なもので、絶対的に正しいことなんかほとんどないのに。そういう時、どうすればよいのかは、まだよく分からない。でも、自分を少しひいてみて、自分の正しさにこだわらないこと、相手の気持ちを考えること、話を断ち切っちゃうんじゃなくて、どうにかこうにかして折り合いをつけることが大事なのかなって思う。

 きっと、この先いろんなことがあると思う。でも、人間万事塞翁が馬で、不幸なこと、難しいことが幸せに転じることも多い。今後も、助け合いながら、何とか日々を積み重ねていきたい。

- - - - - -

■写真:9年前に行った新婚旅行の写真。若いな。

| | コメント (2)

2011年3月24日 (木)

諦念と知性

 私に不足しているのは諦念と知性だ。

 非常事態には、不足しているもの、破たんしかかっているものがより強調された形で出てくる。非常事態になって初めて問題になったのでなくて、もともと問題があったのに、たまたま破たんしていなかっただけのこと。

 311以降、言葉がうまく出てこない。いつも以上に、私から出てくる言葉のすべてが上滑りなように感じる。日々の生活は私にとってそれなりに大事なことだったのに、安全なところにいて日常生活を何も考えずにおくっているということを文章にした途端にものすごく陳腐でくだらない日々を送っているように思えてくる。震災にまつわる事柄についていろいろと考えることもあるのだが、当事者でもない、浅はかな知識しか持っていない私がそれについて書くのも愚かしいことにしか思えない。(たとえば、都市計画のこと、復興のこと、道路のネットワークのこと、ボランティアのニーズとシステムのこと、原発事故に関連することなど、あわあわと思うことはたくさんあるのだが、口にした途端、自分の現状認識の甘さや知識の無さを強く感じてしまう)。

 こういう非常事態に必要なのは、諦念と知性なんだと思う。まずは諦めるということ。そして、自分にできることが少ないことをきちんと認識したうえで、自分にできることを考える。自分にできることを少しでも増やすために、知識を増やし、自分がするべきことをこなそうと思う。

| | コメント (0)

2011年3月16日 (水)

他人と自分の境界線 -震災について思ったことなど―

 震災が起こって、気持ちがずっと落ち着かない。今回の震災のことがここまで気がかりなのは、ここしばらく親しくやりとりした人が仙台にいるからなのか、それとも未曾有の大災害だからなのかの区別もついていない。

 気がつくとぼーっとしてしまう。テレビの映像を思い出したり、被災地にいる人たちのことを思って、呑気に普通の生活を送っていることを申し訳なく思ったりする。でも、同時に、口の中で「大人になろう」と、ずっとつぶやいている。

 多分、この災害を前にして、何かをしたいと思う人はたくさんいると思う。でも、被災地以外にいる人間がいることはあまりにも限られている。私の数少ないボランティア経験をふまえて思うには、ボランティアというのは自分と他者の境界線をあえて曖昧にした上で、でも境界線をはっきりひかないとできない行動だと思う。被災地の人達のことを思う、自分もその渦中に入って何かをしたい、そういう思いは大事だ。そういう思いがないと、行動を起こすことができない。でも、災害という非日常的な状況では、一人ひとりが自分の意思で動くことは求められていない。

 オットは今大事なのは「自分の仕事をきちんとすることだ」と言った。オットは土木技術者で、橋梁の設計等の仕事をしている。今は通常の業務をしているが、きっと、この先、恐らく、震災で被害に遭った橋梁や土木構造物の点検、設計の仕事が大量に出てくると言ってきた。オットが直接その業務に関わらないとしても、土木技術者がしなくてはならない仕事が大量にある。その仕事を頼まれた時にいつでも取り掛かれるように、通常の業務をきちんとこなさないといけないのだと。

 土木技術者だけに関わらず、今、非被災地にいる人間がするべきことは、目の前の自分の仕事をきちんとすることだ。だから、必要以上に、心を被災者のところに寄せるのはよくない。自分と他者との境界線を曖昧にするだけでは、子どもなんだと思う。

- - - -

 私は、ボランティアは必要ないと言いたいのではない。多分、被災地には、ボランティアにしかできないことがたくさんある。ただ、今は、被災地以外にいて、人命救助のスキルを持っていない人間ができることは何もない。

 いろんなところで、役立たずのボランティアについて書かれている。たとえば、

 ■被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ~僕の浅はかな経験談~
 ボランティアに行きたい人には、必ず読んでもらいたい文章。”僕達が現地で強く学んだことは、「何かして欲しい人」がいて「何かしてあげたい人」がいても、事態は何も前進しないということだった。人が動くためには、「人を動かす人」が必ず必要になる。”

 ■ボランティアという名のモンスター隣人
 善意から出た行動であれば、許されるわけではない。

 ボランティアを動かすためにはきちんとしたシステムが必要だ。しっかりした指示系統、必要な場所に必要な量の人間や物資を配置する、そういうシステムがないと、現地を混乱させるばかりで、お互いに疲労するばかりだ。

 もし、どうしても行きたい人は、全社協の被災地支援・災害ボランティア情報をチェックして、ボランティア募集が出てから申し込むとよいと思う(3月16日朝の時点では募集もない、現地への問い合わせは迷惑だからやめてほしい、物品の送付も迷惑という状況)。

 現地に行かなくてもできることはある。遠方からボランティアにいくために交通費を使うよりも、義援金を送ったり、献血をした方が効果的かもしれない。そして、自分がするべきことをきちんとすること。

 なんだか自分に言い聞かせているだけの文章だけども、被災地以外にいる人間として、落ち着いて、いつも以上にきちんとした大人として行動したい。

- - - -

 Googleの東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)に関するページ

 日本赤十字社の寄付に関するページ

 糸井重里が寄付に関して書いた6つのツイート:義援金に関する考え方。義援金の額は「じぶんひとりを3日雇えるくらいのお金」というのに賛同します。

 未曾有の災害のときに「内田樹の研究室」:今必要なのは、「寛容」「臨機応変」「専門家への委託」を心がけること。

- - - -
■「災害ユートピア—なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか」レベッカ・ソルニット[著]:柄谷行人氏の書評。"大災害が起きると、秩序の不在によって暴動、略奪、レイプなどが生じるという見方が一般にある。しかし、実際には、災害のあと、被害者の間にすぐに相互扶助的な共同体が形成される。"

■「いのちを守る地震防災学」林 春男[著]。地震災害から自分たちの命と生活を守り、再び立ちあがっていく知恵と手段について。災害復興は、自助7割、互助2割、共助1割。自助、互助の力を高めることが防災に強いまちに繋がる。

■「12歳からの被災者学―阪神・淡路大震災に学ぶ78の知恵 」メモリアルコンファレンスイン神戸 [著]。阪神・淡路大震災の経験を踏まえた上で、様々な視点からの復興に向けた多くの知見が、12歳にも分かるように書かれている。

| | コメント (0)

2011年3月12日 (土)

東北地方太平洋沖地震 関連情報

■Google Person Finder (消息情報): 2011 日本地震
※もし、被災者の情報をお持ちの方がいたら、情報提供をお願いします。


東北大学安否一覧 http://bit.ly/eHbElJ、宮城大学安否一覧 http://bit.ly/gUar7n

■宮城の被災者に支援物資を送りたい人へ
※ 被災地には、基本的に物資ではなく、義捐金を送るべきだと思います。


■東北地方太平洋沖地震の義捐金等受付先まとめ
※義捐金の分配のされ方がよくわかりませんので、自分で納得したところに義捐金を送るべきだと思います。行政が集めたものであれば、被害状況に応じて分配されるようです。今のところ、行政の義捐金窓口は開設されていないようです。


■地震が起こったら、まずこれをしろ!
※阪神淡路大震災の経験者の経験談です。 ①落ち着いてから火を消せ、②お風呂に水をためろ、③屋内でも靴をはく、④家を離れる時はブレーカーをおとす、⑤電話はすぐ、最低限の人に。

■【日本赤十字社】寄付・献血・ボランティア|ホームペー
■けんけつ・どっと・こむ
※地震で怪我した方のために、血液が大量に必要になるそうです。献血は、健康な人が気軽にできるボランティアの一つだと思います。ですが、血液の保存期間は21日程度ですし、献血は毎日できるわけではありません。今日、明日で急いで献血に行くのではなく、少し時間を空けて献血ルームが混んでいない時期に行くのがよいと思います。

- - - - -

こんな見る人が少ないblogにこんな情報をまとめても、自己満足でしかない。でも、親しくしていた方が仙台におり、安否がわからなくて気持ちが落ち着かない。佐用の水害の場合と違い、ボランティアに行くこともできない。無事でいるのを祈るしかない。連絡がとれないだけで、きっと無事なのだと思う。

 私ができるのは、できる範囲で義捐金を送ること。そして、祈ること。何にもならなくてもいいから、お願いだから祈らせてほしい。一人でも多くの人が無事でいますように。そして、少しでも早く、日常生活を取り戻すことができるように。

追記 :友人の一人から無事との連絡がありました。よかった。本当によかった。(2011/03/13 17:30)

| | コメント (0)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »