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2011年3月24日 (木)

諦念と知性

 私に不足しているのは諦念と知性だ。

 非常事態には、不足しているもの、破たんしかかっているものがより強調された形で出てくる。非常事態になって初めて問題になったのでなくて、もともと問題があったのに、たまたま破たんしていなかっただけのこと。

 311以降、言葉がうまく出てこない。いつも以上に、私から出てくる言葉のすべてが上滑りなように感じる。日々の生活は私にとってそれなりに大事なことだったのに、安全なところにいて日常生活を何も考えずにおくっているということを文章にした途端にものすごく陳腐でくだらない日々を送っているように思えてくる。震災にまつわる事柄についていろいろと考えることもあるのだが、当事者でもない、浅はかな知識しか持っていない私がそれについて書くのも愚かしいことにしか思えない。(たとえば、都市計画のこと、復興のこと、道路のネットワークのこと、ボランティアのニーズとシステムのこと、原発事故に関連することなど、あわあわと思うことはたくさんあるのだが、口にした途端、自分の現状認識の甘さや知識の無さを強く感じてしまう)。

 こういう非常事態に必要なのは、諦念と知性なんだと思う。まずは諦めるということ。そして、自分にできることが少ないことをきちんと認識したうえで、自分にできることを考える。自分にできることを少しでも増やすために、知識を増やし、自分がするべきことをこなそうと思う。

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