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2011年3月30日 (水)

だましているのなら、一生上手にだまし続けてほしい

 こういう時にこういう文章をupする意味はほとんどないし、ただの自己憐憫です。3月30日の結婚記念日にupしようと思って2月末に書いた文章です。阿呆なこと書いているなあとは思いますが、その時にはこういうふうに思っていたということで記録としてupします。

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恋は病気の一種だ。治療法はない。ただしそれは世界中で一番美しい病気だ。(中島らも)

 恋は病。同意する。よく知っている。

 それなのに、結婚生活は健全なものにならざるをえない。妊娠や出産、それにまつわる物事すべてが健全で正しいものになる。今、私のお腹の中でぼこぼこ動いている人の存在は、恋という病がもたらしたものということを不思議に思う。

 妊婦も後期になると、バーバママのように可塑性の高そうなお腹になる。そして、気軽に他人にお腹を触られるようになる。普段であれば丁重にお断りするところだが、中に人がいるお腹は私のものでありながらそうでもないような気もするので、触られても平気だ。

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 オットはどうでもよい嘘をよくいう。人を小さく驚かせたいという欲求があるみたい。

 オットのどうでもよい嘘の例。

仕事帰りに電話してきて、
「今日、一億の仕事まとめたから疲れたわ」(どうやらトレーダーという設定らしいが、オットは技術者)
「今、ニューヨークにいるよ。今から飛行機に搭乗するから、しばらく電話つながらないよ」(自転車で通勤してるのに)

 こういうのはわかりやすい嘘(ホラ?)だけど、どうしてこういうことをわざわざ言うのか意図をはかりかねる。結婚したての頃は、「何? 何、言ってるん?」と一つ一つ聞き直していた。でも、最近では「んー。そうなんやー。おつかれー。大変だね。早く帰ってきてね」と流してしまう。

 娘はオットが言っていることをだいたい真に受けるのだが、最近では、「お母さん、お父さんが言っていることは本当なの?」といちいち聞いてくるようになった。そのうち、社会との関わりがもっと深くなると、父の言っていることが嘘なのかどうか、判断つくようになるだろう。そうすると、オットは寂しがるだろうな。

 私は、時折、オットに私となぜ結婚したのかを聞く。でも、まともに答えてもらったことがない。「実は全部ドッキリで、君をだましているだけだよ」と大変しょうもないことをいう。もし、本当にだましているのだとしたら詐欺師として素晴らしい仕事をしていると思うし、詐欺師のわりにはリスク取りすぎで意味がわからないと思う。そして、このまま一生上手にだまし続けてほしいと思う。

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 オットと結婚してよかったことの一つは、オットは私の頭の中にさほど興味がなさそうということ。オットは、私のblog等に一応眼を通してはいるようだけど、どんな変なことを書いても私に何かを言ったりしない。彼が咎めるのは、私の行動に対してだけ。これは一緒にいる人間としては、すごく気が楽なことだったりする。

 私は、あんまりよい人間じゃないので、心の中で気持ち悪い何かが蠢いていることがある。それを咎められるのは、自業自得とはいえ辛い。見えないものは暴かないでほしい。見たくないものは、見えないふりをしてほしい。身勝手だとは思うけれど。

 以前、知人に、結婚にまつわる次のような話を聞いた。家によっては、結婚相手の素性がおかしくないかどうかを、興信所で調べるらしい。もし、そんなことをする家族がいる人と結婚しなきゃいけないとしたら、どれほど苦痛なことなんだろう。そして、人生に関わることなんだから、そうされるのも仕方がないと語った知人も恐ろしかった。

 ええと。私は対となるパートナーには、私がどういう人間でも、受け入れてほしいと思ってしまっている。馬の骨であったとしても、私がどんな背景を持って育ってきたとしても、私を受け入れて欲しいと(私の背景に大層な何かがあるわけでもないが)。

 オットは、私の頭の中だけでなく、私の素姓にもそれほど興味がなさそう。本当に興味が無いわけれはなくて、詮索しないように自分を律しているのかもしれない。彼は規範に従った善き人でありたいという思いが強いように思う。他人に必要以上に影響を受けないし。オットだけじゃない、オットの両親もそうだ。

 初めてオットの両親に会いに行った日のことを、よく覚えている。結婚を前提におつきあいをしていたので、私の仕事のこと、実家のことなんかを根掘り葉掘り聞かれるのではないかと覚悟していった。でも、それなのに、話した内容と言えば、猫のこと、その場で出されたお菓子のこと、そのほか他愛もないこと。気は抜けたが、ちょっとほっとした。

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 今日は結婚記念日。今日から、10年目の結婚生活を始める。

 二人で向かいあう日々は、辛い時もある。一対一の関係だと、私かあなたかのどちらかがおかしい、間違っているということになることがある。でも考え方や習慣が違うのは当たり前なんだ。私達は、生まれ育った環境も違うし、持っている能力、今おかれている状況が違うのだから。

 冷静に考えれば違うのが当たり前でも、オットと行き違いがある時、自分が正しいように思うことがある。そして、自分の正しさにこだわってしまい、相手に謝ってほしいという気持ちばかりが強くなる。正しさなんてものは相対的なもので、絶対的に正しいことなんかほとんどないのに。そういう時、どうすればよいのかは、まだよく分からない。でも、自分を少しひいてみて、自分の正しさにこだわらないこと、相手の気持ちを考えること、話を断ち切っちゃうんじゃなくて、どうにかこうにかして折り合いをつけることが大事なのかなって思う。

 きっと、この先いろんなことがあると思う。でも、人間万事塞翁が馬で、不幸なこと、難しいことが幸せに転じることも多い。今後も、助け合いながら、何とか日々を積み重ねていきたい。

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■写真:9年前に行った新婚旅行の写真。若いな。

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コメント

ただの通りすがりですが、良い文章だなと思いました。結構じーんと来ました。

投稿: | 2011年5月23日 (月) 22時02分

わー。ありがとうございます。すごく嬉しいです。
最近、家族の人数が増えたところなのですが、家族って難しいけれどとても大事だなというのを、ひしひしと感じているところです。

投稿: | 2011年5月25日 (水) 12時09分

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