« 2011年4月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年5月

2011年5月26日 (木)

蒟蒻になることにしました

(追記 2011 06 03) 改めて読むと、 下記の文章は、軽いマタニティブルーに囚われて書いたんだんだなって思います。 先日、新聞のコラムで「核の時代では、生き抜くという意思が大事」という文章を見つけて、ああ、確かにそうだなって思ったりしました。 もともと私たちの生活は、たくさんのリスクを孕んでいたのだと思います。今は、本当に恐ろしいリスクが顕在化していて、それらを完全に避けるというのは不可能なんだと思います。こういう状況の中では、なにが合理的なのか、なにが正しいのかはとてもわかりにくくなっているように思います。 まずは、子どもと共に生き抜くという意思を持つことが大事だと思います。その上で、私は、私の人生の命題であるところの「ちゃんとした大人」として行動したいと思います。私が思うところの大人っていうのは、できるだけ自分に嘘をつかないこと、自分のみっともなさを受け入れること、他者をきちんと受容すること、そういうことをちゃんとちゃんとやらないと、自分も他者も、誰も守れないだろうなと思います。

2470039eb3524d3faabc8631b9969553_7  ふと、へたりこんでそのままの勢いで畳に身を投げ出した。い草の香りなんかを感じながらしばらく天井を眺めていたら、自分は感情のない蒟蒻か何かなんじゃないかという気がしてきた。

 ああ、そうか。私はずっと猫になりたいと思い込んでいたが、蒟蒻だったんだなあ。ぬるり、ぺたんと、弾力性のある物質だったんだ。私は蒟蒻だから強固な壁にすらなれない。もう何も考えられない。

 そうやって蒟蒻になったつもりでしばらく呆けていたら、新生児のサイレンのような泣き声に正気に戻された。

- - - - -

 姉が遊びに来て「新生児が家にいるって幸せだね」と言った。確かに、この状況で、もし私が幸せを感じることができないとしたら、私に問題があるのだろうと思う。

 幸せ、だと思う。間違いなく。新生児が母乳やミルクを飲んでいる姿を見ると愛おしいと思う。娘をはじめ、家族も新生児の誕生を喜んでいる。新生児はその場の空気を幸せにする力を持っていると感じる。

 でも、それでも、時折、胸が苦しくなるのはなぜなのか。

 多分、大きく分けて2つの不安に囚われているせいだ。

 1つは、私の仕事の復帰や家族にかけてしまう負担について。
 今、私は、自分が無力で、役立たずの人間に感じている。今の私には名前がない。「○○さんところの奥さん」「○○ちゃんのお母さん」という役割でしか、呼ばれることがない。でも、これはつまらない、とてもつまらない不安なんだ。私が無力であるのも役立たずなのも、私に名前がないのも当然のことで、もっとちゃんと外に目を向けたり、できる範囲で自分ができることを考えていけばよいのだ。ちゃんと自分の不安に向き合って、きちんと自分の世界を作り、社会にどう関わっていきたいのかを考えていかないといけない。

 がんばりなさい、私。家族と一緒にがんばりましょう、私。一つひとつ何かを積み上げて、一つひとつ不安を崩していくしかない。

 2つ目は、今後の日本ってどうなっていくのかなあということ。直近では、もんじゅは大丈夫なのかとか。この不安は、本当は1つ目の不安と繋がっているはずなのに、私の中で完全に断絶している。ああ、違うな。こちらの不安が現実のものになってしまったら、1つ目の不安なんか不安のうちにも入らない無意味なことになる。1つ目のありきたりの不安にわあわあ言っていた平和な日々に戻りたい。

 私は自分の国のことを信用してきたし、最悪の事態は起こり得ないと楽観視してきた。世の中は悪くなっていることもたくさんあるが、よくなっていることもある。大きな視点でみれば、良い方向に向いているだろうと。

 でも、福島原発の爆発や地震や津波の被害、そしてそれを取り巻く状況がよくなっているのかどうかがよくわからない。最初の衝撃に比べて、感覚はだんだん麻痺していっている。これらの状況は、どうにか解決するんだろうか。ひょっとしたら、もっと最悪の事態が待ち受けているんじゃないのか。本当に怖い。将来が怖い。私たち、私の子どもたちは、この日本でちゃんと生きていけるの?

 と。こうやって不安を吐露したところで仕方がない。特に2つ目の不安は、私にはどうしようもない。考えても仕方がない。でも、情報はなだれ込んでくる。

 だから、私は、不安に苛まされたら、蒟蒻になって思考を停止することにした。蒟蒻になると、力が抜けて、からだ全体が少し楽になる。愚かなふるまいだと思うけれど、現実逃避しないと、日々の生活を送れない。

| | コメント (0)

2011年5月15日 (日)

待ち人きたり

十月十日待って、やっと来てくれました。
小さいけれど、大きな女の子でした。
「待たせたな」という感じの顔をしてやってきました。
上の娘の新生児の頃にそっくりです。

1305429269929.jpg

| | コメント (6)

2011年5月 7日 (土)

脱原発なロハス生活を目指します☆ミ

ロハスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の原発を止めねばならぬと決意した。ロハスには政治がわからぬ。ロハスは代官山の住人である。カフェに行き、パスタを食って暮して来た。けれども流行に対しては、人一倍に敏感であった。

 ゆるふわ愛されスイーツキャラを目指している私も、脱原発なロハス生活を目指そうと思います☆ミ

 ロハスは、Lifestyles Of Health And Sustainability (健康と持続可能性の/健康と持続可能性を重視するライフスタイル)の略。

 なんや、これ、わかりにくい。なんやろうねえ。口当たりのいいフレーズと小奇麗なイメージ。実態がようわからへん。特になあ。持続可能ってなんやねんな。継続できること?環境・社会・経済面で持続可能であることって具体的になんなんかなあ。何かの指標をクリアしていけば持続可能なんか。得体がしれないから、あんまり使いとうない言葉やなあ。

 でも、あんまり難しく考えずに、イメージ先行でいいんちゃう。健康にも環境・社会・経済にもいいって素敵やん。私が目指しているゆるふわスイーツにぴったりやん。それでいいやん。

 どんな正しい物事であっても、自分にとってのメリットがないと(利己的な部分がないと)、続けていくのは難しいよね。というわけで、”脱原発なロハス生活”は、私の信条にしようと思っているのです。

- - - - -

 脱原発なロハス生活といっても、特別な行動をとるわけではなくて、電力に依存した生活から少しずつ脱却していきましょうというだけ。

 とりあえず、夏場の電力消費を抑えるところから始めましょう。私の住んでいる関西地方では当面停電の心配は大きくないのだけれども、関東地方ではこの夏の電力不足が懸念されている。と思っていたのだが、原発の安全を重視して、関西への電力「今夏半減も」 福井知事、経産相に迫る(5月5日朝日新聞)とのこと。関西も電力不足になるおそれがある。

 電気需要のピークは、夏場の昼間にあるそうな(参考:日本の電力消費)。私はエアコンを買わないと決めているので、夏場に電力需要がピークにくるというのにずっと違和感があった。

 エアコンを買わないのは、単純に必要性が分からないから。夏は暑いものだよなあと。うだるような暑さの中、汗を滝のように流すというのは嫌いじゃない。それに、部屋の中を冷やすために外に暖かい空気を出す、それで都市がなおさら熱くなるというのは、非合理だと思う。でも、多くの人はクーラーなしに夏を過ごすのは苦行だと思っていることを知っているので、今まで夏には家に人を招くことができなかった。

 子どもや高齢者をはじめ体温調整の困難な方々は、冷房を使えるかどうかは命にかかるものだと思うのだが、健康な人たちは水分補給などに気をつければクーラーの使用量を減らすことができる(熱中症の予防と応急処置についてはこちら)。

 夏の昼間に私がしていることは、以下の5つ。

  •  炎天下にはいかない
  •  水分補給に気をつける
  •  濡れタオル常備
  •  家にいるときは、子どもは水に浸けておく(水風呂にいれておくと喜ぶ)
  •  お昼寝するときには、竹シーツと氷枕を使う

 今年の春まで気密性の高い団地に住んでいたのだが、今年からは古家に住んでいるので、なおさらクーラーがいらなさそう。古家のよいところは、通気性がやたらといいところ(外気が入ってきやすい)、日中でも日が差し込まずに暗いから涼しいということ。古家はロハス生活を送るのに、適していそう。ロハスなみんな、今年の夏は、奈良の古家の我が家にぜひ遊びにきて!

- - - - -

 私は、原子力発電所が15基ある福井県の出身だ(うち1基は全く商用発電をしておらず問題山積みの高速増殖炉もんじゅ、そして廃炉作業がおこなわれているふげん)。原発については、いろいろと複雑な思いがある。遠い親せきに、原発関連企業で働いている人もいる。

 原子力発電所を誘致した地域は、”地域振興のため”、原発を誘致した。最先端の工場を誘致するのと目的は変わらない。地域の雇用を確保するため。地域で働く人が増えれば、サービス産業も潤う。そして、電源三法によって、原発を誘致した自治体には多額の交付金が落とされる(電源三法についてはこちら)。

 もし、地域が原子力発電所を誘致しなかったら、地域はもっと衰退していたかどうかはよくわからない。福井県若狭地方は原発銀座と呼ばれているが、私の知っている限りでは風光明媚な美しい景色、豊富な海の幸、古い歴史を持った魅力的な地域だ。「何もない」という豊かさをきちんと受け入れることができれば、違う地域のあり方があったのにと残念に思う。

 高校の学祭で、友人が原発の劇を作った。原発と地域を共依存関係になっている夫婦に例えていた。合間合間に原発関連のデータの説明が入る。「私たち、別れたいのに別れられないの?」と泣き崩れて終わるというヘビーな劇だった。

 この劇は、なかなかよいところをついていると思う。私の個人的な所感として、地域と原子力発電所は、強制的に共依存にさせられてきた。お互いにもう離れられないように、国は地域を交付金漬けにした。地域は愚かであったし、国のエネルギー施策も間違っていた。そして、情報の非対称性を考えると、国の責任が大きいように思う。

- - - - -

 311の福島原発事故以降、エコの意味が大きく変わってしまった。

 それ以前は、CO2の排出量が少ない=エコという言説がわりと真面目に語られていた。

 311以前は、「原発はCO2を排出しない環境にやさしい発電です」なんていう全くもってバカげた説明でもって、地球温暖化対策と原子力発電所が受容され、上関原子力発電所のような新たな原子力発電所の建設計画も進んだ(相変わらず過疎部は都市部のお荷物を押し付けられようとしていたし、それに反対する人達は異端視され、嘲笑されていた)。

 2年ほど前に、NHKの原発特集を見て、胸がしめつけられた。原発は廃棄物処理を後回しにして建設されてきた。今、たくさんの原発が役目を終えて、解体されようとしている。その解体を誰がするのか?廃棄物処理をどうするのか?問題が山積みで、全く解決していない。

 福島原発事故の状況は悪くもなっていないようだが、よくもなっていない。東日本は相変わらず余震が多い。そもそも日本は世界でもずば抜けて地震が多い国なんだ。福島以外の原発も、いつ地震に襲われ事故が起きても不思議ではない状況だ。

 ああ。どうしたらいいんだろう、本当に。真剣に考えると、涙が出るほど不安で仕方がないよ。

 でも、嘆いていても何も進まない。だから、個人レベルでできることは、とても小さいとしても一歩一歩踏み出しましょう。まずは、電力消費を減らすよう努力すること。そして、原発について関心を持ち続けること。感情的な嫌悪感だけでなく、きちんと知識を得るようにしていくことが大事だと思う。

- - - - -

(原発に関して)

原発解体~世界の現場は警告する~|NHKスペシャル(文字おこし)(1):ざまあみやがれい! / 昔作られた構造物で、解体を意識して作られていないのは原発に限らないけど。はー。原子力発電所は停止させるにしても、ほんまに負の遺産すぎる。

小出裕章氏のプルサーマル発電批判がわかりやすすぎる!(文字おこし):ざまあみやがれい!/ 論点が大変わかりやすい。ウランは埋蔵量が少ない。普通の原子力発電所から出てきた燃料の中からプルトニウムをつくりだして高速増殖炉でを動かそうとしたが、実現できていない。プルトニウムは軍事目的に使うことができるため、その国際的な批判をかわすために安全を犠牲にしてプルサーマル発電をしている。

福井県では13基の原子力発電所(げんしりょくはつでんしょ)が運転中です。 | ふくいけんきっずページ / 原子力発電所を建設するには 1.堅い岩盤があること、2.大量の水が得られること、3.広い敷地があること、4.地元住民の理解があることが必要とのこと。

原発の立地(「事故が おきたら賠償が たいへんだから」)。 - hituziのブログじゃがー /上記のページの住民の理解って、どういうことかというと、こういうことなんだよ。

放射能汚染に関して)
 放射能汚染に関しては影響がよくわからない。”ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい(寺田寅彦)

超訳・放射能汚染1〜疫学が示す「年間100mSv未満は大丈夫」 | FOOCOM.NET / 放射線汚染に関する考え方。少し長いですが、丁寧でわかりやすい解説だと思います。放射線汚染に不安を感じている人は、必読かと。

asahi.com(朝日新聞社):放射線の影響 広島・長崎の長期調査からわかったこと - / 被爆と被曝では、影響はかなり違うとは思うけれど、参考として。

チェルノブイリ事故との比較 - 東日本大震災への対応 -首相官邸ホームページ / 健康に影響ないってこのタイミングで首相官邸が出すのか……。影響があるとはいえない=影響がない、ではないと思う。

| | コメント (0)

« 2011年4月 | トップページ | 2011年7月 »