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2011年12月 7日 (水)

聞くこと、伝えること、変えていくという意思を持つこと

 先日、私の職場の主催の公害教育に関するシンポジウムに出席した。

 シンポジウムで興味深かったことについてのメモ。

 私の職場のひとつである財団では、3年にわたって、公害地域に学生等を連れて行き、フィールドワークをさせ、最後の報告会で何らかの提案させるというスタディツアーを行っている。
 スタディツアーの企画に携わった先生曰く「当初は、現在進行形でへヴィーな現場に何も知らない学生を連れて行くのに、批判もあった」とのこと。公害地域は、何も知らない人間が土足で踏み込んでよい場ではないと。
 だが、スタディツアーの参加者は、かなり真剣にフィールドワークを行い、それは地域にとっても、ツアー参加者にとっても大きな効果があったようだ。公害地域の今を知り、被害者だけでなく加害企業の話を聞き、その緊張感のある信頼関係を目の当たりすることにより、参加者は公害地域の再生について理解する。地域は、参加者の真剣なまなざしを受けることにより、自分たちのしてきたことの意義を問い直すことができる。

 公害教育にずっと携わっている先生のお話も、興味深かった。
 「水俣に学生を連れていくと、その地域にはまって何回も行く学生がいる」とか。はまる理由は、まず、人がやさしいこと。たくさんの苦悩を乗り越えてきた地域であるため、学生はそこで自分の悩みを相対化することができる。もう一つの理由は、白黒の水俣がカラーの水俣に鮮やかに変わったこと。白黒の水俣は、教科書などに掲載されている暗い公害の過去の歴史。だが、水俣は自然が美しい、魅力的な地域であるとか。

 水俣では、最も公害が酷かった時期に、公的な機関によって「水俣病に負けない身体づくり」という教育がされていた。胎児や子どもなど弱い人達は汚染の影響を受けやすいが、地域に水銀そのものを排出しないのが筋であるのに、体づくりや教育だけで公害を克服するなんて間違っている。。
 福島を始め原発がある地域でも、「正しく理解すれば放射線は怖くない」という教育がされていた(私の地元の福井でも、その手のパンフレットを見たことがあるし、原発見学ツアーが頻繁に行われていた。敦賀などの原発のお膝元には原子力を学ぶための立派な施設がいくつもある)。行政や汚染物質を排出する企業は、安全側に傾きがちで、責任を住民に押し付けようとするというのは、今までの公害の歴史で繰り返しされてきたことだ。私達は歴史からちゃんと学べていない。

 土壌汚染の研究者の先生によると、イタイイタイ病の後、田んぼ1.5haごとにカドミウムの検査をしていたそうだ。カドミウムの汚染から田んぼを復元するのに、膨大な金額と年月がかかっている。
 今の福島でされている検査はもっとザルだとか。放射能汚染はムラがあるので、本当は田んぼ1枚ごとに検査してもよいくらいだそうだ。福島の土壌汚染は、今までの公害の中でも最大規模で、除染は間に合わない。

 四日市喘息の被害者支援をしている方が、「工場萌え」をあまりよく思っていないと発言されたのは少しショックだった。工場のばい煙のために被害を受けている人がたくさんいるのに、工場を美しいモノとして観光するのは浅はかではないかという意見だった。大学の先生からは、工場の景観に魅力を感じた人に、公害地域再生を伝えていく余地はあるのではないかとの提案があったが、なかなか難しいのではないかと思った。
(私は、工場萌えの写真集を出した大山顕さんのファンなので(大山さん主催の写真撮影ワークショップに参加したことがあるくらい)、この意見をちょっと複雑な気持ちで聞いていた。「工場萌え」というのは、テーマパークのような無味無臭で安全で小ぎれいな景観でもなく、写真家が撮影してきた絵葉書のように美しい景観でもない、自分たちにとってかっこいい景観を新たに発見する試みだと思っている。そうした場に、公害地域再生の話を持っていくと、教条主義的なものに思われて、反発を招いてしまう恐れもあるように思った。)

 私は、今の職場で勤めるまで、公害や公害被害を受けた地域の現状についてほとんど何も知らずに来た。
 公害についていろいろと知ったりすると、私はいろんなものにきちんと目を向けないで過ごしてきたんだと改めて感じる。自分がいかに感性が低かったのか、想像力がいかに欠けていたのかを感じる。
 聞くこと、伝えること、過去のことをふまえて未来を変えていくという意思を持つこと。地域で多様な人々と暮らしていくために必要なこれらの態度を培う場が、公害教育なのだと思う。

* この記事は、友人や知人たちに向けてFacebookに書いたものを転載しています。シンポジウムで得た知識を踏まえて書いているため、細かな部分の裏付けをとっておりません。ですが、私は、個人的に、今、この時期に、公害教育について知る意義、取組む意義はかなり大きいのではないかと思い、取り急ぎ公開しました。間違い等がありましたらご指摘ください。

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