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2012年5月11日 (金)

祝の島 - 守りたいもの、守りたかったもの、そして正しい怒りについて-

少し前に、職場の方に「祝の島」のDVDを借りて、子どもと一緒に観た。

「祝の島」は、祝島は瀬戸内海に浮かぶ離島のドキュメンタリー映画。祝島を取り巻く美しい海、その恩恵を受けて生活する老人たち。守り継がれたものを次の世代に繋ごうとする営みも美しかった。

映画の中では、祝島の人々の生活が丁寧に丁寧に描かれている。中でも、仲良しのおじいちゃん、おばあちゃん4人が、毎晩夕飯の後にお茶会をしているというのが、すごくよかった。4人でのんびりと炬燵に入って、テレビを見て、お話して、笑って、というの。「来年は生きてるかどうかわからない」とか言いながら、みんなで笑っているのが羨ましかった。

祝島では、原発建設予定地で20年以上にわたって、反原発運動が行われてきた。祝島では毎週必ずデモ行進が行われている。おじいちゃん、おばあちゃんばかりのデモ行進やシュプレヒコール。のんびりした島の生活の合間に反原発運動の映像が挟まれる。

祝島で反原発運動をしている人たちは、祝島で暮らす普通のおじいちゃんやおばあちゃん。原発の建設予定地になってしまったがために、島の人たちが原発賛成派と反対派に分かれてしまった。それまでみんなで助け合って暮らしてきたのに、「原発のせいで地域がずたずたにされた。」

普通のおじいちゃんが、建設を阻止するために工事の妨害をする。それを中国電力の作業着を着た人たちが困惑した表情で見つめる。彼らは何らかの思想の元、工事という暴力を遂行しようとしているわけではない。地域の人々を痛めつけたいと露ほども思っていない。まったくもって悪人じゃない。彼らは、自分の仕事をしようとしているだけだ。

監督は、「島の人たちの様子を見たら、原発反対のために運動をしているのではなくて、何か守りたいものがあるから反対している。その守りたいもの、大切にしているものが感じられた。それが島の人たちの暮らしだと感じ、吸い寄せられた。」と語っている(11月28日アップリンク渋谷トークショー 古居監督×纐纈あやさん)。

島の人たちの暮らしを感じることができる、とてもよい映画だった。

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祝の島を見ながら、どうして福島県は、福井県は、その他多くの地域は、原発を誘致してしまったのだろうと悲しくなった。

現在、日本国内の原発は1台も稼働していない。でも、原発はすぐには無くならない。原発はもう山ほど存在している。廃炉にするのにどれだけの費用と労働力、年月がかかるんだろう。放射性廃棄物の処理はどうすればよいのだろう。今まで多くの人々はまともに反対してこなかったし、建設を許容していた。私たちは、将来にわたって、数十万年のオーダーで、その負い目をずっと払い続けないといけない。将来の子どもたちに対して、本当に申し訳ない。

原発を誘致した地域に、守りたいものがなかったわけではない。逆だ。単純に政治家や地権者たちが利益を得たいという理由で原発を誘致していたのだったら、もっと話は単純だった。守りたかったからこそ、原発やそれにまつわる利権にからめとられていったんだ。地域経済を守るため、地域コミュニティを守るために。

実際には、原発誘致によって落とされたお金の多くは無駄金になってしまった(原発マネーが地域振興に役立たなかったことについては、たとえば こちらを参照)。本当にうんざりする話だ。原発誘致は国のエネルギー施策としても、中期間の地域振興策としても間違っていた。

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先日、職場で回覧している雑誌で(雑誌のタイトルを忘れてしまった(>_<))福島県出身の詩人の和合亮一氏のインタビュー記事を読んだ。和合氏は、原発事故や震災に関する報道が減っていることを受けて「関心を持ち続けるには、怒りを持ち続けないといけない。不条理なものに対する怒りを」 と語っていた。

だが、(自分自身の経験を踏まえて思うに)弱い人間が、正しい怒りを持ち続けることは難しいように思う。怒りというのは持ち続けるうちに、対象や解決の方法を見誤らさせる。間違った怒りに感情を振り回されて、人生を疲弊させてしまうこともあるだろう。

そして、怒りは必ず自分にも跳ね返ってくる。自分にも落ち度がなかったのかと、自省を強いてくる。正当な怒りだったものが、わがままやエゴを言っているかのようにとられ、味方だと思っていた人たちや何の関係もない人たちからも攻撃を受ける。

「憎しみと恨みの拡大再生産になるから何もするな」、「憎しみと恨みは何も生まない」、「前に進むためには赦しが必要だ」と賢げにいう人たちがいる。確かにそうかもしれない。でも、どうしてその赦しを、被害者側が自力でできると思うんだろう。非がある側が責任を取る前に、被害者は加害者を赦すことなんてできるのだろうか? 被害者と加害者の間に必要なのは、対立関係でもデタッチメントでもなく、緊張感のあるパートナーシップだが、それは一朝一夕で築くことができるものではない。悲劇は二度と繰り返さない、そういう共通認識ができた後に、初めて被害者は加害者を赦すことができるのではないのか*。

和合さんの怒りの矛先は、具体的な加害者に向かっていない。原発事故において、東電や国だけが加害者とはいえないように思う。過疎部の原発で作った電気を使って、経済発展の恩恵を受けて来た都市生活者も加害者だろう。

私は、原発事故の関係者でもなんでもないし、今のところ何もしていないに等しい(署名ぐらいしかしていない)。故郷を追われた方々、被爆の危険性に晒されている方々の様子や心境に想いを馳せようとするが、分からない部分の方が多い。でも、それでも、都市生活者としての責めを受け止めながら、被害者の側に寄り添いたいと思う。何ができるか分からないが、静かな正しい怒りを持ち続けたい。

「祝の島」には、正しい怒りを持ち続けるためのヒントが描かれているように思う。

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*ここらへんは、公害訴訟やその後の動きを見ていながら、日々考えていることです。

・祝の島 公式サイト:http://www.hourinoshima.com/ 上映スケジュールなど。

・祝の島 予告編

上関原発(Wikipedia) 福島原発の事故を受けて、建設中止になったものだと思い込んでいた。中電の社長は、"基本的に上関原発建設計画を堅持する意向"って……。今の状況において、建設が進むとは思えないが、きちんと反対し続けることは必要だろう。

・「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか 開沼 博著:「強引な国策・電力会社・地元権力」と「抵抗する地域社会・社会運動」の間の二項的な争いと解釈する枠組みを批判し、原発受け入れ地が自発的に受け入れた様子を丹念に分析している。

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