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2012年6月19日 (火)

紹介:環境問題の加害者と被害者

地球環境問題において、「みんなが同じく加害者、みんなが同じく被害者」というなかで、基本的人権が侵害されてもその責任の所在が明らかにされず、社会の構造的欠陥に目が向けられないままとなっては、何も学んでいないことになる。

社会の諸局面と主体的に切り結ぶ、社会的責任を果たすとは、「対立の時代は終わり協調の時代が到来した」ことにして、「パートナーシップ」「コラボレーション」といった耳ざわりのよい言葉を口にしてすませることではない。

まぎれもなく存在する対立や不公正をなかったことにして、あるいは当然に取られるべき責任をなかったことにしてすませることではない。

パートナーシップやコラボレーションは、そのような責任が明確に認められ、何らかのかたちで正当にその責任が取られたその先に初めて意味をもちうる。

「公害は終わっていない」

過去の被害が放置され理不尽な不正義の問題が解決していない、社会の基本構造を私たちが変えるに至っていない。

これまでの公害被害の救済にかかわる経験、取り組みが、今日の社会に重要な学びの機会や行動の契機をもたらしうることも意味している。

公害の発生を許してしまう私たちの社会の構造はなお変わらず存続している。現在の公害、未来の公害の発生を未然に防ぐに足る社会的変革はその端緒にもついていない。

引用元

高田研、林美帆、五十嵐有美子、井上有一:「公害教育 環境教育の原点から未来をつむぐ」、環境教育学 社会的公正と存在の豊かさを求めて、井上有一・ 今村光章編、法律文化社、p35-36、2012.4.5

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