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2012年7月

2012年7月22日 (日)

コップがさねと不気味の谷に入ったぽぽちゃん

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うちは畳の上に布団をひいて、みんな一緒に寝ている。
下の子は眠りにつくまで、ゴロゴロと布団の上を転がる。
時折、下の子が、寝ている私の上に乗っかってきて、笑顔でチューしてくれる。
幸せ。よだれでべたべたになるけど。

うちの赤さんは育てやすいらしい。
保育園の先生に、そう言われた。
朝、親とお別れする時もあんまり泣かない。いつもニコニコしていて、一人遊びが上手。
お昼寝の寝つきも良いらしい。

赤さんは、今、コップ重ねにはまっている。
少しずつ大きさの違うコップのおもちゃを、延々と積み上げ続けている。
積み上げが終わったら、拍手をしてひとしきり喜ぶ。
そのあと、違う積み上げ方をしてみたり、おままごとみたいに飲み物を飲むふりをしたり、私にコップを渡してくれたりする。
上の子は、こんな遊び方をしなかった。私がコップを積み上げるとがちゃっと崩す。それを見て悲しむ私の顔をみて喜んでいた。
赤さんでも、遊び方に性格の違いが出る。

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下の子は「ぽぽちゃん」というお人形を怖がる。
ぽぽちゃんは抱き人形で、横にすると瞼を閉じたりする。顔は日本人の赤ちゃんの平均顔。
どうもこの微妙にリアルな顔がダメなようだ。ぽぽちゃんを下の子に近づけると、顔をそむける。ぬいぐるみとかは平気なのに。私がぽぽちゃんを抱っこしていると近寄ってこない。
人形は、人間の顔にある程度似ていると親しみを持つことができる。でも、あんまり似ていると、表情が固まっているのを不気味に感じる。多分、下の子にとって、ぽぽちゃんは、「不気味の谷」に入っているんだろう。

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2012年7月21日 (土)

私とできるだけずっと一緒にいてほしい

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洗剤を入れていた容器を壊してしまった。無印良品で買ったものだ。


もう同じものは売っていないんだろうなあ。


無印良品は定番商品ばかりを扱っているように見せかけて、定番品がほとんだない。マイナーなモデルチェンジがやたらと多い。


最適化を測ったデザインであったら、そんなに頻繁にモデルチェンジをする必要がないと思うんだが。


シンプルで適当な値段にしておけば買うんだろというような、設計思想が透けてみえる気がするから、無印良品はあんまり好きじゃない (>_<) (disってしまってごめんなさい。でも、一部が壊れたら、総とっかえしないといけないものばかりなので、不便なのです)



先日、友だちの結婚式に来ていく服を買った。

あちこち見ると何を買ったらよいかわからなくなるから、昔から好きなJocomomoraだけみた。

今、何が自分にとってよいのか決めることができない。

昔から好きなブランドだったら、後悔することがないだろう。

無難な黒いワンピースとジャケットにした。

お店の方が「すごくお似合いで、かわいいです」と言ってくれた。

鏡の中の私は乾いていてパサパサしていたし、ただのマニュアル的な言い方だとは思うが、誉められて嬉しかった。


私は、人だけじゃなくて、モノに対しても、私とできるだけずっと一緒にいてほしいと思い続けている。

今回買ったお洋服も長く着れるといい。

もし、多少ほつれたり壊れてしまったとしても、修理したら使えるとか、一部分取替えればよいとか、そうあってほしい。

モノが壊れてしまった時(実際には私が壊してしまったのだとしても)、少し裏切られたような気持ちになる。

ずっと一緒に私といてほしかったのに、やっぱり私を見捨てていくんだと思って悲しくなる。


私ができるだけ長い間同じものを使い続けたいと思うのは、エコじゃなくて執着と寂しさだ。

これは物が捨てられなくてゴミ屋敷にしてしまう人の考え方だと思う。

執着も寂しさも程度問題だと思うから、ちょっとずつ抑えていかないといけないとは思うんだけど。

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2012年7月20日 (金)

合理化の非合理化

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合理化を追求することの非合理化。

そして、それを追認する社会のくだらなさ。

ちがうか。社会が合理化を求めるのが先か。

部分最適化が招く合成の誤謬。

残るのは金貸し、土地貸し、情報のロンダリング屋ばかり。

金のかかる実業部門を切り捨てるのが合理化なのか。

世の中のすべてをマクドナルド化したら、気が済むんだろ。

とか考えている自分も超くだらない。。

※ 金貸し、土地貸し、情報のロンダリング屋がダメというわけではなく、それらしか残らないのはくだらなくてつまらないし、ムダが増えるよね、とかいうこと。念のため書いておく。

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2012年7月19日 (木)

怒られた時の対処

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先日、職場の方に言われたこと。

誰かに怒られた時に全部受け止めちゃったらあかん。
怒りを受け入れちゃうと、相手も矛先を変えることができずに、こちらをずぶずぶこちらに刺すしかなくなるから、お互いにとってよくない。
何とか最終的には、お互いさまだからあんじょうしてよというふうに持っていかなあかんって。

ものすごく難しくて、結局どうしたらよいのか、よくわからへんかった。
特に、関西の人はなあ、とりあえず「ふっかける」というのをしはるから、難しいねん。
また、機会があったら聞いてみよう。

でも、相手の怒りを受け入れちゃったらお互いにとってよくないというのは分かる。
私も怒りたくて怒っているんじゃなくて、どこかで止めたいのにうまくできなくて、最後にすごく反省することってあるもの。

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2012年7月17日 (火)

気の済むまで空を眺める

少し前の満月の夜

駅からお月さまを見ながら、おうちに帰ってきた。

北向きに進まないといけないので、後ろ向きに歩いたりした。

ああ、こういうくだらないことするの、久しぶりですごく楽しいなあと思った。

途中で、猫が数匹住みついている神社をのぞいてみたけれど、今夜は一匹もいなかった。

満月で気持ちいい夜だから、 散歩に行っていたのかもしれない。

- - - - -

空をぼーっと眺めるのが好きだった。

樹木の下に立って、葉や枝の隙間からのぞく青空を眺めるのが好きだった。

雲が風によって姿を変えて流れていくのを眺めるのが好きだった。

雨の日に、家に閉じこもって、雨粒がどんどん落ちていく様を窓から眺めるのが好きだった。

青から茜色へ、茜色から漆黒へと、刻一刻と色を変えていく夕焼けを眺めるのが好きだった。

追いかけて来る月を見つめながら、ふらふらと歩くのが好きだった。

誰にも邪魔されずに、気の済むまで空を眺めるのが好きだった。

生活していると、私の意思ではどうにもならない不慮の出来事が大量に発生して、一瞬前に考えていたことが宙に浮いてしまう。

その繰り返しで、記憶や思考や感情がどんどん断片化していく。

空をぼーっと眺めることことは、私にとって、心にデフラグをかけて、記憶や感情の断片化を解消することだったのだと思う。

ここしばらく、デフラグを疎かにしてしまっていた。

そんなわけで、私には、一人で、何も考えずに、何もせずに、空を眺める時間が必要なんです。

そうじゃないと、日常生活やコミュニケーションの処理速度が著しく落ちるのです。

と、また、何もしないことに対する言い訳を書いてみた。

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