視点を変える
たまたまテレビをつけたら、都市景デザイナーの韓亜由美さんが街を面白がるためのコツとして「鳥の視点、猫の視点でみてみよう」と言っていた。そうすると、普段良く見慣れている街も違って見えるって。
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うちから最寄駅までの間で6匹くらい猫を見かける。
猫を見かけると、ついつい写真を撮りたくなる。
外にいる猫は、人間が姿勢を低くすると、こちらの様子をじっとうかがってくる。
そしてすぐ目線を外して、こちらのことなんて気にしてないという素ぶりをする。
こちらが動くと逃げていってしまう。
だから、あまり動かないように気をつけて息を殺してネコを観察したり、iPhoneで写真を撮ったりする。
姿勢を低くしてiPhoneを構えていると、猫に近い視点から街を見ることができて楽しい。
たとえば、こんなところに溝があったのかという感じで、街には意外と隙間が多いことにきづく。
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地図っていうのは、鳥の視点なんだよなあ。
私はまだやったことがないのだけれど、GPSで地上絵を描くのは、鳥の視点を持ちながら地上を歩くことだと思う。いつかやってみたい><
→ GPS地上絵はこちら。「体長2.5kmの馬の絵を描く」(@nifty デイリーポータルZ)
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江國香織さんの「都の子」というエッセイ集を読んだ。子どもの頃の思い出などを綴ったエッセイ集。
一つ一つは小さなエピソードで、生活に紛れて忘れてしまうようなことを、江國さんは繊細な文章で愛おしそうに書く。
その感性を羨ましく思いながらいくつかのエピソードは、私の心にもすとんと落ちるものがあった。
中でも、階段に関する話がすごくよかった。
小さい頃、家じゅうで一番安心な場所は階段の途中だった。一人でぽつんと腰かけて、ただぼんやりしている。白くてざらざらした壁にほっぺたをつけると、ひんやりしていて気持ちよかった。一年に何日か、風の強い、それでいて湿気の多い日があって、そういう日は階段全体に、特別な匂いがした。しめった木の、つめたい匂い。それは、雨戸のあけたての匂いと少し似ていた。 階段は、降りるときには一段ずつが全部椅子になっていて、上がるときには、一段ずつが全部机になっている。それがとても合理的な、すばらしいことに思えた。
子どもが階段を好きなのは世界共通のことらしく、ミルンの「クマのプーさん」にも、アーノルド・ローベルの「ふくろうくん」にも、階段をめぐるチャーミングな描写がある。そしてそれは、階段の構造や涼しさ、灯りの感じのせいばかりではなく、「一人になれる」感じのせいだと思う。階段に腰かけてゆっくり思い出してみるに、子どもは孤独を、それはそれは愛しているのだ。
階段は、高さの異なる所をつなぐ通路で、通常、人はそこで留まらない。
だから、容易に一人になれる。
幼稚園で一番鮮明に思い出せる場所は階段だ。
よく、階段に一人でぽつんと腰かけて、絵本を延々と読んでいた。
どんな絵本を読んでいたのか思い出せないけれど。
階段に座ると目線が変わるのもいい。普段見慣れたものが少し違って見える。
街の中に階段があると、不便だと思いながらも、ついつい喜んで上り下りしてしまう。
この上下移動によって視点がどんどん変わっていくというのがうれしくて仕方ない。
そして、はしたないことかもしれないけれど、階段に腰をかけて街を眺める。
江國さんの文章を読んで、私も階段が好きだったというのを思い出した。一人でいれるということ、視点を変えるということの楽しさを教えてくれたのは、階段だった。
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