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2012年10月

2012年10月27日 (土)

猫の視点

 ランドスケール・ブック 地上へのまなざし 現代建築家コンセプト・シリーズ 12(石川初著、LIXIL出版)を読んだ。 建築や土木とは異なるランドスケープならではの街の見方。広域の視点を持ち込むと、地図や街がこんなに魅力的にみえてくるのかと目から鱗が落ちた。 猫ログ、上水道網は道路網のようで下水道は地形に沿っている、時層写真などなど、様々な発見があり刺激的だった。

 上下水道のネットワークがどうなっているかなんて、考えたことなかったなあ。学部生の時に、上下水道について授業を受けたはずなんだけど(>_<) 合流式、雨水と汚水を分ける分流式があって、分流式の方が水質保全の面でメリットがあるけれど、日本の都市部は合流式が多いんだよ、とかぐらい。

 なかでも、猫ログによる知見は、猫好きのまち歩き人にとっては、大変興味深いものだと思われる。
最近、小型で軽量なGPS受信機やビデオカメラを購入したため、猫の首にそれらを取り付けて見た。 描かれた軌跡マップはちょっとした衝撃だった。 まず、想像していた以上に広範囲を、かなり高速に動き回っていることがわかった。 また、猫には高さ1m程度の境界フェンスはまったく行動の障害とはならず、むしろブロック塀等は「動線」となっていることがわかった。 猫の軌跡をヒトとの軌跡と重ねて表示してみると、ヒトの行動がいかに敷地境界や道路の配置と言った社会制度に沿ったものであるかが浮かび上がる。 一方、猫の「自由さ」にも、ある決まったテリトリーの輪郭や、横断しにくい道路のような、ネコなりの「制約」があるらしいこともわかった。 (
 

ランドスケール・ブック(石川初著、LIXIL出版))

 ああ、面白いなあ。猫から見えている町と、人から見えている町は、まったく違っているんだろうなあ。
 猫の視点といえば、「私は猫ストーカー」は、猫の視点から街をみる映画。
 ロケ地は谷根千あたりらしく、猫の目線からみた下町の魅力が伝わってくる。
 公式サイトの猫ストーカーの心得は、必読。
私は猫ストーカー <予告編>
I
<公式サイト> http://nekostalker.jp/

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2012年10月26日 (金)

知らない人を呼び込むことには抵抗があるらしい

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ある市の農業振興協会の方が言っていたお話。

農家が高齢化していて、遊休農地が増えている。

農地は2年も放っておいたら、もう使えない。

そこで、遊休農地を市民農園として貸し出してはどうかという話をするのだが、それに対する抵抗感がかなり強いのだとか。

自分の土地に見知らぬ他人が入ってくるのが許せないらしい。

人にかし出せば農地も荒れないし、賃料も得ることができるのに。

同じようなことを商店街でもきく。

閉めた店舗なのに、知らない人に貸し出すのが嫌だから空き店舗のままにしているとかなんとか。

確かに、見知らぬ人はとても怖い。

あんまりオープンにしていると、カオナシのような何かを呼び込んでしまってトラブルに巻き込まれることもある。

制度化し、行政等が仲立ちで入ると、知らないことへの敷居は若干下がるけれど、それでは柔軟な運用ができなかったりするし。

もっと気軽に見知らぬ人同士が繋がれるようになれないのかなあ。

人の気持ちを変えるのは難しい。難儀だ難儀だ。

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2012年10月21日 (日)

フェチとコミュニティ

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6月号の都市計画学会誌を読みながらとったメモから。

十和田市現代美術館の藤氏とコミュニティデザイナーの山崎亮誌の対談の抜き書き。

- - - - - - (メモ:ココカラ)
「楽しいこと」からまちが変わる。たとえば「朝早く一緒に掃除をしながら合コンをやりますか」ということになれば、プログラムが変わる。
同じ「フェチ」を持った人とはコミュニティをつくりやすい。
フェチだけではかたちにならない。社会化していくための何らかの編集技術が必要となる。
「行為」から「まち」を変えていくという丁寧な都市計画が必要。効率としては非常に悪いことになるかもだろうが。
急につくるのではなくゆっくり作る。
事業スケジュールを決めないまちづくり。
「着工はいつでもいい、合意形成が取れてから。20年、30年先でもいい」という話ができれば、話し合いの内容が変わってくる。
何を作るのかではなく、誰と何をしたいのかが重要。
------(ココマデ)

私が佐用町江川で携わったバス計画に近いと感じた。
計画の実施よりも「バスに乗ること」「バスをみんなで支えること」と行動を変えていくことで、江川地域のあり方を変えようとしていた。

それに、結果的にバスを走らせることができたけれど、合意形成ができなかったらバスを走らなくてもいいと言いながら話し合いを進めていた。
あのバス計画はとても非効率で、走ったバスもワンボックスカーのオシャレではないものだったけれど、それでもすごく良いものができたと思う。

と。江川のことを思い出して、切なくなった。
私は、ああいうバスをあちこちで走らせるお手伝いをしたかったのだけど、今はそういうフィールドもないし、時間もない。

今は目の前のことで精いっぱいどころか、病気のせいでできてへんことが多い。

そのうち子どもたちが育ったら、私もいろんなことができるようになると思う。だから、ちゃんと病気を治して、その時のための勉強や経験を少しずつしていこうと思う。焦ったらあかん。できへんことは仕方がないし、ずっとできへんわけでもないはずだから。

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2012年10月20日 (土)

積み重ならないものの大切さ

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家事を疎かにする自分が嫌いだった。

でも、今は、まだ病気が完全に治ったわけではないのだから、仕方がないと諦めることにしている。

病気になる前は、今よりももう少しまともに家事をしていたが、それでも、私の母がしていたものよりも合理化、簡易化したものだった。

今、家事は、ヴァナキュラーな仕事ではなくなりつつある。

それでも、職場の仕事や研究よりも生活の本質に近いように感じていた。

知り合いの先生が、世の中には2種類の仕事があると言っていた。

一つは積み重なる仕事、これは目標を決めてもくもくとこなすことが容易。研究やコンサルタントの業務などは、積み重なる仕事で、評価がしやすい。

もう一つは、積み重ならない仕事。マイナスのものをゼロに戻すような仕事は、評価されにくい。家事や掃除などはされていて当り前のように思われがち。

積み重ならない仕事を評価する人は少ない。でも、積み重ならない仕事にこそ本質があるのかもね。
(この手のことは、私が書くと当たり前のことすぎてつまらなくなるな)

私は、積み重なる仕事、積み重ならない仕事の両方をしたいと思っている。

多くを望みすぎなのかもしれないけれど、ぼちぼちとがんばりましょうぞ。

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2012年10月19日 (金)

大人になりましょう。ね。大人になりましょうよ

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私の前歯の横の歯は、乳歯のまま。

歯医者で見てもらったのだが、永久歯には生え変わらないので、乳歯のまま大事にしないといけないと言われた。他の乳歯は、外に投げてしまったので紛失しまったが、前歯の横の歯はずっとここにある。

ネオテニーみたいで、ちょっと嫌だ(>_<)

- - - - -

子どもが二人できて、三十代も半ばになり、傷跡も治りにくくなり*、少し前には生まれ初めて自分の頭の中に白髪を発見した。体重も減りにくい。笑うと目尻にしわがよる。

年を確実にとっているのだから、身体が衰えていくのは仕方がない。身体を鍛えたりして、少し抗わないといけないとは思う。

このように、私の身体は着々と老化しているのだが、私はいまだに大学生と間違われる。まあ、いまだに大学には(仕事で)通っているし、2年半前までは、学生という身分を持っていたのだけど、そういう状態のことではなく、私がモラトリアムな空気感を身にまとっているということだろうと思う。

初対面の方とひとしきりお話した後に、「t80935さんは学生さんだよね?」とかなんて聞かれたことがある。「10年前はこうだった」という話をすると、「そんなん中学生くらいでしょ。よく知っているね」なんて言われたこともある。

なんか、私、落ち着いてへんのよな。喋り方もたどたどしいし。ほんまに恥ずかしい(;_;) 大学卒業後の10数年間を、私はちゃんと積み重ねて来なかったのかとがっかりする。

- - - - -

ぼーっとしていると、私は一日中、遊んでくらすのが性に合っているんじゃないかと思う。。

赤まんまの花や露草、金木犀の落ちた花なんかを集めて、おままごとの材料にしたい。

橋の上から川に棒を何本か落として、どれが早く流れていくのかを競いたい。

雲が流れていくのを眺めながら、動物や食べ物に似ているとか形遊びをしたい。

野良猫を追いかけて、息をひそめて細い路地を歩き回りたい。

- - - - -

子どもの頃、大人になるのが想像できなかったけれど、老女になるのなら想像できるような気がしていた。朝起きて、ご飯食べて、のんびり過ごしていたら夕方になって、一日が終わるんでしょうって。延々と続く夏休みのようで魅力的に思っていた。

大人になるのが怖かったから、年を重ねれば、勝手に大人になるんだと思いこんでいた。二十歳を過ぎたあたりから、大人の年齢になっただけでは大人になれないというのには薄々気づいていた。でも、どうすればいいかわからなくて、大人になることに対して、目を瞑ってすすんできてしまったように思う。

んー。なんというか、幼い自分を押さえ込もう、切り捨てようとすると、かえってうまくいかなかったりもするのだけれど。大人になるということをもうちょっと意識したいなあ、改めて思ったりしている。

「精神的に向上心のない奴は馬鹿だ」。不惑の年の頃には、「おかしいなあ、もういい年なのに、まだ大人になっていない(>_<)」とがっかりしないですむようにしたいと切実に思う。

- - - - -

*去年、キックボードに乗っていた時に、顔からこけるという、最悪な転び方をした。その後、1ヶ月以上顔半分が内出血で青くなっていた。その間は、道行く人にぎょっとされるので、ずっとサングラスとマスクをかけて過ごしていた。内出血が収まった後も、傷跡がずっと残っていたのだが、半年ぐらいたってやっと跡形もなく傷がなくなった。

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リスタートの報告

来年度からRPDに採用されることになりました☆彡

RPDとは、日本学術振興会の特別研究員制度の一つで「若手研究者が、出産・育児による研究中断後に円滑に研究現場に復帰できるように支援する」というもの。

これで、来年度から、3年間、研究に専念できます。

私って、どうしてこんなに運がいいんだろう。幸せだ。

-----

中学生の頃、数学で、マイナスの数にマイナスを掛け合わせるとプラスになるというのが、不思議でたまりませんでした。

実感に全然合わへんやないかと。

でも、年をとると、時々、マイナスの数にマイナスをかけるように、自分のもっているマイナスのカードがぱあっとプラスに変わるような経験が増えてきました。

今回のRPDに選ばれたことも、そんな感じです。

RPDは、他の特別研究員と比べて対象者が限られることと制度がまだできて間もないことから、この広大なインターネット上にも体験記が少ないようです。


ですので、また、折をみて、申請書を書く際に気をつけた点、面接の準備、面接での質問内容などをまとめたいと思っています。

とりあえず、報告まで。

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2012年10月14日 (日)

土木への愛と夫婦愛

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先日、友人の結婚式のスピーチで、鉄筋コンクリートについての話を聞いた。
私は、以前、土木用語で愛を語るという大喜利をして遊んだことがあるので、ピンときた。ktkr!

鉄筋コンクリート(reinforced concrete, RC)は、引張りに弱いコンクリートを補強するために鉄筋を配している。

だから、夫婦も同じように、お互いの得意なところ、不得意なところを補い合うことが大事ですよ、とかなんか。

他の知人の結婚式では、シールドトンネルをスピーチの話題に出されたことがあると聞いたことがある。

あ。高速道路のネットワークについても聞いたことあるけれど、どんな内容か忘れてしまった。ちゃんとメモっておけばよかった><

土木技術者は基本的にシャイなので、そうやって土木への愛と夫婦愛を一緒に語っちゃうのよね。ちょっと意味がわかりにくいかもしれないけれど、土木技術者の誠実さがよくわかって愛おしくなる。

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2012年10月10日 (水)

平城宮跡の埋め立て造成工事に反対です><

近鉄奈良駅から電車に乗って、新大宮駅を少し過ぎると、平城宮跡が見えてくる。

近鉄電車は窓が大きくて、景色を眺めるのに向いている。

発掘が遅れたせいで、宮跡の真ん中を近鉄電車が突っ切っている。

少しずつ発掘をすすめながら復元作業を行っていくらしいのだが、今のところはほとんどが野っ原のまま。

このまま野っ原であってほしいなあ。

- - - - -

とかのんびり思っていたら、平城宮跡〈埋立て・舗装工事〉の埋め立て造成工事がすすんでいる。はー。

私は平城宮についても景観や生態系保全について、あまり詳しくないのだけれど、個人的には、この埋め立て工事には反対です。地域住民との話し合いを十分にとらずにすすめた国交省のやり方は、拙速すぎると思っています。

緑地、木簡は? 平城宮跡中心部で舗装進む 国営公園化に伴う整備の是非、市民に関与の機会なく(ニュース奈良の声)

往時の平城宮の広がりが 甦 ります。(国交省)(PDF) 

■埋立て工事に反対している市民活動のページ

世界遺産 平城宮跡〈埋立て・舗装工事〉の即時中止を! 平城宮跡を守る会

署名もありますので、賛同される方はぜひ。

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2012年10月 5日 (金)

付き合いたくないものと、どうにかこうにか

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\(^o^)/

- - - - -

最近、病気のせいで寝込むことが増えたのですが、お布団にくるまっていると、子どもの頃の点滴のことをよく思い出します。

白い無機質な天井、壁の向こうから不明瞭に聞こえる診察中の先生の声、どこかから聞こえる医療機械のモーター音、一滴ずつ落ちていく点滴、針の刺さっている動かせない腕、そういうのは、私にとってかなり馴染み深いものでした。

一人で白い殺風景な部屋に残されて点滴を受けていると、私は永遠に世界に取り残されたかのような寂しさを感じました。でも、ふっと気がつくと、点滴はいつのまにか終わっていて、すやっと眠っていたりするのだから、子どもの感じる孤独感なんて一瞬のものなんだと思います。

子どもの頃に繰り返し点滴を受けていた原因は、自家中毒です。

自家中毒は普通の病気とはちょっと違っていて、原因となったものが取り除かれればケロっと治ります。

子どもの頃は、人前で何かをする度に、自家中毒になってました。幼稚園の送辞とか、学年を代表して作文読むとか、卒業式にエレクトーンで伴奏するとか。

私は、子どもの頃から、とても気が小さかったのに、人前に出るのを拒まなくて、それ故に自分を追い詰めていたようです。

- - - - -

ここしばらく、ある病気に罹患し、調子があまりよくないです。今は、2週に1回通院し、毎日薬を服用しています。

とはいっても、毎日寝込んでいるというわけでもなく、調子の良い日は普通に仕事して、家事して、育児して、何とか日々をやり過ごしています。

少し元気になったと思って調子にのるとすぐ体調を崩すという感じで、なかなかよくなりません。元気になったと感じるのは、ドーピングでよくなっているだけで、本格的には治っていないからなんですよね。

私が罹患している病気について調べると、適切な処置を取らないと亡くなる人もいるとか、再発する人の割合がやたらと高いとか、何やら恐ろしげです。

どうやら、私はこの病気と末永く付き合っていかなければならないようです。

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もともと私は体が丈夫な方で、ギリギリのところで無理をして帳尻を合わせると言うやり方で、今まで何とかやってきたんですよね。

でも、病気になると、自分のことなのに自分の意思でどうにもならないということが多すぎて、どうにもこうにもやるせないです。

病気になって辛いことはたくさんありますけれど、自分の性格がすごく悪くなっているのに気づいた時が一番辛いものです。

嫉み、僻みが酷くて、後ろ向きで、自己中心的。他者に対する想像力が足りなくて、視野が狭い、自分を客観的に見れない。

そして、そんな嫌な自分に気づいて自分のことが嫌になって、引きこもりたくなるという無限ループ。

私はもう少しましな人間だったように思うのですが、自分がどんな人間だったのかが思い出せなくて悲くなります。

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先日、たまたまエッセイ漫画「ツレがうつになりまして」を手にとったのですが、病気の時は「あ」「と」「で」が大事って、に書いてあり、共感するところがありました。

「あ」焦らない。

「と」自分を特別だと思わない。

「で」できないことを見極める。

「あとで」難しいことは、病気がよくなったあとで考える。

これらのことは、うつ病に限らず、病気全般にいえることかと思います。

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今、ふっと気がつくと、病気のことばかり考えてしまいます。

もっとのんびりかまえなよ、楽しいことを考えなさい、そうアドバイスをしてくる人もいるのですが、どうやら今の私にはそれではうまくいかないようです。

病気になってしまったからには、無理に明るく振る舞うのではなくて、自分の弱さともどうにかこうにか向き合っていかないといけないように思います。

そんなわけで、私はしばらく病気の人ですが、ぼちぼちと何とか病気とつきあって、毎日をやり過ごそうと思っています。

何やら 元気のない日記で申し訳ないです(>_<)

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