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2012年10月 5日 (金)

付き合いたくないものと、どうにかこうにか

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\(^o^)/

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最近、病気のせいで寝込むことが増えたのですが、お布団にくるまっていると、子どもの頃の点滴のことをよく思い出します。

白い無機質な天井、壁の向こうから不明瞭に聞こえる診察中の先生の声、どこかから聞こえる医療機械のモーター音、一滴ずつ落ちていく点滴、針の刺さっている動かせない腕、そういうのは、私にとってかなり馴染み深いものでした。

一人で白い殺風景な部屋に残されて点滴を受けていると、私は永遠に世界に取り残されたかのような寂しさを感じました。でも、ふっと気がつくと、点滴はいつのまにか終わっていて、すやっと眠っていたりするのだから、子どもの感じる孤独感なんて一瞬のものなんだと思います。

子どもの頃に繰り返し点滴を受けていた原因は、自家中毒です。

自家中毒は普通の病気とはちょっと違っていて、原因となったものが取り除かれればケロっと治ります。

子どもの頃は、人前で何かをする度に、自家中毒になってました。幼稚園の送辞とか、学年を代表して作文読むとか、卒業式にエレクトーンで伴奏するとか。

私は、子どもの頃から、とても気が小さかったのに、人前に出るのを拒まなくて、それ故に自分を追い詰めていたようです。

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ここしばらく、ある病気に罹患し、調子があまりよくないです。今は、2週に1回通院し、毎日薬を服用しています。

とはいっても、毎日寝込んでいるというわけでもなく、調子の良い日は普通に仕事して、家事して、育児して、何とか日々をやり過ごしています。

少し元気になったと思って調子にのるとすぐ体調を崩すという感じで、なかなかよくなりません。元気になったと感じるのは、ドーピングでよくなっているだけで、本格的には治っていないからなんですよね。

私が罹患している病気について調べると、適切な処置を取らないと亡くなる人もいるとか、再発する人の割合がやたらと高いとか、何やら恐ろしげです。

どうやら、私はこの病気と末永く付き合っていかなければならないようです。

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もともと私は体が丈夫な方で、ギリギリのところで無理をして帳尻を合わせると言うやり方で、今まで何とかやってきたんですよね。

でも、病気になると、自分のことなのに自分の意思でどうにもならないということが多すぎて、どうにもこうにもやるせないです。

病気になって辛いことはたくさんありますけれど、自分の性格がすごく悪くなっているのに気づいた時が一番辛いものです。

嫉み、僻みが酷くて、後ろ向きで、自己中心的。他者に対する想像力が足りなくて、視野が狭い、自分を客観的に見れない。

そして、そんな嫌な自分に気づいて自分のことが嫌になって、引きこもりたくなるという無限ループ。

私はもう少しましな人間だったように思うのですが、自分がどんな人間だったのかが思い出せなくて悲くなります。

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先日、たまたまエッセイ漫画「ツレがうつになりまして」を手にとったのですが、病気の時は「あ」「と」「で」が大事って、に書いてあり、共感するところがありました。

「あ」焦らない。

「と」自分を特別だと思わない。

「で」できないことを見極める。

「あとで」難しいことは、病気がよくなったあとで考える。

これらのことは、うつ病に限らず、病気全般にいえることかと思います。

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今、ふっと気がつくと、病気のことばかり考えてしまいます。

もっとのんびりかまえなよ、楽しいことを考えなさい、そうアドバイスをしてくる人もいるのですが、どうやら今の私にはそれではうまくいかないようです。

病気になってしまったからには、無理に明るく振る舞うのではなくて、自分の弱さともどうにかこうにか向き合っていかないといけないように思います。

そんなわけで、私はしばらく病気の人ですが、ぼちぼちと何とか病気とつきあって、毎日をやり過ごそうと思っています。

何やら 元気のない日記で申し訳ないです(>_<)

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