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2013年2月

2013年2月15日 (金)

おつかい

私が子どもの頃、母は家で和裁の仕事をしていた。

時折、着物の切れ端を持って、近所のよろず屋さんに糸を買いに行った。
着物の切れ端を持っていくのは、切れ端と同じ色(あるいは少しずつ濃いぐらいの色)の糸を選ぶためだ。

近所のよろず屋さんは、姉の同級生のおばあさまが経営されていて、おつかい以外にも行き慣れた場所だった。
よろず屋さんでは、クリーニング、雑誌、煙草、文房具、そして裁縫用品を扱っていた。

絹糸は木の箱の中にぎっしりと敷き詰められて売られていた。
多彩な色の絹糸が箱の中にグラデーションでぎっしりと並んでいた。
あの絹糸のグラデーションの中から、ちょうどよい糸を見つけ出すのは、楽しい行為だった。

時折、ちょうどよい糸が見つからなくて、何も買わずにうちに帰ったこともあった。
何も買わずに家に帰るのは、少々緊張することだった。

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上の子が小さい頃、林明子の「はじめてのおつかい」という絵本を繰り返し読んで聞かせた。

よろず屋のようなところに牛乳を買いにいくというだけなのに、子どもの視点からはちょっとした冒険になる。

自転車も大きな犬もこちらに気づいてくれない大人も、まったく悪気はないのに、こちらを脅かす存在になる。

子どもならではの視点が伝わってくる、よい絵本だと思う。

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小学生の娘におつかいを頼む時が、時々ある。

今では日常になってしまったが、最初に行かせた時は、帰ってくるまで気が気でなかった。

子どもを持つと、はじめてのことばかり起きるはずなのに、忙しい日々を送っていると、その「はじめて」を忘れてしまう。

「はじめてのおつかい」を読むと、大人にとってもそういう「はじめて」の体験を思い出すことができる。

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2013年2月 2日 (土)

知らない人との一度きりの会話

日経新聞の夕刊のコラムにこんな文章があった。

"知らない人との一度きりの会話というのは、不思議に心に残ることがある。 立場や利害関係、お互いの知り合い、そういうものに配慮しないでいい、二度と会わない人だからできる、そういう話もある。偶然の、誤解まじりの、共感と励ましが人を支える。そういうことは案外、すくなくないとわたしは思う。(中村千恵 比較文学者) "

私自身も、ふりかえればそういう偶然の出逢いに励まされたことがある。

カナダからの学会の帰りで、シカゴで乗り換えた飛行機で隣に座った方がたまたま日本人だった。

国際学会で初めての発表、しかも一人で海外旅行しなければならないというのに、心底疲れ果てていた。

私の英語が拙いということもあり、私の研究内容がうまく伝わらなくて少し落ち込んでもいた。

学会であった日本人研究者に、子どもを育てながら今から研究職を目指すのは厳しいのではないかなどと言われたのも、疲れ果てていた原因の一つだ。

隣の席に座った人は、私が読んでいた「アメリカ大都市の死と生」という本のタイトルをみて興味を持ったらしく、どういう目的で北米に来たのかと聞いて来た。

そこで、ひとしきり、本の内容と学会のこと、その頃佐用町江川で関わっていた住民参加型バスの話をした。

その方は、某大学の心理学の先生で、私の研究を面白がってくれた。

名刺をいただいたけれど、結局そのまま連絡をとっていない。

その人とお話したことで、私の研究は面白いし、世の中に必要とされているという思いが強くなった。

その思いは、私の博士後期課程の三年間を支えてくれたと思う。

私自身はつまらない人間かもしれないけれど、私がしていることは他人の興味を惹くことができる。

最近、忘れていたけど、大事な思い出。

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