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2013年7月 2日 (火)

僕と契約して絶望の海を乗り越えてよ

今期はまってみていたアニメ「悪の華」が、あまり話が進まないまま、第一部完となってしまった*。

もう一人のヒロインの佐伯さんは完全に置き去りになったままだ。
嫌な予感は10話あたりからあった**。
10分ほど延々と黙って歩き続けるシーンがあったりしたもの。
一視聴者としては、第二部が始まるのを期待するしかないようだ。

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「悪の華」で描かれた街の閉塞感には、私にも身に覚えがある。
錆びた鉄とパチンコ屋と雑草しかない。
この街には何もない、そう思い込んでいたし、そう思わされていた。
ここから出たい、私はみんなとは違うんだ、でも、私は何もできない、ここから出られない。
私は自意識過剰で中二病で無力で、どこにでもいるありふれた子どもに過ぎなかった。

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「悪の華」では、ある事件をきっかけに、嫌われ者の仲村さんという女の子が気の弱い文学少年の春日くんを脅して「春日くんの中身を全部剥かれる」という契約をする。
その契約のもとに、春日君は仲村さんに振り回されるが、最終話に向かうにつれ、反転して、春日くんが仲村さんを救いたい、向こう側に一緒にみつけたいという思いに変わる。

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今までさんざん様々な物語で描かれてきたように、男の子が女の子を救うという物語は破綻するのだろう。
人は恋愛「だけ」では生きていけない。
男の子の女の子を救いたいという想いは、女の子の本意、あるいは世界とずれてしまっている。
救いたいという想いは常に独りよがりなんだ。

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王子様がお姫さまを救いたいという想いは独りよがりで、真にお姫さまを救うことはできない。
そして救うことに失敗した王子さまは存在や名前さえも忘れ去られる。 それでも、その救いたいというプロセスは崇高なものなんじゃないか。
そうすることで、女の子は革命を起こして自分で自分の世界を切り開く力を手に入れることができる。
そのあたりは、「少女革命ウテナ」に描かれていた。
誰かを救いたいという独りよがりな願いは、絶望に変わってしまう。
でも、特定ではなくて不特定多数の誰かを救いたいと心から願うことがてきたら、絶望せずに済む。
でも、不特定多数の救いを願うなんて、それはもう神という概念と同じかもね。
というのが「魔法少女まどか☆マギカ」。
僕は君のことを好きだけど、僕は僕のことで一生懸命になって余裕がないから、君も君のことを一生懸命にしてくれ。
と、男の子が女の子を突き放してはいるけれど、一番健全な男女関係は「耳をすませば」。
この形が一番いいんだろうけれど、そうすると、一緒にいる意味って何?になってしまいかねないと思う。

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どうやったら絶望の海を乗り越えることができるんだろう?
誰かを救いたいという想いと行動は、結果が破綻したとしても、絶望の海を乗り越えるのに必要なプロセスのように思う。
でも、それだけではなくて、もう一つ先に踏み出す何かが必要なように思う。
「悪の華」の主人公たちが絶望の海をどうやって乗り越えてみせるのか、すごく楽しみだ。
早く第二部がみたいなあ。

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*2人目の産休以降、アニメを見る習慣ができた。といっても一年に一作品みるかどうかぐらいなので、ヌルい感じ。子どもたちにみせるには不適当なアニメなので、通勤中に、iPhoneでイジイジと見ている。
** 「悪の華」の話の進まなさに比べると、「魔法少女まどか☆マギカ」の話の進み具合は素晴らしかった。無駄なエピソードがほとんどない。この展開をするためにこの伏線があったのかと感心するばかりだ。あまりにも段取りがよすぎて、段取りアニメと呼びたくなる。

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