博士後期課程の歩き方

2013年4月 4日 (木)

ポストドクトラルフェロー?ぜいたくな名だね

ポスドクジブリhttp://togetter.com/li/333864?page=1より

ポスドクになってから3年もの月日がたってしまい、RPDに採用されたこともあり、あと3年間はポスドクでいる可能性が濃厚になった。

「教育と研究が補完しあっていることは、経済的にみると幸運な偶然といえる(ケネス・アロー)」のだが、私は集中講義2つ以外は研究しかしていない。ポスドクは基本的に教育に関わっていない、あるいは関わることができないので、不経済な存在かもしれない。

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RPD(Restart Postdoctral fellowship)の申請書について書こうかと思っていたのだが、あまり書く事はないかも。
基本的にはPDと一緒。
ただ、違う点は、「出産・育児による研究中断状況」を書かされることだけ。
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学振の申請についてはあちこちに体験談が溢れている。しかし、RPDは年間40人しか採用されないこと、育児などで体験談を書くのが難しいこと(私みたいにブログを書くのが趣味という人が少ない)から、インターネットの海の中にもあまり体験談が見つからない。

ちょっと探してみた感じでは、この方ぐらいかな 

→ オーバードクターの妊娠・出産・育児日記 学振 http://poi19.blog14.fc2.com/blog-category-13.html

RPDの申請は、他のDC、PDと基本的には変わらないので、下記の「が苦心がんばれ」などを参考にするのがよいと思う。

が苦心がんばれ http://www.estat.us/kaz/id11.html

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RPDは書類審査が通ると、9月末に面接を受けに行くことになる。

面接は、どなたかに必ず見てもらった方がよい。

私は、共同研究している教授が配慮してくださり、大学の研究支援をしている部署に模擬面接をしてもらえることになった。いろんな大型プロジェクトを採択されたことがある教授の先生方に面接をしてもらえて、すごく参考になった。分野外の方がきいても、研究の意義が伝わるようなプレゼンをするのはすごく大事だ。

研究費獲得のためのプレゼンの際に気を付けるよう言われたことは

 ・なぜ今のタイミングでこのテーマに取り掛からないといけないのか、

 ・しかもそれが自分じゃないといけないのか

に気を付けてプレゼンすること。この2つが伝われば、「これで勝つる!」

RPDの面接の場合は、研究計画だけでなく、研究中断の状況、RPD後の進路についてなども説明する。

正直なところ、私、RPD後にアカポスにつけている自信はまったくないのだけれど、それでも、めちゃめちゃ前向きに、自分の特徴を生かした研究者になることを話したりした。

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長々と書いた割には情報量が薄くてごめんなさい。
もし、私の申請書をみたい、面接時の話をもっと詳しくききたい、発表資料をみたいといったことがありましたら、お気軽にコメントしてくださいませ。

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2009年6月20日 (土)

ドロップアウト、アウトサイダー

Dsc00176_s  また、周回遅れになってしまったネタですけど、アカデミックハラスメントについて。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090513STXKD016413052009.html
「指導に重大な過失」=大学院生の自殺で東北大

 このニュースの場合、たまたま因果関係が明確なので、ニュースになっているだけだ。大学ってところは、この手の話には事欠かない。『具体的な指示を与えず、適切な指導を行わなかった』と書かれていたりするけれど、こんなん、どこの研究室の指導もわりとそうだったりする。

 自殺しちゃう人の気持ちは分からないでもない。指導教官に認められないというのは、かなり辛いことだ。将来を悲観してしまう気持ちはよく分かる。他人事だけど他人事じゃない。

 博士課程3年目にして思うのだけど、意味のある研究をするのって、本当に難しい。 研究に求められる第1条件は「オリジナリティ」。つまり、今まで誰も手を出していないということ。 でも、誰も手を出していないということには理由があって、難しすぎるからというのもあるだろうけれど、「やってもムダ」「意味がない」「つまらない」から、誰も手を出していないからかもしれない。

 自分の研究がまさに「意味がない」のではないかという気持ちに陥る学生は多いと思う。特に、先生に与えられたテーマじゃなくて、自分でテーマを設定した場合なんかは。 自分がやっている分野は、すでに学問としての体系はできあがっているように見えるし、 そこに自分が考えた研究成果を付け加える余地なんてないように思える。

 そういう時に、周りのサポートが少しでもあれば、何とか乗り越えることができる。指導教官以外に研究について相談でいる人を確保しておく、というのは大事なことだ。私の場合は、幸いなことに、相談しやすい先生が何人もいたり、行くと楽しい現場があったり、家族がいたり、思いを共有できる友人がいたりするので、何とか楽しくやっている。あと、学会で発表するってやっぱり大事。自分の指導教員は認めてくれなくても、他の先生が応援してくれる時もあるし、同じような研究をしている人もいるし。

 そして、もっと大事なこととして、「ドロップアウトしても平気」という思い切り。そして、アウトサイダーとして、少しひいた目線で大学や研究対象を見ていく。そうすれば、先生に認められないとか、卒業が遅れたとかいう理由で自殺しなくてすむ。それに、引いた目線で見た方が研究対象に対する視線もぶれないかもしれない。

 私は8年前に会社を辞めて以来、アウトサイダーとして生きている気がしている。会社を辞めて、1年くらいふらふらとしていた時期は、かなり鬱々としていた。ああ、私はこのまま社会との接点を失うのかもしれないって。でも、子どもを産んで、大学に入りなおしたことで、「もうアウトサイダーのままで、ええやん」と開き直っている。レールから外れても楽しくハッピーに生きていけるし、何かを一生懸命やっていればお仕事が向こうからやって来るときもある(で、研究に対する視点が定まっているかというと、ぶれまくりなんだけどね)。

 アカデミックハラスメントについては、教官自体の問題も多いけれど、学生側も自衛しないといけない。自分一人で抱え込まないで済むような環境を整えること。そして、自分の人生の向かう先を真っすぐなものではないと捉えること。博士後期課程というところは、優秀な人でもかなり悩む場所なので、能力も気力も普通かもと思う人は、よくよく考えた方がよいよ。

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 「博士後期課程の歩き方」というカテゴリーを作ってみた。今まで「研究のこと」カテゴリーに入れていたけれど、研究に関する話とは少し色合いが違うので。ハウツーものなのに、博士後期課程に入るのを全然勧めていないネガティブな文章群で笑った。

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写真:徳島眉山で見かけた猫山さん親子。子どもたちは3匹いたけれど、一緒にフレームに入ってくれなかった。ねこ、かわいいよ、ねこ。中学生の頃、将来の夢をかかされた時、「猫になりたい」と書いたら、先生に怒られたなぁ。

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2009年6月15日 (月)

私は私にしかなれない

 今週末は学会で半年ぶりにN大学のF君に会って、研究の悩み(というか愚痴)を話しこんでしまった。F君は私と研究テーマが似ていて、彼の悩みは私の悩みと類似している。あまりに似すぎて「あなたは私ですか?」と言いたくなるぐらい。悩みの内容は、論文が査読を通らないとか、博士論文の構成が決まらないとか、研究に対する熱意をどうやったら持続させれるのかとか、そういうこと。

 話し合って悩みが解決したわけではない。だけど、F君が言った「ぴかさんも僕も泥臭い研究しかできない。どんなに他人をうらやんでも僕は僕にしかなれないし、ぴかさんもぴかさんにしかなれないよね」という言葉に、少しだけ気持ちが軽くなったような気がする。

 「私は私にしかなれない」なんて当然のことすぎる。でも、研究発表がうまくいかなかったり、論文が査読で落とされたりといったことが続くと、何で私は他の人たちのようにスマートに要領よくできないんだろう?と思うし、何でこんな研究テーマを選んでしまったのかと自問自答する。馬鹿な私は他人になりたがっていたんだ。

 研究スタイルも研究テーマも誰かに強制されたものではなくて、自分で選んだんだから仕方がない。私は私のやり方でしか研究しかできないし、私の私を取り巻く環境を受け入れて、やっていくしかない。

 書いてみたら、当然過ぎてつまんない話。でも、こういう当然すぎることを時折忘れて、ウジウジと悩んでしまうので、自戒の意味をこめて書いておく。

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 ここしばらく、電気グルーヴの”N.O.”ばっかり聞いていた。N.O.は高校生の頃から大好きな曲で、落ち込んでいる時によく聞きたくなる。N.Oの明るいピコピコ音を聞きながら、超ネガティヴな歌詞を一緒に口ずさんでいた。「先を思うと不安になるから、今日のところは寝るしかないね」とか「話す言葉はとってもポジティブ、思う脳みそほんとはネガティブ」とか。こんな言葉をうれしそうに口ずさむなんて、どれだけ落ち込んでたんだか。

 本当に本当に精神的に調子が悪いと、普段聞いているコジャレが音楽が聴けなくなる。でも、そろそろカヒミカリイとかが聞きたくなってきたから、調子がよくなってきたみたいだ。

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2009年4月25日 (土)

お仕事のこと

 がんばって就職活動するよ。でも、このご時世だから、ひょっとしたら就職できないかもしれない。年も年だしね。

 で、どうしよう?どうしよう?と、いろいろ悩んでいたんだけど、どうにかこうにか、就職しないでもやっていく方法も考えた方がいいかな、という気になってきた。

 「市民科学者として生きる」を書いた高木仁三郎さんみたいな生き方もありだよな、ということ。市民に寄り添って、研究活動を行うって、そんなに不可能でもないかもしれない。

 論文を書くこと自体は、大事なことだと思っている。だって、査読に通りさえすれば、名もない私の書いた論文と、有名な大御所の先生の書いた論文が同格のものとして、同じ論文集に載るんだよ。そして、少なくとも全国の研究者の目には触れる。これって、すごいことだと思う。

 でも、論文だけを研究の成果として見るのは、やっぱり足りない。論文じゃ人の心に届かないもの。弱い立場にいる人に寄り添って、知識人としての責務を果たす必要がある。で、その責務は、研究機関にいなくても、できるような気がしてきた。負け犬の遠吠えに聞こえるかもしれないけれど。

 私は交通計画に携わることが好きだ。いろんな人に会うのが好きだ。フィールドワークも好きだ。で、今年度いっぱいで幸せな大学院生活は終わってしまうけれど、来年度以降もどういう形であれ、交通計画に携わっていくよ。

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2009年1月31日 (土)

気づくのはいつでも過ぎたあとだろう

 学生生活もあと1年強。論文も書かないといけないけれど、そろそろ就職のことも考えよう。ということで、先日、博士後期課程在学者を対象としたキャリアセミナーに行ってみた。そこで、日本の博士号取得者には欠けている能力が2つあるという話が出た。

ひとつは、プロジェクトをマネジメントする能力。
もう一つは、コミュニケーション能力。自分の研究をプレゼンして、資金をとってくる能力。

 ああ、ああ、よくわかりますよ。イタイところを突かれている感じ。これは先生方にも問題があるし、学生側にも問題がある。
 先生方の多くは、研究者というのは徒弟制度のようなものだと考えているので、研究者の育成のために特別何かをしなければならないとは考えていないふしがある。一方、学生側も、大学までの受け身型の教育に馴れすぎていて、自らプロジェクトを動かすという意識が薄い。
 現状では、研究者になれるかどうか、博士後期課程を充実して過ごせるかどうかは、入学してきた人間の才能に大きく依存している。才能のある人間以外は研究者になるべきじゃないというのも一理あるかもしれないのかもしれないが、博士後期課程で過ごす時間、投入されるお金(学生が払う授業料だけでなく、公立大学であれば間接的に投入される税金など)がもったいない気がしてならない。

 ええと、こうやって、愚痴っていても仕方がないので、とりあえず、博士後期課程に入ってしまった人間は、どうすればよいのか、っていうのを考えてみよう。
 社会学に近いような研究をしている人間であれば、とりあえず、自分のフィールド(先生が主になっているんじゃなくて、自分が主にならざるを得ない現場)に出てしまうというのも一つの手。現場の多くは、何かしか課題を抱えているし、それを解決しようすると何かしかのプロジェクトを動かさないといけなくなるから。
 あと、研究助成もできるだけたくさんの申請するとよいような気がしている。RA(Research Assistant)をしていれば、科学研究費にも申し込めるし(学術振興会の特別研究員も申し込むべき)。民間でも、若手が取りやすい助成金も多い(UMINの研究助成公募情報にたくさん公募情報は載っている)。もし、助成金が取れなかったとしても、申請書の書き方の練習になる。実際に助成金がとれれば、自分が自由に使える研究費ができるし、何かのプロジェクトを動かさないと助成金の報告書も書けないから。

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 何にせよ、最高学府の大学院、しかも博士後期課程を修了したのに、能力がちゃんとついていないという現状は由々しきことだ。さらに、博士後期課程を修了した後に「高学歴ニート」になっちゃう人も多いという話を聞いて、凹む凹む。

 ここ(日本に起業家が少ない理由)にも書いてあるけれど、高学歴ニートになっちゃう人たちは、自己抑制キャパシティが小さい。かといって、社会適応スキルも高くないぞ、きっと。

ちなみに、自己抑制キャパシティというのは、

23才から60才過ぎまで40年間、毎日1時間以上をラッシュの地下鉄でぎゅうぎゅうにもまれる人生に「耐えられるか」とか、
同じく雨の日も雪の日も二日酔いの日も子供が病気の日も気温が40度の日も「ネクタイにスーツジャケットに革靴」でそういう電車に乗るっていう生活に「耐えられるか」と。
超くだらんことをいう、いかにも能力も時代への適応力もない上司が自分の倍の給与を貰っていても「まあそんなもんだ」と納得し、自分がそういう立場になるまで「20年間待てるか?」とか
(以上、日本に起業家が少ない理由から引用)

ということ。

 あー。わかるわかるよ。少なくとも私は自己抑制キャパシティが小さいよ。
 そういう不条理なことに耐えられないから、10年前公務員試験を受けるの止めたんだよな。やってられるか!!(゚ロ゚屮)屮って。会社員生活も3年しかもたなくて、会社員生活をオットに押し付けてしまっているよ。能力があれば起業家の道もあるのかもしれないけれど、私にそういう能力はないような気がするしなー。高学歴ニートの道はすぐそこかもよ。((((;゜д゜)))ガクガクブルブル。あははははは。

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2008年12月28日 (日)

なんて大それたことを夢見てしまったんだろう? -博士後期課程の出口の話その2

 出口を通過するための2つ目の条件である「就職先を見つけること」について。この話については、私はまだ今からチャレンジするので、あまり当てにはならない内容だが。

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 博士後期課程を出て、一般企業にふつうに就職する、というのはなかなか至難の技だ。企業側は博士前期課程であれば喜んで採用するが、後期課程を採用するところは少ない。理由はいろいろとあるけれど、それについて考察するのは面倒なのでパス。とりあえず、普通に就職したいのであれば、博士後期課程なんて来ても無駄だ。今のところ、日本の大学の博士後期課程は、研究者の養成機関である。結果としてアカデミックポストに就くことができなかったとしても、初めから研究者になる気がないのであれば、あえて遠回りしないでまっすぐ就職してしまった方がよい。その方が技術力もつくし、時間もお金も無駄にならない。

 そんなわけで、博士後期課程には、研究者になりたいという大それた夢を持った人間が行く場所である。ああ、しかも、博士後期課程に入ったところで、きめ細やかな研究者養成プログラムがあるわけではないので、徒弟制度のように見よう見真似で、自分なりの研究者を模索しないといけないという何だか辛い場所なのである。

 最近は、国の政策として博士を増やそうとしているので、博士号取得者は増え続けている。社会人ドクターも増えている。建築などでは、博士号取得者の就職先が見つからないというポスドク問題が生じている。土木分野は今のところ、博士号を取得して就職先が見つからなかったという話は多くない。かといって、土木分野のアカポス自体が少ないので、希望通の職に就けるかというと、なかなか就けない。

 それに、人それぞれで、さまざまな事情がある。たとえば私の場合、家族がいるので、職場の場所と拘束時間は条件としてかなり気になる。職場の場所は、できれば今住んでいる場所から通勤できる範囲がいいのだが、少なくともオットの会社の支社の近くじゃないと困る。それと娘もまだ小さいので、連日深夜まで職場にいなければならないような仕事はできない(自宅で自分の裁量でできるのであれば、自分が辛いだけので何とかなるのだが)。こういう条件のもと、博士号取得後の仕事を探すのはなかなか難しい。

 土木の交通計画系の博士号取得者の就職先としては、大きく分けて3つある。大学などの教育機関、行政の外郭団体等の研究機関、建設コンサルタントである。

 教育機関も研究機関も、ポストが空かないと募集しないし、もともとの数が少ない。最近では、退職者が出ても補充しないケースも多いと聞く。こういったアカポスについては、コネが大事だとか、お目当ての人が決まっている出来公募なのだとか、そういう噂が飛び交うけれど、大学の先生方を見ていると、やっぱりそうじゃないような気がする。実績がきちんとあって、教育者として、研究者としての姿勢がきちんとしていないと、やっぱり受からない、と思う。

 建設コンサルタントは、よくよく探せば博士号取得をきちんと評価してくれる会社も存在する。ただし、コンサルタントはかなり激務なので、精神的に体力的にそこで持ちこたえることができれば、ということ。それに、私のように仕事時間に制約のある人間には、なかなか難しい。

 というわけで、博士号取得後の就職先探しは、困難を極める。実は、私は今年の夏に一つ公募を受けて、惨敗している。来年度中にどこかに受からないといけないのだが、なかなか厳しい戦いだと覚悟している。年もとっているし、子どももいるしなー。うー、辛い辛い。

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2008年8月 4日 (月)

博士後期課程の出口の話その1

 博士後期課程の入口通過がとても簡単なのに対して、出口の通過は結構大変である。

 出口を通過するためには、2つ条件をクリアしないといけない。一つは博士論文を執筆すること、もう一つは就職先を見つけることである。私はいずれもクリアできていないので、これらの記述は信用のならないものだけれど。

 1つ目の博士論文の執筆は、執筆さえすれば認められるというわけではなく、査読付き論文を何本か書かないと執筆自体を認めてもらえない。うちの研究室では、査読付き論文が3本は必要だ。査読はどの論文集でも良いわけでなく、専攻や研究室が認める論文集に掲載されないといけない。私の専門とする土木計画学では、土木学会論文集、土木計画学研究・論文集、都市計画学会論文集、交通工学といったあたりである(もちろん、私が出したことがない”Transportation”とか、”Transport Policy”とか有名な海外のJournalに投稿できればなおのことよいだろう)。大学によっては、どの論文集であれば認められるのかを明記しているところもあるらしいが、うちの大学ではどの明記されていない。

 査読付き論文をそろえるにはどうすればよいのか。ごめんなさい。これについては、私も教えてほしいところ。私は今のところ4勝2敗。どうすれば査読が通るのかわからないうちは、できるだけたくさん書いて慣れることが大事だと思う。私なんか最初に論文を書いた時は、論文を書くルールというものがわからずにそれに四苦八苦して時間ばっかりとられた。あとは、研究にアドバイスをしてくれる身近な味方を見つけること。教授の先生はお忙しいので、なかなか細かいところまでアドバイスしていただけないことも多い。私は、助教の先生や、専攻は違うけれどうちの研究室出身の准教授の先生に相談にのってもらっている。論文を投稿する前にそういった人たちに一読して指摘してもらえると、査読に通る確率もぐんと上がる。

 で、査読付き論文がそろえば、そのまま博士論文になるかというとそうではない。一つ一つの論文はまとまっていても、それらをまとめて一つの筋にしなければならない。そういった整合性を考えて論文をまとめなおさないといけない。私は毎回ゼミのたびに、「全体の流れがおかしい」と指摘されるのだけれど、なかなかうまく一つの筋にすることができない。とても苦しい作業である。

 で、出口を通過するための2つ目の条件、就職先を見つけることについては、またそのうち。

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2008年8月 3日 (日)

博士後期課程の入口の話

 「博士後期課程」の検索でこのblogにやってくる人が結構多い。大学学部と異なって、博士後期課程について世の中にそれほど情報が溢れていないので、こんな過疎blogにも人がやってくる。というわけで、そういう需要を意識して、今回と次回は入口と出口の話を書こうと思う。

  博士後期課程の入口はとても簡単だ。大学受験に比べれば、対策なんてないにも等しい。

  ほとんどの博士後期課程は定員を満たしていないので、大概のところで2次募集はあるし(うちの大学では1次募集の試験が8月、2次が2月)、落ちたという話もまず聞かない。

  あと、博士後期課程は基本的に前期課程を修了した学生が進学するものであるが、学部卒でも、修士の学位を有する者と同等以上の学力があるとられれば、入学可能である。この場合は、事前に出願資格審査を受け、それに合格した後に出願する。これも、事前に指導教員に話が通っていれば、審査で落ちることは少ない。

 うちの大学院の試験内容は、以下の3つである。

  •  TOEIC

  事前に受けた中で一番良いものを提出する。私は、650点程度ほしいと教授に言われたが、少し足りなかった。TOEICは対策をきちんとすれば必ず上がるので、繰り返し受ける方が良い。点が足りなくて落ちるということはないが、英語力がないと国際学会での発表に死ぬほど苦しむ(TOEIC対策をしたからといって、研究に関する英語力が上がるわけでもないのだが)。

  •  小論文の試験

  博士論文の研究計画について1500字、論文のテーマに近い課題に関して1500字を2時間にわたって書く。
 博士論文の研究計画は、1.論文タイトル、2.研究の背景、3.研究の目的、4.研究の方法を項目別に分けて記述した。たぶん、どこの大学院でも研究計画を書くように言われると思う。

  • 面接

 教授、准教授の先生がずらっと並んだ中で、面接を受ける。一人あたりの時間は20分程度だったと思う。聞かれたことは、「志望動機」、「研究計画」とオーソドックスな内容である。研究計画はまだそんなに十分に練れていないのにも関わらず、教授、准教授の先生方から多くの質問を受けて、とてもとても辛かった。あと、私は大学卒業後、社会人を経験した後の出戻りなので、入学後の経済状況についても聞かれた。

 たぶん、私の試験結果はあまりよいできではなかったと思う。でも、通ってしまった。

 問題はどうやって出口を目指すのか、ということである。というわけで、次回は博士後期課程の出口の話を書こう。

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2008年3月31日 (月)

博士後期課程の経済事情

 博士後期課程に入りたいと思っていても、経済事情がままならないので、二の足を踏んでいる人も多いと思う。でも、入ってしまえば結構どうにかなるもの。というわけで、博士後期課程の経済事情について。下宿生で何とかやっている人のことについては、あちこちに書かれているので(例えば、http://www.kagami.org/phd/index.html#financeとか)、ここでは私のように配偶者が勤め人として働いていたりして、生活費を捻出しなくてもよい場合について書こうと思う。

 生活費を捻出する必要がなければ、授業料と日々のこづかいをどうにかすれば何とかやっていける。ただ、下宿生と異なり、配偶者が働いている場合は、世帯収入が多い(そんなに多くなくてもそこそこあれば多い)と見なされるので、授業料免除を受けることも難しくなるし、日本学生支援機構の奨学金を受けることも難しくなる。代わりに配偶者の扶養に入ることができれば、保険とか年金とかを支払わなくてすむ。

 私の経験から結論をいうと、授業料に関してはTAとRAの収入で何とか賄えると思う。日々の小遣いに関しては、軽微なアルバイトをするか貯金を取り崩せばどうにかなる(って、貯金を取り崩している時点でどうにもなっていないのか?)。

 TAはTeaching Assistantのこと。主として授業の手伝いをする仕事。授業の準備とか、出席確認とか、演習の手伝いとか、わりと軽微な雑用を行う。予算とかドクターの学生の人数とかによって、受け持ち時間は変わってくるが、月に数万円程度の収入を得ることができる。メリットは、就業場所がそのまま大学なので、通勤時間をとられないこと。もし将来授業を担当することになったら参考になるかもしれないこと。デメリットは先生によって、課される仕事量が異なるので、時間と手間をとられることもあること。

 RAはResearch Assistantのこと。先生の研究のお手伝い。自分の研究にも役立つのでやっておいたほうがよい。これも月に数万円程度の収入を得ることができる。大学の予算規模によって、労働時間が決まるようだ。

 能力がある、あるいは運がよいならば、学術振興会の特別研究員を目指すのがよいと思う(というか、能力なんてどうやって評価されるのか分からないんだから、とりあえず該当する人はみんな申請した方が良いと思う)。特別研究員に採用されれば、経済的に安定した学生生活を送ることができるし、職歴に書けるので経歴として評価してもらえる。4月に大学側から申請書を出すように連絡があるはず。学振の研究員になるには、2chのスレッドとかmixiの学振コミュニティなんかを見ると参考になると思う。ただし、学振の研究員になると、扶養から外れる可能性が高いので、多分、思ったほど経済面で余裕は出ないと思う。

 他に、あんまりおススメしないけれど、アルバイトや非常勤の職を探すというのもある。ただ、研究の時間もなくなるし、家の事、育児の時間がなくなるので、要注意である。私は知り合いのツテで、私大の集中講義の非常勤講師をさせていただいているが、準備にかなり時間がかかるし、講義はなかなかハードだし、毎年大変で家族にも負担をかけているように思う。大変ながらも、給料だけでなく、こうした経験は今後の経歴に生かせることができるなど、得るものが大変多い。最初、講師の話をもらった時に「私なんかができるのか?」とかなり尻込みしていたが、今では受けておいて本当によかったと思っている。

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 おうちの経済事情で進学できなくて自暴自棄になってしまう可哀相な子が時々いるが、実はお金のことなんてどうにでもなる。学歴というのは役に立たないこともあるけれど、自分の未来の可能性を大きく広げてくれる。研究をどう進めればよいのかはアドバイスできないけれど、経済状況でもし悩んでいる人がいたら、そこに関してはあんまり悩まなくても大丈夫、とアドバイスしたい。

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2008年1月 8日 (火)

博士後期課程のこと

 日本の学校って、真面目に出席して、ある程度勉強していれば卒業できてしまう。先生に与えられた課題をこなすことが大事なんだ。高校はいうまでもなく、大学も、大学院修士課程(博士前記課程)も。でも、博士後期課程はそうじゃない。

 博士後期課程の悲惨さをよく知らない人からは、「博士になるために勉強しているなんて、えらいのねー」なんて言われる。でも、全然えらくなんかない。博士後期課程は、優秀じゃなくても入れちゃう。誰でも入れるから出るのが難しい。ある程度努力しないと、修了できない。時々、自分の能力を少し超えるジャンプをしないといけない。

 たまに、海外の博士課程と比較して、「日本のドクターにも給与を」という話があるが、それはちょっと違うだろう、と思う。給与を出すのであれば、今の後期課程の入試制度やカリキュラムを大幅に変更しないとだめだろう。能力があり、やる気のある学生しか入学させないとならないだろう。そうなると私のような人間は入学できない。

 しかも、博士が100人いる村にもあるとおり、アカデミックポストに着くことができる人は一握りだ。私なんか無駄に年だけとっている上に子どもまでいるから、一般企業への就職もさらに難しいと思う。

 じゃあ、なんのために博士後期課程にいるのか?一つは「飛び道具」がほしいということ。私は社会とかかわりを持って、社会を少しずつ変えていきたいと考えていたとしても、今のままの私では誰も話を聞いてくれない。まず、話の端部を聞いてもらうには、実績であったり、肩書きであったり、そういうものが必要。「工学博士」という肩書きは、話をするきっかけを与えてくれる「飛び道具」になる。

 さらに、それ以上に重要なのが、聞いてもらうだけの価値がある話ができるかどうかだ。これも、博士後期課程というプロセスを経る中で、手に入れることができる能力じゃないかと思っている。(実際は、どうだろう。1年弱たったが、なかなか話は上手にならない。相変わらず上がり症のままだし)

 私は頭がよくないと思う。瞬発力のような頭の回転も鈍い。それでも、何かを変えていく力がほしい。博士後期課程のプロセスが、それを与えてくれると信じている(信じるものがないと大学院になんか在籍できない)。

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